1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

マイナー競技なのに「史上初のメダル」を5連発…日本が「フェンシング強豪国」に変貌した知られざる理由

プレジデントオンライン / 2024年9月6日 17時15分

パリオリンピック、フェンシング男子フルーレ団体で金メダルを獲得した日本代表=2024年8月4日 - 写真=中国通信/時事通信フォト

今後のオリンピックで、日本代表がより良い結果を出すにはなにが重要なのか。ジャーナリストの島沢優子さんは「今回のパリ大会では解説者が『世界各国における選手ごとの差がなくなってきた』と語る場面が多く、選手の力の差はなくなりつつある。そのため、今後は強化や代表チームのマネージメントを担う『競技団体』の力が勝敗を分けるようになるのではないか。競技団体の影響力を知るためには、フェンシング代表のメダルラッシュをひも解く必要がある」という――。

■64年ぶりに団体競技で4強に入れなった日本

今回のパリ大会において、海外開催の五輪では過去最多となる45個(金メダル20個、銀メダル12個、銅メダル13個)のメダルを獲得した日本選手団。男子種目が24個、女子が18個で、バドミントン混合ダブルスなど混合種目が3個だった。そして、実は45個すべてが個人競技だった。

サッカーは男女とも予選ラウンドを突破するも準々決勝で惜しくも敗れ、前回銀メダルの女子バスケットボールは予選ラウンドで優勝国アメリカを苦しめたものの、その後の試合は主力選手を脳震盪(のうしんとう)で欠くなどの不運もあって予選敗退。男子も銀メダルを獲得したフランスに残り10秒までリードするなど大接戦を演じた。男子バレーボールもイタリアにフルセットの末に沈んだ。

結果、団体競技(団体球技)は1960年ローマ大会以来64年ぶりに4強以上はゼロに終わった(図表1参照)。女子サッカー日本代表で主将を務めた熊谷紗希は日本のメダルラッシュを喜びつつも「自分たちだけじゃなく、球技のチームが勝てなかったのは悔しかった」(東スポWEB/8月16日より)と無念さを滲ませた。

【図表1】夏季五輪団体競技の日本代表戦績4強以上
筆者作成

球技(ボールゲーム)は体格に劣る日本人にとって不利な要素が多い一方で、日本はバレーで多種類のクイックを発明したり、女子バスケットで3点シュートを磨いて対抗したりと創意工夫を重ねながら世界と戦ってきた。そもそも、ほとんどの球技が五輪出場枠12カ国と狭き門。出場しただけでも評価されるべきだろう。選手は十分頑張ったし、コーチ陣、スタッフは寝食を忘れてエネルギーを注入してくれたことはすでに多くの記事で報じられている。そのうえで、今後日本の球技が世界の頂点へと昇り詰めるために今後は何が必要なのだろうか。

■マネージメント力が試される競技団体

今回のパリ大会はどの球技も解説者が「各国の差が縮まってきた」と話す場面が多かった。

例えば男子バレーではストレート(3–0)で終わる試合が減少。フルセットまでもつれ込む接戦が2016年リオデジャネイロ大会(全38試合)で8%しかなかったのに対し、24年のパリ(全26試合)では35%に増えた。どの競技にもおしなべて存在感を発揮してきた大国ロシア不在の影響はあるものの、スポーツのグローバル化が進み各国が拮抗する流れは加速するだろう。この動きは当然ながら個人を含めた全競技に言えることではある。

その点を考えると、今後は各国における競技団体と競技団体の戦いになるのではないか。そう考えたのは、日本フェンシング協会を以前から取材してきたからだ。

競技団体とは協会、連盟を指す。その競技の選手登録や指導者ライセンスの推進など普及に努め、振興方針の提示や日本代表の強化など競技発展の中枢を担う。例えばフェンシング日本勢はパリ五輪で金2、銀1、銅2と計5個のメダルを手にした。国際フェンシング連盟のランキングにおいても、男子フルーレ団体、女子サーブルなどの種目でフェンシング発祥の地であるフランスを抜き堂々の1位である。

フェンシングの試合
写真=iStock.com/gorodenkoff
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gorodenkoff

日本選手が初出場した1952年のヘルシンキ大会から、パリ大会前まで72年間で獲得したメダルはわずかに3つであることを考えると、いかに躍進を遂げたかがよくわかる。また、今大会で獲得したメダルは「個人発の金メダル」や「女子初の金メダル」など、すべてのメダルに「史上初」の肩書がついたものとなった。

そこで2018年から何度か取材した日本フェンシング協会の元専務理事、宮脇信介さんに話を聞いてみた。開口一番「スポーツの強化は10年ごとくらいに区切らなくては成果が見えない長期的事業です。これまで日本のフェンシングに携わっていただいた多くの方々の努力の賜物です」と感謝の言葉を紡いだ。

■不祥事を起こしたフェンシング協会を立て直す

東京大学経済学部から日本興業銀行へ。米国カリフォルニア大学バークレー校でMBAを取得後、世界最大級の資産運用会社であるブラックロックなどに勤務した投資・運用のプロフェッショナルは14年、理事として協会運営に参画した。

大学のテニスサークルの後輩だった当時の山本正秀副会長に「フェンシング協会を立て直してほしい」と請われたからだ。長女に加え、パリ五輪で女子フルーレ団体銅メダルの次女・花綸が選手だったこともあり、21年までベンチャー経営との二足のわらじを履き続けた。

同協会は13年に架空の領収書で日本スポーツ振興センターから海外遠征の助成金を不正受給していたことが発覚。理事20名全員が退任したところから組織を立て直した。当時は他競技団体も助成金の過大交付などによる数々の不正受給が問題になったころ。先頭に立って財務体制の改善を図った。

17年からは31歳で会長に就任した太田雄貴会長に請われ、専務理事に就任。筆者が話を聞いた18年には、改革テーマとして早くも「東京後」を掲げていた。自国開催の東京五輪以降は国からの強化費もスポンサー収入も確実に減る。宮脇さんは「そのマイナスを吸収できるように組織だてを行わなくてはいけない」と先を読んでいた。

19年には、その前年に有料化したばかりだった全日本選手権をショーアップするなどし、価値を高めることで高額化に成功。スポンサーの支持も得て自己資金の調達力を高めた結果、指導力のあるコーチを海外から招聘(しょうへい)したり、合宿など練習環境の整備を進めることができた。その努力がパリで花開いたのだ。

■「ひとりの天才」がいても結果は出せない

特に出場した4つの種目全ての団体戦でメダルを獲得したことを高く評価する宮脇さんは「個人戦のメダルはひとりの天才が生まれれば可能かもしれないが、団体戦は多くの選手の競技力を高める必要がある。全種目男女に幅広く、メダリストを生むに足る高水準の育成環境が整い、持続的に維持された結果でしょう」と語る。

日本フェンシング躍進の起点は、2003年以降「常に背伸びをして」グローバルに通用する強化環境を整備したことだ。この「背伸び」とは、他国から「日本には贅沢だ」と言われそうな名実違わぬ海外コーチを連れてきたり、長期の海外遠征など思い切った環境整備を指す。

「継続的な有力選手養成のため、それを支える財務力、経営力、発信力、国際的ネットワークを形成する力を協会は徐々につけてきた。グローバルにアンテナを立てる強化環境がなぜ必要かというと、国際スポーツの潮流(スタイル)やルール解釈は微妙なニュアンスで常に変化し揺れ動いている。常にグローバルなアップデートが必要なのです」(宮脇さん)。

宮脇信介さん
提供=宮脇信介氏
宮脇信介さん - 提供=宮脇信介氏

■「常に背伸びをすること」が重要

フェンシングは個人競技なので「団体競技のボールゲームとは強化やマネージメントのやり方が違う」と意見もあるだろう。しかしながら、宮脇さんの話には、団体競技が学ぶべきポイントが三つある。

まず1つめ「個人戦のメダルはひとりの天才が生まれれば可能かもしれないが、団体戦は多くの選手の競技力を高める必要がある」という部分。それに続く「高水準の育成環境とその持続」は大いに類似性がある。球技こそひとりの天才が出現したとしても世界と渡り合えない。

裾野であるアンダーカテゴリーの小中高校生がどのように育てられるのが理想なのか、各競技がビジョンとプロセスを示すこと。コーチングデベロッピングに力を入れ個人の指導力向上を促しつつ、それを阻むものがないかを洗いなおす。例えば、トーナメント戦をリーグ戦に転換するなど構造的なミステイクを洗いなおす作業も重要だろう。

2つめは「常に背伸びをすること」。すぐれた監督や指導者を招聘するとともに、より厳しい環境の海外リーグへと選手が渡ることを奨励したい。普段から世界トップクラスと戦う者が増えれば、選手たちは気後れすることなく戦えるようになる。大谷翔平選手が伝えてくれたように「憧れない」メンタルの発露になるはずだ。

■勝ち負けだけがスポーツの価値ではない

3つめは「グローバルなアップデート」。サッカー、バスケットなど球技にはトレンドがある。勝つために世界のトレンドの裏をかくことも時として必要になる。3つとも当然ながらすでに着手されていることだろう。ただ、そのことをファンが気にかけてウォッチすることが重要だ。個人攻撃や誹謗中傷は良くないけれど「それって選手のためになっているの?」とみんなで考えていくことが、スポーツを育てていくことにつながるのだから。

きれいごとだと言われるかもしれないが、私は五輪で是が非でも勝たなくてはいけないとは思わない。パラリンピックも同様だ。各競技とも、その時代ごとの「日本チームが目指す姿」を見せられればいい。技術戦術であり、競技に対する姿勢を示す舞台だと考える。

例えば競技への向き合い方という点にフォーカスすると、2012年ロンドン大会あたりから選手が「楽しみたい」と話し、メディアやファンもそのことを受容し始めた。そして、パリ五輪では、会場にいる柔道の選手たちがすごく楽しそうに見えた。30数年スポーツを観てきたが、初めての感覚だった。

4年後はそんな選手たちがさらなる成長を見せてくれるに違いない。その成長が一番大きな価値であり、それを味わうことこそがオリンピック・パラオリンピックの醍醐味だと思う。

----------

島沢 優子(しまざわ・ゆうこ)
ジャーナリスト
筑波大学4年時に全日本大学女子バスケットボール選手権優勝。卒業後、英国留学などを経て日刊スポーツ新聞社東京本社へ。1998年よりフリー。スポーツや教育などをフィールドに執筆。2023年5月に上梓した『オシムの遺産 彼らに授けたもうひとつの言葉』(竹書房)は2024サッカー本大賞特別賞。ほかに『スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか』(文藝春秋)、『部活があぶない』(講談社現代新書)など。調査報道も多く「東洋経済オンラインアワード2020」MVP受賞。沖縄県部活動改革推進委員、日本スポーツハラスメントZERO協会アドバイザー。

----------

(ジャーナリスト 島沢 優子)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください