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値下げを求める「団体ツアー客」はお断り…ジリ貧の「旧大名家の料亭旅館」を復活させた立花家18代目社長の決断

プレジデントオンライン / 2024年9月9日 8時15分

「柳川藩主立花邸 御花」の立花千月香社長 - 筆者撮影

安いことは本当にいいことなのだろうか。旧柳川藩主・立花家が営む「柳川藩主立花邸 御花」(福岡県柳川市)は、かつて団体ツアー客を積極的に受け入れた。しかし、立花家18代目の立花千月香社長はコロナ禍を機に方針を転換。旅行会社の値下げ要求を断ったほか、平均宿泊料を2倍に引き上げた。なぜ立花社長は値上げに踏み切ったのか。フリーライターの伏見学さんが、立花社長に狙いを聞いた――。

■戦国武将・立花宗茂の子孫が営む「料亭旅館」が大ピンチ

「日本無双の勇将」――。豊臣秀吉や加藤清正からこう称えられた稀代の戦国武将がいる。

筑後国柳川藩(現在の福岡県柳川市)の初代藩主であり、安土桃山時代の乱世を生き抜いた立花宗茂である。関ヶ原の戦いでは西軍に属したことで改易(領地などを没収される刑罰)されたものの、その後再び旧領に復帰した唯一の大名としても知られている。

立花宗茂像(模写)、賢鉄彦良賛、原本は和歌山県大円院所蔵
立花宗茂像(模写)、賢鉄彦良賛、原本は和歌山県大円院所蔵(画像=東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

かつて宗茂が主であった柳川城跡のそばに、その末裔が営む老舗旅館「柳川藩主立花邸 御花」はある。切り盛りするのは立花家18代の立花千月香社長。「私は(立花)誾千代の生まれ変わりですから」と微笑む。誾千代とは宗茂の正妻であり、猛将で知られる立花道雪(戸次鑑連)の娘のことだ。

このような由緒があるからこそ、家を守るというプレッシャーは強い。コロナ禍で客足が途絶え、御花が窮地に追い込まれた時は先祖にすがる思いだった。

「毎日、先祖の位牌に手を合わせて、どうか御花をお守りくださいと念じていました」

祈りが通じたのだろう、ピンチを乗り越えて御花は生き残った。ただし、祈り以上に、立花社長らが意識を変えて道を切り拓いたことが大きかった。

一体何をしたのか。これまで数十年にわたり事業の根幹になっていた団体ツアー客の受け入れを制限し、個人客へのシフトを鮮明にした。さらに施設の入館料や宿泊代などの値上げに踏み切った。

その方向転換の裏には、安売りによって御花のブランド価値を毀損(きそん)していたことへの反省と、柳川の文化、ひいては日本の文化を未来に残すという、立花社長の断固たる決意があった。

■うなぎを目当てに団体ツアー客が連日押し寄せた

西鉄柳川駅から南西に約3キロメートル離れたエリアに立地する御花は、総面積7000坪の敷地に、日本庭園の「松濤園」、西洋館、立花家史料館、ホテル、レストランなどを持つ。松濤園を含む敷地全体が「立花氏庭園」として国指定名勝になっている。

松濤園
筆者撮影
松濤園 - 筆者撮影

ここは元々、柳川藩主5代目・立花貞俶が1738年に築いた別邸で、立花社長が子どもの頃はまだこの場所で暮らしていたそうだ。

「第二次大戦後、立花家にはこの大きなお屋敷しか残っておらず、生きていく術を見つけようと1950年、祖父母が始めたのが料亭旅館でした。私が生まれた時はまだホテルも建っていなくて、この古いお屋敷の一番端っこに住んでいました」

祖父母が御花のビジネスの礎を作り、その息子、つまり立花社長の父・寛茂さんの代に観光事業を拡大する。4階建のホテルを建て、300人を収容できるバンケットホール(宴会用広間)を設けるなどした。

時は高度経済成長期。日本全国が観光ブームに沸いた。御多分に洩れず柳川にも大勢の観光客が押し寄せた。彼ら、彼女らが求めたのは、地元の名産・うなぎのせいろ蒸しだった。当時の柳川には団体ツアー客を数百人規模で受け入れるような飲食店はなかったため、御花にレストランを新設した。毎日のように大型バスが連なり、観光客が大挙してやって来た。

■売り上げは右肩上がりだったが…

「その時代に柳川の観光地としてのネームバリューは上がりました。御花の売り上げも利益も右肩上がりだったので、(団体ツアー客を獲得する)そうしたやり方に父は何ら疑問を持たなかったと思います」と立花社長は語る。

柳川を観光地に押し上げた立花家の功績は大きいだろう
写真提供=御花
柳川を観光地に押し上げた立花家の功績は大きいだろう - 写真提供=御花

1990年代半ばまで勢いは続いた。既にバブル景気は終わり、ピーク時よりも観光客は減っていたものの、さほど深刻な雰囲気ではなかったという。当時はまだうなぎの仕入れ額も、従業員の人件費も安かったため、まだまだ十分な利益が出ていたのだった。

しかし、そうした状況はゆっくりと御花の経営を圧迫していった。

■「うなぎ屋さんの子ね」と言われるのがツラかった

2000年代以降、御花の停滞原因の一つとなったのは、そのビジネスモデルにある。変わらず団体ツアー客の需要はあるものの、9割が日帰り、しかもほとんどが昼食利用のみだった。

当時、福岡を起点とした一般的な団体ツアーの行程は次のようなものだった。まず福岡空港に集合し、太宰府天満宮を見学した後、お昼前に柳川にやってくる。柳川でのメイン観光は川下りであるため、ゆっくりと昼食をとる時間はない。そして、川下りが終わると、すぐさま佐賀県の武雄や嬉野、大分県の湯布院といった温泉地に向けて出発する。

柳川にカネが落ちる機会は、昼食と川下り程度。それでも御花は昼食会場として稼いでいるからマシだと思うかもしれない。ただ、その現場は極めて混乱に満ちたものだった。

「お客さんはお昼時に集中して、一斉にやって来ます。定員300人ほどのレストランに1500人も受け入れていました。ですから15分刻みで“テトリス”のように席を組み合わせて作る状態。席が空いた瞬間に片付けて次の人を入れます。当然、お客さんの満足度は低かったですよね」

しかも、御花の売りはレストランではなく庭園や史料館だったが、そこに案内するどころか、説明する隙もなかった。

立花家史料館
写真提供=御花
立花家史料館 - 写真提供=御花

「御花の滞在は30~40分。うなぎのせいろ蒸しを食べたらもう集合場所へ行かなくてはなりません。ほとんどのお客さんはうなぎ屋という印象しか残ってないはず。実際、私も(就職先の東京から)柳川に戻ってきて、いろいろなところで名刺交換すると、うなぎ屋さんの子ねと言われました。それがとても辛くて」と立花社長は吐露する。

■「客を送るから安くして」という要望が絶えなかった

百歩譲って、たとえ昼食会場というイメージしかなくても、きちんと収益を確保できていたなら、割り切ってしまうという考えもあったかもしれない。しかし、現実はそうではなかった。団体ツアーを企画する旅行代理店には庭園や史料館を見学する時間がないためもっと料金を値引きできないかと言われることもあった。実際にコロナ禍前までは団体ツアーの場合、入館料を半額程度まで安くすることがあった。

「私どもは入館してもらってからレストランへとご案内するのですが、見学する時間が少ないから入館料を払いたくないという旅行代理店もいました。常套句ですよね。うちの営業マンも一生懸命やってくれてはいましたが、『多くを送客するから安くしてほしい』といった要望は絶えませんでした」

経営者としてはそのことを良しとは思っていなかったが、策を講じる余裕もなく、ただただ値引き交渉に屈する日々が何年も続いていた。

■来場者が急減、そしてコロナ禍に…

事業に陰りが見え始めたのは2017年ごろ。立花家史料館および庭園の客数が急減したのだ。

同史料館などを運営する公益財団法人立花財団の資料によると、第1期(13年12月~14年11月)の入場者数は15万5173人だったのに対し、第5期(17年12月~18年11月)は11万9540人、第6期(18年12月~19年11月)は9万3910人と減少を続けた。その後はコロナ禍もあって、第9期(21年12月~22年11月)は2万8712人となっている。

「以前、柳川には年間130万~150万人の観光客が来ていて、御花の来場者は大体その1割でした。でも、ある時から柳川自体の観光客数は変わっていないのに、来場者がすごい勢いで減り始めました。これは柳川やその周辺の経済的な課題ではなく、御花の魅力がまったく伝わっていなかったという、私たち自身の課題だと痛感しました」

強い危機感を持った立花社長だったが、どうすれば物事が好転するのか分からなかった。そうこうしているうちに、全世界を新型コロナウイルスが襲った。

■値上げを断行した理由

「お客さんは一人も来なくなり、もう太刀打ちいかない状況に陥りました」

コロナ禍が発生した直後のことを、立花社長はこう振り返る。20年4~5月は完全休業せざるを得ず、その後も施設を開けたり、閉めたりと繰り返したが、ほとんど来場者はいなかった。営業時間は午前9時~午後6時から午前10時~午後4時に短縮した。

 大広間。ここでは能の公演なども開かれる
写真提供=御花
大広間。ここでは能の公演なども開かれる - 写真提供=御花

御花はかつて経験したことのない脅威に直面した。だが、それが結果的に立花社長の行動を変容させる起爆剤になった。

「売り上げがゼロになった時に、これで事業を諦めてしまうのはすごく悔しいなって。『本当に私がやりたかった御花はこれじゃない』と、ずっと葛藤しながらやってきたので、もうこうなったらやりたいようにしようと思いました」

立花社長が心底やりたかったのは、御花の文化的な価値をきちんと伝えること。そのためには、言われるがまま安売りしていては到底叶わない。価値の重さを理解してもらうべく、あらゆるものを値上げした。

入館料は20年末に700円から1000円に。団体ツアー客の受け入れを極力減らして、値引きを一切止めた。レストランなどでの宴会料金も改定した。そして宿泊費はコロナ禍前まで一人当たり平均1万5000円だったのを約3万円に。コロナ禍でさまざまな物事がリセットされたことで、本来の価値は何かを見つめ直し、その価値を守ることを最優先した。

■自分たちの手で文化財を守りたい

ただし、口で言うほど簡単ではない。安く売ることに慣れてしまっていた立花社長自身はおっかなびっくりだった。その背中を押したのは社員たちだった。

「私はすぐに値下げしたらと言ってしまうタイプなので、マインドが弱いんですよね。でも社員の皆は、安くしても誰も来ないのだから値下げする必要はないと」

価値を正当化するために安売りをしない。これは日本の文化財保存にも大いに関わるという。日本の場合、文化財を民間が維持できなくなり国に手渡すことが多い。すると一体何が起きるのか。立花社長が解説する。

「(経済的な理由などで)文化財を守れないから結局、国や行政にお任せして民間が手を引きます。そうすると、入館料はタダになることも多い。でも、多くの人はタダだったら大したことないって思いますよね。それが日本の文化財の価値をどんどん下げていく一因だと考えています」

先祖から受け継いだ御花はそうしたくない。だから必死で維持しているわけだが、当然コストは莫大にかかる。

「2016年に大広間の修復工事をしました。費用の半分は国の補助金が下りましたが、何年も前から計画を練り、国にお伺いを立てながら進めなければなりませんでした。民間の工事と違って研究調査しながら修復していくので、期間も非常に長いです。でも当然、その間も私たちは稼がなくては駄目です。修復工事はリニューアルではないため、そのことでお客さんは増えません。柱が真っ直ぐになりましたとか、耐震構造ができましたとかなので。そうすると、修復工事によって売り上げがアップするような事業計画は簡単に作れなくて、どうやって銀行に借入金を返済すればいいのか頭を抱えました」

西洋館
写真提供=御花
西洋館 - 写真提供=御花

■文化財という商品に「適正な値段」を付ける

それでもやる理由は、文化財を維持する民間の模範にならねばという使命感があるからだ。そのためには文化財という商品に対して適正な値付けをする。これがコロナ禍を経てたどり着いた立花社長の答えだった。

手本にするのはヨーロッパ。当地では文化的な施設に対して高い入場料をとるが、観光客もその意味を理解している。であれば、日本でもその理屈は通用するわけだ。

「今、柳川もインバウンドが増えています。何十万円という旅費をかけてここまで来ている人たちは、入館料が700円から1000円になっても払いますよね。いや、1000円が3000円になっても、もう二度と来るチャンスはないかもしれないと思って入るはず。私たちが御花を運営している意義は、この文化財を100年後にも残すこと。そのためにきちんと収益構造を作っていかなければならないのです。文化財は高くて当たり前という認識が大切。日本からこの景色がなくなったらどうするんですか。私たちだけでなく、皆でいろいろな文化財を守っていかないと」

今でこそ堂々と話せる立花社長だが、かつては自分たちも文化財の価値を下げてしまっていたのかもしれない。そのことに対しての自戒が込められている。

■クレームに戦々恐々としていたら…

意識や行動を変えたことによってどのような成果が出たのか。コロナ禍前の2018年比で御花全体の収益は約7割にまで回復。ただ、その内訳は大きく異なるという。例えば、入館料の平均単価は380円から990円になるなど、利益率は向上した。

他方、値上げすることで来場者からのクレームがあるのではと戦々恐々とした。しかし、結果は真逆だった。

「今までは本当にクレームが多くて。500円あるいは700円のとき、団体客はそれよりもさらに安くしているわけですが、史料館の見学時間が20分しかなかったなどと散々言われました。でも、1000円に値上げしたら、見学目的の人しか来なくなったし、滞在時間も長くなりました。クレームはほぼなくなりましたね」

言葉を選ばずにいえば、安い価格だと顧客の低質化にもつながるが、一定の価格以上にすれば上質な客が集まりやすくなるということだろう。

■社員のマインドが変わり始めた

実際、顧客満足度は向上した。加えて、来場者の滞在時間が延びたことで、御花は「うなぎ屋」ではなく「大名屋敷」だという認知がなされるようになった。立花社長はこのことが嬉しかった。

立花社長
筆者撮影
立花社長 - 筆者撮影

そしてこの変革は御花の社員のマインドも変えていった。立花社長が一番驚いたのが、条件などが合わなければ観光客の受け入れを断るケースも見られるようになったことだ。

「これまでは『次の行程があって時間がないから見学料を払わない』と言われたら、営業マンの采配で安くしていました。でも、現在は多くの社員が『お時間がないのですか。では、今度お時間ができた時にお越しください』などと強い意思を持って答えています。私以上に皆が御花の価値の大きさを言うようになりました」

現在、御花のホームページに掲載されている団体ツアー客向けの案内には「食事代と別途入園料が必要となります。入園料はご見学の有無にかかわらず、必須となります」と書かれており、「必須」の部分は赤字で目立たせている。

■「日帰り客=9割」から抜け出すために

コロナ禍のピンチによって足元を見つめ直し、安売りから抜け出した御花。ここからは反転攻勢しかない。次なる目標は宿泊客を増やすことだ。日帰り客9割からの脱却である。現状の売り上げの内訳は、宿泊が1割、婚礼が3割、食事や売店などを含む観光が4.5割、宴会が1.5割。宿泊の比率を2.5割まで伸ばすと立花社長は意気込む。

そのためにはリピーターを増やすとともに、連泊したくなるような環境を整備する。現在、老朽化した宿泊棟をリニューアル中だ。これに合わせて御花はクラウドファンディングを実施。元々は庭園のライトアップに関わる資金援助を呼びかけたところ、目標300万円に対して1126万円以上と、想定を上回る寄付が集まった。そこで一部をリニューアル費用に回せるようになった。なお、寄付を募る際の謳い文句には「文化財が『負債』となるのではなく、後世に残る『宝』であり続けるため」とある。

リニューアル工事前の宿泊棟ロビー
写真提供=御花
リニューアル工事前の宿泊棟ロビー - 写真提供=御花

宿泊客の増加は御花だけが潤うのではなく、柳川にも経済波及効果があると立花社長は力を込める。街中での食事や物品購入などの機会が増えるからだ。そして、御花が率先して値上げすることも街のためになるとする。

「私たちが高い料金を取れば、他の宿泊施設などは(競争の原理で)手頃な価格にすることもできます。でも、私たちが安売りしたら、他はもっと値段を下げなくてはいけないかもしれない。それだと柳川全体が貧しくなってしまいます」

立花社長は続ける。

「私たちは、『御花は高いね』と言われてもいいのです。この柳川を引っ張っていきたいと思っているから。全体の経済水準を高めることができれば、柳川の価値自体も上がっていくと思います」

■大事にしてきた「立花宗茂の言葉」

ここで再び立花宗茂のエピソードに戻ろう。宗茂は次の言葉を残している。

「領民の幸せこそ、第一の義とせよ」

立花社長は幼少の頃からこの言葉を家訓のように大事にしてきた。

「父からは、自分が幸せになりたかったら、まず周りの人を幸せにしなさいと言われてきました。一人勝ちは駄目なのです。柳川の人たちに御花があってよかったと思われなかったら、会社としてやり続ける意味はない。そのことが常に頭にあります」

1587年に柳川に拠点を構えた宗茂は、一度は領地を取り上げられたものの、再び藩主となって最後まで領民に愛された。それから400年以上経った今、同じ土地で奮闘する子孫の姿をどんな表情で見守っていることだろうか。

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伏見 学(ふしみ・まなぶ)
ライター・記者
1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。

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(ライター・記者 伏見 学)

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