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「世界遺産」で大喜びするのは日本人だけ…観光客が4倍に跳ね上がった群馬・富岡製糸場がたどった悲しい結末

プレジデントオンライン / 2024年9月18日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MasaoTaira

「世界遺産」への登録は良いことばかりなのだろうか。城西国際大学教授の佐滝剛弘さんは「世界遺産登録の本来の目的は、その遺産を無傷で後世に渡すことだ。日本人は、世界遺産登録の意義を『観光』だと誤解しがちだ。その結果、保全にすら苦労する世界遺産も出てきてしまっている」という――。

※本稿は、佐滝剛弘『観光消滅 観光立国の実像と虚像』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■数だけは多い日本の世界遺産

日本は2024年7月のユネスコ世界委員会を経て、世界遺産の登録件数が26件で、世界11位。ユネスコの加盟国は195カ国なので、保有数上位1割に入っている、「世界遺産大国」の一つである。

清水寺や姫路城など著名な観光地が登録されているので、「世界遺産は有名観光地が登録される」とか「世界遺産になれば観光客が間違いなく増える」と思っている人が少なくない。実際、今も日本各地で世界遺産登録運動が起きているが、その目的には観光振興が透けて見える。

2024年7月に新たに登録された「佐渡島の金山」に続けと、その手前の段階で世界遺産を目指す国内の地域や遺産候補は数知れない。信州の名城「松本城」、八十八カ所のお寺を白装束と菅笠で巡る「四国遍路」、瀬戸内の激しい潮流「鳴門の渦潮」(徳島県)などのよく知られた場所だけでなく、富山県の「立山砂防施設群」のように地味でアクセスに難がある候補も登録運動に熱心だ。

■世界遺産登録で「秘境」が「一級の観光地」に

世界遺産登録によって、たしかに観光地として脚光を浴びたところも数多い。例えば合掌造りの民家群で知られる岐阜県の「白川郷」は、世界遺産の登録とその後の村の近くへの高速道路の開通により観光客が飛躍的に増えた。今では、外国人観光客も多く、私有地への侵入やごみのポイ捨てなどオーバーツーリズムに悩まされるようにまでなった。

屋久島は登録前には、登山家や離島マニアなど限られた人だけが訪れる秘境で、むしろ鉄砲伝来やロケット基地で知られる隣の種子島の方が有名だった。屋久島の島民が島外の人に出身地を尋ねられると、以前は「種子島の隣です」というフレーズを使うのが普通だったという話も聞く。

しかし、屋久島はいまや訪れたい離島の最上位に位置するほど有名になった。島のシンボルと言える「縄文杉」や、ジブリ映画のモチーフになったといわれる「白谷雲水峡」へのルートは、シーズンによってはかなりの混雑を呈するようになった。世界遺産の称号が地域を一級の観光地に仕立てた好例である。

■「人気観光地」になるところばかりではない

しかし、世界遺産になれば、観光地のお墨付きがもらえるのかと言えば、そうとは言いきれない。

こんな例もある。群馬県の富岡製糸場である。世界遺産の正式名称は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」。富岡製糸場のほかに近隣の自治体に散らばる三つの構成資産が世界遺産となっている。

まず、富岡製糸場だが、たしかに知名度は上がり、登録された2014年には前年の4倍もの観光客が押し寄せた。そもそも登録運動が始まる前は一企業の所有だったため、見学そのものができない状況であった。

富岡製糸場 富岡市観光 公式ホームページ「年度別見学者数」参照(2024年8月13日時点)
富岡製糸場 富岡市観光 公式ホームページ「年度別見学者数」参照(2024年8月13日時点)

沈滞していた地方都市は、一気に観光客の増加に沸いた。製糸場の周囲には飲食店や土産物店がいくつも進出した。しかし、登録の翌年から見学者は右肩下がりに減り続け、コロナの直前の2019年度には約44万人と、6年でほぼ3分の1に急減した。富岡製糸場以外の3資産はさらに観光客が少なく、世界遺産の「観光客誘致効果」はかなり微妙だったと言わざるを得ない。

■今後も世界遺産を守り抜くことはできるのか

急減したからと言って元の暮らしに戻れればいいのだが、観光客を見越して空き地が駐車場になったり、市外から進出した店舗が撤退して空き物件になったりしているのを見ると、嵐が過ぎ去った後のような、「荒らされてしまった」感があって、世界遺産登録の「陰」を見たような気分になる。

しかも、富岡市が所有する製糸場の建造物や敷地内の樹木などの維持管理には莫大な費用がかかり、その多くを入場料収入で賄っていた。入場者の減少は、文化財の保護に関してもマイナスとなる。世界遺産になったからといって、ユネスコからの金銭的援助は危機遺産の保護などに使われる「世界遺産基金」を除いて全くない。製糸場の貴重な建物は、果たして今後も守られていくのだろうか?

■世界遺産登録は「観光客の締め出し」

「世界遺産『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群を核とした文化観光推進地域計画」という報告書(文化庁)では、2017年に登録された、福岡県宗像市・福津市の世界遺産の構成資産についてこのように記している。

世界遺産登録後、急増した構成資産への来訪者数は、その反動減などにより、減少傾向にあります。また、80万人を超える参拝客が訪れる宗像大社辺津宮や年間来訪者数150万人を超える人気の道の駅むなかたが近隣にあるにもかかわらず、海の道むなかた館や宗像大社神宝館等への来訪が振るわない現状にあります。加えて、福岡県民に対するモニター調査の結果では、本世界遺産の構成資産に来訪したことのない人の割合が、約6割を占めています。

そもそも、「神宿る島」たる沖ノ島は、年1回の祭礼時には一般の人も島に渡れたのが、世界遺産登録と同時に一切上陸できなくなった。「世界遺産は観光地のお墨付き」どころか、「世界遺産は観光客の締め出し」となっている典型例なのである。

■観光のための「世界遺産」は割に合わない

世界遺産そのものはたしかに素晴らしい。法隆寺の木造建築群や極楽浄土を再現した宇治・平等院鳳凰堂は、説明なしにその普遍的な価値が伝わってくる。しかし、近年世界遺産に登録される物件は、この宗像・沖ノ島関連遺産群もそうだが、登録された背景などを知らないとその価値が伝わらない。そして訪れた本人ももう一度来たいとなかなか思えないし、知人にも訪問を勧めようとはしない。

登録直後はメディアが大きく取り上げるし、地元の自治体も登録を寿(ことほ)ぎ、様々なイベントを開いたり、関連グッズを開発したりして話題を提供する。しかし、翌年には別の場所の世界遺産が登録され、全国的なマスメディアの関心は薄れる。

そして、一見して単なる河原の草っぱらにしか見えない佐賀県の「三重津海軍所跡」(「明治日本の産業革命遺産」の構成資産)やこぢんまりとした貝塚があるだけの青森県の「田小屋野貝塚」(「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産)は、限られた人が足を運ぶだけで、一般的な観光地にはなりにくい。

世界遺産登録には、観光振興以外に地域住民が郷土の文化の価値に気づくとか、それによって郷土に誇りを持つようになるなど、副次的な効果がいくつもあり、それこそが世界遺産に登録される大切な意義ではある。しかし、少なくとも観光振興の面から見て、登録までの膨大な手間と費用を考えれば、割に合わないと思う人がいてもおかしくないだろう。

■日本人は無類の世界遺産好き

「世界遺産」という制度やネームバリューが観光客を国際的に呼び寄せるのであれば、このしくみにも多少の救いはある。しかし世界遺産に一番関心の高い「国民」は実は日本人であると考えていいだろう。書店に行けば世界遺産に関する本が何十種類も出ている。少なくない大学に世界遺産を冠した授業が用意されている。筆者が勤める大学にも、全学部の学生が共通して履修できる「世界遺産のいま」という授業がある(筆者が担当している)。

世界遺産の知識を問う検定試験(世界遺産検定)まで存在し、しかも一定の受検者数を得ている。鈴木亮平、あばれる君、阿部亮平(Snow Man)などの芸能人も1級を取得していて、ちょっとした知的タレントの指標にまでなっている。そんな国は世界中探してもどこにもない。

逆に言えば、世界遺産を求めて海外に行く日本人なら筆者も含め一定数はいるかもしれないが、海外から「そこが世界遺産に登録されているから」という理由で日本にやってくる外国人はそんなに多くはない(たぶん、あまりいない)ということである。

サグラダファミリア
写真=iStock.com/Manuel Milan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Manuel Milan

■「観光地化」することしか頭にない

多くの外国人観光客でにぎわうJR京都駅の烏丸口を出たところに大きな「世界遺産案内図」があるが、これにじっくり見入っている外国人を、この前を何十回、いや何百回と通っている筆者は一度も見たことがない。……と思っていたら、2024年2月に確認したところ、その案内図自体撤去されていた。

実は世界遺産も「観光立国」同様に「国策」である。世界遺産の誘致活動や登録後の様々な施策は、地元の都道府県や市町村などの自治体が担っているので、そのことは意識されないかもしれないが、ユネスコへの申請は国家単位でしかできない。自然遺産を管轄しているのは環境省、文化遺産の登録を取り仕切っているのは文化庁である。

次にどこを候補として正式に推薦するかといったことも国の専権事項だし、有力政治家が地元の遺産候補の審査を優先的に行うよう政治力を行使することがあるのも、関係者の間では公然の秘密である。もちろん、環境省も文化庁も、自然環境や文化遺産を「守る」立場であるが、登録の過程ではやはり観光振興が表に出て、省庁間、あるいは地域間の駆け引きにもなってしまう。

■世界遺産の目的は「後世に無傷で手渡す」こと

このように世界遺産は広義の、そして実質的な「国が進める観光振興」であり、登録運動に対し各自治体も含め多くの公金を費やしている事業であるだけに、観光振興という側面に限って言えば、費用対効果を考えると眉唾に思えてくるのだ。

佐滝剛弘『観光消滅 観光立国の実像と虚像』(中公新書ラクレ)
佐滝剛弘『観光消滅 観光立国の実像と虚像』(中公新書ラクレ)

世界遺産制度の理念は、「人類の宝物を後世の人々にそのまま受け渡す」ことであり、実は観光振興よりそちらの方がはるかに重要なミッションである。実際、「無傷で手渡す」ために観光がそれを阻害するなら、観光そのものをストップさせることもありうる。

先述した福岡・沖ノ島が観光客の上陸を一切禁止したのもそのためであるし、ハワイの世界遺産「パパハナウモクアケア」(北西ハワイ諸島全域を指し、太平洋戦争で日米間の戦闘があったミッドウェイ環礁も含まれる)も観光客の入島は全面禁止である。

そして、その世界遺産の理念が多くの人に浸透しておらず、単なる観光地のお墨付きのように思われていることが大きな問題であり、それにも世界遺産を観光地としての側面でしか紹介しないことが多い大手メディアが加担している。

逆に言えば、世界遺産の物件が多いことと、「観光立国」であることは直接の関係がない話である。台湾には人口のほぼ半数にあたる1186万人(2019年)もの外国人が来訪しているが、台湾は世界遺産の登録を行うユネスコに非加盟のため世界遺産は一件もない。

これは極端な例ではあるけれど、この1186万人の中に世界遺産を求めて来訪する観光客は一人もいないわけである。

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佐滝 剛弘(さたき・よしひろ)
城西国際大学教授
1960年愛知県生まれ、東京大学教養学部(人文地理)卒業。元NHKチーフプロデューサー。番組制作のかたわら、メディア、ジャーナリズム、観光、世界遺産などについての評論、講演多数。著書に、『旅する前の「世界遺産」』(文春新書)、『郵便局を訪ねて1万局』(光文社新書)、『日本のシルクロード』(中公新書ラクレ)、『「世界遺産」の真実』(祥伝社新書)など多数。

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(城西国際大学教授 佐滝 剛弘)

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