藤原道長でも父の兼家でも安倍晴明でもない…NHK大河で描かれる「平安最大のクーデター」黒幕の名前【2024上半期BEST5】
プレジデントオンライン / 2024年9月21日 16時15分
■兼家「なぜ私が狸寝入りをしていたか」
藤原兼家の大がかりな陰謀劇が次第に見えてきた。NHK大河ドラマ「光る君へ」の話である。
花山天皇(本郷奏多)に対しては、即位したときから兼家(段田安則)が不満を抱いている様子が描かれたが、案の定、天皇は自分の叔父で唯一の外戚である藤原義懐(高橋光臣)を重用し、その義懐の横暴な振る舞いが目につくようになり、きな臭い空気が漂いはじめた。
第8回「招かれざる者」(2月25日放送)では兼家が倒れ、命が危ぶまれる事態になった。だが、生死のあいだをさまよっているはずが、突如、三男(正室が生んだ子としては次男)の道兼(玉置玲央)の前で目を見開いたのが不気味だった。
その後、道兼は父の兼家を毛嫌いする花山天皇に、自分の腕にできているひどいあざを見せ、父親の折檻によるものだと伝えて、天皇に取り入るのだった。
続く第9回「遠くの国」(3月3日放送)では、陰謀が想像を超えるスケールであることが明かされた。先帝である円融天皇(坂東巳之助)のもとに入内した娘の詮子(吉田羊)が、父はこのまま目を覚まさないものと思って見舞っていると、突如、兼家が目を見開くので、詮子はありったけの悲鳴を上げた。
そして、起き上がった兼家は、道隆(井浦新)、道兼、道長(柄本佑)の3人の息子と詮子の前で、倒れたのはほんとうだが、ある時期からは狸寝入りであったことを明かしたうえで、そのようなフリをしたねらいを語った。
■「光る君へ」の脚本のここが上手い
兼家は「これはわが一族の命運に関わる話じゃ。身を正してよく聞け」と前置きし、計画を打ち明けた。それによれば、花山天皇が寵愛(ちょうあい)していた亡き忯子(よしこ)(井上咲楽)が怨霊となって兼家に取り憑いたという噂を内裏に流したうえで、不吉なことが次々と起きる状況を創出し、天皇を退位に追い込むというのだ。
すでに陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は取り込まれており、花山天皇のもとを訪れて忯子が怨霊になっていると伝え、その状況を解消するには、天皇が出家するしかないと告げる。
このあたり、脚色がすぎるのではないか、と感じる視聴者もいるだろう。妻の怨霊が云々など天皇に通じるものか、と。
だが、王朝時代の貴族たちは実際、日常生活で陰陽師に頼ることが頻繁だった。それは生活に余裕がある人が高級なジムに通うというよりもむしろ、毎日しっかり歩くといった、生活上の基本習慣に近いものだった。
当時の貴族は、たとえば鳥が部屋に飛び込んだとか、犬が殿上でおしっこをしたといった類いの日常的な事象を、いちいち怨霊の仕業による怪異だと考え、そのたびに陰陽師に占わせた。だから、安倍晴明を手なずけて天皇を騙すのは、非常に効果的な方法だったと考えられる。脚本にはこうして、当時の常識が反映されているが、さらには、いまに伝えられる兼家像の反映も見てとれる。
歴史物語の『大鏡』によれば、花山天皇に替わって、兼家の外孫の一条天皇が即位する日の朝、あたらしい玉座に血まみれの生首が転がっていたという。おそらくは反兼家派による嫌がらせで、それこそ怨霊の仕業だと思わせ、即位式を延期させようというねらいだったのではないだろうか。
ところが、こんな重大な報告を受けた兼家は、返答せずに寝たふりをはじめ、しばらくして起きると「もう準備はできたか」と尋ねたという。即位式に影響をおよぼさないためには、狸寝入りはするし、怨霊に振り回されることもない――という兼家像が、ドラマには上手に反映されている。
■天皇を騙して出家させる
さて、のちに「寛和の変」と称されるこの陰謀劇の実際を見ていきたい。
花山天皇が寵愛する忯子を喪ったのは寛和元年(985)7月18日で、天皇はショックのあまり、出家を考えるようになった模様だ。それが実行に移されたのは、翌寛和2年(986)6月23日のことで、このとき天皇に出家を勧めたのは、『扶桑略記』によれば、天皇の秘書的役割の蔵人として側近く仕えていた道兼だった。
その日の明け方、花山天皇は道兼および厳久という僧侶に誘導されて密かに清涼殿を出て、朔平門のところに用意してあった車に道兼らと同乗し、山科の元慶寺に向かった。天皇を内裏から脱出させるなど簡単ではないが、目立たない経路を選ぶなどして見事に成功。寺に到着すると、すぐに出家させられた。
このとき、道兼は自分も一緒に出家するといって天皇を抱き込み、元慶寺に到着すると「父にあいさつをしてくる」などといってその場を立ち去り、戻らなかったという。
また、この出家劇と並行して行われたことが、この陰謀の鮮やかさを際立たせている。すなわち、花山天皇が内裏を出たことを確認した兼家の指示によるものだろう、兼家が『蜻蛉日記』の作者に生ませた次男の道綱が、三種の神器の宝剣をただちに皇太子の居所である凝花舎に移し、東宮懐仁親王に献上した。
そのうえで兼家は内裏に参入し、すべての門を閉めて厳重に警備し、即位の儀式(譲国の儀)を行ったのである。こうして兼家の外孫の懐仁親王は、わずか7歳にして即位することになった(一条天皇)。
■クーデターを起こした黒幕の存在
むろん、この背景に兼家の策略がなかったはずがない。『大鏡』にも、懐仁親王を即位させ、自身は天皇の外祖父として摂政になり、政権を思いのままに動かそうとたくらむ兼家が、息子を使って花山天皇をそそのかしたとの旨が記されている。
このとき兼家はすでに58歳。花山天皇の退位を待っている余裕などなく、事実上のクーデターに踏み切ったものと思われる。狸寝入りをし、安倍晴明を抱き込み、というのはドラマの創作だが、いかにもありそうなことではある。
その結果、天皇を出家させることに成功しただけではない。重用されていた藤原義懐および藤原惟成が事態を知ったときには時遅く、彼らもまた元慶寺で出家した。兼家は花山天皇だけでなく、当面の政敵も排除することに成功したのである。そして、まもなく円融上皇の詔を得て、念願の摂政に就任した。
こうして兼家は、130年ほど前の藤原良房以来2人目の、外祖父としての摂政となって、しばらく栄華のかぎりを尽くすことになった。花山天皇が出家したおかげで兼家が得たものは絶大で、その後、父を超える栄華に浴する道長の時代も、この陰謀劇で天皇が追いやられていなければ、訪れなかった可能性が高い。
だが、じつは、兼家以上に得をしたかもしれない人物がいる。天皇(一条天皇)の母后となった道長の娘、詮子である。
■ヒントは陰謀劇の功労者の不可解な出世
繁田信一氏は『『源氏物語』のリアル』(PHP新書)に、次のように書いている。
「実のところ、そんな兼家さえもが、この陰謀においては、単なる手駒の一つに過ぎなかった。剛腕の政治家にして辣腕(らつわん)の謀略家として知られる兼家も、実際には、その娘の詮子の掌中において、いいように転がされているだけだったのである。考えてもみてほしい。右の陰謀で最も得をしたのは、結局のところ、天皇の母親(母后)となって、さらには准太上天皇ともなった、藤原詮子その人なのではないだろうか」
そう考えられる根拠のひとつは、先述した僧侶、厳久にある。花山天皇の出家を完遂させたのは、道兼がそそくさと逃げ出した後も元慶寺に残った厳久だった。
じつは、彼はこの時点ではまったく無名の僧侶だったが、永延元年(987)5月に兼家が開催した仏事で講師を務めている。花山天皇を出家させてすぐに頭角を現したわけだ。長徳元年(995)10月には権律師となって高僧の仲間入りをした。
ドラマではロバート秋山が扮(ふん)する藤原実資の日記『小右記』によれば、厳久を権律師に推薦したのは、ほかならぬ詮子だという。続いて、厳久は慈徳寺という寺の別当になっているが、この寺も詮子が建てている。この二つの事例にかぎらず、繁田氏は「彼の目立った活躍の場は、ほとんど常に、東三条院詮子こそを壇主(だんしゅ)とする慈徳寺での仏事であった」(前掲書)と記す。
■いちばん得をしたのは詮子だった
人を騙すような人物が、魂をあつかう高僧として出世するのはいかがなものかという気もするが、詮子にとっては、かわいい息子を天皇にしてくれた最大の功労者だったに違いない。だからこそ、厳久を自分の身近に置き、手厚く遇したのだろう。
その後、父の兼家が亡くなり、その息子の道隆も道兼も疫病によって死去した際、後継に道長を据えるように一条天皇を説き伏せたのは詮子だった。
つまり、のちの道長の栄華は詮子の助力の賜物だが、それはすなわち、詮子がそれほどの力を持っていたということでもある。詮子が言い出した人事で、実現しなかったものはなかったという。
詮子は円融天皇の女御の時代は不遇で、ただの女御のまま皇后にはなれなかった。ところが、ひとたび息子が一条天皇になると、皇后を経ずに皇太后になるという前代未聞の大出世を遂げる。
花山天皇を出家させる際、藤原道綱が三種の神器を親王に献上し、即位のお膳立てをした旨を先に書いた。しかし、詮子の異母兄である道綱は、文字も自分の名前しか書けないなど愚鈍であることで有名だった。それでも詮子は道長に働きかけ、そんな道綱を大納言にしている。身内のなかでも、いまの自分の立ち位置を確保してくれた功労者だからではなかったのか。
ドラマでの詮子はもっと穏やかな女性として描かれる可能性があるが、じつのところ、稀代の策士であった父以上の策士であったかもしれないのである。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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