「糞のニオイ」を薄めると「ジャスミン」になる…最新研究でわかった「おいしい食べ物と香り」の知られざる関係
プレジデントオンライン / 2024年9月20日 16時15分
※本稿は、西村敏英『おいしさの9割はこれで決まる!』(女子栄養大学出版部)の一部を再編集したものです。
■食べ物の味わいは“口の中で感じる香り”が強める
食べ物のおいしさにはさまざまな要因がかかわっていますが、味わいの中でも特に香り(口中香:食べ物を口の中に入れたあとに感じる香り)が重要です。
私たちは食べ物の味わいを、「味、香り(口中香)、食感などによる総合感覚」として感じています。食べ物を口に入れた瞬間、あるいは嚙(か)んでいるときに、これらをほぼ同時に感じるので、味、香り(口中香)、食感などを個々に区別することは非常にむずかしいのです。
また、味と香り(口中香)は、互いに影響し合って、味わいを強めていることがわかってきました。
香りが味の感じ方を強める例として、バニラビーンズが知られています。バニラビーンズに含まれているバニリンという甘い香りの物質が、甘味の感じ方を増強させるのです。
これを利用しているのがバニラアイスクリームで、バニラビーンズの甘い香りによって、甘さがより強く感じられます。このほかにも、レモンの香りが酸味の感じ方を増強させることや、磯の香り物質が塩味の感じ方を増強させることも明らかになっています。
■香りを利用すれば“おいしく減塩”できる
近ごろ、私たちの研究から、味物質が香り(口中香)の感じ方に影響を与えることもわかってきました。
チキンスープを連想させる4つの香り物質を水にとかした「チキンの香り水」。この水に、うま味物質を添加すると、「チキンの香り水」の口中香の感じ方が2.5倍強められ、味わいも強められることがわかりました(図表1)。
このように、脳で認識している味と香りの感じ方は互いに影響し合っているのです。味と香りが互いに作用をして、味わいを強める現象には、連合学習と呼ばれる経験が必要であるといわれています。
チキンスープには、鶏肉のうま味物質がとけ出しているために、鶏肉の「香り」とうま味物質による感じ方が調和して脳に記憶されているので、互いの感覚を強め合うことができるのです。
この現象をうまく利用すれば、食べ物の減塩を実現できます。食べ物の味つけのさいに、食塩を減らしてうま味物質を適量添加すれば、より少ない食塩の添加量でも食べ物の味わいを強く感じられるため、おいしく減塩することができるのです。
また、みそ汁を作るときに、香りの強いねぎやなめこを入れると、食塩(みそ)の添加量が少なくても満足感が得られ、おいしく感じられます。
ほかの料理でも、香りを強めるくふうをすることで、食塩の添加量を減らしてもおいしく食べられることがわかってきました。味と香りの相互作用をうまく利用して、食べ物の減塩を実現してみませんか。
■“香り”は40万種類以上の物質の組み合わせ
皆さんは、日常生活で多くの香りを感じていますが、同じ香り物質でも濃度によって香りの感じ方が変わるということを知っていますか? 味の場合には、濃度が多少変わっても、異なる味として感じることはほとんどありません。
食べ物のおいしさを決めるうえで、味と香りはたいへん重要です。これらを感じるための感覚が、味覚と嗅覚(きゅうかく)です。このうち、味覚で感じる味は5つしかなく、独立した感覚(基本味)が存在しています。
また、1個の味細胞(みさいぼう)には、1つの基本味の物質だけが結合する味覚受容体たんぱく質が存在し、1対1の対応で、5つの基本味を脳に伝えています(図表2)。
一方、香りには、基本味のように独立した感覚(基本香)はなく、40万種類以上ある香り物質の組み合わせで、いろいろな香りが作り出されています。
牛肉で880種類、豚肉で361種類、鶏肉で468種類、羊肉で271種類の香り物質が検出されています。ワインでは600~800種類の香り物質があり、焙煎コーヒーでは800種類以上の香り物質が知られています。
人では、これらの香り物質が結合する嗅覚受容体たんぱく質が396種類存在します。
嗅覚受容体たんぱく質は、味覚受容体たんぱく質と違って、香り物質の濃度がうすくなると、香り物質が結合できる嗅覚受容体たんぱく質の数が減ってしまう(図表3)ので、濃度が濃い場合に感じている香りとはまったく異なる質の香りとして感じてしまいます。
■「糞」と「ジャスミン」は香り成分が同じ?
たとえば、ジメチルサルファイドと呼ばれる物質は、濃ければ磯の香りと感じますが、うすくなるとストロベリージャムやコンデンスミルクのような香りに感じられます(図表4)。また、口腔(こうくう)では口臭の原因ともなります。
インドールは、濃度が濃いと糞臭(ふんしゅう)のようないやなにおいですが、うすくすると花を思わせる甘い香りとなります。ジャスミンの花の香り物質には、ごく少量のインドールが含まれており、ジャスミンの特徴を出すためにたいへん重要な役割を果たしています。
スカトールは、濃度が濃いとインドールと同様に、糞臭のようないやなにおいですが、うすくすると清涼感のある香りに感じられますので、香水にも加えられています。
このように、香りは、濃度の違いによって、同じ物質でもまったく異なる香りとして感じられてしまうのです。
また、濃い香り物質を使用すれば、うすい香り物質による感覚を消すことができます。これがマスキングと呼ばれる効果です。
料理では、食べ物の本来のいやなにおいを消すために、香りの強い香辛料を使用することがあります。香辛料の香りが強いほど、その物質が多くの嗅覚受容体たんぱく質に結合するので、その香りが優勢になり、相対的に弱い香りを消すことができるのです。
ジビエ料理は、一般の人にはなじみがないので、初めて食べる人には、香りの強い香辛料を使用してジビエ肉独特のにおいを消して提供しますが、ジビエ料理が好きな人には、香辛料は使用せず、ジビエ肉独特の香りを楽しんでもらうように調理します。
香りは味と違って、複雑な感覚現象が起こります。そのことを理解すると、香りへの興味がもっと強くなるのではないでしょうか。
■「油脂」があるとなぜおいしいのか
カレー、シチュー、豚骨ラーメン、黒毛和牛のステーキ、チョコレートがおいしい理由の一つは「油脂が含まれていること」です。油脂は液体状の「油」と固体状の「脂肪」を合わせた総称です。油脂があるとなぜおいしいのか、それには多くの理由があります。
食べ物によって違いますが、黒毛和牛のステーキの場合は、脂肪によって、やわらかくてジューシーになることがおいしく感じる理由です。
ステーキを焼くと赤身の部分はたいへんかたくなりますが、脂肪の部分は焼いてもかたくならず、簡単に嚙み切れるので、脂肪交雑(サシ)の多い黒毛和牛の肉はやわらかく感じます。
また、黒毛和牛肉の脂肪は、それ以外の国産牛肉の脂肪と違って融点が低いので、嚙んだときに脂肪細胞が破れて、液体状の油が口腔内に水のように広がるので、ジューシーに感じられます。
黒毛和牛で5等級の肉は、脂肪交雑が豊富で脂肪含量が50%を超えるものがあります。この肉は焼いても一嚙み、二嚙みで飲み込めるくらいやわらかい状態です。
皆さんは、購入したばかりのサラダ油をなめたことはありますか。純粋な油脂は、本来、味や香りはありません。
しかし、古くなった油脂には、いやなにおいがあります。これは、油脂の一部が空気中の酸素によって酸化され、別の物質に変化してしまったからです。
■油脂そのものは“無味無臭”
油脂が変化する現象は、酵素や微生物によっても起こります。
きゅうりの青臭い香りは、きゅうりの油脂の一部が酵素によって青葉アルコールやキュウリアルコールに変化するために生じます。ナチュラルチーズでは、微生物によって、油脂の一部が別の物質に変化し、そのチーズの特徴的な香りを作り出しています。
油脂は新鮮だと香りがまったくないため、なにを食べているかわかりません。私が三崎漁港に新鮮なマグロを食べに行ったとき、おすし屋さんのご主人がとれたてのマグロを出してくれましたが、新鮮すぎてマグロの香りがまったくしませんでした。
食べ物に含まれている油脂も、少し変化することで、その食材の特徴を教えてくれる香りが生まれ、その食べ物のおいしさにつながるのです。
近ごろ、おいしさにつながる油脂の新しい働きがわかってきました。油脂が食べ物の味物質や特徴的な香り物質を吸着することです。
子どものころ、すき焼きをしたとき、わが家では最初になべに引いた牛脂は食べ終わるまでなべの中に残していました。最後まで残った牛脂は、嚙むと、これに吸着されていた物質により、「すき焼きのだしの味や香り」が口腔内に広がって、とてもおいしかったことを覚えています。
なぜ、牛脂から味や香りが感じられるかを調べるために、調理した牛脂から純粋な脂肪だけをとり出して、なめてみたところ、まったくの無味無臭でした。油脂は本来、無味無臭ですが、調理中に味物質や香り物質を吸着する働きがあるのです。
脂肪添加と脂肪無添加のポークソーセージを食べ比べると、脂肪添加のソーセージには、味わいの広がりや持続性が強いこともわかりました(図表5)。
また、無味無臭のサラダ油で野菜や肉をいためると、その油が野菜や肉の香りを吸着し、料理のおいしさにつながります。ぜひ、油脂のおいしさを意識してみてください。
■「とろみ」がおいしさを強めてくれる
食べ物で「とろみ」のあるものは多くあります。たとえば、料理ではカレー、シチュー、ポタージュ、麻婆豆腐、八宝菜、あんかけうどんなど。野菜ではオクラ、モロヘイヤ、山芋など。調味料ではケチャップ、マヨネーズなどです。
「とろみ」とは、液体に粘度がある状態を指します。また、ケチャップやマヨネーズのような「とろみ」のついた液状食品は、専門用語で、「非ニュートン流体の食品」と呼ばれています。
離乳食や介護食等で「とろみ」をつけるのは、口の中で食べ物がまとまって飲み込みやすくなり、ゆっくりとのどから食道に流れるので、誤嚥(ごえん)防止効果があるためです。
また、通常の料理では「とろみ」により、食べ物のおいしさを感じやすくすることができます。
食べ物に「とろみ」をつける素材は、かたくり粉や小麦粉のでんぷん、キサンタンガムやフコイダンなどの多糖類が知られています。
調理の手法として、あんかけうどんなどのように、めんなどのほかの食材に調味液やだしをからみやすくするために「とろみ」をつけたり、温かい汁物をさめにくくしたりする目的で使われます。
そのほかにも、「とろみ」が増すことで酸味、苦味、渋みが弱く感じられる一方で、料理の香りの感じ方も抑制されてしまうことがわかっています。
■「とろみ」があるとコクを強く感じるワケ
「とろみ」のある食材や料理を食べると味わいが持続して、コクをより強く感じることが知られていますが、そのメカニズムはわかっていませんでした。
そこで、増粘剤であるキサンタンガムで濃度の異なる「とろみ」をつけた複数の溶液に香り物質を添加したあとに試飲し、これらの溶液から感じられる「香り(鼻先香※1あるいは口中香※2)の強さ」、「香り(口中香)の広がり」、「香り(口中香)の持続性」を調べました。
※1 鼻先香 食べ物を口に入れる前に、鼻で感じる香り。
※2 口中香 食べ物を口に入れたあとに感じる香り。
とろみのない場合と比較すると「香り(鼻先香)の強さ」は、0.10%、0.20%、0.40%のキサンタンガム溶液間で有意差は認められませんでした。
しかし、「香り(口中香)の強さ」は、いずれの溶液でも強くなりました。また、「香り(口中香)の広がり」も0.10%と0.20%の溶液では、強くなりました(図表6)。
「香り(口中香)の持続性」は、いずれの濃度の溶液でも強くなることが明らかとなりました(図表6)。
「とろみ」で「香り(口中香)の持続性」が上昇する理由を解析しました。キサンタンガム添加溶液での香り物質の放出量は、無添加溶液と比べて、有意に低下することが明らかとなりました。
これは、「とろみ」が強くなると、香り物質の食べ物からの放出がおさえられていることを示しています。
つまり、「とろみ」のついた食べ物では、「とろみ」に閉じ込められた香り物質が食べているときに徐々に放出されるため、食べ物の味わいの持続時間が長くなり、コクが強められると考えられます。
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女子栄養大学教授
東京大学農学部農芸化学科卒業、同大学院農学系研究科博士課程を修了。東京大学農学部助手、広島大学生物生産学部助教授、教授、同大学院生物圏科学研究科教授、日本獣医生命科学大学応用生命科学部教授を経て、2017年より現職。2015年より広島大学名誉教授。研究分野は「食肉と健康」、「食べ物とおいしさ」など。2010年に食べ物のおいしさの要因である「コク」を定義し、世界に発信するための研究活動を行なっている。
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(女子栄養大学教授 西村 敏英)
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