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1000万人分の「容疑者の指紋」が"財産"になっている…日本の警察が指紋を「証拠の王様」と呼んでいる本当の理由

プレジデントオンライン / 2024年9月18日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Viktoriia Oleinichenko

警察は事件現場に残された「指紋」を重要視している。指紋からどんなことが分かるのか。警察取材を続けてきた共同通信編集委員の甲斐竜一朗さんは「指紋を用いた捜査には100年以上の歴史があり、1000万人分の容疑者の指紋がデータベース化されている。DNA鑑定ではわからない、犯人の姿勢や滞在時間、その場にいた目的まで読み取れる」という――。(第2回)

※本稿は、甲斐竜一朗『刑事捜査の最前線』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。

■指紋は「客観証拠の王様」

事件捜査の現場で長く「客観証拠の王様」とされてきたのが指紋だ。

同じ紋様を持つ人物は一人としておらず、しかも生涯変わらないという特徴を持つため、個人を識別し犯人を特定する切り札として有用性が認められてきた。一方で、その価値判断を誤れば犯人を見逃したり、最悪の場合は誤認逮捕につながったりする危険性もある。経験に基づく鑑識官らの眼力が常に問われている。

大阪府警捜査1課は当初、その指紋を“シロ”と判断した。1994年7月13日午前10時ごろ、大阪市中央区の喫茶店兼マージャン店で、経営者の女性(50)が死亡しているのを出勤した従業員の女性が見つけた。首を絞められ、エプロン姿で1階の喫茶店内であお向けに倒れていた。

室内は物色されており、強盗殺人事件として捜査本部(帳場)が設置された。鑑識課は1階の出入り口で、2階のマージャン店に出前で出入りしていたすし店員の20代の男の指紋を検出した。だが捜査1課はすでにこの男から参考人として事情聴取し、容疑性はないとして捜査対象から外していた。

鑑識課の機動鑑識(通称・機鑑)の担当補佐(警部)だった橋本憲治は事件直後、機鑑1個班(5人前後)とともに最も早く現場に到着した。機鑑は現場に臨場するとDNA型鑑定のための微物や指紋、足跡の採取から写真撮影まで多くの鑑識活動をこなす鑑識課の大黒柱だ。ちなみに都道府県警のうち警視庁の鑑識課だけは機動鑑識という名称を使っておらず、機鑑に相当する係は現場鑑識(通称・現場=ゲンジョウ)と呼ばれている。

■「出入り口は宝の山」と語る第一人者

橋本が初めて鑑識課に勤務したのは1973年。機鑑の前身である現場係に就いた。当時の階級は巡査部長。以来、異動で署の刑事課長となったり、警察大学校に入校したりするなどして鑑識課を出た時期もあるが、警視までの全階級で鑑識課に所属し、刑事事件の捜査を第一線で支え続けた。まさに事件現場の第一人者だ。

現場の店舗に到着した橋本らはまず、人が近づかないよう出入り口を青色ビニールシートで囲い、最優先で出入り口の検証、採取作業に取りかかった。機鑑の車にサイレンが付いているのは、誰よりも早く現場に着いて鑑識活動にとって大事な場所を押さえるためだ。現場に出入りする捜査員が誤って触れることもある。人の出入りが多い店舗などが現場だと、出入り口を真っ先に押さえるのは鑑識現場の常道だという。橋本も「出入り口は宝の山」と語る。

このときの出入り口での指紋採取には、アルミニウムなどを調合した試薬の粉末をふり、刷毛でなぞって指紋に付着させてゼラチン紙などに転写させる「粉末法」が使われた。採取には橋本自らが当たった。粉末の主成分はアルミの微粉末だが、湿度などの気象条件によって粉末の選定や配合を変えるという。刷毛の使い方も採取結果を大きく左右する。経験こそがものをいう作業だ。

指紋を採取する専門家
写真=iStock.com/zoka74
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zoka74

■現場での聞き取りも行い、状況を整理

鑑識課長だった川本修一郎は現場の鑑識活動と並行して、捜査1課に対し、参考人でも容疑者としてでも事情を聴く関係者については全員から指紋を採取して鑑識課に回すよう依頼した。橋本らが現場で検出した指紋とそれら関係者の指紋を照合するためだ。

捜査1課も、被害者が経営するマージャン店の伝票の捜査や関係者らへの聴取をすぐに開始した。事件が起きた13日は、午前1時半ごろまで、被害者の長男と常連客2人が「3人打ちマージャン」をしていたことが判明。

同じころ、被害者はすし店の20代店員とソファーに座り、テレビを見ていたことも確認できた。店員は捜査1課の聴取に対し「マージャン客が帰った後の午前1時35分ごろ店を出た。その後は(被害者が亡くなっていた)喫茶店には行っていない」と説明し、不審点も見当たらなかったという。

鑑識課では、常連客2人とこの店員の指紋を現場で採取した遺留指紋と照合。店員の指紋は、橋本らが1階喫茶店の出入り口で検出した指紋と一致した。事件発生3日目の15日だった。橋本と機鑑のメンバーらはこの指紋について、徹底した検討を加え価値を探った。その結果――。

■「この指紋はのぞき見ちゃいますか」

翌16日午前、鑑識課長室で開かれた朝会。課長以下鑑識課の幹部ら10人前後が顔をそろえた。そこでの議題は橋本ら機鑑のメンバーが採取した店員の指紋についてだった。指紋が検出された現場の出入り口は内外どちらにも開閉する自由扉だった。

店外から見てドアの左端にちょうつがいがあり、ドアの右側部分を開けて通る仕組みで、ドアと縦枠の間にはわずかな隙間があった。縦枠に店員の左手の薬指と小指の連続指紋が付いていた。

そしてその指紋は、当該人物が動いているときに付着する、こすったような「擦過(さっか)指紋」ではなく、同じ姿勢でじっとして動いていないときに付く「静止指紋」だった。

幹部らはその点を不思議がっていた。ドアを歩いて通るときに付着したのなら擦過指紋となるはずだからだ。静止指紋が付着していたということは、何らかの目的があってこの場所で立ち止まったと考えられる。

「この指紋はのぞき見ちゃいますか」。橋本は釈然としない幹部らにこう切り出し、指紋についての自身の考察を披露した。橋本ら機鑑のメンバーが注目したのは、指紋の付着状況だった。高さ約1メートルの低い位置に、指先を店内に向けて上向いた角度で付着していた。

■指紋から犯人の姿勢まで明らかになった

「普通に出入りをしていて付く指紋ではない。位置や方向性がおかしい」。橋本がこの指紋から導き出したのは、体を中腰にしてやや前かがみになった状態で左手を縦枠に添え、ドアと縦枠の隙間から左目で店内をのぞき見している男の姿だった。出前に来た店員がとる姿勢としては、明らかに不自然だった。

指紋をスキャンする3Dイメージ
写真=iStock.com/ChakisAtelier
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ChakisAtelier

橋本が説明した考察に、朝会の幹部らは驚きを隠せずにうなった。川本も「その発想は全然なかった」と正直に認める。朝会のメンバーによるこの指紋に対する価値判断は「容疑性あり」が総意となった。橋本はすぐに捜査本部の現場責任者である捜査1課殺人班の班長にこの指紋の価値判断を伝えたが……。

「そもそもここに出前でいつも出入りしているから指紋は付いて当たり前。話も聞いたがシロだ」。捜査1課の班長はにべもなく店員の容疑性を否定した。これを聞いた川本は捜査1課長に進言した。「こういう格好が推測される指紋や。犯人である蓋然性が高い。もう一度調べるべきだ」。

川本の直談判によって2度目の聴取が実現すると、男は落ちた。借金があり首を絞めて殺害して現金を奪ったと認めた。発生から4日目のことだった。

■証拠の価値判断を誤れば、誤認逮捕を招きかねない

店員の供述によると、事件発覚前の13日午前5時50分ごろ、喫茶店の様子をうかがうため腰をかがめて縦枠に左手を添え、ドアと縦枠の隙間から中を見ると被害者が見えたので声をかけるとエプロン姿で出てきてくれた。店内で借金を申し込んだが断られたので、持ち込んだ電気コードで首を絞め、死亡したのを確認してから現金を奪ったという。

橋本らは入り口の縦枠以外にも、喫茶店のカウンター内側にある製氷機の上にあったガラスコップと水差しから店員の指紋と掌紋を検出していた。コップは客が使用した後に洗って乾かすために上下反対にして置かれていたもので、通常は洗った人の指紋が付着することはあっても、他の人物の指紋が残ることはない。

橋本らはコップと水差しの指紋からも店員の動きを考察。店員は被害者を殺害した興奮から喉が渇き、洗って伏せてあったコップを右手で取り上げ、左手に持った水差しから水を注いで飲んだ後、コップを元の位置に戻したとみていた。そして、その考察は男の供述によって裏付けられた。

川本は指摘する。「指紋の価値判断を誤ると捜査の方向性を見失う。時として犯人を見逃し、最悪の場合は誤認逮捕を招くこともある」

■100年以上にわたって刑事捜査を支えてきた

日本では1911年、警視庁が刑事課を創設して鑑識係で指紋業務を扱うようになり、犯罪捜査に指紋制度が導入された。以来、「万人不同」「終生不変」の特性を持ち“客観証拠の王様”として捜査を支えてきた。

警察官たちの後ろ姿
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

1982年には警察庁の指紋センターで約800万人分の指紋をDB化し、現場で採取した遺留指紋と機械で照合する「指紋自動識別システム」を導入した。2022年末現在、DBの登録は容疑者指紋が約1157万人、遺留指紋が約32万件に上る。

都道府県警は、犯罪が発生すると現場で採取した遺留指紋を警察庁のDBや疑わしい人物の指紋と照合し、容疑者特定の決め手とする。指1本には隆線という細い線の切れ目や分岐点など約100の特徴点があるとされる。日本ではこの特徴点を照合し、12点が一致すれば同一指紋と判断される。一致した場合は鑑識部門の指紋担当が「確認通知書」と呼ばれる書面を作成し、事件を扱っている捜査部門がこの通知書を容疑の裏付けとなる「疎明資料」にして裁判所に逮捕状を請求したりする。

いまは全国の警察署に、光センサーで容疑者の指紋を読み取る「指掌紋(ししょうもん)自動押捺(おうなつ)装置(ライブスキャナー)」を配備している。全警察本部と指紋センターは「遺留指紋照会端末装置」によってオンライン化され、各警察本部から指紋の照会依頼があれば最短1時間以内でのスピード回答が可能だ。

■「重なり合った指紋」まで識別できるようになってきた

2022年までの10年以上、現場の遺留指紋と容疑者指紋DBとの照合で一致した件数は毎年ほぼ2000件台で推移している。

警察庁は2013年、指紋の成分であるアミノ酸を光らせて指紋を見えるようにする装置「グリーンレーザー」を全国に配備した。同庁犯罪鑑識官付技官は「見えなかった指紋が見えるようになった。大きな進歩だ」と話す。

19年には早稲田大学などが共同開発した撮像装置「ハイパースペクトルイメージャー」を導入。この装置を使ってグリーンレーザーで検出した指紋を撮影・解析すると、これまで採取できなかった、複数が重なった「重複指紋」を分離してそれぞれ画像表示させることが可能になる。捜査現場での重複指紋の検出法確立は世界的にも初めてという。警察庁はハイパースペクトルイメージャーについて操作性能の向上を図っており、日本警察の指紋採取能力はいまもレベルアップを続けている。

■いまでも「DNAより指紋のほうが強い」と言われるワケ

平成の時代はDNA型鑑定が急激に発展し、科学捜査の分野で存在感を増したが、警視庁の元捜査1課長は指紋捜査になお優位性があるとみている。「DNAが示すのは『容疑者がそこにいた』ということだけ。指紋は犯行状況まで明らかにできる強みがある」。例えば凶器から指紋が採取できれば、握り方と使い方も推測できるからだ。

遺伝子工学の概念
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

警視庁鑑識課の元指紋鑑定官で、約40年間、鑑識課で指紋に携わった松丸隆一は「指紋照合は個人識別の方法として最も迅速かつ確実に、簡単にできる。ルーペ一つでどこでもできるのが強みだ。100年以上の歴史があり、容疑者DBは1000万人を超え、警察の貴重な財産になっている」と解説する。

松丸によると、指紋の照合は瞬間的なものではなく、自分の目で一つひとつの指の隆線の切れ目や分岐点である特徴点を丹念に追う作業だ。「これは間違いなく合う」と判断できたときは、感動や達成感を強く感じるという。

日本の犯罪史上、類を見ないオウム真理教事件に対する一連の捜査の突破口も、目黒公証役場事務長拉致事件で実行犯を特定したレンタカー契約書に残っていた指紋だった。元警察庁長官は「あれで何百通かの捜索令状が取れた。有無を言わせぬ客観証拠だ」と明かす。

■DNAよりも先に指紋を採取している

甲斐竜一朗『刑事捜査の最前線』(講談社+α新書)
甲斐竜一朗『刑事捜査の最前線』(講談社+α新書)

大阪府警の機動鑑識は現在、発生現場では遺留指紋の採取を最優先としている。府警鑑識課の幹部は「スピード勝負なら指紋が絶対だ。発生当日に犯人にたどり着き、再犯を防ぐこともできる。DNA型鑑定は時間がかかるし、そもそも容疑者が浮上してから武器になることが多い」と強調。「まったく容疑者が分からない中、現場の指紋などブツから犯人にたどり着くのは鑑識冥利に尽きる」と話す。

ただ指紋への過信が誤認逮捕を生んだこともあった。決め手となった遺留指紋が付着した経緯の裏付けがずさんだった例もあり、多くの警察幹部が「指紋一致イコール真犯人ではない」と警鐘を鳴らす。

そうした点も踏まえつつ、指紋の付着状況から姿勢、行動を推察し、供述など捜査情報と矛盾がないかを徹底的に吟味するのが、前述した“指紋の価値判断”だ。巡査部長から警視までの各階級において鑑識で現場臨場した橋本は言う。

「そこまで指紋を追究する価値は、十二分にある」

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甲斐 竜一朗(かい・りゅういちろう)
共同通信編集委員
1964年3月3日生まれ。西南学院大学卒業。89年読売新聞社入社。93年共同通信社入社。95年から2000年、大阪府警捜査1課と警視庁捜査1課を連続して担当。その後も警察庁担当、警視庁サブキャップ、同キャップなどに就き、多くの事件、事故を取材。現在も編集委員兼論説委員として警察庁記者クラブを拠点に取材活動を続けている。著書に『刑事捜査の最前線』(講談社+α新書)がある。

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(共同通信編集委員 甲斐 竜一朗)

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