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ひとりカラオケでAdo「うっせぇわ」を歌って60点台を叩き出した齋藤孝が画面に向かって叫んだ「驚きの言葉」

プレジデントオンライン / 2024年9月30日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/loveshiba

心の免疫力を高めるにはどうすればいいか。教育学者の齋藤孝さんは「イギリスの古いことわざに『ころがる石に苔つかず』という慣用句があるが、その解釈は二つある。一つは、『人間も一つのことに腰を落ち着けて、しんぼう強く取り組まないと、何も身につかない』というもので、もう一つは、『向上心をエネルギーにして前へ、前へところがり続ければ、それが勢いになって、外からの“ネガティブ攻撃”をはねのけることができる』というものだ。心の免疫力を鍛えるには、後者の解釈で向上心を持ち続け、ローリング・ストーンでいくのがいいだろう」という――。

※本稿は、齋藤孝『自分を動かす魔法』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

■向上心は「心の免疫力」を高めるカギ

体の免疫力が高いと、いろいろな病気にかかりにくくなります。

なぜなら、細菌やウイルスが体内に入ってきても、自己を守る機構が強く機能しているからです。

それは心も同じで、「心の免疫力」が高ければ、自分の身に何か起こっても、また人から何かいわれても、簡単には心が傷つきません。

では、「心の免疫力」を高めるにはどうすればよいか。

ズバリ、「向上心」を持つことだとぼくは思っています。

簡単には傷つかない心のつくり方

「ころがる石に苔つかず」とか「転石苔を生ぜず」という慣用句があります。

“A rolling stone gathers no moss.”

というイギリスの古いことわざが由来です。

解釈は二つあって、一つは、

「ころがってばかりいる石には苔がつかないが、一つのところに長いあいだ留まっていれば苔がつく。それと同じで、人間も一つのことに腰を落ち着けて、しんぼう強く取り組まないと、何も身につかない」

というもの。

■前へところがり続ければ、外からの“ネガティブ攻撃”をはねのけられる

もう一つがまったく逆で、

「石は、つねにころがっていれば、苔のような古いものがつかない。同じように人間も、活発にいろんなことにチャレンジし、活動していれば、時代に乗り遅れることなく前に進んでいける」

というものです。

「心の免疫力」を高める意味では、後者の解釈がピッタリです。つまり、

「向上心をエネルギーにして前へ、前へところがり続ければ、それが勢いになって、外からの“ネガティブ攻撃”をはねのけることができる」――。

そうぼくは考えています。

向上心は自分を成長させることができるだけでなく、自分を守ってくれるものでもあるのです。

きみたちにはこちらの解釈で、ローリング・ストーンでいくのがいいでしょう。向上心を持って前へ、前へところがり続けていると、もっと先を、もっと遠くをめざしたくなります。

なかには「向上心が持てない」と悩んでいる人もいるかもしれませんが、そんなときは「向上心を持とう」とするのでなく、向上心を持てそうなものを探すといい。

その気になれば、そこらじゅうにころがっています。

■自分の“心の目”が何を見ているかを考える

誰にも「好きなこと」はあると思います。

たとえば学校の勉強のなかでも好きな教科はあるでしょうし、スポーツのなかでもこのスポーツを見るのが好きとかやるのが好きとか、音楽ならこのジャンル・この歌手・このバンド・この楽器・この指揮者が好き、食べ物ならこの国の料理・この食材が好きなど、「好き」なら、どんなものでもいいのです。

自分のなかにある、その「好き」にフォーカスすると、「もっと上達したい」「もっと詳しくなりたい」と、上をめざす気持ちが自然とわいてきます。

それが向上心の正体です。

きみの心の目は何を見ている?

若い女性のクローズアップ
写真=iStock.com/tLucidSurf
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tLucidSurf

自分が何を好きなのか、何に興味を持てるのか、よくわからないときは、自分の“心の目”が何を見ているかを考えてみるといい。

心の目が内側にばかり向いていると、「自分ってどうしてこうなんだろう」「自分ってここがダメなんだよな」というようなことばかり考えてしまいます。

その心の目をちょっと外に向けてみると、好奇心や興味の対象が見えてきます。

心の内側から外の世界を照らすような感覚で眺めてみる。すると何か一つや二つ、心が動かされるものと出合えます。

「それまでまったく興味がなかったものに、突然、心が動かされる」

という瞬間は、とてもおもしろく、刺激的なものです。

それに気づいたときに、“好奇心の芽”が生まれてくるでしょう。

ぼくの知り合いに、「たまたまWBCの試合を見て大谷選手のファンになり、気がついたらアメリカで観戦していた」という人がいます。それまで野球のルールさえ知らなかったといいますから、劇的な出合いだったといえそうです。

このように“心の目”を外に向け、そこで見えたものから自分の感性がどう動くかを観察するうえで、とても参考になる古典があります。

平安時代中期、一条天皇の中宮定子に仕えた女房の清少納言が書いた『枕草子』(上坂信男、神作光一全訳注、講談社学術文庫)です。

『枕草子』

清少納言はあらゆるものごとを列挙して、それぞれを自分の感性で好き、嫌い、風情がある、興ざめだ、などと一刀両断にしていきます。

たとえば「柳はまだ繭のような芽に風情がある。開ききってしまったものは不快だ」とか、「牛は額がせまく白色で、腹の下や足、尻尾などがすっかり白いのがいい」「上手でない琴を夢中になって弾いているのを聞くのはいたたまれない思いがする」など、迷いのない言い分が非常に小気味いい。「自分の感性をここまで肯定していいんだな」と思えてきます。

古典はとっつきにくいかもしれませんが、ここで出合ったのも何かの縁。「おもしろそう」と心が動いたら、手に取ってみてください。

現代語訳とともに“つまみ食い”感覚で読むうちに、「もっと知りたい」と向上心が高まっていくかもしれません。

■ひとりカラオケで「うっせぇわ」を歌った齋藤孝の末路

「苦手なこと」や「下手なこと」はふつう、好きになれないものです。「上手になりたい」という向上心も起こりにくいでしょう。

けれども、そんななかに「下手でも、好き」というものはありませんか?

もしあるなら、はずかしがらずに「苦手で下手だけど、それが何か?」と開き直ってチャレンジしてみると、どんどんおもしろくなっていきます。

それが向上心のもと。だから、苦手でも下手でも「好き」なものは多ければ多いほどいい。さまざまな対象に“向上心の柱”が立って、「心の免疫力」が高められていくからです。

ぼくにも「苦手で下手」なものがあります。カラオケです。

たまに大学の卒業生とカラオケに行くのですが、非常に歌のうまい人がいます。歌う歌、歌う歌、90点台をマークするのです。大学入試がカラオケだったら、彼はどの大学でも合格するでしょう。

ぼくはというと、「70点」にも満たない。でもカラオケが嫌いかというと、好きなんです。だから「もっと上手に歌いたい」という向上心はあります。

それでコロナ禍で時間ができたとき、“ひとりカラオケ”で練習しました。Adoさんの「うっせぇわ」を選曲したところ、採点結果は60点台!

「この歌はあなたにはむずかしすぎます。もっとやさしい歌を選ぶといいです」

との評価でした。

ぼくは思わず画面に向かってひと言。「うっせぇわ」――。これ、実話です。

ただ採点内容をこまかくチェックしてみたら、音程もリズム感も、ほとんどすべての点数が低いのですが、「抑揚」だけは高得点でした。

そこで以後、自らを「抑揚の鬼」と名づけて、どんな歌を歌うときも抑揚だけは頑張るようにしました。

■向上心に火をつける「開き直り」の力

こんなふうにぼくは、カラオケは苦手で下手であるにもかかわらず、「好きなものは好き」と開き直っています。この向上心がぼくの「心の免疫力」を支えている部分もあるような気がします。

齋藤孝『自分を動かす魔法』(三笠書房)
齋藤孝『自分を動かす魔法』(三笠書房)

「下手の横好き」ではないけれど、「下手だけど好き」というものは誰しもあるのではないかと思います。

得手・不得手や上手・下手は気にせず「好きなものは好き」と開き直って、おおいに励んでください。「心の免疫力」が強化されます。

鎌倉時代後期の随筆家であり歌人でもあった兼好法師は、『徒然草』(今泉忠義訳注、角川ソフィア文庫)の百五十段で、「下手でもどんどんやりなさい」といっています。

一部を要約すると、

芸能を修得しようとする人は、上手になるまでは人に知られないようにすることが多い。それでは芸の修得はおぼつかない。

未熟で下手でも上手な人にまじって、笑われたり、馬鹿にされたりしながらも、はずかしがらず、平気な顔で練習を続ければ、生まれつきの素質がなくても上手になる。

天下に聞こえた上手でも、最初は下手だといわれることもある。手ひどい侮辱を受けることもある。それでも精進を続ければ、世の権威にも、立派な指導者にもなる。

芸事に限らず、趣味でも、何かの学びでも、「下手だからはずかしい」と思っていては「やる気」のスイッチが入らず、向上心にも火がつきません。

「下手だけど好き」
「下手だから上手になりたい」

そういう気持ちが自分を突き動かしてくれます。

向上している感覚――これをぼくは「向上感」と呼んでいます。向上感があれば続きます。

兼好法師の教え通り、興味を覚えたものにはどんどん挑戦しましょう。

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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。

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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)

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