2000万円かかるMBA留学とは対極…入試なし、教科書・テストなし、費用は半年90万円の"北欧留学"という選択肢
プレジデントオンライン / 2024年10月1日 7時15分
■デンマークで日本人留学生が増加
円安が続き、海外留学にも手が届きにくくなっている。例えば、アメリカに留学する場合、生活費も入れると年間1000万円ぐらいは優にかかるし、MBA(経営学修士)を取得する場合は年間1000万円では利かず、年間1500万円~2000万円必要だとも聞く。
しかし、ユニークで比較的お金のかかからない留学先が、北欧デンマークにある。入学試験もなく、学期中のテストもない。17.5歳以上なら誰でも入学可能で、学生寮も完備されている。大学に行く前に勉強しに来るデンマーク人や、社会人になってから学びなおしたいとやってくる人もいて、中には70代、80代で入学する人もいるという。高齢者も若者も一緒に授業を受け、学生寮で生活を共にする学びの場が、「フォルケホイスコーレ(Folkehøjskole)」という国民高等学校だ。
フォルケホイスコーレはデンマークに約70校ある成人向けの全寮制の学校で、高校や大学とは異なるオルタナティブ教育機関として、デンマークの文部科学省から認可を受けている。それぞれ学校によって、陶芸、音楽、農業、スポーツ、心理学、福祉など学べるテーマは異なり、授業はワークショップと対話で進められる。プログラムは数週間から4カ月、半年などさまざまで、半年間の留学費用は、寮費込みで約90万円程度だ。デンマーク語ができなくても、英語で授業を受けられる学校がたくさんある。
日本からの留学生は増加傾向で、英語で授業を受けられるホイスコーレでは、日本人留学生数が2桁を超えるところも多い。ホイスコーレだけの数字ではないが、デンマークの日本大使館によると、日本人の「留学生・研究者・教員」の数は、2019年は約290名、2024年は約360名と増加傾向にあって、デンマーク自体が留学先として注目されているようだ。また、ここ数年、デンマークからの帰国者がフォルケホイスコーレのような教育の場を作るべく、各地で学校やワークショップを立ち上げているところにも、その人気がうかがえる。
「入学するために英語力を高めて準備し、高いお金をかけ、入学してからも落第しないよう必死で勉強して授業についていく」というMBA留学などとは違い、「一度仕事を離れて環境を変え、自分のキャリアをじっくり見直したい。それほど高いレベルの英語力がなくても入学でき、費用もリーズナブルなところで学びたい」といったタイプの留学にもマッチしている。
■ほかの留学では得られない学び
また、フォルケホイスコーレへの留学経験者に話を聞くと、「語学力」「仕事に役立つスキル」など実益に直結するメリット以外のものを得られたと語る人は多かった。
私が初めてフォルケホイスコーレのことを聞いたのは数年前。若者の政治参加を推進するNo Youth No Japanという団体を立ち上げた能條桃子さんが、大学時代にフォルケホイスコーレに留学し、デンマークの若者たちと共同生活をしたと話してくれた時だった。彼女にどんな学校だったのかと聞いたところ、「民主主義の学校です」との答えが返ってきたのが印象的だった。
他にも、留学のおかげで「自分の精神が安定して、人と自分を比べることがなくなった」「コミュニティへの貢献という概念が身に付いた」「家族の愛情や空の青さなど、日常の美しさを感じられるようになった」という普通の留学からは想像できないような答えが返ってきた。
社会福祉の先進国として知られ、国民の幸福度も高いというデンマークだが、大人のための学校では、どんな教育が行われているのだろうか。昨年11月に、日本からの留学生を多く受け入れているフォルケホイスコーレの一つを取材した時の話を紹介したい。
■教科書を使わない授業
私が訪れたノーフュンスホイスコーレは、デンマーク中央部にあるフュン島の、ボーゲンセという港町から約3キロの場所にある。広大な緑の敷地の中にある全寮制の学校で、キャンパスでは学生約75人が生活していた。
学校には政府から助成金がでており、半分以上の学生がデンマーク人であるよう義務付けられている。学生は学費の3割ほど負担する。半年コースの学費は寮費も併せて約90万円で、アメリカやイギリスに留学するよりはるかに安い。
ノーフュンスホイスコーレの特徴の一つが多様性で、ヨーロッパ、アジア、アフリカ諸国などの留学生のほか、知的障がいを持つ人も一緒に共同生活をしながら学ぶ。教員も国際色豊かで、校長はイラン人、副校長は日本人だ。
授業の進め方の中心となるのは「対話」。学生たちから、親しみを持って「モモヨさん」と呼ばれている、副校長のヤーンセン・モモヨ(Momoyo Jørgensen)さんは、「学生たちの言葉から授業を膨らませていく」と語る。
「教科書を使って授業をしているホイスコーレは一つもありません。それぞれの学生が言った言葉が相互に作用していくので、そこから授業を膨らませる。対話しながら授業をしていくのです」
※編集部註:初出時、学生の費用負担について誤りがありましたので修正しました(10月2日11時17分追記)
■同じ内容の授業が繰り返されることはない
学生と教員の関係も、日本でイメージするものとは異なる。先生が持つ知識やノウハウを、学生に「教える」といったものではないのだ。
ヤーンセン副校長は、フォルケホイスコーレでの学びを、「船作り」に例えてこう説明する。
「例えば、みんなで船を作る場合も、ホイスコーレの教員は、木などの材料を一覧にして作り方を指示するようなマニュアルを作ったり、学生と金づちを使って一緒に船を作ったりはしません。船とひとことに言っても、ある人にとってはいかだかもしれないし、豪華客船を作りたい人もいるかもしれない。スピードボートやカヌーの人もいるでしょう。それでいいのです」
ヤーンセン副校長は言う。「フォルケホイスコーレの教育者の役割は、海の青さ、海に出ることの醍醐味、海の素晴らしさを学生と共有することです。それを学生とともに体感し、共有して、『海に出たらどれだけ素晴らしい体験ができるか』を見せてあげる。それが教育者だと教えられました」
日本からきた大学生でこの学校の留学生の1人、本間さや香さんも、授業についてこう語る。
「最初に『今何を考えているの?』『この前の授業はどうだった?』『今、何が心に残っている?』と聞かれます。そこで一人ひとりが、自分の中にあるものを取り出して言葉にすると、授業はそれをもとに組み立てられ、発展していくので、一度として同じ内容の授業が行われることはありません。メンバーも変わるので、素材も変わります。すごくフレキシブルで、生徒にとって本当に良い学びになる授業だと思います」
■フォルケで学ぶ「話し合い」の進め方
本間さんは、「最初は自分の意見を発言することが苦手だった」と明かす。
「ただ、ここでは、どんな意見を言ったとしても受け入れられるという安心感があります。否定されないし、正解を求められません。どんな意見であっても『私の意見』であればそれで良く、『間違い』とされることはありません」
フォルケホイスコーレでは、自分の意見を相手に伝え、合意によって物事を決めることが前提になっている。これが「民主主義の学校」と言われるゆえんなのかもしれない。合意できない場合は、どうしたらよいかを話し合って解決策を見いだす民主主義の精神が、授業に限らず共同生活の中でも根付いているという。
例えば騒音がうるさい、バスルームの使い方が気に入らないなどルームメートに不満がある場合、日本人留学生はすぐに「部屋を変えてほしい」と言ってくることが多いという。
「『0か100しかない世界で生きている』というのでしょうか。自分が我慢するか、相手に我慢してもらうかという二択しかないと考えていることが多い。フォルケで学んでほしいのは、それ以外の選択肢もあるということなんです」(ヤーンセン)
■「話し合い」は民主主義の土台
日本の職場や学校でもよく「話し合い」は行われるが、それぞれが自分の意見を述べても最後は多数決で強引に決めてしまうことが多い。
しかし、なぜ自分が「イエス」と言えないのか、何がどのように変われば合意できるのかを明確にして相手に伝えることが、民主主義の最初のステップだとヤーンセンさんは語る。お互いにそれを主張し合い、譲れるところ、譲れないところを探る。そうすることで、両者が納得できるところを探して合意する。それは、「0か100か」ではなく、0から100の間のどこかのポイントになるだろう。非常に面倒なプロセスだ。
そして一度合意したら、それを忠実に実行する。もし、それが実行できなくなったら、また話し合いに戻るよう、ヤーンセンさんは学生たちに伝えているという。
「あなたが楽しむ権利を持っているのと同様、他の人も楽しむ権利を持っている。では、何がベストなのか。それを話し合いながら探っていくことが、民主主義の土台なんです」
■明治時代に日本でも紹介
フォルケホイスコーレの歴史は、19世紀半ばにさかのぼる。当時、ナポレオンの支配から解放されたヨーロッパでは、ナショナリズムの機運が高まり、デンマークでも農民や民衆が政党政治に参加するようになった。
そんな時、「大衆が政治に参加するためには、民主主義教育が必要」と考えた、思想家で牧師のN.F.S.グルントヴィが、「民主的な社会を支える人を育成する教育機関」として考案したといわれている。
日本でも、フォルケホイスコーレはすでに明治時代に紹介されていた。1911年に内村鑑三が「デンマルクの話」と題して講演をしたのが最初だといわれ、その後、いくつか“日本版ホイスコーレ”が設立された。代表的なのが、1915年に設立された山形県立自治講習所で、地方自治、農村経営、郷土史、国際地理などの学科が教えられていたという。
その後日本でのフォルケホイスコーレは衰退していくが、1996年にフォルケホイスコーレについて書かれた『生のための学校』(清水満著)などの出版によって、再び注目された。
最近では、デンマークでフォルケホイスコーレに留学し戻ってきた能條さんのように、若者の政治参加を促す団体を設立したり、フォルケホイスコーレ的な教育を通じて地域課題に取り組んだりする日本人もいて、「第3次フォルケホイスコーレブームだ」という人もいるほどだ。
■農業やアウトドアの授業も
「フォルケホイスコーレを創設したグルントヴィが目指したのは、自分の中から湧き上がるものに気づくこと」と語るのは、日本で23年間理学療法士として働いてきた中島京子さんだ。40代の彼女は日本で、訪問看護で終末期の患者と向き合いながら、最後の時間を、何に重きを置き、どのように過ごせば、その人や家族にとって幸せなのかを考えたという。
「私が患者と対面する時間は1時間ほどのわずかな時間です。自分にもっと引き出しがたくさんあったり、人間力が高かったりすれば、わずかな時間でももっといろいろな提案ができるのではないかと思いました。また、その人から出てくる言葉や雰囲気、態度の中から、表面には出てこない本人の思いをキャッチする力が欲しいと思いました」
そんなふうに考えていた時、フォルケホイスコーレを知り、退職してデンマークに留学した。
フォルケホイスコーレでは、自然との共生を大事にしている。農業の授業などもあり、作物を育ちやすくするための土壌改良のやり方など実学的なことも学ぶ一方で、アウトドアスポーツや自然との共存を体験させる授業などもある。海でカヤックを漕いだり、山の中をマウンテンバイクで走ったり、過酷な山道でのトレッキングといった経験から気付くことも多いという。「自分にもこんな力があるんだと気付き『ちょっとたくましい自分になれたのではないか』という感動がありました。心の底から『楽しい』とも思えました」と、中島さんは言う。
デンマークでは、中島さんのように就職した後、仕事をしばらく休んでフォルケホイスコーレに行く人も多い。また、福祉、心理学、音楽などの専門性をつけた後、新しい職業に就く人も少なくない。筆者が現地で知り合ったデンマークのミュージシャンの男性も今年音楽が専門のフォルケホイスコーレに行き、作曲などを学ぶつもりだといっていた。日本と違い、いくつになっても、そして人生で何度でも、デンマークでは国の支援のもと学び直しができる。
■日本で活動を広げる卒業生たち
近年、デンマークでホイスコーレを体験した人たちが、日本で地域を活性化する仕事をしたり、教育や環境に貢献したりするプログラムを立ち上げている。
代表的なのが、北海道東川町にある「School for Life Compath(コンパス)」や岩手県陸前高田にできた「Change Makers’ College」だ。
コンパスは、2017年にデンマークでホイスコーレと出会い、2018年に北海道に移り住んだ安井早紀さんと遠又香さんによって作られた。現在、アートや大自然の中での体験、北欧や地域社会の歴史・仕組みのインプット、異なるバックグラウンドの仲間との対話を通して学ぶ1週間〜10週間の滞在型プログラムを開催している。これまでに10代〜60代まで、200名以上がこの学校で学んだという。
短期プログラムもさまざまなところで開かれている。フォルケホイスコーレへの留学経験を持つ奥田陽子さんも、フォルケホイスコーレのような教育機関を日本に作ろうと、デンマークから講師を呼んで2泊3日の短期プログラムを奈良県の天川村や生駒市で行うなどの活動を続けている。
■デンマークの「学びなおし」の仕組み
『フォルケホイスコーレのすすめ~デンマークの大人の学校に学ぶ』(花伝社)には、フォルケホイスコーレで学んだ日本人57名のアンケート結果が掲載されており、ホイスコーレの魅力として「立ち止まる時間と余裕がある」「年齢に関係なく学びなおすことができる」「個人の意見を大切にする」「多様な他者からの学び」などがあがっていた。
フォルケホイスコーレには、アルコール依存症や不登校の子もやってくる。また、仕事を失ってもう一度学びなおすために来る人もいる。たとえ人生のレールから一度はずれることがあっても、国がサポートし、学びなおすることができる仕組みがあるのだ。
そして多くの日本人が、専門知識だけではなく、人生の幸せのヒントを学んでいる。留学先として、デンマークの大人のための学校も選択肢の一つに加えてみてはいかがだろうか。
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ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ執行役員・論説委員
上智大学外国語学部卒業後、1991年ジャパンタイムズ入社。政治、経済担当の記者を経て、2006年より報道部長。2013年より執行役員。同10月には同社117年の歴史で女性として初めての編集最高責任者となる。2000年、ニーマン特別研究員として米・ハーバード大学でジャーナリズム、アメリカ政治を研究。2005年、キングファイサル研究所研究員としてサウジアラビアのリヤドに滞在し、現地の女性たちについて取材、研究する。著書に『The Japan Times報道デスク発グローバル社会を生きる女性のための情報力』(ジャパンタイムズ)、国際情勢解説者である田中宇との共著『ハーバード大学で語られる世界戦略』(光文社)など。
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(ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ執行役員・論説委員 大門 小百合)
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