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異性との性行為は難しいが結婚と子どもが欲しい…「世間体の壁」が厚い日本ならではのオンリーワンビジネス

プレジデントオンライン / 2024年9月28日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

性行為を伴わない「友情結婚」とは何か。日本で初めての友情結婚相談所を立ち上げた中村光沙さんは「おおやけにされていないニーズが確実にあった。同性愛者の人たちも普通に家庭を築きたいのは変わらない」という――。

■セクシャルマイノリティのための結婚相談所

「そもそも、“友情結婚”のための結婚相談所をやろうという、私のような変な“ノンケ”がいなかった」

「ノンケ」とは、同性愛者から見た異性愛者を指す隠語だ。中村光沙(ありさ)さん(39歳)は実にサバサバと、気持ちよく笑う。スラリとした上背のある痩身に、ショートカットがよく似合う。丸みを帯びた穏やかな声、からからとあっけらからんと笑うさまは、まるで太陽のようだと私には思える。

中村さんは日本で初めて、LGBTQを含むセクシャルマイノリティの人のために、恋愛を伴わない新しい結婚を提案する「友情結婚相談所カラーズ」を立ち上げた女性だ。

設立は2015年3月、今年で10年目となるが、「カラーズ」は今でも、「友情結婚」を限定とする、日本で唯一の結婚相談所であり、中村さんは代表として一貫して、「カラーズ」の前面に立ち続けている。

「友情結婚」の誕生はいつ、どこかはわからない。

2000年にはすでにセクシャルマイノリティの人たちが、ネットの掲示板などを通して性行為を伴わない結婚を行い、普通の夫婦として家庭生活を送る手段として行われていたと言われる。同性婚として認められるより、周囲に波風を立てず社会に溶け込んで生きていきたい人たちが望むものが、「友情結婚」だったのだ。

■当事者ではない起業者の始まり

それにしても“ノンケ”であり、身体的性と性自認が一致する「ストレート」の中村さんが、「友情結婚」のど真ん中にいることが、改めて不思議でたまらない。

なぜ、当事者ではない中村さんが、自らセクシャルマイノリティの世界に身を投じ、そこに根を張り、友情結婚専門の結婚相談所を起業したのか。しかもその事業は今や、社会的意義云々のレベルにとどまらず、成婚カップル280組超という実績を積み上げ、7年連続過去最高の成婚数を更新する有望なビジネスとなっている。

新たな世界の先駆者でもある中村さんの、稀有(けう)と言っていい人生の“始まり”はどこなのか。

中村さんは地方都市で、両親と年の離れた2人の姉がいる家庭に育ち、中学卒業と同時に、父の仕事の都合でアメリカのカリフォルニアへ渡った。

「高校は暗黒期。急に決まったので、英語が話せなくて。勉強は数学以外はなかなか追いつかず高校時代は辛かったです。人と喋るのが好きなのに、全く喋れないということが」

大学受験は英語で勝負をする気力が湧かず、サラリーマン的人生に興味が持てなかったこともあり、ニューヨークにある美大に進学、ファッションデザインを専攻した。

「卒業後はパタンナーに憧れて2年、ニューヨークで働いたけれど、上司が天才すぎて、『私、この道でトップになれないな』って、すぐに気づいた。やるならトップを目指したい、稼ぎたいと思ったので、ずっと憧れがあった日本へ行くことにしました。日本って、若いほうが有利とわかっていたので、まずは母が住んでいた神戸で就職しました」

■「なんで、彼らがいないんだろう?」

就職の目的は、パソコンスキルの習得だった。目標を達成した2年後に、東京へ飛んだ。

「アメリカでも、カリフォルニアは田舎なんですよ。情報もニューヨークで得られるものとは全く違う。それと同じで、日本なら東京。何かで起業したいと思っていて、その“何か”を考えるのも東京だろうと、20代半ばで上京しました」

モデル関係の会社に「起業するために東京に来たので、生活費のために働きたい」とあえてアルバイト雇用を希望しての就職。自分にとっての“何か”とは何だろうと日々、思いをめぐらせつつも、20代で起業することそれ自体が自ら希求してやまないものだった。

中村さんには帰国してからずっと、気になっていることがあった。

「ニューヨークのアパレルって、男性はゲイが多い。大学も学長はゲイだと公言していたし、男性の学生もゲイが多かった。憧れのデザイナーもそうだし、就職して出会った男性もそう。私にとって当たり前すぎたのに、日本に帰ってきたら、急に彼らがいない。なんで、いないんだろう?」

ニューヨークの公園で歩いている同性カップル
写真=iStock.com/william87
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/william87

湧き上がる強烈な疑問から、調べ出した。「ゲイ、いない」「LGBTQ、いない」とオンライン検索をかけたところ、はっきりとわかった。

「いる! 日本にも、同じ比率でいる。だけど、日本は文化や風潮でカミングアウトしにくく、おおやけにされていない。これって、私にできることが何かあるんじゃない?」

■「友情婚」との出会い

さらに調べて、同性愛者のためのさまざまなサービスや事業は、“LGBTQだと知られたくない人”に向けたものがないことも見えてきた。

「日本って、カミングアウトしていない人が多いのに、その人たちのためのサービスってないじゃん。その人たちが困っていることって、きっとあると思う」

ここにきっと、何かがある。直感の赴くまま検索しまくり、そこで出会ったのが「友情結婚」だった。2012年か、13年の頃だ。

「あっ、これ面白いなって思いました。その頃のサービスって、パーティーか、ミクシィのコミュニティで出会うか、ネットの出会い系の3つだけ」

はっきり思った。ここだよ!と。

「これで、結婚相談所をやれば、需要があるんじゃない? これだけ、結婚相談所がいっぱいあって、友情結婚だけがないなんて……。ミクシィの書き込みもたくさんあるし、パーティーでも東京で頻繁に開催していて、毎回数十人は集まっている。“友情結婚”っていう言葉が、そんなに広まっていないのに」

それにしても、当事者ではない女性が、「誰もやっていないから、じゃあ、自分でやろうかな」とスッと思うだろうか。中村さんは躊躇(ためら)わずに、「ここだ!」とアクセルを踏むのだ。

■カミングアウトが難しいからこそのシステム

同性愛者の存在を日常的に肌で感じていたアメリカ社会では、そもそも、「友情結婚」は存在しない。必要がないからだ。むしろ、カミングアウトが難しい社会だからこそ生み出された独特なシステムに、中村さんは惹きつけられた。

「やろうかなと思ったけど、私は当事者ではない。どうしようかと思い、友情結婚を実際にしている人を仲間に入れたいと思いました」

そこで、友情結婚をしていると発信している人たちにメールを送った。

「ノンケですが、友情結婚に興味があり、話がしたいです」

唯一、返してくれたのがゲイのケンさんだった。初対面と思えないほど、話が合った。それは、やりたいことが、一緒だったからだ。

ケンさんは友情結婚の当事者で、女性と結婚し一緒に暮らしていた。経験者だからこそ、友情結婚の大事さもわかるし、それゆえにきちんとしたシステムの必要性を痛感していた。「僕はやってみたいけど、当事者で、誰にも言ってないので、表立ってはできない」

「じゃあ、代わりに私がやります。アイデアをください」

ここが、「カラーズ」の始まりとなった。

■最低限のお金さえあればいい

「多分、ケンのような人は、いっぱいいたと思う。ただ、やる人がいなかった。私みたいな、変なノンケの人間が。ケンがいなかったらやらなかっただろうし、自分がいなかったら、形になっていなかったと思う」

追い求めていた、起業の目的は決まった。業種は、結婚相談所だ。

男女がビジネスウーマンに相談する
写真=iStock.com/Jirapong Manustrong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jirapong Manustrong

「立ち上げのためにケンといろいろ詰めて、社会起業大学でビジネスを学んで、結婚相談所のノウハウは『日本仲人連盟』に50万円を払って、登録して学びました」

起業に当たり、金銭面でどれほどの負担を覚悟したのか。資金繰りの心配はなかったのか。

「結婚相談所開設って、まず、お金がかからないんです。集客も、私が発信すればいい。だから、私の人件費、つまり、生きていくための最低限のお金さえあればよかった。ホームページもケンと一緒に作って、これが月に1000円ぐらい。社会起業大学の先生に、起業1年目なら経費の200万円は戻ってくるという経済産業省の補助金を教えてもらい、これを受けられたことも大きかった。経産省の補助金が下りたということは、“偽装結婚”だとは言われないから」

■性行為は難しいが子どもが欲しい

ビジネスパートナーのケンさんは、「収益が出るまで要らない」と無料のサポートに徹してくれた。自分の家族の力も当てにしなかった。

「父からの教えは『借金は、絶対にするな。出資もしない。親から金をもらうようなビジネスが成功するわけがない』でしたから。起業にあたっては不安というより、うまくいかなくても、すぐにクローズできるなという思いはありましたね。初めにお金をかけていないから」

1年目はもちろん、赤字。ただ、200万の補助金は大きかった。中村さんにとって忘れられないのは、最初の入会者とのやりとりだ。

「開業3カ月前から、オンラインで告知を始めました。友情結婚専門の相談所を開設すること、会費はゼロ、登録も無料。ただし身分証明書、年収証明書、独身証明書は提出してくださいって。でも内心、誰が申し込んでくれるんだろう、これだけの告知でって。本当に会員が集まるのかと、それが一番の不安でした」

2014年12月、初めての入会相談は、京王プラザホテルのラウンジで行った。

「30代後半のゲイの方でした。女性との性行為が難しく、でもパートナーと子どもが欲しいのと世間体から、という理由で。ネットで友情結婚を調べていたけど、自分で活動する勇気はなく、結婚相談所をするなら『ぜひ、乗っかりたい』と、すぐに入会してくれました。『応援しています』と」

中村さんはここで初めて、「あっ、できるかも」と確信を持った。

■成婚第1号カップルの誕生

その3カ月後の2015年3月、「カラーズ」は正式に旗揚げとなった。中村さんはこの時、29歳。「20代のうちに何とか起業したい」という念願を、ギリギリで叶えた。

2015年起業直後の中村光沙さん
本人提供
2015年起業直後の中村光沙さん - 本人提供

入会希望者も少しずつ増え、夏には男女合わせて50人の会員が集まった。

「最初は月会費をもらわず、お見合いが成立したら5000円をいただくという形でした。なので、1年目は売上が100万かそこら。まだ、形にもなっていないし、まずは入会数を確保することを最優先にしました。夏に会員が50人になり、この年の12月から月会費システムに。月5500円でしたが、それでも8割の方は残ってくださいました」

それにしてもまさか、月会費を取り始めた翌月に、成婚第1号カップルが誕生するとは! これこそ、誰もが思いもしない僥倖(ぎょうこう)となった。

40代同性愛者の男性と、同年代のノンセクシャルの女性が結婚、高学歴・高収入という“パワーカップル”の誕生となった。「成婚の報告は電話でいただいて、嬉しくて涙が出たことを覚えています」

成婚事例が、もうできるなんて……。正直、半信半疑のところが全くないとは言えなかった。しかしここに、日本初(あるいは世界初と言えるかもしれない)友情結婚オンリーの結婚相談所は名実ともに、確かな一歩を踏み出したのだ。

動物的直感なのか、持って生まれた感覚に迷いはなく、ここから中村さんは、起業家としてはもちろん、セクシャルマイノリティ男女それぞれの、一つとして同じには括(くく)れない心の底からの思いに、正面から向き合っていく人生を歩み始めることとなっていく。

(後編へつづく)

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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。

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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)

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