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ワイドショーの「専門家」を鵜呑みにしてはいけない…「20世紀の天才」が指摘した"戦争を煽っている犯人"

プレジデントオンライン / 2024年10月2日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/komta

なぜ人間は戦争へと駆り立てられるのか。作家の佐藤優さんは「大衆が戦争を煽るとよくいわれるが、実は違う。アインシュタインは『教養のない人』よりも『知識人』と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすい、と指摘している」という――。

※本稿は、佐藤優『佐藤優の特別講義 戦争と有事』(Gakken)の一部を再編集したものです。

■トランプを大統領に選んでしまう大衆

なぜ、人は戦争を行うのか。

なぜ、民族や宗教などを異にする人々に対して、暴力で蹂躙し、命まで奪うのか。

そうした根源的な問題を、最初に考察してみたいと思います。

スペインの思想家オルテガは古典的名著ともいえる『大衆の反逆』で、「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は『すべての人』と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである」と喝破(かっぱ)し、「自分の意思を持たない人々=大衆」を問題視しました。

自分の政治的意見がない大衆は、他人の意見や流行にすぐになびき、気分のよくなることを言ってくれる候補者を選挙で選んでしまいます。近年、トランプの登場以来、政治におけるポピュリズムの問題がマスコミでも大きく取り上げられていますが、この「大衆迎合による権力奪取」という構図はずっと以前から存在していました。

■真に問題なのは、いわゆる「知識人」

その最も有名な例が、ワイマール体制下のドイツにおけるヒトラーの登場です。大衆の望む“雇用の確保”と“強大なドイツ帝国の復活”を公約として、ヒトラーは大衆の支持を広めていき、選挙で勝利した後に独裁者となりました。

こうしたことが実際に起きてしまう要因には、たしかにオルテガがいう大衆の「責任感の欠如」もあることでしょう。しかし真に問題なのは、実は大衆よりも、知識人の無責任のほうなのです。

いわゆる知識人は、自分の専門分野以外のところに関与するとき、もうほとんどのケースがそうだといってもいいほど、大衆の発想で動いてしまいます。オルテガは、そうした専門外でも尊大にふるまう知識人に対して、こう述べています。

文明が彼を専門家に仕上げた時、彼を自己の限界内に閉じこもりそこで慢心する人間にしてしまったのである。しかしこの自己満足と自己愛の感情は、彼をして自分の専門以外の分野においても支配権をふるいたいという願望にかりたてることとなろう。

かくして、特別な資質をもった最高の実例――専門家――、したがって、大衆人とはまったく逆であるはずのこの実例においてすら、彼は生のあらゆる分野において、なんの資格ももたずに大衆人のごとくふるまうという結果になるのである。(『大衆の反逆』)

■紛争の根源を理解できていない人が多すぎる

実際、私はガザ紛争に関する日本の新聞記事を読んでいると不愉快になります。今回の問題の根源が、イスラエル国家とユダヤ人の生存権を担保することにある、という基本中の基本を理解できていない記者や言論人が多いからです。

「最後の植民地国家であるイスラエルは、存在する権利がない」と言わんばかりの、1960年代、70年代に新左翼の過激派が唱えていたのと同じような思考パターンの記者や有識者があまりにも多い。

こういった中途半端な知識人が大衆にたいへんな悪影響をおよぼすという点を、オルテガは強く糾弾しています。

そしてこの視点は、オルテガだけのものではありません。アインシュタインとフロイトが行った往復書簡にも、共通する多くの点を見ることができるのです。

■天才物理学者と精神分析医との往復書簡

アインシュタインとフロイトとの往復書簡(『ひとはなぜ戦争をするのか』)は、1932年に国際連盟の国際知的協力機関からの提案によって行われました。その提案とは、アインシュタインが世界中の人間のなかから好きな人間を選び、その人と、今の世界で最も重要であると思われる問題について意見交換をするというものでした。

アインシュタインが選んだ相手は、意外にも高名な精神分析医のフロイト。テーマは「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」でした。

アルバート・アインシュタイン(写真= United States Library of Congress/PD-US missing SDC copyright status/Wikimedia Commons)
アルバート・アインシュタイン(写真= United States Library of Congress/PD-US missing SDC copyright status/Wikimedia Commons)
ジークムント・フロイト(写真=Ludwig Grillich/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
ジークムント・フロイト(写真=Ludwig Grillich/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
 

このテーマを選んだ理由について、アインシュタインは、「技術が大きく進歩し、戦争は私たち文明人の運命を決する問題となりました。このことは、いまでは知らない人がいません」と述べ、さらに「私の見るところ、専門家として戦争の問題に関わっている人すら自分たちの力で問題を解決できず、助けを求めているようです」と語っています。

そして、戦争の問題は人間の感情や心理とも深く関わっており、議論の相手として心理学のエキスパートであるフロイトを選んだというわけです。

■争いの火種がくすぶり始めた時代

ここで、二人の書簡が書かれた1932年という年に注目してみましょう。

この年は世界全体を未曽有の悲劇に巻き込んだ第一次世界大戦の終結から10年以上が経っていましたが、悲劇の記憶はまだ世界の多くの人々の記憶のなかにありました。この年、日本では満州国が成立し、上海事変や5.15事件が起きています。

世界に目を向ければ、1929年に起きた世界大恐慌の傷跡がいたるところにまだ残り、民族主義的、ファシズム的な動きが世界中で見られていました。1年後には、ファシズムの力の勝利を象徴するナチス党のヒトラーがドイツの政権を奪取しています。

こうした歴史的流れによって、人々の戦争への不安は高まっていました。1932年は、第一次世界大戦のような悲劇が繰り返されないためにはどうすればいいのか、そのことが、世界の多くの人々によって真剣に議論された年でもあったのです。

■死の欲動が人間を戦争へと駆り立てる

アインシュタインの問いに対してフロイトは、人間には二つの欲動があると述べています。

一つはエロス的な「生の欲動」であり、もう一つは破壊し殺害しようとする「死の欲動」です。そして、フロイトはこの絶対的に対立しているように思われる二つの欲動は、相互補完的に機能する場合が多いと指摘します。

さらに、人間を戦争に駆り立てるものの根本には、この死の欲動がある点を強調し、「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうもない」と述べたのです。

この点をふまえて、フロイトは意見を展開していきます。

人間は、指導者と従属する者に分かれます。(……)圧倒的大多数は、指導者に従う側の人間です。彼らには、決定を下してくれる指導者が必要なのです。そうした指導者に彼らはほとんどの場合、全面的に従います。(『ひとはなぜ戦争をするのか』)

そして、戦争を防ぐためには何をする必要があるかを述べます。

優れた指導層をつくるための努力をこれまで以上に重ねていかねばならないのです。自分の力で考え、威嚇にもひるまず、真実を求めて格闘する人間、自立できない人間を導く人間、そうした人たちを教育するために、多大な努力を払わねばなりません。(前掲書)

フロイトは、この方法しか存在しないと断言しています。

■戦争を先導しているのはつねに知識人

大衆は戦争を煽るとよくいわれます。たしかに、ヒトラーやムッソリーニのファシスト政権を実現させたのは、大衆の責任といえます。しかし、大衆には自らが自発的に考え、行動していくというデカルト的な近代的エゴが希薄であるので、大衆自身が戦争を煽っているというのは正確な見方ではありません。

アインシュタインは往復書簡の中で、次のように述べています。

私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。

なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。(前掲書)

ここでは、戦争を煽っているのは知識人であり、知識人たちのほうがさまざまな扇動に最も踊らされやすいという点が、明確に示されています。

■なぜ専門家は専門外まで口を出すのか

こうした状況は1930年代だけの話ではありません。私たちの周りを見渡せば、いかに現在の状況と酷似しているかが理解できます。現在の社会の様相をつぶさに見てみると、知識人が社会的アイデンティティの分断を見つけ出し、それを商売にしているありさまがわかります。ジェンダー問題や、LGBTQ+の問題の中にも、そうした要素は存在しています。

そもそも一般大衆は、普通の人ではわからない専門性の高い個々のことを、学者や大学教授、あるいはワイドショーのコメンテーターの言説に頼る傾向があります。

大学の教授でも、自分の専門分野でないことにまで公的にコメントしている様子がたびたびテレビに映し出されます。

トーク番組
写真=iStock.com/vm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vm

たとえば、NATOの専門家がロシア・ウクライナ戦争のことについてコメントする。芸能人のスキャンダルについて感想を述べるのと同じレベルで、専門家でもない人間がウクライナについてコメントしている姿を、私たちは日常的に目にします。本来、地域分析は、その地域の言語(ここではロシア語とウクライナ語)を習得した人でないと正しい分析ができないはずなのに。

■“自称有識者”が大衆から奪っていくもの

ドイツの哲学者・ハーバーマスは自著の中で、「順応の気構え」という言葉を用いて、大衆が専門家の意見を鵜呑みにするメカニズムを解明しています。

内容的にはまだ明確にされていない決定権力に対する同調態度の動機は、この権力が正統的な行動規範に合致して行使されるであろうという期待である。順応の気構えの《究極の》動機は、疑わしい場合には自分が論議によって納得させられうるであろうという確信である。(『晩期資本主義における正統化の諸問題』)

現代社会は複雑になっているので、一つひとつの言葉を自分で調べて、論理を追っていけば全部理解はできる。しかし、異常な時間とエネルギーがかかるために、わからないことについては、誰かが説明してくれるのを期待し、それに従う。このようにして「順応の気構え」が出てくる――ということです。

佐藤優『佐藤優の特別講義 戦争と有事』(Gakken)
佐藤優『佐藤優の特別講義 戦争と有事』(Gakken)

この「順応の気構え」が、民主主義に反する要因になる危険性が大きいというのが、ハーバーマスの見方です。

これは、複雑な世の中の森羅万象を簡単に説明してくれるのが、まさに“自称有識者”によるワイドショー的なものだということを示唆しています。日本において、あるいは多くの国々でも同様に、ワイドショー的なものが、簡単にアクセスできる情報装置としての役割を果たしています。「順応の気構え」は、積極的に自分で物事を検証するという発想を、大衆から奪っているのです。

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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)

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