肺がん検診の「異常なし」を信じてはいけない…「もう手術はできない」と宣告され、7年闘病した40代男性の後悔
プレジデントオンライン / 2024年10月3日 18時15分
■胸部X線で肺がんは見つけられる?
働き盛りの世代にとって、自覚症状がないまま進行する「がん」は命を脅かす最大のリスクだ。国は早期発見で命を守るために、年1回の「がん検診」を受けることを勧めているが、そこには思わぬ落とし穴が存在する。
毎年、職場で行われている健康診断の胸部X線検査(通称:レントゲン検査)で「異常なし」という結果が出ると、「肺がんはなかった」と安堵していないだろうか? 実は、この検査で肺がんの見逃しが頻発しているのだ。
連載「信じてはいけないがん検診・がん検査」の第1回は、健康診断の胸部X線検査をめぐる知られざる実態と、肺がんを早期発見する最適な検査方法をお伝えしたい。
■ステージ1の肺がんのはずが、手術中止に
「病院で肺がんを告知された時は、愕然として頭の中が真っ白になりました。自分はどれだけ生きることができるのか、半年後はどうなっているのか……」
こう述べたのは、中堅の自動車部品メーカーに勤務する40代(当時)の男性。職場の健康診断で受けた胸部X線検査で、肺がんの疑いが指摘された。
精密検査の結果、早期の“ステージ1”と診断されて、外科手術に臨んだが、思わぬ展開が待っていた。
「がんを取りきってしまえば完治できる、と主治医から説明を受けて、安心して手術に臨みました。実際に胸を開いてみると、“胸膜播種(きょうまくはしゅ)”が見つかって、手術は中止になってしまったのです。
麻酔から目が覚めて時計を見ると、時間が全然経っていなかったので、手術はできなかったのだと分かりました。自分としては、完治できると信じていましたから、現実を突きつけられてショックでしたね」(40代男性)
“胸膜播種”とは、肺の表面を覆っている袋状の胸膜に、小さながんが転移して種を蒔いたように広がった状態を指す。事前の検査では分からないことがあり、手術の途中で胸膜播種が確認されると、その時点で中止となる。
男性は“ステージ4”の肺がんに変更されて、薬物療法が始まった。
■「検査を毎年受けていれば早期発見できると…」
その後、男性が肺がんと診断された前年の胸部X線画像にも、微かな影が写っていたことが判明する。
心臓と重なる位置に肺がんがあったことから、見逃されたのではないか? 勤務先の会社が、健康診断を行った医療機関に問い合わせをしたところ、「前年に肺がんを指摘することは困難」として、見逃しを否定した。
男性は仕事を続けながら、抗がん剤などに毎月約10万円の治療費を払い、闘病生活を送ることになる。
「もし、前年に肺がんの見逃しがなければ、転移(胸膜播種)する前に手術で完治できたかもしれません。悔やんでも悔やみきれませんが、医療に詳しいわけではないので、胸部X線検査で早期発見できると思っていました」(40代男性)
がんが発見されて7年間、男性は精一杯生き抜いて、最期は愛する家族に見守られながら自宅で息を引き取った。
■発見時期によって5年生存率は雲泥の差
全てのがんのうち、肺がんは最も死亡数が多く、年間で約7万6千人が命を落としている(がん情報サービス・最新がん統計)。このうち男性が約5万3千人と、女性の2倍以上を占めているのは、喫煙の影響と言われている。オプジーボなどの画期的な新薬が開発されているとはいえ、肺がんは依然として手強いことに変わりはない。
完治の目安とされる5年生存率(※)をみると、肺がんのステージ1は「85.6%」だが、ステージ4では「7.3%」になる。発見された時期(ステージ)で、肺がん患者の明暗は大きく分かれるのだ。
(※)がん患者が治療によって生存できる割合を算出した相対生存率を記載
「ステージ1:85.6%」「ステージ2:52.7%」「ステージ3:27.2%」「ステージ4:7.3%」
(全国がんセンター協議会から引用)
肺がんを完治させる第一選択は、外科手術だ。ステージ3の一部までが、外科手術の適応となる。(「肺癌診療ガイドライン(2023年版)」)
肺がんの外科手術といえば、肋骨を切断するなどして胸部を20センチほどに広げる「開胸手術」が一般的だったが、強い痛みが残るなど後遺症が避けられなかった。
現在では、患者の体力的な負担が少ない「胸腔鏡下手術=VATS(バッツ)」が主流となっている。VATSとは「Video Assisted Thoracic Surgery」の頭文字をとった略称だ。
■「胸の中に目がある」肺がん手術VATSとは
呼吸器外科医の河野匡氏(新東京病院・副院長)は、VATSの第一人者として知られ、約4000件の肺がん手術を行ってきた。
河野医師によるVATSの一部始終を取材したが、驚きの連続だった。
患者は40年の喫煙歴がある男性で、持病(肺気腫)の検査時に、偶然約2cmの肺がんが見つかったという。VATSは、胸部に約1cm程度の穴を3カ所開けてビデオカメラの内視鏡と手術器具を入れ、モニター画面を見ながら手術を行う。
手術を進める中で、河野医師が解説してくれた。
「この患者は肺と胸膜の癒着がひどいので、これを剝がす必要があります。VATSは『患者の胸の中に目がある』イメージです。モニターの映像を拡大することも可能なので、安全に癒着を剝がすことができます。肉眼で見る開胸手術よりこの点は有利です」
肺がんは、リンパ節を通って全身に転移するケースが多いので、河野医師は先にリンパ節を取り除いた。そして「がん」がある右肺の下葉部分を切除。それをビニールパックに入れて、小さな穴から体外に取り出した。切除した肺は手の平ほどもある。
■6時間後に食事を取れるほど患者の負担が少ない
手術は2時間40分で終了。出血もほとんどない。河野医師は切除した右肺の一部分を指差した。
「この少し盛り上がっている部分が“がん”です。癒着もあって難易度が高い手術でしたが、無事に終了しました。後で患者さんの病室に一緒に行きましょう」
患者の病室に同行すると、ちょうど夕食を取っていた。手術終了から6時間しか経過していない。回復の早さと、痛みなどの後遺症が少ないことが、VATSの特徴なのだ。
手術から6日後、患者は元気な足取りで退院していった。
多くの肺がん患者の命を救ってきた河野医師は、胸部X線検査に懐疑的だ。
「肺がんは転移しないうちに早期発見して手術することが、一番のポイントですが、胸部X線検査で早期の肺がんが見つかった、という人は非常に少ない。別の疾患などでCT検査を受け、偶然発見されるケースのほうが圧倒的に多いのです。
今日外来に来られた患者は、2月に受けた健康診断で『異常なし』とされ、9月に別の疾患でCTを撮ったら、肺に5cmのがんが見つかりました。これはX線検査の見逃しだったと思います」
■骨や臓器が“死角”となる「かくれんぼ肺がん」
なぜ、胸部X線検査で、肺がんの見逃しが頻繁に起きるのか?
原因は主に2つ。胸部X線に特有の“死角”と、画像から肺がんの疑い箇所を拾い上げる“読影”でのヒューマンエラーだ。まず、河野医師が“死角”について解説する。
「胸部X線検査は、正面から1方向で撮影するので、胸から背中までの骨や臓器が重なって写ります。肺と重なった肋骨、鎖骨、心臓、大動脈などが“死角”になり、そこにできた早期の小さな“がん”は、X線の画像に写らない。
写ったとしても見えにくいので、“読影”で見逃されてしまうのでしょう。よほど運が良くなければ、X線検査で早期の肺がんは見つからない、と私は思います」
画像3をご覧いただきたい。X線画像に骨や内臓は白い影として写るが、がんも同様に白く写る。肺と骨や内臓が重なって“死角”となる面積は、肺の3分の1以上。
すっぽりと“死角”に隠れてしまう早期の肺がんを、検診関係者は「かくれんぼ肺がん」と呼んでいる。
■医師が最短7秒で“読影”している実態
見逃しが起きるもう一つの原因が“読影”だ。職場などで撮影した大量の胸部X線の画像は、後日にまとめて医師が、病変を見つける“読影”を行う。
厚労省の研究班が行った調査によると、1時間あたりの読影枚数は、フィルムの場合は「300枚〜500枚」、デジタルでは「100枚〜200枚」と回答した検診団体が多かった。
1人分の読影にかける平均時間は、最大で36秒、最も短いと約7秒しかない計算だ。「熟練の医師なら短時間で病変を拾い上げることは可能」と言われているが、実際はこの“読影”での見逃しが頻繁に起きている。
東京都内の学校教師だった男性は、職場で行われた健康診断の胸部X線検査で、約7cmの肺がんが見つかった。健康診断は毎年受けていたと男性から聞いた主治医は、過去のX線画像を取り寄せた。
「驚きました。思わずこれは今年の間違いじゃないの? と言いましたよ。だって約6cmのがんが、はっきりと写っていたからです。これを見逃した医師には責任があると思いますね」(男性の主治医)
さらに2年前のX線画像にも、がんの影があった。肺がん検診では、見逃しなどのヒューマンエラー対策として、2人の医師が別々に読影を行う、ダブルチェックが必要とされている。だが、この医療機関ではダブルチェックをしていなかった。
■胸部X線検査はもともと結核を想定していた
年1回、職場で行われる健康診断は、労働安全衛生法によって事業者に実施が義務づけられている。11項目の健診が定められており、胸部X線検査もその一つだが、これは肺がん検診ではなく、結核を想定して導入されたものだ。
結核は肺の組織などを破壊、呼吸困難や臓器不全を起こして、死に至ることもある。明治時代から昭和時代にかけて大流行し、1950年には12万人超が死亡するなど、日本人の死因1位だった。
結核の感染拡大を防ぐため、健康診断に導入された胸部X線検査が、なぜ実質的な肺がん検診となっているのか。肺がんの研究者である、長尾啓一氏(千葉大学名誉教授)は、経緯を次のように証言する。
「ストレプトマイシン(抗生物質)などの特効薬が登場して、結核の死亡数は激減しました。一方で急増していたのが、肺がんです。胸部X線検査で肺がんも見つかる事が分かっていましたので、健康診断でも肺がんの発見に重点を置くようになりました」
つまり、健康診断の胸部X線検査は、結核などの病変と合わせて、肺がんの有無を確認しているに過ぎない。厳密に肺がん検診と言えるのか、曖昧にされた状態で長年にわたって続けられているのだ。そのため、国や学会が定めたガイドラインに従っていない検査も少なくない。
■「異常なし」という結果でも安心できない
国立がん研究センターがん対策研究所・検診研究部の中山富雄部長はこう述べる。
「職場のがん検診には法的な根拠がなく、福利厚生の一環として実施されています。健康診断で、胸部X線検査の結果が『異常なし』という通知だとしても、肺がんの心配はない、と解釈するのは危険です。読影のダブルチェックなど、正しい手順で検査が行われていない可能性がありますし、専門性のない医師が読影をしている可能性もあります」
職場の健康診断で肺がんを見逃された人が、裁判に訴えたケースは少なくないが、医療機関側に与した判決が出る傾向もある。
2年連続して健康診断で肺がんを見逃され、その後に死亡した男性医師がいた。遺族が男性医師の勤務先だった国立病院を相手に提訴したが、裁判所は訴えを退けている。
■裁判所「集団検診には限界がある」
判決文には、集団で行う健康診断やがん検診で、見逃しがあっても仕方がない、と受け取れる内容が記されていた。
「短時間で大量の読影を行う集団検診には限界がある」「人間ドックを受検する選択肢もあった」「定期健康診断の読影にダブルチェックの義務を課するのは困難」(判決文から抜粋・要約)
肺がんを見逃された人が勝訴した判決もあるが、「集団検診には限界がある」と裁判所に一蹴される場合もあることは覚えておきたい。
つまり、集団検診は「命の保証」をしてくれるわけではないのだ。
■肺がんを早期発見できる「低線量CT検査」
現時点で、肺がんを早期に発見する最適な方法は、CT検査の一択といえるだろう。
CTとはComputed Tomography(コンピュータ断層撮影)の略称で、人の体を「らせん状」に輪切りしたX線の画像をコンピュータで再構成したものだ。前出の長尾医師は、長年にわたって肺がん検診にCTの導入を提案してきた。
「CTのメリットは、胴体を輪切り状に撮影するので、“死角”がないことです。だから早期の小さな肺がんも発見できます。アメリカでは喫煙者を対象にしたCT検査で、死亡率が20%減少したという研究が公表されて、公的ながん検診にCTが導入されました。デメリットは、X線の被曝量が多いことです」
胸部X線検査の被曝量「0.06mSv(ミリシーベルト)」に対して、一般的な診察で使用するCTの被曝量は「5〜30mSv」と桁違いに多い。毎年の検診で大量に被曝してしまうと、発がんリスクが高くなるという研究もある。
そこでX線の被曝量を「約1mSv」に下げた低線量CT検査が、一部の肺がん検診で使われるようになった。解像度は放射線量に比例するため、画像は粗くなるが、約1cmのがんを見つけることは十分可能だという。低線量CTの肺がんの発見率は、胸部X線検査の4倍という研究もある。
費用はX線検査が2千円前後、低線量CT検査は約1万円前後。約5倍の差がある。
低線量CT検査が、胸部X線検査よりも早期発見に有利であることは、がん治療に関わる臨床医らが20年以上前から指摘していた。
日本は、世界で最もCT装置が多い国と言われている。したがって、X線検査から低線量CT検査に切り替えることは、十分に可能なはずだ。
しかし、国の肺がん検診で推奨されているのは、胸部X線検査のみ。低線量CT検査は「死亡率減少効果を示す証拠が不十分のため、対策型検診として実施することは勧められない」としている。
■胸部X線検査が続けられている複雑な事情
画像に死角があり、見逃しが頻発している胸部X線検査から、低線量CT検査に肺がん検診を切り替えた方が、早期発見が増えて、多くの命が救えるのではないか?
こんな疑問を抱くのは、当然だろう。だが、国立がん研究センターの中山氏(検診研究部長)は、慎重な姿勢をみせる。
「低線量CT検査を使えば、早期の小さな肺がんを発見できることは間違いがありません。ただし、進行しない死に至らない肺がんを見つけて、必要のない治療がされてしまう『過剰診断』の可能性があります。早期の肺がんが見つかることが、必ずしもハッピーではない、という事はあまり知られていません。
ですので、がん検診として実施するには、無作為化比較試験(略称:RCT)で『死亡率減少効果』が証明される必要があるのです。日本でも、非喫煙者を対象に低線量CT検査の導入が検討されていますが、時間がかかるでしょう」
■「正しくない安心感」が早期発見を遠ざける
呼吸器内科医だった中山氏は、現在進行中の低線量CT検査による、肺がん検診の無作為化比較試験で中心メンバーの1人。だが、死亡率減少効果を立証するまでには、これから10年ほどの時間がかかるという。
一方、肺がん患者の現実に向き合ってきた、呼吸器外科医の河野氏は、早急に低線量CT検査を肺がん検診に導入すべきだと提言する。
「毎年、胸部X線検査を受けていたのに、進行した状態で肺がんが見つかるケースが後を絶たちません。今の胸部X線検査は、正しくない安心感を与えています。本気で早期発見する気なら、今すぐにでも肺がん検診は低線量CT検査に切り替えるべきでしょう。
少なくとも、喫煙歴のある人や受動喫煙の経験がある人は、自分の判断で低線量CT検査を受けないと、命を守れない。
呼吸器の専門医であれば、進行しない肺がんは識別できます。必要のない治療が行われるという過剰診断は、杞憂ではないでしょうか」
これからも職場の胸部X線検査を受けるのか? それとも、自分の判断で低線量CT検査を選択するのか?
医療は必ず、ベネフィット(利益)とリスクが表裏一体となっている。肺がんから命を守るために、後悔のない判断をしてもらいたい。
(第2回へ続く)
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ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家
1966年生まれ。フジテレビの報道番組ディレクターとして「血液製剤のC型肝炎ウイルス混入」スクープで新聞協会賞、米・ピーボディ賞。著書に『やってはいけない がん治療』(世界文化社)、『バリウム検査は危ない』(小学館)、『やってはいけない歯科治療』(小学館)など。
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(ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家 岩澤 倫彦)
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