「置かれた場所で咲けなくても、根っ子1本だけでも伸ばそう」父を突然亡くした女性の看護師道
プレジデントオンライン / 2024年10月3日 15時15分
※本稿は、千船病院広報誌『虹くじら 04号』の一部を再編集したものです。
■看護の仕事は五感を使い、患者さんの状態を知ること
【藤原恵子(社会医療法人愛仁会 千船病院 看護部長)】前号のこの連載(吉井勝彦病院長との対談)で、大﨑さんの奥さまが入院されているときの話が私にとってずっと頭から離れないんです。
【大﨑洋(実業家、吉本興業前会長)】(少し首を傾げて)医師の先生、看護師さんたちが病室に来られたときのことですか? 先生たちは(ベッドから離れたところで)1分ぐらい立って見ているだけなんです。
身内の感覚からすれば、どうせ短い時間しかいられないんだから、ベッドのところまで行き、手でもさすってあげればええのに、と思いました。
【藤原】看護の仕事の基本は五感を使い、患者さんの状態を知ることなんです。どんな風に辛いのか、苦しいのか、まず目で見て観察する。匂いでわかること、触れてみてわかること、そしてお話できない方には心の声を聴こうとする。だから、手でもさすってあげればいいのにって大﨑さんが思われたことが、同じ看護師として申し訳ないというか……。
【大﨑】みなさん忙しいのは分かるんです。患者の家族にしてみたら、(医師の)先生が来てくれるだけで安心感がある。ただ、もう少しできないのかなって。
【藤原】新型コロナウイルス感染症の頃は、素手で患者さんを触ることができなかったんです。手袋をはめていると、感覚がどうしても鈍ってしまう。
患者さんの皮膚がカサカサしているなとか、脈が弱いなとか、分かりにくい。その感覚をより研ぎ澄ませなければならないって思ったんです。
■医学の知識はあっても、人生経験はない若い医師
【大﨑】先生についている若い医師にしても医学の知識はあるはず。でも、人生経験はない。だから、30秒だけ手を握ろうという感覚が分からないんじゃないかって思うときがあるんです。
ぼくは今、71歳です。このぼくみたいなおじいさんが、どんなふうな仕事をして何を考えて生きてきたのか、家族が何人いて、何が楽しみなのか。患者を一人の人間として全人的にどうアプローチするのか、分からない。
【藤原】医師だけでなく看護師にも同じことが当てはまるかもしれません。看護は、身体だけでなく、社会的、心理的、さらに踏み込めば霊的な側面からまさに全人的に患者さんを見なさいって習うんです。しかし、若い看護師が人生経験を積んでいる患者さんの生活を想像することは難しい。
【大﨑】ぼくは近畿大学の客員教授として年に何回か講義をしていますが、1回目は医学部の学生さんが対象なんです。そこでは、皆さんが先生になるとき、患者さんはぼくみたいな老人が過半数となるかもしれない。
年寄りとのコミュニケーションをとるときに、必要なのはその人が歩んできた人生、家族に興味を持つことですよっていう話を90分するんです。
【藤原】(深く頷いて)興味を持つということは大切です。近代看護学教育の母と称される(フローレンス・)ナイチンゲールは〈三つの関心〉という言葉を使っています。
一つ目は医学的な知見に対する関心、二つ目は(看護の)技術に対する関心です。三つ目は患者さんの苦しみ、辛さを知ろうという関心。大﨑さんがおっしゃっていることと重なりますね。
■自分の居場所はどこにあるのか、悩むことも多かった
【大﨑】藤原さんって、どうして看護師になろうと思われたんですか?
【藤原】私が小学校3年生のときに、ウイルス性の疾患で父親を亡くしているんです。前日の夜まで普通に会話していた父が、翌朝、病院に行ってからそのまま帰ってこなかった。
【大﨑】そんな突然だったんですか?
【藤原】亡くなったのは隔離病棟に入院してから数日後でした。私たち家族は、父がどんな風に最期を迎えたのか知ることができず腑に落ちなかった。
こんなことでいいのだろうかと思ったことが、医療の世界に進むきっかけになりました。とはいえ、そのときはどのような仕事があるのかも分かっていなかったんですが。
【大﨑】藤原さんが通われた府立花園高校は勉強のできる学校ですよね? そこから国立大阪病院附属看護学校に進まれた。
【藤原】母子家庭だったので大学に行ける余裕はなかったんです。母親からは「手に職をつけなさい」ということは言われていました。
【大﨑】経歴見ると、卒業後は、国立大阪病院、現在の国立病院機構大阪医療センターの救命救急センター、国立循環器病センターなど様々な病院で勤務されていますね。
【藤原】国立病院機構は転勤がありましたので、豊中市の刀根山病院(国立病院機構大阪刀根山医療センター)、京都医療センター、福井県のあわら病院、姫路医療センターなどで勤務してきました。
【大﨑】大阪、京都、福井、兵庫とかなり広い範囲ですね。
【藤原】病院を代わるたびに、私はここで一体何をすればいいのかって、悩んだことも多いです。大﨑さんの著作のタイトル『居場所。』ではないですが、自分の居場所はどこにあるのかと。
【大﨑】読んでいただいたんですね。ありがとうございます(笑い)。
■母のお腹を開けたら、何も入っていなかった瞬間
【藤原】どの病院に行っても置かれた場所で咲くというのが一番。でもどの場所でも大きな花を咲かせるのは実際には難しい。『居場所。』を読みながら、私は花を咲かせることはできなくても、根っこ1本だけでも地面の中で伸ばそうと思っていたことを思い出しました。
『居場所。』の文章で、がんを長年患っておられたお母様のお腹を開けたら、何も入っていなかったという一節が印象に残っています。私も婦人科病棟で看護師をしていた時期があり、同じような患者さんを看たことがありましたので号泣してしまいました。
【大﨑】(首を振りながら)本当に内臓も何もなかったんです。コバルト光線かなんかあてたせいで、内臓が溶けているので、縫おうとしても糸が抜けると言われました。
1日に何回も消毒しないといけないというので姉は手伝っていたんですけれど、男は情けないですね、見るのも怖いし、何もできない。病院の外に出て煙草を吸っていました。
【藤原】本当はお母様の側にいたいけれど、逃げるしかなかった。その辛い気持ちもなんとなく分かります。ところで、あのとき大﨑さんの勤務先は東京ですよね? 関西の病院まで通っておられたんですか。
■朝一の新幹線で東京に戻り仕事をした2年間
【大﨑】母親が死にかけているのに仕事してええのかなと思っていました。とはいっても仕事を辞めたら病院代払われへん。そこで編み出したのは、仕事が終わって(東京発)最終の新幹線に飛び乗って、新大阪まで行く。
夜中の12時ぐらいに病院に着いて、朝まで喋ったり、手を握ったりして、朝一番か二番の新幹線で東京に戻って、何食わぬ顔で仕事していました(笑い)。2年ぐらいそんな生活しましたかね。
【藤原】2年もですか? 身体がよく持ちましたね……。
【大﨑】あのとき、ぼくは週刊誌に、あることないこと書かれました。まだ若かったんで、一つひとつ内容証明を出して、対応していました。母親の病院に通いながら、週の3、4日は弁護士事務所に行っていたかもしれない。
あるとき女性の弁護士の方が担当になったんです。お袋の看病で大変ですってこぼしたら、彼女はこう言ったんです。「看護できるのも幸せですよ」って。それもそうやなと思った(笑い)。
■大切なのは愛情を持つこと、そのためにまず関心を持って欲しい
【藤原】大﨑さんのお話を伺って浮かんでくるのは“愛”という言葉なんです。
【大﨑】愛ですか……。少し話は変わりますけど、吉本興業の闇みたいな本が出たことがあるんです。読みたくないんですけれど、自分が出てくるから一応目を通しますよね。面白くないんです。自分を批判されているから、というのではなく、言葉が頭に入ってこない。
なんでかなと考えたとき、そこに愛情がないからだと気がついた。ジャーナリズムにおいて批判的精神が必要だというのは分かっています。ただ、対象への愛情というか思いやりがなければ、単なる悪口になる。本の値打ちを下げることになるじゃないかと思うんです。
【藤原】批判するにしても最低限の敬意があって欲しいですね。
【大﨑】それから、だいぶ経ってから書いた人と会食で一緒になったんです。叩くにしても愛情がベースにないといい本にならないじゃないですかって言ったら、場がシーンとなってしまった(笑い)。愛情というのはキーワードかもしれません。
医師、看護師さんは一人ひとりの患者さんに愛情、藤原さんがおっしゃったナイチンゲールの関心を持って欲しい。とはいえ、毎日忙しいし、やること一杯あるから、分かっていても難しいのかなぁ(苦笑い)。
【藤原】確かに現場の看護師は日々の業務に追われています。千船病院の看護部長になって、看護師さんと話していると、ふと立ち止まったときに考えるのは患者さんのことだと言うんです。
患者さんやご家族に対して、あのときもっとできたんじゃないか、別のいい関わり方があったんではないかと振り返ると。ああ、みんな素敵な看護師さんだなと思うんです。千船病院の看護師さんは、そういう思いを持っている人が多い気がします。
【大﨑】お袋、嫁が患ったとき、看護師さんには本当に良くしてもらった。今日、藤原さんの話を伺って、やはり看護師さんは天使さんやなと思いました。藤原さん、これからも優しい看護師さんを育ててください!
【藤原】ありがとうございます!
大阪府東大阪市出身。国立大阪病院附属看護学校を卒業後、1983年4月国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)救命救急センターにて看護師人生をスタートする。その後39年間にわたり、看護師として日本各地の病院で医療の現場に立ち続ける。看護部長などの役職を歴任し、2022年3月に国立病院機構での勤務を終え定年退職。2022年4月千船病院の看護部長として採用され、現在3年目を迎えている。
新たな命の誕生から最期の瞬間まで、共に支えることを使命とし、かけがえのない命と向き合い、真摯に誠実に対応することを大切にしている。
大﨑 洋(おおさき・ひろし)
1978年、吉本興業株式会社に入社。多くのタレントのマネージャーを担当し、音楽・出版事業、スポーツマネジメント事業、デジタルコンテンツ事業、映画事業などの新規事業を立ち上げる。2009年に代表取締役社長、2019年には代表取締役会長に就任。2023年6月代表取締役会長を退任。2023年3月全広連日本宣伝賞・正力賞受賞。2023年5月大阪・関西万博催事検討会議共同座長に就任。また、公益社団法人「2025年日本国際博覧会協会」シニアアドバイザーも務める。著書に『居場所。』(サンマーク出版)などがある。
現在、一般社団法人mother ha.haを設立し代表理事に就任。
(虹くじら編集部)
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