「私の人生これだけじゃつまらない」死刑囚の弟を支える91歳の袴田秀子さんが不動産経営を始めた理由
プレジデントオンライン / 2024年9月30日 19時15分
■確定死刑囚になった袴田巖さんがついに無罪
1966年6月に静岡県清水市の一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田(はかまだ)巖(いわお)さん(88歳)のいわゆる「袴田事件」に対する再審判決が9月26日に静岡地裁で言い渡された。
明日突然、死刑が執行されるかもしれない――そんな恐怖の日々を重ねてきた袴田巖さんを22年にわたって取材、計400時間もの記録映像をもとにしたドキュメンタリー映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』が10月19日に公開される。
本作の監督で、ドキュメンタリー監督・ジャーナリストの笠井千晶さんは、2002年、テレビ局の報道部にいたときから袴田巖さんの取材を始め、2014年には袴田巖さんの「釈放」の瞬間の表情を至近距離からとらえ、釈放後にはフリーランスとして袴田さん姉弟を取材し続けてきた人。
22年間も同じ対象を追い続け、たった1人で取材・撮影・編集全てを行ってきた笠井監督を突き動かしたものは何だったのか。
■姉・秀子さんと静岡のテレビ局に勤めていた笠井監督の出会い
笠井千晶監督が袴田巖さんの取材を始めたのは、静岡放送の報道記者2年目のとき。それから現在までに袴田さんの事件に関するテレビ番組を4本制作してきたというが、東京拘置所に収監されていた巖さんを支える姉・秀子(ひでこ)さんに出会ったことがきっかけだった。
「最初は報道記者としてご挨拶したのですが、その1カ月後くらいに、たまたま浜松支局に異動になり、それを浜松市で暮らす秀子さんにお伝えしたら、数日後に『私が持っているお部屋に入らない?』と電話でお誘いいただいて」
秀子さんと笠井監督は、取材対象者と報道記者というだけでなく、「家主と店子」の関係となる。家賃を支払いに行ったり、笠井監督の母親がお歳暮を持参したり、秀子さんが笠井監督の実家に遊びに来たりと、仕事とプライベートの両面から交流がスタートした。
映画では、巖さんが釈放された瞬間の表情や、釈放後最初の夜に姉弟が枕を並べる様子、拘禁反応の続く巖さんとそれを見守る秀子さんの姿などをありのままに映し出す。なぜここまで秀子さんからの信頼を得たのか。
実は、冤罪の可能性が出て以降、再審判決が言い渡された今でこそ多数のメディアが取材しているものの、2014年の釈放前は袴田事件を取材しているメディアはほとんどなく、「完全に忘れ去られた事件」だったと言う。そんな中、弁護士や支援者以外でたびたび訪れる人が珍しかったこと、笠井監督が女性だったこともあり、仲良くなっていったそうだ。
■22年にわたりカメラを回し続け、2014年釈放の瞬間も記録
そもそも笠井監督が秀子さんに初めて連絡をとったのは、袴田事件を知った時に、巖さんが独房で母親など家族に宛てて書いた手紙の存在を知ったのがきっかけ。その実物を見せてほしいと連絡し、実物を実際に見て、触れて、読むうち、大きな衝動に駆られる。それは無罪かどうか以前の、もっと根源的な人間への興味からだった。
「隔離された独房の中で、誰の目にも触れず、声も聞かれず、明日死刑が執行されるかもしれない、そのために生かされている人が、今この瞬間もひっそりと息をしていると考えたら、何かせずにはいられない思いになりました。その人がどんな気持ちでずっと過ごしているのか、人間が生きるということがこんなことで良いのか、人間の有り様に対する哲学的な興味が湧いてきて、知りたい気持ちが大きく、動かずにはいられなかったんです」
巖さんは当時すでに拘禁反応(精神状態の悪化)が酷いことから、家族すら会えず、姉の秀子さんも3~4年に1度、しかも10分程度、国会議員への働きかけなどからようやく会える状態が続いていた。死刑囚の情報は厳しく制限されているため、獄中からの手紙を読み進め、その中に出てくる名前の人を探し、取材し、証言を集めてたどる番組「宣告の果て~確定死刑囚・袴田巖の38年〜」(2004年静岡放送)を制作。これが日本民間放送連盟賞報道番組部門最優秀賞を受賞する。しかし、それでも笠井監督の興味は尽きず、秀子さんのもとに通い、カメラを回し続けるうち、2014年に東京拘置所に入っていた巖さんが釈放されることに。
■「生きては会えないかと思った巖さんが目の前に現れた」
「会いたくて会いたくて、ずっと考え続けてきた人が釈放され、目の前にいるとなって、そこからできる限り足を運んで、記録し続けようと思いました。もちろん無罪であってほしい、疑いを晴らしたいとは願い続けていましたが、私の取材のモチベーションはそれとは違う。無罪が認められなかったとしても、たとえ万が一、獄中で亡くなってしまい、ご遺体などの形で初めて面会する日が来たとしても、お会いできるまで注目し続けようと決めて取材していたので、一転、無罪の流れになったのは思ってもみないことでした。私が取材を続けたのは、秀子さんが弟さんを誰が何と言っても信じ抜く気持ちに打たれたことが大きいと思います」
この映画のもう一人の主役と言えるのが、巖さんを信じ続け、支え続けた姉の秀子さん、91歳だ。
袴田家の6人きょうだいの5番目が秀子さん、巖さんは末っ子。当初は母親が巖さんを支えており、そんな母親に巖さんは手紙を獄中から書き、母親のために自分の冤罪を晴らして戻るという目標を掲げていた。
■秀子さんは経理のスキルを身につけ、住み込みで働いた
しかし、もともと健康だった母親が体を壊し、静岡地裁で最初の死刑判決が出てすぐに、巖さんの身を案じつつ亡くなってしまう。そこから長男が中心となり、きょうだい一丸となって支援をしていたが、病気や加齢で徐々に秀子さん中心にシフト。特に秀子さんと巖さんは末っ子とすぐ上の姉でずっと一緒にいたこと、母親の悲しみや無念の最期を間近で秀子さんが看取ったこともあり、母親の思いに報いる意味で受け継いでいく。
確定死刑囚の弟を長年支えるのは並大抵のことではない。お金の問題もある。
そんな中、秀子さんは経理のスキルを身につけ、自身は会社に住み込みで働き、質素に慎ましく暮らして家賃や生活費を最小限に抑えながら、切り詰めたお金を東京に行く旅費や、毎月必ず面会に行くと決めて巖さんへの差し入れのお金(1万円~2万円)にあててきたそうだ。
■釈放後の巖さん「私が全知全能の神、唯一絶対の神だ」
さらに、巖さんが釈放された後も平穏な日々が訪れたわけではない。
巖さんは家の中を1日13時間も歩き続けたり、ティッシュを畳む作業を延々繰り返したり、「神」を名乗り、街をパトロールするようになり、階段から転がり落ちてケガをしても、外に出て行ったりする様が映画では映し出される。
「袴田巖はもういない。私が全知全能の神、唯一絶対の神だ」
「死刑制度も監獄も廃止された。袴田事件なんか最初から、ないんだ」
そうつぶやく巖さん。「死刑」の恐怖を長年にわたって背負い続けた重みに衝撃を受ける一方、驚かされるのは、そんな巖さんに何も聞かず、言わず、行動を抑制せず、巖さんの意思を尊重し続ける秀子さんの強さだ。
■秀子さんは巖さんの現状も受け入れ、達観したように見えるが…
しかし、最初から超越していた、達観していたわけではないと笠井監督は言う。
「秀子さんは強い人ですが、しんどかった時期はあったのだと思います。これは秀子さんからお聞きした話ですが、食生活などのせいで体がおかしくなった時期もありました。普通ではないストレスを抱え続けていますから、心身ともに傷つき続け、それを自分で飲み込んで、弱音を吐ける先もなかった、と。
また、支援の輪が広がっていない頃は、夜も眠れず、お酒に頼ってしまった時期があったそうで。眠れないから飲んでは寝て、それが毎日になった頃、お肌もボロボロで荒壁みたいになったとおっしゃっていました。そんなとき、支援者の方が現れ始めて、自分が酔っ払って電話に出てしまったことを猛省し、以降一切お酒を断ったことがあったと、話してくれました」
■「もしダメだったらどうしよう」と考えても意味のない心配はしない
笠井監督自身、フリーランスになってからはゴールも定めず、全て持ち出しで、作品が発表できるかわからない状態のまま取材を続けてきた。そんな笠井監督に「働く女性の草分け」的立場から秀子さんは共感してくれたり、大変なときには励まし、背中を押してくれたりすることもあった。
監督が秀子さんにエンパワーメントされたのは、言葉ばかりではない。「もしダメだったらどうしよう」など、考えても仕方のない心配はしない秀子さんの姿勢は、笠井監督の心の持ち方の指針となり、心が揺らぎそうな場合も「秀子さんを思えば、まだまだできると思えた」と言う。
映画では終始強く明るい秀子さんだが、巖さんのされた仕打ちを思えば、警察や検察などへの恨みや怒りを抱くのが自然だろう。しかし、秀子さんは恨み言などを一切口にしないのだと言う。
■「秀子さんはこんな目にあっても、恨みつらみを言わない」
「私が秀子さんを尊敬している理由の1つが、恨みつらみを言葉にすることがないところ。警察、検察、裁判所に対しては『役所はそういうもの、仕事でやっていることだから』とおっしゃるんです。ご自身がかつては税務署に勤めていたこともあって、公的な組織の論理を体感としてわかっているから、そこに恨みつらみをぶつけることにあまり意味がないと思っているのでは……。
そんなことより、日々を穏やかに暮らすとか、巖さんが自由にやりたいようにやれるために自分自身のエネルギーを注いでいる。もっと高い次元で、現実をありのまま冷静に受け止めて自分に何ができるかを見定めている方なんです」
笠井監督がまだ出会ったばかりの頃、「今の自分は最初からじゃない。この何十年という闘いの日々が私をそうさせた」と言った秀子さん。その年月の重みをこう推察する。
「巖さんが47年7カ月獄中に囚われていたのと同じく、塀の外にいた秀子さんも47年7カ月巖さんと同じ時間を共有されていたと思うんです。秀子さんの場合は外で、巖さんにはない苦労もされているんですよね。世間からの強い風当たりや、メディアに書きたい放題書かれること、何より権力から弟を処刑されるという恐怖の状態に置かれ続ける苦労をされてきて。その中でいかに生き抜いて、かつ巖さんを守れるかをずっと考え続けられたこと、身を守る術を身につけていったことが、今の達観した秀子さんを形成していったのかなと思います」
■映画には入れられなかった秀子さんの「50年目のメディア批判」
映画の主役は巖さんであることから、膨大にある取材映像の中で秀子さんの動画はあえて大幅にカットしている。しかし、その中でも笠井監督の印象に強く残っていることが、ふたつある。
ひとつは、巖さんが逮捕されてから50年の節目に行われた記者会見の映像だ。
「巖さんが釈放されるまでは、秀子さんはメディアに言いたいことをほとんど言わなかったんです。それが、釈放されてしばらく経った記者会見では、記者クラブで15人ぐらいの記者を前に、『あなた方にあれだけ書かれたことで家族がどうなったか』と初めて強い口調で堂々と言った。それまでどれだけ言いたくても言えなかったことなのだろうと思いました」
もうひとつは、メディアや世間が大きく誤解していること。それは「姉の秀子さんは弟・巖さんのために自分の人生を全て捧げてきた」という解釈だ。
■秀子さんは弟のため自分の人生を犠牲にしたわけではない
「秀子さんの世代の女性は、生活するために結婚するのが当たり前だったそうですが、秀子さんはそれが絶対に嫌だからと、経理のスキルを身につけ、手に職を持って自分の足で立って暮らしてきました。20代で一度の離婚を経て以降、結婚しなかったのも、自立した生活をしていたから必要に迫られなかったこともありますし、巖さんのために人生を犠牲にしたわけじゃありません。
それに、『私の人生、これだけじゃつまらない』と言って、60歳を機に銀行からお金を借りてローンを組み、マンションを建て、不動産経営もしています。今ではそのマンションの一室で巖さんと暮らしているわけですが、弟を自分の元に取り戻し、一緒に住めるようになったこと自体が夢のような話です。巖さんのことだけじゃない、自分の人生の中に夢を持ちたい、これをやったと思えるものを持ちたいという強い気持ちがあるんです」
87歳という女性の平均寿命を超え、91歳の今も“かくしゃく”とした姿を見せる秀子さん。巖さんの再審無罪判決で、ついにその闘いに終止符が打たれた。あまりにも長い半世紀以上の年月を奪われつつも、権力に屈せず、結果的に無念を晴らした今、巖さん、そして秀子さんは何を思うのか。笠井監督の取材はこれからも続いていく。
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ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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(ライター 田幸 和歌子 取材・文=田幸和歌子)
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