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なぜ「おねだり知事」は自分が正しいと思えるのか…斎藤元彦氏がインタビューで乱発している"無責任な口癖"

プレジデントオンライン / 2024年9月30日 17時15分

インタビューに答える斎藤元彦氏=2024年9月29日午前、神戸市中央区 - 写真=時事通信フォト

9月30日、県議会での不信任決議案を受けた兵庫県知事の斎藤元彦氏が失職した。ノンフィクションライターの石戸諭さんは「斎藤氏の問題は、公益通報に対して調査結果が出る前から『うそ八百』だと断定し、“犯人捜し”を行った点にある。メディアの追及に対しても『だが』『しかし』という言葉を使い、責任から逃れ続けていた」という――。

■「職を辞すべきほどのことか」という本音

「だが」「しかし」のあとにこそ、取材対象の赤裸々な本音が宿る。特に自身の不祥事については――。

私もニュースの現場で様々な不祥事対応を取材してきたが、失職から知事選再出馬を決めた兵庫県の斎藤元彦知事もまたこの事例に当てはまる。私もスタジオにいたタイミングで、朝日放送の夕方のニュース番組「newsおかえり」に斎藤知事が出演し、横山太一アナウンサーとのインタビューにも応じていたのだが、ここでも目立ったのは逆接だった。

斎藤氏が繰り返していたことを一言でまとめれば「自分にも至らない点があったことは認める。だが、法的な責任が問われるようなことはしていない。したがって職を続けたい」ということに尽きる。9月26日午後3時から始まった記者会見でも、一応の反省を見せた後に、「職を辞すべきほどのことか」という発言に本音が見て取れる。

斎藤知事の問題はある意味ではわかりやすいので、とかく「おねだり」や「パワハラ」事案にスライドしてメディア上で湧き上がって終わってしまう。あんなおねだりがあった可能性が、こんなパワハラがあったという証言が……と問題を広げていった結果、何が大切な問題なのかがわからないままメディア上で盛り上がっていく。大切なのは、重要な問題とはなにかを問うことだ。

■公益通報を「うそ八百」だと断定

重要な問題は2点だ。第一に元西播磨県民局長(7月に死去)が出した文書の扱い方、そして「感情」への向き合い方だ。

ことの発端は元局長が斎藤氏や側近について、7つの疑惑を指摘した文書を県議やマスコミに配布したことだった。ところが、知事側は告発の疑惑に関する調査も済んでいない段階から、文書の内容を「うそ八百」だと断定して、匿名の文書を作った人物を特定し、処分に向けて動き始めた。これは露骨な内部通報者潰しだ。

書類とペン
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

冒頭の番組で横山アナも鋭くなぜ第三者による調査結果や百条委員会で結論が出るまで元局長への処分を待てなかったのか、なぜ処分を急がなければいけなかったのかについて繰り返し問うていたが、斎藤知事は元局長の処分は公益通報をしたこととは関係なく、就業中の私的文書作成やPC使用など県人事のルールに基づいたものであると強調した。誹謗中傷性の高いという判断も自らの行いは自分が対象だからわかるのだという論調で乗り切ろうとした。

公益通報の扱いは「あとからみればいろんな選択肢はあったことは認める、だけど当時の対応は最善である」と従来の主張を繰り返しただけだった。

■「知事は反社の利権と戦っていた」という誤情報が拡散

公益通報者保護法では報道機関への告発もまた「外部通報」として保護される対象になりうることは専門家の間でも指摘されてきたことだ。今回の内部文書もまた、「うそ八百」どころかいくつかの内容に関しては公益通報の可能性が十分にあり、側近の副知事が内部通報者調査の違法性も指摘されてきた。

斎藤氏は根幹部分に誹謗中傷性の高い内容があったことを根拠にして内部通報には当たらない理由に挙げていたが、「あとからみればいろんな選択肢はあった」のならば、内部通報の可能性にあたるものとして扱わなかった点に反省の弁は必要だ。少なくとも外部の有識者による第三者委員会を早々に立ち上げて、検証を求める必要はあっただろう。

興味深いのは、インターネット上を中心に今回の一件をもって既得権を持つ職員たちの反発であり、斎藤県政が進めた県庁舎の建て替え問題、あるいはOBの天下りの制約がその引き金になった。あるいは告発した側も問題を抱えていてという話が広がったことだ。「実は反社会的勢力が持っていた利権を引き剥がそうとしたから落とされたのだ」という話も広がった。すぐに検証が始まり、さすがに根拠が薄い話としてそれ以上の広がりは見せなかったが、Xを観察する限り、かなりの人々がシェアしていたのには驚いた。

失職後、初めての街頭演説。いったいなにを語ったのか
失職後、初めての街頭演説。いったいなにを語ったのか(斎藤元彦氏のXアカウントより)

■「改革派の政治家」こそ地道な活動が重要になる

建て替え問題などを巡って「利権ある職員が反発した」という仮説は成り立つことは成り立つ。だが、仮にあったとしてしても、まずは検証に耐えうる事実が必要であることには変わりない。

証拠にもとづく複数の内部の証言が出てきた上で検証の末に事実であるとするか、文書など強い証拠が出てきて事実検証したというのならばともかく、現状はそこまでではない。繰り返しになるが、あくまで「仮説」に過ぎないのだ。少なくともマスメディアの規律に準じていえば、斎藤氏の控えめな主張について報道に耐えうるファクトがあるとはおよそ言えない。

複数のジャーナリストにマイクを向けられる人
写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev

もう一つ付け加えておくと、改革を標榜する政治家ならばさまざまな声が内部から出てくるのは世の常である。抵抗や風当たりも強いということは一般論としては成り立つ。

その中で、粘り強く内部をまとめ上げて、議会で味方を増やしながら取りまとめていくところにこそ、民意を背にした政治家の力が問われるのではないか。私は必ずしも彼らの政策のすべて賛同するわけではないが、最初期の大阪維新の会をみればいい。

橋下徹氏が大阪府知事を務めたときは、改革を標榜する知事のもと、政策面からサポートする参謀役が議会の内外にいて、知事を支持する一派をまとめ上げる右腕が集(つど)って政策を推し進めようとしていた。彼らは府庁や議会にも敵も多く作っていたが、同時に粘り強く味方を増やすこと、とかく地方選挙を重視して議会で多数派を形成することを諦めなかった。特に地方議員は民意を追い風にすべくドブ板選挙もしっかりとこなしていた。

■告発者の感情に寄り添うべきだった

民主主義の制度の中で、改革路線の味方を増やそうというのは真っ当な戦略だ。議会が知事による解散という選択肢も十分にありえたなかにあって全会一致でNOが突きつけられたところで、斎藤氏の限界は見えていた。

私は今回のケースで告発者が亡くなったことをもってして責任を取ってやめるべきだとはまったく思わない。ここで大事なのはやはり感情への配慮だ。斎藤氏は結果的に職員が亡くなったことへの道義的責任を認めた上で、感情に寄り添わないといけなかった。

部下の死である。そこで「悲しかった」が、「自分に落ち度はない」という姿勢を崩さずに、道義的責任を問われた局面でも「道義的責任を認めた時点で辞職を迫られる」と判断し、突っぱね続けたのは完全な悪手だったように見える。

一部を認めたパワーハラスメントも同様だ。だが、しかし……を続ける必要はない。

■「正しい」ことは感情を無視していい理由にならない

認知科学者の今井むつみが『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP社)のなかで、日本の行政は感情を無視して一方的な通達が目立つと指摘している。感情は非合理的なものだと思われがちだが、認知科学的には必ずしもそうは言い切れない。

「多くの人は、『自分は合理的に判断し、決定している』と思っているかもしれませんが、そうではありません。選択や意思決定の多くの場合、人は、最初に感情で、端的に言えば『好きか嫌いか』で物事を判断し、その後、『論理的な理由』を後づけしているに過ぎないデータが、非常に多くの認知心理学や脳神経科学の研究で報告されています」(今井前掲書)

感情を軽く見てはいけない理由である。正しいと自分が思うことはあってもいいが、だからといって感情を逆撫でするような対応はまずかったのだ。

さて、勝負は県知事選である。論点はわかりやすい。内部通報の取り扱い方に端を発して職員への対応をめぐって混乱が続いた斎藤県政のあり方を是とするか否かだ。

前回の知事選で斎藤氏を担いだ維新、自民も別候補を模索している。選挙については多額のコストがかかることへの批判も出ているが、混乱の決着を選挙でつけるという選択自体は決して悪くはない。知事選後も斎藤県政の問題は残り続ける以上、選挙は各党派の腕の見せどころだ。活発な論戦に期待したい。

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石戸 諭(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。2021年、「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、第1回PEP ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)がある。

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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)

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