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相棒の名は「蓮ちゃん」「真ちゃん」「悠ちゃん」…動物を愛する少女が"鷹匠"という仕事にたどり着くまで

プレジデントオンライン / 2024年10月12日 9時15分

鷹匠の江頭千景さん - 筆者撮影

害鳥対策として「鷹匠」がいま注目を集めている。自治体などから依頼を受けて、訓練した鷹を空に放ち、街路樹に群がるムクドリやハトなどを追い払う。鷹匠は今も男性ばかりだが、江頭千景さん(27)は農業高校を卒業してこの世界に飛び込んだ。江頭さんはなぜ鷹匠になったのか。フリーライターの川内イオさんが取材した――。

■まるで左腕投手のような「27歳の鷹匠」

それはとても滑らかで、流れるような動作だった。江頭千景(えとうちかげ)さんが大きく右足を踏み込み、身体の横から左手をムチのように繰り出す。野球に例えれば、サイドスローの左腕投手のような動きだ。

革を巻いた左手首の上に乗っているのは、鷹。この時に撮影した写真を見返すと、一連の動作のなかで江頭さんと鷹の視線がぶれずに同じ方向を見ていることがわかる。

投手がボールをリリースするのと同じようなタイミングで羽ばたいた鷹は、一切の迷いを感じさせず、一直線で視線の先に向かう。風を切って飛ぶその姿は、切れのいい、糸を引くようなストレートを思わせる。

目的地は、数十メートル先にある建物の屋根。鷹がそこに到着してから数秒後、江頭さんが「餌合子(えごうし)」と呼ばれる漆が塗られた木製の餌箱を鳴らす。「カンカン」という乾いた音を聞いた鷹は翼を大きく広げ、江頭さんに向かって滑空する。江頭さんは身体を横に向け、グローブをはめた左手を前にして両手で餌箱を掲げる。

その左手に向かって鋭い爪のついた両足を前に伸ばした鷹は、それまでの勢いがウソのように驚くほどふんわりと腕にとまった。

現在27歳の江頭さんは、鷹匠の仕事を始めて9年目。取材の日は、神奈川県内の某大学でカラスを追い払う仕事に同行させてもらった。その日は真夏日で、簡単に熱中症になりそうな気温のなか、江頭さんは帽子、目から下を覆うマスク、長袖、長ズボンを着用していた。これがプロフェッショナルの仕事着なのだと思い込んだ僕が、「お仕事の時はいつもこの服装なんですか?」と尋ねると、少し驚いたような表情で首を振った。

「これ、日焼け対策です(笑)。いつも外にいるから、これでも焼けちゃうんですけどね」

鷹を放つときの凛とした姿からは意外なほど、その素顔は年相応の女性だった。彼女はどういう歩みを経て、鷹匠という珍しい職業に就いたのだろうか?

鷹を放つ江頭さん
筆者撮影
鷹を放つ江頭さん

■珍獣ハンターに憧れた少女時代

江頭さんは1996年、神戸市で生まれた。物心ついた時には、家で飼っていた犬も、テレビで見る動物も、公園にいるカエルや蝶々も、とにかく「生き物」はぜんぶ好きだった。だから、「大人になったら絶対に動物関係の仕事に就きたい」と思っていたそうだ。

小中学生の時の憧れは、テレビ番組『世界の果てまでイッテQ!』で目にした珍獣ハンターのイモトアヤコ。世界中の珍獣を訪ね歩くイモトを見て、「これだ!」と思った。しかし、インドネシアで2メートルを超える巨大なトカゲ、コモドドラゴンとイモトが競争するシーンが忘れられず、断念した。

「イモトさんって珍獣と競争したりするじゃないですか。私、足が遅いんで食べられると思ったんですよ。コモドドラゴンに襲われたら放送NGになると思って、諦めました。割と本気でなりたかったんですけどね」

高校は、農業高校の畜産科に進んだ。学校では牛や豚、ニワトリを飼っていて、どの動物を専攻するのか選択する。江頭さんが選んだのは、ニワトリだった。その理由も、ユニークだ。「牛や豚とも触れ合えるけど、ニワトリは抱っこができるから」。

とはいえ、養鶏の道に進む気はなかった。動物に関わる仕事といえば、ほかに動物園の飼育員やペットショップの店員などもあるが、「それも違う」と思っていた。理由は明確だ。

「中学校の時にペットショップ、高校の時に動物園に職業体験に行ったんですよ。その時に、動物園の動物はペットじゃないから飼育員は動物の体調管理とかサポートするのがメインだし、ペットショップも基本的には動物のお世話が中心で、動物と触れ合うことができないと知りました。動物をかわいがれない仕事は違うかなと思って」

■運命を変えた「ふくちゃん」との出会い

珍獣ハンター以降は明確な目標もなく、「高校を卒業したら専門学校に行って、トリマーになろうかな」とぼんやり考えていた江頭さんの運命を変えたのが、「ふくちゃん」。

高校3年生の時、校内で猛禽類を保護するプロジェクトが始まることになり、江頭さんも参加した。そのプロジェクトを主導する外部の専門員より、「学校で保護施設を運営するなら、生徒がまず猛禽類に慣れたほういい」という提案があり、学校が鷹を買い取って、生徒が世話をすることになった。

ふくちゃんと出会い、鷹匠という仕事を知った
筆者撮影
ふくちゃんと出会い、鷹匠という仕事を知った - 筆者撮影

このプロジェクトを指導する専門員の名字から一字を取って、鷹はふくちゃんと名付けられた。専門員が学校に来るのは多くても月に一度で、その間は生徒たちが資料を読み込み、育て方を調べた。鷹についてなにも知らなかった生徒たちは1年間、鷹の生態について学び、それが卒業研究になった。

ふくちゃんは高校に来る前に鷹匠による訓練を受けていたことに加えて賢く、高校生が見よう見まねで腕に乗せて放つと、しっかりと飛んで、呼べば戻ってきた。そのうちに、「もっとちゃんと飛ばしてみたい」と思うようになった江頭さんはある日、専門員に尋ねた。

「猛禽類に興味があって、本気でやりたいなって思うんですけど、猛禽類に関わる仕事ってなにかありますか?」

すると専門員が教えてくれた。

「神戸どうぶつ王国で鷹のショーをしてる人とか、鷹で追い払いをしている人がいるよ」

■鷹匠の第一人者に一目ぼれ

最初に一般客としてショーを見学した江頭さんは次に、専門員から紹介してもらってアポを取り、「追い払い」の現場を見学した。追い払いとは、大量の糞や大きな鳴き声で敬遠されているハトやカラス、ムクドリなどを、天敵の鷹で追い払うことを指す。この時に出会った鷹匠と鷹に、江頭さんは心を奪われた。

「高校にいたふくちゃんも、フライトショーで飛んでいた鷹も同じハリスホークという種類なんですけど、ぜんぜん飛び方が違いました。人に飛ばされているんじゃなくて、まるで野生の鷹が飛んでいるように見えたんです。その姿が本当にかっこうよくて。雷に打たれたってこういうことだなと思いました」

江頭さんの目をくぎ付けにしたのは、岡村憲一さん。鷹匠として20年以上のキャリアを持ち、江戸時代から伝わる諏訪流放鷹術の継承を目的とするNPO「日本放鷹協会」の理事長を務めたこともある第一人者だ。その場で、「この人のもとで働きたい!」と感じた江頭さんは、後日、専門員に連絡を取り、「あの会社に入社したいです」と訴えた。

師匠の岡村さん
写真=江頭さん提供
師匠の岡村さんと、パートナーの志(あき)ちゃん - 写真=江頭さん提供

岡村さんが取締役を務め、鷹匠として働いている会社は、グリーンフィールド。もともと経営コンサルタントをしていた伊駒啓介さんが岡村さんと出会い、鷹匠のポテンシャルを活かすため、2011年に立ち上げた。

ハトやカラス、ムクドリの被害に悩む自治体や企業、団体は少なくない。たくさんの対策グッズがあり、それらを活用した駆除業者も多いが、鳥はすぐに学習し、慣れてしまうという課題がある。その点、鷹はハトやカラス、ムクドリにとって天敵のため、鷹が定期的に姿を現すところでは命の危険を感じて逃げ去る。生き物としてのその習性を利用したのが、鷹匠による「追い払い」だ。

鳥の騒音や糞害に頭を抱える人たちの救世主として注目が集まっている
筆者撮影
鳥の騒音や糞害に頭を抱える人たちの”救世主”として注目が集まっている - 筆者撮影

■18歳を採用するつもりはなかった

例えば、ムクドリが群生している現場では、1日おきに鷹匠が現場に入る。すると6回目前後からムクドリが減り始め、10回を超える頃にはほとんど姿が見えなくなるという。次の年、同じ場所に戻ってきたとしても、ムクドリはそこに鷹がいたことをおぼえていて、2、3回の出動で激減することが多いそうだ。

江頭さんが入社の意志を伝えた当時、同様の事業を手掛ける企業はほかになく、伊駒さんによると「まだ知られていなくて、事業規模的にはまだまだ」だった。そのため、当初は高校を出たばかりの18歳を採用するつもりはなかった。

「鷹を実際に飛ばすまでにどれだけかかるのかは、個人差が非常に大きいんです。その頃は教育システムもなかったので、高校で少し鷹を触ったことがある程度の子を預かるのは難しいと思っていました。それに、この仕事は大変なところもありますから……」

大変なところってなんですか? という問いへの答えを聞いて、確かに、と納得した。

「鷹匠は、現場が終わったら仕事も終わりじゃありません。常に鷹の面倒を見る、鷹中心の生活の生活になるんです」

鷹の寿命は20年から30年。鷹匠はその間ずっと、鷹と生活を共にすることになる。それは、鳥かごで小鳥を飼うのとはまったく違うレベルの世話が必要だ。詳細は後に記すが、高校を出たばかりの18歳にその生活を強いることを躊躇するのは当然だろう。しかも、まだ事業自体が不安定な時期に、一人前の鷹匠になれるかどうかわからない若者を雇って給料を払うのは、大きな負担になる。伊駒さんはしばらく悩んだそうだ。

■新入社員ならぬ新入鷹匠へ

高校生が就職する際には、企業と学校が連絡を取り合い、採用、不採用の通知は学校側から生徒に伝えられる。江頭さんが専門員を通じて入社希望を伝えた7月以来、待てど暮らせど連絡がない。卒業が迫るなか、担任から「もう諦めろ」と言われた。それでも、「諦めません」と言い続けた。ほかの仕事を探したほうがいいかもしれないという考えは、「一切なかった」と言い切る。

江頭さんがグリーンフィールドの採用通知を受けたのは、12月。就職する同級生のなかで最後だった。採用の決め手になったのは、伊駒さんが鷹匠の生活を伝え、覚悟を問うた際、江頭さんが「それでも鷹匠になりたい」と強い意志を見せたことだった。

2015年春、グリーンフィールドに入社。江頭さんが「師匠」と呼ぶ岡村さんのもとで修業が始まった。鷹匠として基本的な注意事項や動作はあるが、現場次第で鷹匠の仕事も鷹の動きも変わる。例えば、工場では電線が密集していたり重機が稼働しているところで鷹を飛ばしてはいけない。鷹がケガをする恐れがあるからだ。最近、ハトの被害が増えているマンションでは、実際に鷹がハトを見つけると捕食してしまう可能性があるので、明らかにハトがいない場所を狙って鷹を放つ。

江頭千景さん
筆者撮影
江頭千景さん
筆者撮影
江頭千景さん
筆者撮影

■マニュアルのない仕事

今回の取材で同行した大学のキャンパスのような広い場所では、カラスの巣を探すところから始まり、カラスが何をしに来ているのか、どこに鷹を止めたらカラスが嫌がるのか、鷹を飛ばしながら探っていく。マニュアルなどない仕事で、「習うより慣れろ」「見ておぼえろ」という職人の世界だ。

「師匠の動作を見た後、師匠の鷹を借りて同じようにやってみて、それは違う、手はこうだとか、タイミングがどうだって教えてもらって。それをひたすら毎日繰り返していましたね。新入社員の頃は、腱鞘炎から始まります。鷹を腕に乗せるような姿勢で日常生活を送らないじゃないですか。だから、最初のうちはずっと手が震えてる感じでした」

同時に、社会人1年生としてクライアントとの挨拶や名刺交換、プレゼンや説明の仕方など学ばなければことが山ほどある。当時を振り返り、江頭さんは「頭がいっぱいいっぱいでした」と苦笑する。

カラスやハトを目掛けて鷹は放てない。絶妙な距離をとるのも難しいという
筆者撮影
カラスやハトを目掛けて鷹は放てない。絶妙な距離をとるのも難しいという - 筆者撮影

■鷹のトレーニングが始動

入社して1年後、一人前の鷹匠になるための最初のステップが始まった。鷹匠は、相棒となる鷹を自ら育てる。会社が専門ブリーダーから買い取った生後4カ月のメス「蓮ちゃん」を預けられた江頭さんは、想像以上にハードなトレーニングに臨んだ。

相棒の「蓮ちゃん」。8歳のメス。性格はフレンドリー
写真=江頭さん提供
相棒の「蓮ちゃん」。8歳のメス。性格はフレンドリー - 写真=江頭さん提供

蓮ちゃんが暮らすのは、実家に備え付けた小屋。まずは止まり木に足を固定し、その姿勢に慣らす。最初は暴れるが、次第に落ち着く。そのタイミングを見計らって、腕に乗ったら餌を与えるという動作を繰り返す。腕に乗ると餌がもらえることを覚えさせるのだ。

「その時に急に手を動かしたりして鷹を驚かせると、『手の上に乗るのは危ない』と認識してしまうので、驚かせない、嫌がらせないことが大切です。鷹は神経質で、鷹匠の世界では一度でも怖がらせたら終わりといわれているので、私はいつも、怖くないよ、大丈夫だよって声をかけながらやっています」

次の段階は、鷹を腕に乗せ、足につけた紐を握ったまま少しだけ小屋を出る。小屋の外の環境を知らない鷹は最初、緊張して餌どころではなくなり、羽をペタンと寝かせる。そのサインが出たら一度小屋に戻ってリラックスし、もう一度、ゆっくり小屋の外に出す。

■初めて鷹を空に放った日

それができたら、次は鷹の視線にたくさんの情報が入らないように真っ暗にした部屋へ。クリアしたら玄関へ、そして外へと段階を踏む。外に出る時も、まずは夜から。当然、鷹は車や自転車、ほかの人間のことを知らないので、その気配や物音に敏感になる。そのたびに餌をあげて気をそらしながら、外の世界に危険はないと教え込んでいく。

朝昼は師匠と現場を回り、夜は毎日、トレーニング。その結果を毎晩、電話で師匠に報告し、わからないこと、不安なことがあれば確認する。鷹が夜に慣れるまで、だいたい1カ月かかる。夜に慣れたら、昼間に連れ出す。情報量の多い昼の環境に適応するまで、さらに1カ月。昼間に落ち着いていられるようになったら、現場に連れていく。そこで師匠のお墨付きを得たら、初めて鷹を放つ。

「最初に紐を手放すときはドキドキですね。100%戻ってくるという確証がないと紐は外せないんですけど、それでも万が一戻ってこなかったらどうしようと不安になります」

■変化に気づかない人に鷹匠はできない

ひと通りのトレーニングが終わるまで、およそ3カ月。鷹が追い払いの仕事をこなせるようになったら、新米の鷹匠もひとり立ちする。江頭さんも、入社して1年半後には「蓮ちゃん」を連れて現場を巡るようになった。

ここから、「さあ、蓮ちゃんと二人三脚」で、ということにはならない。なんと、翌年には生後4カ月の「真ちゃん」を渡されて、またイチからトレーニング。さらに次の年にも別の鷹をトレーニングし、その次の年には「悠ちゃん」が江頭さんのもとにやってきた。一羽は別の鷹匠の手に渡ったが、江頭さんはひとりで蓮ちゃん、真ちゃん、悠ちゃんという3羽の雌を育ててきた。

相棒の「真ちゃん」。7歳のメス。性格は神経質
写真=江頭さん提供
相棒の「真ちゃん」。7歳のメス。性格は神経質 - 写真=江頭さん提供
相棒の「悠ちゃん」。6歳のメス。小柄なのに性格は大胆
写真=江頭さん提供
相棒の「悠ちゃん」。6歳のメス。小柄なのに性格は大胆 - 写真=江頭さん提供

「鷹はそれぞれに性格や個性があるので、それを見極めなくちゃいけません。トレーニング中も、我慢させないといけないのか、これ以上やり続けると嫌がるなっていうのを判断します。早い段階でやめてばかりいるとわがままで神経質になるし、無理やり強制し続けると、言うことを聞かなくなる。顔を見れば嫌がっている、嫌がっていないというのがわかるようになります。変化に気づかない人は、鷹匠はできないと言われていますね」

■蓮ちゃん、真ちゃん、悠ちゃんとの生活

3羽の鷹を飼うのは、休ませるため。普段は午前に1件、午後に1件、各3時間ほど現場に入る。その場合、午前中と午後で鷹を使い分け、1羽は休日。疲労などを考慮し、3羽でローテーションするのだ。

先述したように、鷹匠の仕事の現場は千差万別で、その都度、判断力が問われる。最初のうちは実力不足で鷹がうまく飛ばせず、求められた追い払いの効果出せない日もあって、そのたびに落ち込んだ。

特に、自分の不注意で鷹にケガをさせてしまった時は、「もうやめたい」と思ったこともある。例えば、蓮ちゃんと工場でカラスの追い払いをした日のこと。いつものように蓮ちゃんを放った後、餌合子を鳴らして呼び寄せた。事故はその時に起きた。江頭さんから少し離れた位置に、低いフェンスがあった。羽を広げて戻ってきていた蓮ちゃんが、そのフェンスに真正面から激突してしまったのだ。

蓮ちゃん
写真=江頭さん提供
「蓮ちゃん」の横顔 - 写真=江頭さん提供

フェンスは見えているはず、飛び越えるはず、と思っていた。しかし、蓮ちゃんはエサをもらおうと視野が狭くなり、フェンスに気づかなかった。想像もしなかった事態だが、自分と蓮ちゃんの間に障害物があるところで飛ばさなければ防げた事故でもある。江頭さんは自己嫌悪で、頭を抱えた。それでも、一晩寝て起きると気持ちが切り替わった。

「ほかにやりたいこともないし、辞めたら私にはなにも残らない。今日も頑張ろう」

江頭千景さん
筆者撮影
江頭千景さん
筆者撮影

3羽の鷹とともに、現場を巡る日々。彼女のやる気を信じたグリーンフィールドの代表、伊駒さんは、その実力をこう評価する。

「鷹の扱いにしても、現場を見る目にしても、成長が早いです」

江頭さんが任される現場も次第に大きくなっていった。2019年7月には、ラグビーワールドカップで使用される花園ラグビー場でカラスの追い払いを担い、その様子はメディアでも報じられた。

■関東エリアマネージャーとして腕試し

同じ年の秋、思い切った決断をした。

「関東からの依頼が増えてきて、そのたびに上司が関西から出張していたんです。それで関東に支社を作る話が出た時、上司はみんな家庭があって移住しづらかったから、『私、独り身なんでいきます!』と立候補しました。関西では上司が積み上げてきたものの上で仕事をしていたので、自分の力がどこまで通用するのか、試してみたかったんです」

肩書きは、関東エリアマネージャー。しかし部下はおらず、ひとりで関東全域をカバーする。3羽の鷹と上京して間もなく、新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。この時期、一気に依頼が増えたそう。人間の活動が少なくなったことで鳥の警戒心が薄れ、それまで姿を現さなかったところで羽を伸ばすようになったのだ。例えば、ある大学では、カラスが我が物顔で構内を歩き回り、そのうち、人間が近づいても逃げなくなったという。

コロナ禍の需要は全国的なもので、グリーンフィールドは年間約3000件の依頼を受けるようになった。江頭さんも、すぐに多忙になった。今日は神奈川県、明日は千葉県と、鷹を乗せてひとり車を走らせる。帰宅してからも、「鷹中心の生活」に終わりはない。

■鷹と分かり合える瞬間がある

それぞれの鷹には、仕事の現場で打てば響くような反応をする「ベスト体重」があるという。もし、現場でいつもよりも周りを気にしたり、ダラダラ飛んでいるなと感じたら、現場で与える餌の量を調整して、一度体重を落とす。仕事中、なにがあっても鷹匠のもとに戻ってくるように、餌への集中力を高めるのだ。

江頭さんは、そのために毎日3羽の体重を測って餌の量を決めている。これは、鷹に慣れていない人にはできない作業だ。なにかあれば師匠や上司を頼ることもできた関西時代と違い、江頭さんには今、鷹の世話を任せられる人がいない。

「1日なにもしない日はありません。休日も餌をあげないといけないから、どこか遊びに行くにしても、日帰り、もしくは翌日の午前中までには帰ってきます」

常に鷹のことが頭のなかにある毎日。一般人には想像もつかないが、鷹匠を始めて2年目に蓮ちゃんを引き取ってから、この生活を8年以上続けている江頭さんにとっては日常であり、仕事にもやりがいを感じているという。

「関東エリアマネージャーとしては、私が上京後に担当したクライアントから続けてご依頼をいただくと、自分の腕が通用しているんだという手ごたえがあります。鷹匠としては、この子たち(3羽の鷹)に教えたことがそのまま返ってくるのですごく面白いですし、追い払いをして効果が出ると楽しいです」

神奈川県内の大学から依頼を受け、カラスを追い払う江頭さん
撮影=弓橋紗耶
神奈川県内の大学から依頼を受け、カラスを追い払う江頭さん - 撮影=弓橋紗耶

「鷹とわかり合えていると感じる瞬間はありますか?」と尋ねると、「はい」と頷いた。

「闇雲に鷹を適当に飛ばしているんじゃなくて、私はここに飛ばしたいという意図があります。鷹はそれを理解して、私が狙った場所に飛んでいく。それは信頼関係がないと成り立たないことかなと思いますね」

「いい仕事」には鷹との信頼関係が欠かせない
筆者撮影
「いい仕事」には鷹との信頼関係が欠かせない - 筆者撮影

■ペットではなく、仕事のパートナー

ふと、江頭さんが高校生の時の話を思い出した。「動物をかわいがれない仕事は違う」と思っていたところから、今は鷹とどう接しているのだろうか?

「かわいがってはいますけど、ペットではないので、一線は引いていますね。撫でたりもしないし、干渉しすぎない。仕事が終わればノータッチです。私がそばにいることがストレスになるので」

高校時代はかわいがる対象だった動物が、今は仕事のパートナーになった。自ら育て上げた、信頼できる3羽のパートナーを得た彼女の関心は、腕を磨くことにある。

師匠の岡村さんをはじめ、江頭さんが知るベテランの鷹匠たちは日々技術の改善に暇がない。訓練方法、鷹の飛ばし方も、数年前に教わったことと違う指導がされることも珍しくない。それは、「このやり方のほうがうまくいく」という実験と発見の賜物である。その姿勢を間近で見てきた江頭さんも、どん欲だ。

「追い払いをしていても、もっとうまく、もっと早くできることがないか、いつも考えています。師匠から教えてもらった大事な基礎は守ります。でも、師匠とは鷹が違うから、ぜんぶがぜんぶ、教えられた通りにはいかないんですよね。基礎から枝を広げるようにして、自分の鷹に合ったやり方を探しています。諏訪流放鷹術では鷹に仕えるようにやれと言われるんですけど、人間が鷹の言いなりになるのも違うし、鷹を人間に合わせさせるのも違う。終わりがなくて、深い世界です」

教わった通りにはいかない。だから鷹匠の世界は深い
筆者撮影
教わった通りにはいかない。だから鷹匠の世界は深い - 筆者撮影

■鷹は人を映す鏡

鷹匠としてストイックに生きる江頭さんだが、仕事以外の話になると明るい性格がのぞく。意外だったのは、「カラスが好き」。

「仕事の時は、いい加減どっか行ってよと思いながらやってますけど、私、カラス大好きなんです! 最近、ガチャガチャとかぬいぐるみとか、カラスのグッズが多くて、めちゃめちゃ集めてます」

いつも対峙しているカラスのグッズが自宅にたくさんある鷹匠も珍しいだろう。自分の将来について、鷹との生活をベースに想像しているのもユニークだった。

「今年28になるんで、結婚とかも周りからがーがー言われるようになりました。同業者は意見がバチバチにぶつかりそうなんで、難しいですね(笑)。鷹匠の仕事についてある程度理解してもらいつつ、干渉はしないで、自分のやりたいことに熱中してくれる人だったいいですね。仕事もあるし、鷹のお世話もあるから、四六時中一緒にいるというより、お互いタイミングが合う時にご飯を食べたり、遊びに行ったりする感じかな」

鷹匠には「鷹は人を映す鏡」という言葉があるという。鷹の性格や動きを見れば、飼い主である鷹匠のことがわかるという意味だ。落ち着きのない人の鷹は落ち着きがなく、神経質な人の鷹は神経質になるらしい。

■3羽の最期まで寄り添い続ける覚悟

取材の日に何度も目にした、蓮ちゃん、真ちゃんが羽ばたく様子を思い浮かべた。その姿は清々しく、どこか柔らかだった。その印象は、まさに江頭さんそのものだ。

仕事をいつまで続けたいですか? と尋ねた僕は、できる限りずっと、という言葉を想像していたが、意外な答えが返ってきた。

「あと20年ぐらいかな。今いる子たちに、病気や事故じゃなく、寿命を全うしてもらったら、終わりかなと思います」

その穏やかな表情は、苦楽を共にしてきた3羽への思いに溢れていた。

これからも「相棒」たちとの共同生活は続く
撮影=宇乃さや香
これからも「相棒」たちとの共同生活は続く

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川内 イオ(かわうち・いお)
フリーライター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。

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(フリーライター 川内 イオ)

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