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悠仁さまの「東大進学」にメリットは一つもない…歴代天皇・皇族が「学習院進学」を続けてきた"学歴以外"の理由

プレジデントオンライン / 2024年10月10日 8時15分

岐阜関ケ原古戦場記念館に到着された秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま。左端は同館の小和田哲男館長、右端は岐阜県の古田肇知事=2024年8月1日、岐阜県関ケ原町[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

秋篠宮家の長男・悠仁さまの進学先が注目されている。皇族の大学進学はどうあるべきなのか。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員・藤澤志穂子さんは「東大への推薦入学や、生物学の研究が盛んな大学名が候補として挙がっているが、いずれもリスクがある。将来、天皇になられるからこそ、私は『学習院へお進みください』と強く勧めたい」という――。

■「東大推薦入学」に反対する1万2000筆超の署名

高校3年生になられた秋篠宮家の悠仁さまの大学進学先はどちら? といった憶測が飛び交っています。トンボなど生物学の研究が継続できそうな東大、筑波大、東京農大、玉川大などなど。紀子さまが熱望しているとされる東大推薦入学は、オンライン上での「反対運動に1万人以上が署名した」との報道もあり、やや遠のいた印象でしょうか。

お茶の水女子大附属幼稚園から現在、通われている筑波大附属高まで、悠仁さまのために作られた制度とみられてしまうこともありました。同様の制度を活用して進学した一般生徒の例が殆ど聞こえてこないことも不思議でした。「皇室特権」とみられてもやむを得ず、その最たる事例が東大推薦入学になるのでしょう。

推薦入学は私学では一般的とはいえ、東大となれば「国際数学オリンピック」で入賞するなど、一般入試よりハードルが高いのが実態です。それに匹敵する実績を悠仁さまが出されているのか? どうしても「モヤモヤ感」は否めません。

ですが悠仁さまの進学に当たり、「皇室特権」を使っても全く問題のない、むしろ自然な進学先があります。それが学習院です。だからこそ、学習院出身の筆者としては、今こそ悠仁さまに「学習院大学へお進みください」と強くお勧めします。それに学習院大学理学部には生命科学科という、生物の研究ができる学科もあるのです。

■なぜ歴代天皇・皇族は学習院で学んできたのか

学習院は、明治天皇が皇孫・迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)の教育を任せるため、日露戦争の名将:乃木希典を院長に招いた歴史があり、当時の教えが教育の基本になっていました。そのもとで上皇陛下も天皇陛下、秋篠宮殿下も学んでおられます。

ある意味「天皇になるための帝王学」の一端を担ってきた学習院に通う機会がなかったことで、悠仁さまが得られなかった代償は、あまりにも大きいのではないしょうか。それを学習院大学へ進学することで埋め合わせてほしい、と考えます。

その理由をひもといていきましょう。

目白にある学習院のキャンパスには、「乃木館」と呼ばれる建物が今も保存されています。乃木は1907(明治40)年に院長に就任、ただちに学習院の中・高等科(当時)を全寮制に切り替え、自身も生徒たちと一緒に寝食を共にしました。その乃木の居室部分を保存・移築した建物です。木造平屋建ての大変質素な造りに、乃木の心根が偲ばれます。

日露戦争で乃木の2人の息子は戦死しています。明治天皇は「そのかわりに多くの子供たちの教育を任せたい」と依頼、乃木は裕仁親王はじめ皇族・華族の教育にあたりました。その教育は人格形成を目的に、質実剛健を旨とした「乃木式」と呼ばれ、長く学習院の教育方針とされてきました。

乃木希典、国立国会図書館「近代日本人の肖像」
乃木希典、国立国会図書館「近代日本人の肖像」

学習院には乃木が当時、生徒たちに遊泳指導を行った際に海岸で一緒に撮影した写真、また自身がふんどし一丁で遊泳に臨む姿を映した写真もあります。学習院では沼津(静岡県沼津市)の遊泳場で遠泳をする臨海学校が毎年、初等科以上の生徒たちを対象に行われており、男子生徒はふんどし一丁で泳ぐ習わしです。質実剛健の「乃木式」が今の時代にも息づいていることの表れでしょう。

■皇族であっても「特別扱いしない」安倍能成院長の教え

学習院は戦後、宮内省の傘下を離れ、一般の私立学校となりました。その「中興の祖」と言われるのが教育者・哲学者の安倍能成で、文部大臣など国の要職を歴任してから学習院長に転じ、現在に続く学習院の基礎を作りました。

安倍能成院長、国立国会図書館「近代日本人の肖像」
安倍能成院長、国立国会図書館「近代日本人の肖像」

安倍の「正直であれ」という教えは、学習院では初等科の際に叩き込まれます。「逃げずに自分が考えたことをしっかり打ち出す誠実さ」を謳った教えであり、「まだ何も分からない子供の頃に、この教えを身に着けられてよかった」と振り返る卒業生は少なくありません。そうした卒業生たちの多くは、自身の子女を初等科に入学させたいと考えるようです。

ある卒業生はこう打ち明けます。

「一部の有名私学の小学校や幼稚園には、合格を期待して学校関係者に対する謝礼などが行われているのかもしれません。でも学習院ではそういったことは一切ありません。そうしたことをしないTPOがある、ということも学習院の良さだと思います。入学に当たっては合格基準の成績をクリアするのが当たり前。たとえ卒業生の子女でも、不合格となったケースは多数あります」

■出席と単位数の足りない上皇さまを留年に

安倍は新制の学習院大学を創設しています。ここでちょっとした「事件」がありました。現在の上皇陛下(当時は皇太子・継宮明仁親王)が学習院大学政治経済学部2年生に在学中の1953(昭和28)年、天皇陛下の名代としてエリザベス二世の戴冠式に出席するため英国に渡航し、半年間に渡り外遊されました。

帰国して復学されようとしたものの、出席と単位数が不足していることが教授会で問題になりました。「特別扱いはしない」ということで留年が決まり、明仁親王は退学、その後は聴講生として大学に通われました(「学習院」浅見雅男著、文春新書)。

この2つの事例から考えられることは何でしょうか。学習院における皇族に対しての教育は、一般学生と特別扱いはしない、嘘偽りなく、厳しく質素に育てる、ということだと私は考えます。同時に皇族としての自覚を持たせる教育でもあったでしょう。

私が卒業した学習院女子中・高等科で、秋篠宮家の眞子さま(小室眞子さん)が入学された際、秋篠宮家では「秋篠宮さん」と呼んでほしいと要望したそうです。ですが当時の教員はその申し出を受けず「宮様」とお呼びした、といいます。

「皇族としての自覚を持ってほしい」という願いがあったからでした。加えて言うならば、学習院女子では「奉仕の心」を学びます。貞明皇后(大正天皇の后)が力を尽くした、らい病患者の救済をはじめとする各種募金活動がありました。

■皇族方を「宮様」と呼ぶ狙い

こうしたさりげない毎日を送る中で皇族としての自覚、つまりはノブレス・オブリージュの精神を養う。恵まれた立場の者には相応の、果たさなければならない責任と義務があることを教える、学習院とはそういう場所なのです。

悠仁さまがお生まれになった際は、学習院の本部がある目白で地元商店会の方々が記念植樹をしました。通学されるのを心待ちにしていたのに「残念です」と当時の関係者は振り返ります。いつか学習院に来て下さるのではないか、といった期待もあったでしょう。

そのせいか目白にある学習院高等科(男子)、大学とも、悠仁さまが入学を希望された場合に備えた受け入れ態勢を取っていたようにも見えます。まず高等科、中高一貫教育が男女とも制度化されている学習院ですが、男子のみ若干名の外部募集枠を残していました。保護者の間では「悠仁さまのために設けられた制度」との噂がもっぱらでした。

また学習院大学理学部は、物理や数学など基礎研究を基本としていましたが、生物や科学を学ぶ生命科学科は2009年創設と比較的、新しい学科です。もちろん、そうした学問のニーズが高まってきた背景があるからでしょうが、こちらも悠仁さまの進学を念頭に置いていなかった、とは言い切れないでしょう。

何しろ皇族の多くの男性方は生物研究をなされてこられました。悠仁様のひいおじい様の昭和天皇は変形菌類やヒドロ研究、おじい様の上皇陛下はハゼ、お父様の秋篠宮殿下はナマズと、生物は男性皇族の専門分野のような様相です。こうした需要に、学習院大学も応じる必要はあると考えたのかもしれません。こんなところに私は学習院の「懐の深さ」を感じます。

■ただの私立学校と侮ってはいけない

天皇家の愛子さまは、幼稚園から大学までを学習院で学ばれています。成年を迎えたばかりの悠仁さまと比較するのは酷かもしれませんが、学習院で教育を受けた点では、皇族としての自覚をお持ちなのは愛子さまの方ではないでしょうか。

加えて学習院女子で学ばれた「奉仕の心」が、日本赤十字に就職されるきっかけになったはずです。歴代皇后が名誉総裁を務められる組織へのご就職は、皇族としてのノブレス・オブリージュによる進路だったことでしょう。

愛子さまのこうしたご様子、宮内庁インスタグラムで話題になった、御料牧場でタケノコ堀りにご一家でいそしまれるお姿を見て「自分の娘は学習院に進学させたい」と考える保護者は、卒業生はもとより、学習院出身ではない父兄の間にも広がっている印象があります。

学習院大学
学習院大学(写真=Nesnad/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)

いっぽう、悠仁さまが進学されたことを理由に、お茶の水女子大附属小・中や、筑波大附属高に息子を進学させたい、という声を私は聞いたことがありません。「未来の天皇」が学習院へ行かなかったことには教育上、やはり無理があったのです。

■皇族としての最善の道

愛子さま「天皇待望論」もあります。悠仁さまと、どちらが天皇にふさわしいのか。女性が天皇になることについて、国の議論も方向性が見えない中、私ごときが言うのは僭越ではありますが、歴史をさかのぼれば女性の天皇も存在していたのに、現代ではなぜ女性ではダメなのでしょうか。人気のNHK朝ドラ「虎に翼」で流行語になった「はて?」が思い浮かびます。

このことはともかく、「天皇になるために、学習院で教育を受ける」機会を、悠仁さまには今からでも取り戻して頂きたいと思います。研究者とトンボ論文を共著された悠仁さまであれば、たとえ学習院大学に進もうとも、ご自身が望めば、どんな大学からも優秀な研究者が来て、ご指導をされるでしょう。

昭和天皇、上皇陛下、秋篠宮さまもご自身の生物の研究を、大学で学ばれたわけではなく、国内選りすぐりの学者から手ほどきを受けていたはずです。これもある種の「皇室特権」かもしれませんが、同じように考えれば、悠仁さまにとって実は大学名は関係ない、ならば学習院に進んでいただくのが、皇族として現時点では最善の道ではないでしょうか。

幸いなことに、今は理学部に生命科学科があります。他校では学べなかった、皇族としての矜持を学習院で身に着けて頂くことが、成年皇族として真っ先に必要なことと思います。

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藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員
元全国紙経済記者。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア・ビジネススクール客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)を歴任。著書に『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)『学習院女子と皇室』『出世と肩書』(ともに新潮新書)、『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)がある。

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(昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員 藤澤 志穂子)

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