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電撃的な石破首相誕生劇はいつもの手口に過ぎない…女性総理誕生かと思われた総裁選に見えた「派閥の論理」

プレジデントオンライン / 2024年10月4日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CHUNYIP WONG

自民党総裁選は決選投票で石破茂候補と高市早苗候補の一騎打ちになり、石破茂が選ばれた。憲政史家の倉山満さんは「今回の総裁選は結果が読みにくく、石破総理の誕生は驚きを持って受け止められたが、結局は麻生太郎、菅義偉、岸田文雄という新旧の総理がキングメーカーとなって、派閥の論理が働いただけだ」という――。

■総理の首のすげ替えで、クリーンなイメージを出す自民党

政治とカネの問題の大逆風で、岸田文雄前首相は追い詰められた。どう追い詰められたか?

「どうせ、総理大臣の首のすげ替えで、国民の眼を欺くんでしょ?」と見透かされていた。だから岸田前首相は、その手は使えないと目されていた。また岸田前首相は一歩も引かず、総裁選を戦い抜くと目されていた。

総理総裁の首のすげ替え――。

歴史を知る者は、田中角栄から三木武夫への交代が、即座に思い出されるだろう。金権政治の田中から、クリーン三木へ。史上最初の「自民党結党以来の危機」を乗り切った。

平成初頭も、リクルート事件で竹下登内閣が退陣、後継の宇野宗佑が予想外の女性スキャンダルで短命に終わるや、クリーン三木の愛弟子の海部俊樹を繰り出した。宇野内閣の参議院選挙で過半数割れを起こし政権交代も噂されていたが、自民党は延命した。

森喜朗内閣が組閣の時から「談合で総理大臣を決めた」と批判され、不人気のまま退陣表明した後には、小泉純一郎が街頭で「自民党をぶっ壊す」と絶叫。小泉フィーバーで長期政権を築いた。その森内閣を支えた森派会長が、小泉純一郎その人だったのに。

古くは、安保闘争で岸信介が退陣した時に、池田勇人が登場したのも同じだろう。昨日まで「岸を殺せ!」とデモ隊が国会議事堂を取り囲み自衛隊の出動寸前だったのに、池田が「皆さんが一生懸命に働けば月給は10年で2倍にします!」と訴えると、大多数の国民は直後の総選挙で池田自民党に空前の議席を与えた。

こんな「いつもの手口」に国民が幻惑されて、すっかり岸田内閣の時に何が起きたかを忘れかけているのが嘆かわしい。

■野党第一党である立憲民主党の惨状

もっとも、立憲民主党が野田佳彦代表を出してくるようでは、野党に政権を渡したくなくなる。野田氏は身勝手な政権運営で民主党政権を終わらせた「A級戦犯」のはず。首相時代は北朝鮮がミサイルを打ち上げるかどうかの6カ国協議(人工衛星と主張された事実上の長距離弾道ミサイル発射中止を求める協議)で、日米韓と中露北がつばぜり合いをしている真っ最中に、「国に帰って増税しなきゃいけないんで」と本当に中座して帰ってきてしまった。北朝鮮など、顎を外したのではないだろうか。

その後、無警告のミサイル発射が常態化し、日本海を飛行機が飛べなくなった。これで安全保障に理解がある保守派とかいう評価、日本人は健忘症にも程がある。

そして当時の野田首相は、デフレ下の消費増税法案を断行。当時の勝栄二郎財務事務次官の名から「直勝内閣」と揶揄されたが、官僚の言いなり政権だった。あげく、「僕は小学校の通信簿でも正直者と書かれた。嘘つきなんて言われたくない」と驚愕の理由で、幹部全員が止めるのも聞かず、衆議院を解散。言われた野党の安倍晋三自民党総裁の方が、驚きで声が裏返っていた。

■立憲・野田代表は首相時にオウンゴールで安倍自民党に大敗

案の定、野田民主党は大敗。せめて議席減を最小限にする努力をするかと思いきや、自分を裏切った小沢一郎派の選挙区に刺客を送り共倒れの山。安倍長期政権の礎を築いてあげた。

現在でもかたくなに減税には反対。何より、日本の歴史を否定する女系天皇推進の頭目だ。などなど、罵倒し出したらキリがないが、自民党を批判する前に野党第一党の惨状に関しては一言述べておく。

戦後政治において、自民党総裁とは総理大臣のことだった。衆議院選挙をやれば(平成になってから例外も2回ほどあったが)、必ず自民党が勝つ。だから衆議院の首班指名では、必ず自民党総裁が勝つ。結果、自民党総裁選こそが、総理大臣を決める選挙となった。

そして自民党総裁すなわち総理大臣になりたければ、子分の国会議員の数を増やすのが手っ取り早い。だから派閥が形成される。

自民党政治とは、派閥政治なのだ。

だから、派閥解消など、ありえない。歴史をひも解けば、「派閥解消」を言い出した時こそ、真の派閥抗争が激化する。「総理大臣=自民党総裁」「自民党総裁選=派閥政治」の法則が崩れない限り、派閥がなくなる訳がない。政治改革とは派閥政治の改称なのだから、できる訳がない。

ただ、変質したのは確かだ。

2007年11月8日、来日した米合衆国国防長官のロバート・ゲーツと握手する石破茂防衛大臣(当時)
2007年11月8日、来日した米合衆国国防長官のロバート・ゲーツと握手する石破茂防衛大臣(当時)(写真=Cherie A. Thurlby/PD US Military/Wikimedia Commons)

■今回の総裁選は「読めない」というが、これまでが異常だった

さて、今回の自民党総裁選は「読めない」と言われたものだ。確かにその通りだが、今までの総裁選が読みやすすぎたのだ。

一番読みやすかったのが、「三角大福中」の時代。三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫・中曽根康弘の5人の派閥の領袖が合従連衡を繰り返し、順番は角・三・福・大・中だったが、全員が総理総裁となった。この時代の派閥は鉄の規律。派閥の領袖が誰に投票すると決めたら鉄の規律。落ちこぼれがほとんど出ない。中曽根派で6人が造反したのが最大ではなかろうか。

つまり、引き算がほとんどなく、足し算だけで良かった。そのうち、田中角栄や竹下登が「闇将軍」と言われる権力を握り、竹下派支配が終焉(しゅうえん)してからも、ほとんどの総裁選で「勝ち馬に乗れ」と雪崩現象が起きるのが常だった。

まだ記憶に新しいのが、菅義偉内閣だ。菅官房長官(当時)が総裁選に立候補した時、対抗馬の岸田文雄・石破茂以外の全派閥が、無派閥を標榜する菅長官に投票した。

■「自分が絶対に選挙に落ちたくない」という自民党議員の保身

しかし、政権末期に支持率が下がると、「菅じゃ選挙に勝てない」と一斉に菅おろしが広がり、抗しきれずに退陣。とは言うものの、「別に選挙の相手の野党第一党が枝野幸男立憲民主党代表なら、わざわざ嫌われ者の河野太郎にしなくても構わない」と、岸田文雄当選となった。

自民党国会議員には絶対の原則がある。「自分が絶対に選挙に落ちたくない」である。この心理が多くの議員に伝播すると、雪崩現象が起きる。派閥の数など関係なく、いかなる総理大臣でも引きずりおろす。普段はどんなに大嫌いな奴でも、総理総裁に据える。そして一糸乱れず従う。

これが自民党の強さだ。

初閣議後、記念撮影に臨む石破茂首相(中央)と閣僚ら=2024年10月1日、首相官邸
写真提供=共同通信社
初閣議後、記念撮影に臨む石破茂首相(中央)と閣僚ら=2024年10月1日、首相官邸 - 写真提供=共同通信社

■小泉進次郎は総裁に選ばれてもおかしくなかったが…

こうしたことを考えれば、派閥政治はある程度は法則化できる。

派閥政治の法則その1「真・青木率」

参議院のドンと言われた青木幹雄元官房長官が語ったとされるのが「青木率」である。内閣支持率と与党支持率の合計が50を切れば、政権は危険水域とか。しかし、その2つは比例する。そもそも、竹下登や森喜朗の内閣は支持率が消費税5%より下になりそうだったが、危険水域どころか本人の気が済むまで居座った。本当に「青木率」と青木幹雄が言ったのか、疑っている。

それに対して私は「真・青木率」を唱えた。すなわち、

「総裁選の勝者=国民世論+党内世論」

である。これは政権の存続をはかる指標ともなる。国民世論と党内世論はかなりの率で矛盾するので、バランスが難しい。

これ、第1法則が国民世論で、第2法則が党内世論である。

今回、9人の候補が出馬した。しかし、有力候補は小泉進次郎・石破茂・高市早苗の3人。なぜなら、国民人気が高かったからだ。選挙の前に、特に今は国民世論が反映されやすい小選挙区制なので、国民人気が高い人しか総裁にはなれない。だから、早々とこの3人が抜け出した。

本来なら、小泉進次郎元環境相が抜け出しても、おかしくはなかった。ただ、目の前の総選挙を乗り切っても、来年は都議選と参議院選挙がある。「参議院選挙まで“小泉首相”がボロを出さないと思う人、手を挙げて」と問われると、来年改選の参議院議員を中心に沈黙が走る。総裁選の討論会で、小泉候補は既にボロを出していた。失速。

結果、高市・石破の2人が抜け出した。だが接戦。

ここで第2法則、発動である。

高市経済安保大臣も、石破元幹事長も、党内人気が高いとは言えない。では、どちらがより不人気かで決まる。その決定的要素が、派閥である。

■フィクサーの菅前総理は進次郎を見限って石破支持に

派閥政治の法則その2「派閥解消を言い出すと真の派閥抗争が激化」

岸田文雄前首相が「派閥解消」を言い出して、多くの派閥が解散した。表向きは。歴史を知る者からすれば、自民党の派閥解消など、「エクストリームスポーツ」。速さと過激さを競う競技だ。確かに表向きの派閥は解消したが、その間に「真の派閥」の形勢が進んだ。

倉山満『自民党はなぜここまで壊れたのか』(PHP新書)
倉山満『自民党はなぜここまで壊れたのか』(PHP新書)

派閥解消前は、領袖を通さずに他の派閥の議員に工作をかけると、仁義に反する。しかし、派閥が解散していれば遠慮はいらない。従来なら裏切りになることも、白昼堂々と行える。「派閥にとらわれず人物本位で投票する」とは、「表向きの派閥を裏切っても裏切りと言わせない」と同義だ。

そして、真の派閥の領袖となったのは、麻生太郎首相、菅義偉、岸田文雄の新旧首相たち。先行して「小泉推し」を宣言したのが菅前首相(当時)。菅前首相は小泉失速と見るや、石破支持に切り替えた。

他の2人は手の内を隠していたが、投票日前日に高市支持を表明したのが、麻生元首相。「1回目から高市に入れる」とまで言ったので、自派から出ている河野太郎デジタル大臣と支持者、それに上川陽子外相を推す人たちが離反して逆効果。

■石破内閣に選ばれたのは「派閥」の論理で総裁選に貢献した人

そして当日になって岸田首相(当時)が、「決選では高市以外の1位の候補」と石破支持を明確にした。

何のことはない。麻生対菅のキングメーカー対決で、岸田がキャスティングボートを握ったまでだ。

他に、参議院茂木派を束ねてきた石井準一参院国対委員長と二階派事務総長だった武田良太元総務大臣も、一定数の票を石破候補に集めたので、石破内閣で主流派入りしている。

さらに、8人の小派閥の領袖ながら国対党務のベテランの森山裕総務会長は本音を明かさず、石破政権では要の幹事長。これで自民党が派閥を解消していると言えば、節穴だろう。

では、そもそも「政治改革」とは何か? そもそも、何をやれば政治改革なのかすら、誰も言えないではないか。

本当は「政治とカネ」など入り口にすぎない。「税金もらってんだから、ちゃんとしろ」で終わり。大事なことは、「日本国を地球上で文明国として生き残らせるか」を担う近代政党を最低でも2つ作ることが、政治改革ではないのか。

選挙をやるなら、選択肢が最低でも2つないと、意味がない。1つならファシズムで十分になってしまう。独裁党が腐敗しても、代わる選択肢がないので、ゼロと同じだ。

さて、今の日本に選択肢はいくつ?

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倉山 満(くらやま・みつる)
憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『ウェストファリア体制』(PHP新書)、『13歳からの「くにまもり」』(扶桑社新書)など、著書多数。

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(憲政史家 倉山 満)

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