藤原道長への呪詛が逆に伊周とその子孫を呪った…NHK大河では描かれない伊周の子供たちが辿った意外な人生
プレジデントオンライン / 2024年10月6日 15時15分
2017年4月26日、イギリス・ロンドンのテート・モダンで開催された、「オメガ スピードマスター」の60周年を記念するイベント「Lost In Space」に出席した三浦翔平 - 写真=ゲッティ/共同通信イメージズ
■NHK大河で描かれた伊周と焦る親類たち
藤原伊周(三浦翔平)の屋敷で、「このままでは敦康親王様は、左大臣に追いやられてしまいます。どうなさるのです?」と、女性が伊周に問いかけた。この女性は伊周の母、高階貴子(板谷由夏)の妹の高階光子(兵藤公美)である。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第37回「波紋」(9月29日放送)。
伊周はこう答えた。「叔母上、敦康様は帝の第一の皇子。なにより皇后定子様がお残しになったただ1人の皇子にあらせられます。帝のお気持ちが揺らぐことはありえませぬ」。だが、伊周の義理の兄である源方理(阿部翔平)は納得せず、「しかし、最近では帝も左大臣様にはお逆らいにはなれぬと聞いております」と反論する。
方理の妹である伊周の妻、源幾子(松田るか)は「兄上、余計な心配はなさいますな。帝の御計らいで、殿の位ももとに戻されているのですから、いまはお静かに」といさめた。伊周も「幾子の申すとおりである。ことを急いては過ちを犯す」と答えたが、納得しない光子は「されど、このままじっとしてはおられませぬ」と、声を荒らげた。
伊周はため息をつき、「わかりましたゆえ、もうお黙りを」と返答。場面が変わると、叔母たちに促されたということか、伊周が道長を必死に呪詛するシーンが流された。
続いて、彰子の後宮に賊が侵入したが、背後に伊周がいるという設定だろうか。
■じっとしていれば、脈があったのに…
しかし、年が明けて寛弘6年(1009)になると、一条天皇(塩野瑛久)は伊周に、叔父の道長(柄本佑)と同じ正二位を授けた。拝命した際、伊周は横にいる左大臣道長にも目線を送りながら、一条にこう述べた。「私は第一の皇子におわす敦康親王様の後見。左大臣様は第二の皇子、敦成親王様の御後見であられます。どうかくれぐれも良しなにお願い申し上げます」。
伊周の叔母や義兄の前で、伊周の妻の幾子が言ったように、「余計な心配」などしなくても、敦康親王の伯父である伊周の地位は上がっていった。まさに伊周の言葉どおり「急いては過ちを犯す」である。
伊周が正二位に叙せられた直後、道長の異母兄の道綱(上地雄輔)は、藤原実資(秋山竜次)に「伊周の正二位は、帝1人ではお決めになれないだろ? 左大臣殿がよく許したよね?」と語りかけた。
実資は「左大臣殿は、伊周の不安がこれ以上募らぬよう、位を高くしてやったのであろう」と答え、さらにこう続けた。「お上の、敦康親王様を次の東宮に、という御意思は相当お強いな」。
史実においても道長は、伊周に恨まれないように配慮していたと思われる。恨まれて呪詛されることへの恐怖感は、平安王朝の人たちにとって非常に大きかった。呪詛の効力が信じられていたからである。だからこそ、伊周はじっとしていれば、脈があったかもしれないのだが……。
■自分の息子は「第一皇子」だとアピール
じつは、年が明ける前から、伊周はじっとしていなかった。寛弘5年(1008)9月11日、道長の長女である中宮彰子は一条天皇の第二皇子、敦成親王を出産し、その100日後の12月20日、彰子の後宮で「百日の儀」が行われた。そこで伊周は示威行動におよんだ。
それは道長の日記『御堂関白記』や、「光る君へ」で渡辺大知が演じる藤原行成の日記『権記』に記されている。公卿たちが詠んだ歌の序題を能書の行成が書こうとしていると、伊周は行成から筆を奪い、自作の序題を書きはじめたという。
その内容は『本朝文粋』によれば、以下のとおりだった。「第二皇子百日ノ嘉辰禁省ニ合宴ス。(中略)隆周之昭王穆王ハ暦数長シ。我ガ君又暦数長シ。我ガ君又胤子多シ。康イ哉帝道。誰カ歓娯セ不ラン」。
敦成親王を、自分の甥の敦康親王に次ぐ「第二皇子」と明言し、「隆周の昭王」という語で、亡き道隆と伊周の父子の繁栄は「長い」のだと訴え、そのうえ、一条天皇は在位(暦数)が「長い」ばかりか「胤子が多い」、つまり子供が多く、敦成のほかにも皇子がいるとアピールしたのである。
敦成の祝いの場でそんな主張をしてしまったのは、伊周がよほど追い詰められていたことの証左だろう。
■命取りとなった呪詛事件
もっとも、それだけなら、伊周がみずからの首を絞めることにはならなかった。ところが、寛弘6年(1009)1月30日、中宮彰子と敦成親王、さらには道長までもが呪詛されていたことが発覚した。捕らえられたのは、「光る君へ」で伊周に「じっとしてはおられませぬ」とけしかけていた高階光子や源方理だった。
彼らもまた敦康の外戚にあたり、自白した内容は『政事要略』によると、「中宮、若宮(敦成)、左大臣がいると、帥殿(伊周)が浮上できないので、前年末に行われた敦成の『百日の儀』のころから、この3者がいなくなるように呪詛してきた」というものだった。
当然、首謀者は伊周と目されてしまう。高階光子や源方理らが官位を剥奪されたのは当然だが、一条天皇は私情を超えて、正二位を授けたばかりの伊周も断罪しなければならなくなった。こうして伊周は、内裏への出入りを差し止められ、いよいよ政治生命を失うことになった。
それでも一条天皇は、敦康の外戚である伊周の復権を望んでいたようで、同じ年の6月には、伊周は罪を赦されたのだが、もはや精神的にもたなかったようだ。父からの遺伝と思われる飲水病(現在の糖尿病)も悪化して、以後は衰弱の一途をたどった。
そして寛弘7年(1010)正月、彰子が産んだ2人目の皇子である敦良親王の「五十日の儀」が行われ、宮廷が祝賀ムードに包まれていた最中、37歳で生涯を閉じた。
■死の床で愛娘2人に語ったこと
そのころ道長は、自分の娘の後宮に上級貴族の娘を女房として、次々と送り込んでいた。だが伊周は、自分の娘だけはそうさせたくなかったようだ。『栄花物語』によれば、死の床の伊周は2人の娘を前に、「おまえたちが女房になるようなことがあれば、自分にとっては末代までの恥だから、自分より先に娘たちを死なせてくれと祈るべきだった」と語ったという。
しかし、父の死後まもなくして、次女は彰子の女房になっている。
同じく『栄花物語』によれば、19歳だった嫡男の道雅にも、「世間に追従したり、人の家来になったりするくらいなら、山にでも入ってしまえ」と伝えたそうだ。
父の伊周は、それくらいプライドにこだわったのだが、道雅はそんな父に反発したのか、まったく応えなかった。以後、たびたび暴力事件を起こし、それでも25歳だった長和5年(1016)、正三位の非参議に叙せられて公卿の末席に名を連ねたが、その後も、三条天皇の内親王と密通したり、殺人を教唆したりと、荒くれた生活を続けた。
このため「荒三位」「悪三位」などと称され、63歳で没するまで、25歳のときに正三位になったのを最後に、一度も昇進することはなかった。
■血筋が途絶えた伊周と明治まで続いた弟・隆家
一方、「光る君へ」でも「とうの昔に兄は見限りました」と語り、道長を支える意思を示した伊周の弟の隆家はどうか。兄の死後、外傷性の眼病を患い、唐人の名医がいるという太宰府への任官を望み、長和3年(1014)11月、太宰権帥に任じられた。
その後、隆家の足下で国難が発生した。刀伊の入寇。すなわち、寛弘3年(1019)3月から4月、女真族と思われる海賊が対馬や壱岐を襲撃後、九州沿岸に押し寄せたのである。隆家は九州中の豪族に召集をかけて応戦し、見事に撃退している。
その年末、隆家が太宰権帥を辞して帰京すると、その功績を評価して「大臣、大納言にも」取り立てようという声が上がったという。それは実現しなかったが、長暦元年(1037)から再度、太宰権帥を務め、長久5年(1044)正月、66歳で死去した。
伊周の嫡男の道雅は、荒くれて子孫も残さなかったのに対し、隆家の家系は大臣こそ出さなかったが、明治維新まで続いた。過去の栄光にしがみつき、そこから抜け出せなかった伊周と、早々に割り切った隆家。それぞれの明暗は、人生の教訓としてもわかりやすい。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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