乳飲み子を抱える妻の晩ご飯は「ひじき」だけ…森永卓郎「夫婦で乗り切った手取り6万円の壮絶な極貧生活」
プレジデントオンライン / 2024年10月10日 17時15分
※本稿は、森永卓郎、岸博幸『遺言 絶望の日本を生き抜くために』(宝島社)の一部を再編集したものです。
■「天下のJT」で経験した極貧生活
【岸博幸】森永さんは東京大学を卒業後、1980年に日本専売公社(現・JT)に就職されましたが、間もなく退職されています。これはどうしてですか?
【森永卓郎】在籍という意味では10年近くいたのですが、私の場合はもっと切実な問題があって、「超貧困」になってしまったんです。
【岸】天下のJTで働いていて、貧困ですか?
【森永】専売公社って「公社」という名がついているものの、その実態は旧大蔵省専売局のままだったんですよ。
【岸】戦後間もない1949年まで、塩やたばこなどの専売業務を行っていたのが大蔵省専売局でした。それが独立して専売公社になったわけですが、実態は変わっていなかったということですね。
【森永】そうなんです。たとえば、事業活動に関しても、予算制度の下に置かれていて、大蔵省から予算をもらってこないと鉛筆一本買えない仕組みになっていました。
私は専売公社に就職した後、1984(昭和59)年から当時の経済企画庁に出向しました。経企庁は総理府の外局、つまり実態は役所だったのですが、特殊法人だった専売公社からそこに出向して行政の仕事をしたわけです。ただ、出向期間中に専売公社が民営化されて、現在のJT(日本たばこ産業株式会社)になりました。
【岸】1985年のことでしたね。
■民営化で給料が手取り13万円に
【森永】民間企業からの出向者に対しては経済企画庁から、給料のうち手当分が支給されるルールになっていたのですが、突然の民営化によって、その財源となる予算が確保されていなかった。そのため、私はJT側が負担する基本給相当の部分だけしかもらえなくなってしまったんです。
もちろん、経済企画庁の秘書課には厳重抗議をしましたが、「お前の後任者からちゃんと予算措置をして支払う。悪いけれど君は我慢しなさい」と言われて、取り合ってくれなかったんです。その結果、基本給しかもらえなくなり、当時の手取りは約13万円しかなかった。長男も生まれていたんですけどね。
■誰も「バブル到来説」に耳を貸さなかった
【岸】ええ? そんなことがあるんですか。
【森永】本当なんです。当時、私は総合計画局の労働班というところで仕事をしていたんですが、まだ自由な時代で、別部署が運用していた経済モデル(将来予測や経済政策の効果を測定するための経済の模型)をいじらせてもらっていました。
ある日、シミュレーションで株価や地価が急騰するという結果が出てきた。私は「日本にバブルが来る」と確信して、経企庁のなかで「バブルが来る、来る」と叫んで回ったんです。ところが誰ひとり「バブル到来説」を信じてくれなかった。それで頭にきたから、家を買ってやろうと思ったんですね。
【岸】いま買えば不動産は値上がりすると。それにしてもすごい度胸だ。
■乳飲み子を抱える妻の夕飯はひじきだけ
【森永】当時、年収300万円はなかったかな。それでも、金利7%の住宅ローンを借りて、所沢に2680万円で中古の一戸建ての家を買ったんですよ。その結果、住宅ローンを払うと月々の手取りが6万円を切るようになってしまった。
【岸】マジで?
【森永】マジです。妻が十分な量の母乳が出なかったので、粉ミルクは最優先で買わなくちゃいけない。どんどん食事のレベルが下がっていって、どん底のときは晩御飯がハムエッグ、最悪のときは「ひじき」だけって日があったのを覚えています。
【岸】ひえ~(笑)。
【森永】ただ当時、経企庁には「残業食」っていうものがあって、終電なくなってから役所に残っている場合、店屋物をタダで取ることができたんです。だから私は必ずそこでカツ丼を食べてカロリーを補給していましたが、カミさんはどんどん痩せていくという状況で。
【岸】それは、なんとかしないといけないですよね。
■手取り13万円から更に悲劇が…
【森永】極貧もありましたが、JTを辞めたのには仕事上の理由もありました。私は経企庁に出向していましたが、1980年代末期に内閣外政審議室が新設されることになり、所属部署の課長補佐をそちらに取られてしまったんです。そのとき私は出向の外人部隊で、しかも平社員だったにもかかわらず、いちばん年長だったために、本来キャリアの課長補佐がやる仕事がどんどん回ってきたんですね。
【岸】面白く、やりがいのある仕事を任されるようになったわけですね。
【森永】そうなんです。仕事が面白くなって、このまま役所に残りたいと思った。ただ、国家公務員上級職の試験(現在の国家公務員総合職試験)を受験するには年齢がギリギリオーバーしており、当時の上司が「中級職だったら随意契約で採用することができるよ」という提案をしてくれたんです(編注:当時の国家公務員試験の分類は「I種・II種」でしたが、このときの会話では「上級・中級」という昔の呼び方を続けていました)。
【岸】そうだったんですか。その提案には応じたのですか。
【森永】いえ、結果的に役所には入りませんでした。役所の中途採用の場合、「それまでのキャリアの年数は2分の1でカウントする」という妙なルールがありまして、採用されても新入社員に毛が生えたような立場からのスタートになるわけです。
【岸】それじゃ貧困問題も……。
■「手取り5万円」に妻は「いいよ」と言ったが…
【森永】解決しません。カミさんには「手取り5万になっちゃうけどいい?」って聞いたら「いいよ」と言ってはくれたんですけど、その上司に「採用、お願いします」と言ったら、今度は説教されたんですよ。「お前、そんなんで暮らしていけるわけないだろう」と。
【岸】いい上司だ(笑)。
【森永】そこで「俺が紹介してやるからシンクタンクに行け。高い給料も出るし、仕事も似てるから」と言われまして。三井情報開発株式会社の総合研究所にとりあえず出向し、1988年にJTを退職して正式に移籍しました。
■転職で一気に月収100万円に
【岸】でも、JTでそのまま頑張れば、その後、給与はすごく上がったはずですよね。
【森永】確かにそうかもしれません。ただ結果的に、シンクタンクのほうが給与は良かったですね。なにしろバブルでしたから。当時の私はプロジェクトを20本以上、同時進行で回していて猛烈に忙しかったですが、残業代は青天井。入社して翌々月には給料が100万円になりました。
【岸】手取り5万~6万円だったのが一気に100万円ですか。
【森永】それまでがあまりにも悲惨だったので、少し自慢したくてカミさんに給与明細を見せたんです。「どうだ、こんなに増えたよ」と。そうしたら、金額が100万円にわずかに満たない99万数千円だったのを見て、「もう少しで大台だったのにね」と、褒めてはもらえませんでした。
【岸】森永さんは結果的に給料も増えて、周囲にとっても良かったと思いますけれども、僕は経産省を辞めるとき、周囲にはけっこう反対されましたね。母からも「辞めるのはもったいない」と心配されました。
【森永】普通に考えればそうなるでしょう。
【岸】それまで好きにやらせていただいて、「このままもっと楽しい仕事をしたいから」なんていう理由で官僚を辞めてしまったわけですから、ある意味、僕も小泉政権の被害者のようなものですよ(笑)。
■組織を離れて直感を研ぎ澄ませる
【森永】組織を離れて自由業になると、マーケットの荒波に飲み込まれるわけで、いいときはいいけれど、仕事がなくなると大変ですよね。
【岸】僕は官僚時代、政策の仕事に携わって、その後大学で教える立場になりました。そんなとき、ふとしたきっかけでテレビ番組からオファーがあり、そのうちバラエティ番組にも呼ばれるようになりました。堅い仕事をしていた関係で、多くの人から「そういうのは色がつくよ」「やめといたほうがいいよ」と言われましたが、僕はいま、自分の判断でテレビ番組に出て良かったなと思っています。
【森永】やりたいことは、やるべきですよね。
【岸】森永さんもそうだと思うのですが、学者だけをしているよりは思考も柔軟になったと思いますし、政策を提案するにしても、いろいろな人と意見交換をすることによって勉強になります。組織を離れた以上、自分が何をなすべきか、いつも直感を研ぎ澄ませていないといけないなと、いまでも感じますね。
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経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
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経済評論家・慶応大学大学院教授
1962年、東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。同省在籍時にコロンビア大学経営大学院に留学し、MBA取得。資源エネルギー庁長官官房国際資源課等を経て、2001年、小泉純一郎内閣の経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏の大臣補佐官を務める。経産省退官後、テレビや講演など多方面で活躍。2023年1月に多発性骨髄腫の告知を受ける。著書に『余命10年多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。』(幻冬舎)などがある。
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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎、経済評論家・慶応大学大学院教授 岸 博幸)
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