小中学校9年間、1日も通学しなかった…藝大卒の作曲家が6歳で「絶対に学校には行かない」と決心した"大事件"
プレジデントオンライン / 2024年10月11日 16時15分
※本稿は、内田拓海『不登校クエスト』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
■実は、人嫌いでも“コミュ障”でもない
私の家はトラック運転手の父と母、妹2人の5人家族。幼少期はどちらかと言えば、生活を切り詰めるような貧しい時期もありましたが、それ以外はごくごく一般的な家庭だったと思います。
父も母も、普通に義務教育を受けて育ってきていますから、そんな家庭で「学校に行かない」という選択をすることは、大きなチャレンジだったかもしれません。
「9年間ただの1日も学校に通わなかった」と聞くと、たいていの人は私に対してこう思うかもしれません。
「さぞや人嫌いで“コミュ障”なんだろうな」
「周囲や社会から離れて、引きこもって生きてきたんだろうな」
たしかに同世代の子どもとの関わりは極端に少なかったので、半分は当たっていますが、私自身は人嫌いやコミュ障ではまったくありません。むしろどちらかといえば、幼い頃から人とのコミュニケーションが大好きでした。1人で遊ぶだけでなく、近所の子どもや身近にいる大人と遊んでいることも多かったと思います。
■保育園で“事件”が起きて、不登校を決めた
「人とコミュニケーションをとることが大好き」という部分は、1人で作業を進めることが多い作曲家になった今も、変わっていません。
そんな私が、なぜ小・中学校に「行かない」と決めて、それを頑なに実行したのか?
不登校を始めるきっかけは、それより前の保育園時代にさかのぼります。今もはっきりと覚えている、明確なきっかけがありました。
母も働いていて共働きだったので、私は保育園に預けられるようになったのですが、通い始めて少しも経たないうちに、“事件”がその保育園で起きました。
■「なければならない」に不信感を持つように
その頃の私は絵を描くことが大好き。その日も、保育園にあるクレヨンで楽しく絵を描いていました。みんなでシェアしながらクレヨンを使っていたのですが、突然、そのうちの1人が、私がまだ使っている途中のクレヨンを奪い取ってしまいました。
急な出来事にびっくりしたのですが、私がすぐにその子からクレヨンを取り返すと、その子は泣き出してしまいました。
すると、保育園の先生は私を叱りました。
「違うよ! 最初に取ったのはあの子だよ!」
そう訴えたのですが、先生は聞く耳を持たず相手にしてくれません。悔しさのあまり、私も大号泣してしまいました。
「もう、あんなところには行きたくない」
涙ながらにそう訴える私に、思うところがあったのでしょう。このようなトラブルがほかにも立て続けに起こったこともあって、母は保育園に私を預けることをやめました。
この事件の頃からかもしれません。
自分以外の誰かが決めたこと――「行かなければならない」場所や「しなければならない」ことに対して、私が不信感や違和感を持つようになったのは。
■長寿教育番組でひとつだけ許せなかったこと
保育園に通わなくなった私は、近所の公園で1人で遊ぶことが多くなりました。
誰もいない公園のグラウンドに、勝手に長い穴を掘ってそこに水道から水を流して水路を作ってみたり、落ちている石を拾い集めてずっと並べてみたり……。ひとりで夢中になって遊ぶことも、これはこれでとても達成感がありました。
でも、こんなふうに公園に行くことは大好きなのですが、「公園に行きましょう」と誰かから言われるのはダメなんです。「行こう」と言われると強制されているようで、すごく嫌な感じがします。
それを象徴するような記憶がひとつあります。当時、NHKの教育番組と言えば『おかあさんといっしょ』でした。私も好きな番組でよく見ていたのですが、その番組の中にひとつだけどうしても許せないことがありました。
歌のコーナーでたまに流れる『公園にいきましょう』という歌。子どもの私は、この歌が本当に大嫌いでした。
「なんで、誰だかもわからない人に“行かされなきゃ”いけないんだ!」
天邪鬼だというのか、なんというのか。とにかくそれくらい、物心ついた頃から自分のことや行動を、他人に強要されたり、命令されることに納得できない性分でした。
■「なぜ誰かに決められないといけないんだろう?」
例えば、絵を描いている私が母からこう声をかけられたとします。
「そろそろごはんだから、もう片付けなさい」
そう親に言われたら、たいていの子どもは渋々ながらも「……はーい」と絵を描くのをやめにして、食卓に向かうでしょう。でも私は絵のほうを優先したいんです。
「それはあなたが決めた予定でしょ? こっちが終わるのを待っててよ」
「何なら食べなくてもいいから!」
夜遅くまで起きていると、「もう歯を磨いて寝なさい」なんて皆さんも言われたことがあると思います。親としてごくごく当たり前の言葉であり、家庭の日常風景ですが、これにも反発していたくらいです。
「自分のことなのに、なぜ誰かに決められないといけないんだろう?」
そんな疑問が確かにいつも自分の中にありました。自分の中で「すべきこと」「したいこと」の優先順位が明確にあって、その優先順位を自分以外の誰かに崩される、ということに耐えられない。もっと正確に言えば、耐えられないどころか、そうされると頭の中がぐちゃぐちゃになってしまって、自分のやるべきことがわからなくなってしまうのです。
■自由で楽しい生活の中で、1通のハガキが
優先順位だけではありません。「お兄ちゃんなんだから……」「男の子なんだから……」と、年齢や性別だけで“そうあらねばならない”と決めつけられることもです。
最近でこそ、こうしたパーソナリティやジェンダーに関する一元的な認識はされなくなりつつありますが、私が子どもだった2000年代前半は、まだまだそうした考え方や感覚が色濃くありました。
保育園に行かなくなった私は、自宅で絵を描いたり公園に遊びに行ったり……と自由に楽しく生活をしていました。そんな6歳の冬のある日だったと思います。
「こういうのが来たよ?」
母はそう言いながら、私に1通のハガキを見せてくれました。市役所から送られてきた入学通知書でした。
《ご入学おめでとうございます!》と、お祝いの言葉が添えられていたのを、よく覚えています。
「来年から小学生だって。どうする?」
■「学校には行かないかも」と予感していた母
「どうする?」というのは、言うまでもなく「小学校、行く?」という意味です。一般的に考えれば、小学校に行くも行かないもありません。基本的には誰もが行くものであり、親が子どもにわざわざ意思確認すること自体、なかなかないでしょう。
でも母は、こだわりが人一倍強く、頑固で、保育園をすぐに辞めたりしてしまった息子に何か思うところがあったのかもしれません。入学通知書には入学予定の公立小学校が記載されていて、決められた期日までに必要事項を記入して、その指定小学校に提出しなければいけないことになっていました。
「どうする? 行く?」
「いや、行かないよ」
私は、一切迷うことなく即答しました。
「小学校には行きたくない」
私は、まったく迷うことなく即答しました。
「えっ! 本当に行かないの?」
私の言葉に母は少し驚きながらも、その後、「小学校に行かせる」か「本人の意思を尊重する」か、父と話し合ったそうです。母に当時の話を聞くと、「“学校に行かない”というかもしれない」という予感はあったと言います。
■ホームスクーリングという選択肢を知っていた
当時、私は6歳。世の中のことを何ひとつ知らない子どもでしたが、「行かない」と断言できるくらい、私の中には確信めいたものがありました。
「小学校は行かないほうがいいだろうな」
「自分にとっては、行かないほうがいいところだ」
保育園での出来事も、少なからず影響していたとは思います。
もうひとつ、身近な存在として「ホームスクーリング」をしていた知り合いがいたことも、私にとって大きかったと思います。外国人のお父さんと日本人のお母さんを持つ年上の友人がいたのです。
ホームスクーリングとは、学校に通学せず、自宅を拠点として学習を行う教育形式のこと。日本では、現在もそこまで浸透したスタイルではなく、海外でもその受け入れられ方は国によって様々です。アメリカなどホームスクーリングが広く認知されている国では、法律的にも権利を認められています。
■学校に行かなくても勉強も生活もできる
ホームスクーリングの方法は様々ですが、自宅で親が先生となる場合もあれば、インターネットを使って授業を受けたり、単に主要な教科の勉強という範疇だけでなく、子どもの自主性や興味・関心に沿って学校では学べないようなテーマを深く学ぶスタイルもあります。
私よりひと回り上のその子も、学校に通わずにホームスクーリングをしていました。
当時、家族ぐるみで付き合いがあったので、幼かった私もホームスクーリングというスタイルを何となく知っていたわけです。私の決断にどれくらい影響したのかは、わかりませんが少なくとも、彼の存在によって、
「学校に行かなくても勉強も生活もできる」
という感覚が、私の中にあったことはたしかです。
■息子の意思を尊重した両親の決断
息子が学校に行かないという選択をしたことに対して、両親は少し心配はあったのかもしれませんが、大反対することも叱りつけることもなく、私の意思を尊重してくれました。
私の父や母が、ホームスクーリングなどの先進的な教育に特別理解があったわけではないと思います。逆に教育にまったく無関心の放任主義だったというわけでもありません。ただ、父は幼い頃に両親が離婚した関係で、一時的に学校に通えない時期があったそうです。
だから、学校に行かないということに少しは考えがあったかもしれません。母は、もちろん小学校に通っていましたし、ごくごく普通に義務教育を受けてきましたが、「子どもの意思を尊重しましょう」という考えを持っていました。
もしも両親のこの決断が違うものだったら、私はまったく違った人生を送っていたのだろうと思います。
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作曲家・アーティスト
1997年生まれ。神奈川県藤沢市出身。東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻在学中。6歳の時、「自分は学校へは行かない!」と宣言し、小・中学校の9年間をホームスクーラーとして過ごす。通信制県立高校に進学後、一念発起。音楽経験がほぼゼロの状態からピアノと作曲の勉強を始め、2浪の末、東京藝術大学音楽学部作曲科へ進学。自身が不登校で過ごした経験から、鑑賞者にとっての“居場所”となれるアートの探求、創作活動を行っている。受賞歴に、令和5年度奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門第3位、東京藝大アートフェス2023 東京藝術大学長賞(グランプリ)などほか多数。
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(作曲家・アーティスト 内田 拓海)
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