「点字は読めない、白杖は使えない、盲導犬は苦手」そんな全盲の医師が『相棒』のDVDを放映順に並べられる理由
プレジデントオンライン / 2024年10月12日 18時15分
■北海道の大雪の中で立ち尽くした日
読者の中には、もしかすると私のことを「目が見えなくなったことを乗り越えて、苦労なく生きている人」だと捉えている方もおられるかもしれません。
そんなことはありません。見えないからこそできなくなったことがたくさんあるし、毎日が苦難の連続です。
目が悪くなったばかりの頃は、しょっちゅう何気ない道で迷子になっていました。特に雪の日は、危険です。北海道は、冬になると町の景色が雪で真っ白になります。歩道が雪で完全に覆われるわけです。
これは目が見えない人間にとって、アスファルトの感覚や点字ブロックといった「足の触覚情報」を奪われることを意味します。
そんな大雪の日にゴミ捨てに行った際、家の前で道に迷いました。気づけば前も後ろも右も左も膝までの雪。玄関を出て数分のはずなのに、もはや迷子ではなく遭難者の状態。
「現在地を失う恐怖」というのは、筆舌に尽くし難いものがありました。
幸い、携帯電話を持っていたので、友人と連絡が取れ、一命を取り留めました。
■駅のホームから線路に落ちたことも
またその頃は空港や駅の利用もひと苦労でした。
飛行機は、知らない間に搭乗ゲートが変わっていたり、出発時刻が変わっていたり、イレギュラーなことが頻繁に起こるからです。案内板がよく見えず、出発ロビーを何時間もぐるぐると彷徨(さまよ)ったこともありました。
電車移動の場合でも、改札を入ってすぐのところにホームがある駅だとは知らずに、線路に落ちたことがあります。
今、完全に目が見えなくなって、1人で知らない場所を訪れることは不可能になりました。
視覚障がい者の中には、旅行が趣味で、その土地の空気感や食べ物などを楽しんでいる人も意外といるようです。しかし、目が見えない状態での1人旅はストレスのほうが多く、私はあまり楽しめません。
見えないからこそ見えないもの、できなくなったことは、まだまだあります。
大好きな映画や漫画の続編が見られなくなりました。これは本当に残念……!
例えば小学生時代から大ファンだった映画『インディ・ジョーンズ』のシリーズ。続編のパート4は見えなくなる直前の視力でかろうじて観賞しましたが、やっぱり楽しさは半分以下。
最近公開されたパート5は断念しました。会話がメインのヒューマンドラマならまだしも、アクション映画は音声だけ聞いても誰がどう跳びはねて、何がどう爆発してるのかさっぱり分からない。詳細な描写を想像することはさすがに不可能です。
そういったわけで、70代のハリソン・フォードの勇姿が見られなかったことは非常に残念でした。
■コロナ禍でいちばん困ったこととは
目が見えなくなったことで全くもって価値を失ったものもあります。
絵画や写真、サイン色紙です。
造形的なものであれば触れば分かりますが、「色の塗り分け」は、私にとっては意味を為しません。
サイン色紙も同様で、こんな言い方はどうかと思いますが、サイン色紙も、医師免許も、重要書類も、新聞紙も、目が見えない私にとっては、ただの紙です。
「紙」と言えば、困るのが届いた郵便物を読めないこと。
白ヤギさんか黒ヤギさんか、何の知らせが誰から届いているのかさっぱり分かりません。ですから、重要な書類が混ざっていても、誰かに見てもらうまでは内容を知らずに置いておくことになります。それで書類の期日を逃したり、停電や配管工事のお知らせを知れなかったりしたことも一度や二度じゃありません。
もっと切実なことを言えば、コロナ情勢においては体温計の表示が見られないことが大いに困りました。熱っぽいかなと思っても自分が何度なのか分からない。
誰かに助けを求めようにも感染の疑いがある時はソーシャルディスタンスの壁が立ちはだかる。
皮膚が変色していても、血尿や血便が出ていても、目が見えないとなかなか気づくことができないのは、1人暮らしの視覚障がい者の大きな課題ですね。
■点字は読めない、白杖は使えない、犬は苦手…
一方で、視覚障がい者の意外な一面と言える部分もあります。
ファッションやメイクなど、見た目に気を遣う人が多いことです。
上下カラフルな洋服に身を包む男性や、メイクを楽しむ女性がいらっしゃいます。
私自身も、「どうせ見えないんだから、適当な服でもいい」とは思いません。むしろ逆、身なりはきっちりしていたいという気持ちが強いのです。
乗務員さんに誘導してもらって飛行機に乗り込むと、着席後に「点字」の本を渡してくださることがあります。私は点字が読めないので、「ありがとうございます」と、お気持ちだけ受け取ってお返しします。
目が見えない人といえば、盲導犬や白い杖を思い浮かべる人も多いでしょう。
ところが私、実は犬が大の苦手でして……。
子どもの頃に友達の家の飼い犬に吠えられたことがあって以来、犬がいると幽霊と出会った時のように怖がってしまう。盲導犬が安全なのは重々承知しておりますが、三つ子の魂百まで、私は連れて歩くことができません。
また白杖も、折りたたみ式のものをいつも鞄の中に持ち歩いているけれど、ちゃんとした訓練を受けたことはなく、取り出す用途は専ら周囲に事情を分かってもらうためだけです。
■「いかにもな視覚障害者」を演じることも…
もしかしたら、みなさんが想像している視覚障がい者とは少しイメージが違っていたのではないでしょうか。
視覚障がい者だから、点字の本を読むはずだ!
視覚障がい者だから、盲導犬を連れているはずだ!
視覚障がい者だから、白杖を使いこなしているはずだ!
そう思われることが多いですが、とんでもない。確かにそういう人もいますが、そうではない視覚障がい者もたくさんいるのです。
「認知バイアス」をご存じでしょうか。
これは、これまでの経験や直感に基づく先入観によって、非合理な判断をしてしまう心理傾向のことで、とても簡単に言うと「思い込み」です。多かれ少なかれ誰の心にも潜んでいます。
「視覚障がい者」というのも、実にこの認知バイアスを持たれやすい存在です。というのも、みんながみんな身近に視覚障がい者がいるわけではありません。
ですから、街中で見かけたことがあるとか、ドキュメンタリー番組に出ていたとか、漫画の中にそういうキャラクターがいたとか、記憶に残っている「一部」の視覚障がい者の印象が、そのまま「一般的」な視覚障がい者の印象として、その人の中に残ってしまうわけです。
だから実際は必要ない場面でも、視覚障がい者らしくするために、あえてサングラスをかけて白杖を持って登場する、なんてことも私はたまにしています。らしくするも何も、目が見えないのは本当なのに、なんだかヘンテコな話です。
■なぜ「障がい者は心が綺麗」と思うのだろう
「障がいがある人は心が綺麗だ」という思い込みが強い人もいます。もしかしたら、障がいを乗り越えて懸命に生きる人の物語を見るなどして、そういった印象を持ったのかもしれません。
確かにそういう人もいますが、みんながそんなわけありません。視覚障がい者も人間です。イライラすることはあるし、性格が良い人もいれば、悪い人もいます。心が綺麗な人も、心がやさぐれている人もいます。それが当たり前です。
他にも、「見えなくなった分、別の能力が秀でているはずだ」という印象も多いかもしれませんね。そう思ってもらえるのは視覚障がい者にとって有り難くもあり、プレッシャーでもあります。
目が不自由なFBI捜査官の活躍を描いたテレビドラマが放映された際も、「視覚障がい者のバリアバリューを描いてくれて嬉しい」という声もたくさん聞いた一方、「こんなに超人だと思われたら困る」という当事者の声も少なからずありました。
例えば、「人間は1つの感覚が失われると、他の感覚が冴える」という定説があります。確かにこれは嘘ではありません。私自身も、音や匂い、空気の流れや踏みしめた地面に対して、目が見えていた頃よりも繊細に感じている実感があります。
■『相棒』のDVDもちゃんと放映順に並べている
しかし、それもやっぱり人それぞれ。視覚以外のどの感覚が深まるのかも、どの程度深まるのかも、人によって違います。深まらない人だって当然います。
バリアバリューに着目することは大切ですが、目が見えないから聴覚が優れている、触覚が優れている、と一概には思わないでください。
また、誤解されやすいこととして、目が見えない人は片づけが苦手と思われがちですが、これもまた人それぞれ。部屋を綺麗にしている視覚障がい者だってたくさんいます。私もその1人です。かといって決して綺麗好きというわけではありません。
片づける理由は単純明快。物がなくならないようにしたり、必要な物がすぐ取り出せるようにしたりするためには、整理整頓しておくのが合理的だからです。
私には一目瞭然がありません。
部屋を見渡せればピンポイントで手に取れる物も、手探りで見つけるしかない。だから部屋にある全ての物の定位置をちゃんと決めてそれを記憶しているわけです。
例えばCDは歌手別・発売順に並べています。DVDもシリーズ物はちゃんと放映順に並べています。
テレビドラマ『相棒』のDVDもそうしているので、再放送をやっていると冒頭のシーンで「これはシーズン4の第2話だ」と分かります。
一緒にいた友人は驚きますが、そうやって憶えておかないと見たいエピソードを探す時にとても苦労するのです。
■私たちの「等身大」を理解してもらう難しさ
ただそう聞くと、目が見えない人は記憶力が高いのかと思われるかもしれません。確かに、目が見えない状態で数時間の講演をする人もいるし、実際にブラインドサッカーをやっている人の脳を調べると多人数の動きや位置を記憶する能力が秀でているというデータもあるそうです。
しかし目が見えていても舞台役者は数時間の劇のセリフを丸暗記しているし、駒を使わずに頭の中の棋譜を記憶して対決するブラインドチェスをたしなむ人もいる。
だからやっぱり、みんながみんな当てはまるわけではないのです。
夜空でビルに激突するコウモリもいれば、地面の中で迷子になるモグラだっていてもよいのです。
このことを医学的に考察すると、視覚障がい者の能力が一様ではない理由として、個人差だけでなく、経験の差も考えられます。つまり、見えない世界に慣れている「ベテラン」もいれば、最近その世界に来たばかりの「ビギナー」もいる。
ベテランは、ある程度のことは自分1人でできます。だから助けを望まず1人でやりたがる人も多い。
逆にビギナーは、できることがまだ少ない分、助けを求める人も多くなります。
そういうわけで、サポートする側も、視覚障がい者だから一律の優しさ、一律の支援というわけにはいきません。「見くびらないで」と言ったり、「プレッシャーをかけないで」と言ったり、一体どうしてほしいんだと思われそうですね。
「等身大」を理解してもらうのはそれだけ難しいんだということです。それが人と人が一緒に生きていく上での厄介なところであり、面白さでもあるのでしょう。
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精神科医
1980年広島県呉市生まれ。医療法人風のすずらん会美唄すずらんクリニック副院長。広島大学附属高等学校卒業後、東京医科大学に進学。在学中に、指定難病疾患「網膜色素変性症」を診断され、視力が低下する葛藤の中で医師免許を取得。2006年、「美唄希望ヶ丘病院」〔現在は「江別すずらん病院」(北海道江別市)〕に精神科医として着任。32歳で完全に失明。2018年からは自らの視覚障がいを開示し、「視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる」の幹事、「公益社団法人 NEXT VISION」の理事として、目を病んだ人たちのメンタルケアについても活動中。ライフワークは音楽と文芸の創作。
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(精神科医 福場 将太)
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