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平均零下20度の極寒に15頭置き去りの南極越冬隊…生き残った兄弟犬「タロとジロ」奇跡の生還のその後

プレジデントオンライン / 2024年10月11日 10時15分

1959年1月15日、再会したタロとジロを抱き寄せる南極観測隊員。2頭は前年1958年2月に第2次南極観測隊が越冬を断念した際、昭和基地に置き去りにされた15頭のうちの2頭(南極) - 写真=時事通信フォト

高倉健さん主演の空前の大ヒット映画『南極物語』のモデルになった樺太犬の兄弟タロとジロ。昭和33(1958)年、第2次越冬隊が荒天のため昭和基地まで行けず、15頭が置き去りにされたが、1年後、2頭だけが奇跡の生還を果たす。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんがその後に2頭がたどった生涯を紹介する――。

■冷凍庫並…世界一寒い南極に置き去りにされたタロとジロの奇跡

警察犬に麻薬犬……近年、「職業犬」に注目が集まっているが、役割を終えた職業犬もいる。その例のひとつが、南極観測隊に同行した「南極犬」だ。本稿では、戦後間もない頃に南極から生還した「タロ」「ジロ」の姿を追いつつ、この兄弟犬の弔いに焦点を当ててみる。

職業犬とは、人間の能力では難しい局面で、役割を果たすよう訓練された犬のこと。今年の能登半島の地震や豪雨でも、災害救助犬が活動を続ける姿が目についた。犬たちは、その優れた能力と忠実な性格を活かし、私たちの生活をサポートし、社会に貢献しているのである。

例えば補助犬は、障がいのある人の日常生活をサポートする犬のことを指す。補助犬の中には盲導犬、聴導犬、介助犬などの種類がある。警察犬や災害救助犬、麻薬探知犬は卓越した嗅覚を生かし、犯人の追跡や生存者の救出、麻薬の密輸の発見などに貢献する。

古くは家畜の群れを誘導し、外敵から守る牧羊犬や、狩猟の時にハンターを補助する猟犬がいる。近年は、病院や高齢者施設で入居者の心を癒すセラピードッグの存在も注目を集めている。知能が高く、人間との協調性の優れた犬ならではの特性を活かした役割といえる。職業犬の存在は今後もますます、高まっていくことだろう。

ところが、時代の変化とともにその役割を終えた職業犬もいる。南極の観測隊に同行していた南極犬である。

わが国の南極犬の活動は、戦前の白瀬矗探検隊に同行したからことから始まる。国立極地研究所の資料によれば、戦後の南極観測隊の活動では1956(昭和31)年の第1次隊から犬ぞりを使用し始め、第7次隊で派遣されたブルとホセが最後の南極犬(ペットとして昭和基地に派遣)となっている。

だが、1991(平成3)年に発効した「環境保護に関する南極条約議定書」により、外来種である犬を南極に持ち込むことが禁止され、現在では雪上車などの機械が南極犬に取ってかわっている。

南極犬といえば、真っ先に思い出すのがタロとジロの兄弟犬ではないだろうか。タロとジロは1956(昭和31)年、稚内市で生まれた樺太犬の兄弟だ。2頭とも真っ黒い毛が特徴だが、ジロの前足の先だけが白い。

1956(昭和31)年11月。第1次南極越冬隊は22頭の樺太犬を連れて南極へ向かった。雪上車の緊急故障時に安全な移動手段として犬そりを使うためだ。だが1958(昭和33)年、天候悪化に見舞われ、第2次隊が昭和基地に辿り着くことができずに、南極で生まれた子犬と母犬は連れて帰るものの、それ以外の15頭は鎖につながれたまま、置き去りにされた。その1年後、再び南極にやってきた第3次越冬隊員によってタロとジロは生きたまま発見された。日本のみならず、世界中を驚かせた。

他の13頭は昭和基地で死亡、あるいは行方不明になっていた。彼らの物語は空前の大ヒットとなった映画『南極物語』(高倉健主演)をはじめ、多くの文学作品などでも広く知られている。だが、その弔いについては知らない人がほとんどだ。

■置き去りになって半年後に樺太犬たちの盛大な葬儀が……

実は15頭の犬たちが置き去りにされてから半年後の1958(昭和33)年夏、「すべての犬が生き残っているはずがない」と決めつけて、葬儀が実施され、慰霊碑が建立されていたのである。

慰霊碑を手掛けたのは堺市の獣医で彫刻家の岩田千虎(かずとら)である。獣医師でもあった岩田は、動物園や軍役などで死んだ多くの動物を慰霊するため、多くの作品を手がけた人物として知られている。

その場所は大阪府堺市堺区の大浜公園。慰霊碑には15頭全頭の像が彫られ、タロとジロは遠吠えしている姿が生き生きと表現された(当時はコンクリート像だったが、後にブロンズ像に替えられた)。

慰霊碑には、このように刻まれている。

昭和三十二年二月十五日より昭和三十三年二月十一日まで
南極観測隊第一次越冬隊に協力した樺太犬の霊の為に

慰霊祭(葬儀)には、第1次南極越冬隊員らも参加。盛大な供養がこの慰霊碑の前で実施された。実に気の早いことだ。

この時のエピソードが興味深い。ある越冬隊員が弔辞を読んでいた時のことである。弔辞の結びで、「リキ、ゴロ、アンコ、クマ……」と1頭ずつ名前を読み上げていた。しかし、13頭目まで犬の名前を挙げていたが、どうしてもタロ・ジロの名前が出てこず、絶句したとも言われている。そして、仕方なく、そのまま「安らかに眠れ」と結んだというのだ。

奇しくも、タロとジロは生きていた。慰霊碑の建立はなんとも早まった「死亡宣告」であったが、「早く供養してあげたい」と考えた日本人らしい一面かもしれない。

タロとジロの生還は、日本中で感動の嵐を呼んだ。タロは4年ほどを南極で過ごし、日本に帰国。越冬隊を引退し、北海道大学農学部付属植物園の博物館で9年あまり飼育された。そして1970(昭和45)年、老衰で14歳7カ月の命をまっとうした。その亡骸は、同博物館で剥製にされて展示されることになった。

北海道大学附属植物園博物館に展示されているタロ
撮影=鵜飼秀徳さん「」
北海道大学附属植物園博物館に展示されているタロ - 撮影=鵜飼秀徳さん「」

タロが展示されているのは、ヒグマやエゾオオカミなど、北海道由来の動物などが展示されている博物館本館(重要文化財)。1階の最奥部の白いガラスケースの中に入っており、いかに大切に飼育されていたかがわかる。真っ黒く、長い毛皮が特徴のタロは精悍な体つきで、まるで生きているかのようだ。わが国の樺太犬はすでに絶滅していると考えられており、貴重な史料としても重要だ。

重要文化財に指定されている北海道大学附属植物園博物館
撮影=鵜飼秀徳
重要文化財に指定されている北海道大学附属植物園博物館 - 撮影=鵜飼秀徳

■タロとジロの「遺骨」は行方不明

一方で、ジロは「奇跡の生還」の1年半後、南極で死亡した。南極での食糧事情の影響もあり、死亡時のジロはかなりやせ細った状態であった。ジロは剥製にされるために冷凍保存されて、無言の帰国を果たす。現在、国立科学博物館の忠犬ハチ公の剥製の上に、ジロの剥製が置かれている。

ジロ(上)とハチ(下)。国立科学博物館にて
撮影=鵜飼秀徳
ジロ(上)とハチ(下)。国立科学博物館にて - 撮影=鵜飼秀徳

なお、タロとジロの剥製は過去に2度ほど、企画展の展示のために「再会」を果たしている。だが、日本で栄養状態もよく、毛並みもツヤツヤのタロに比べ、極地で死んだジロは対照的に貧弱で、その違いに心を痛める来場者も少なくなかったという。

タロとジロの「遺骨」については現在、行方不明である。以前、筆者が国立科学博物館にジロの墓の所在を確かめたことがあったが、「当時の引き継ぎノートなどに記録はなく、わからない。そもそもジロの遺体は引き取り手がなかったので国立科学博物館に運ばれてきた」とのことだった。

タロとジロの遺骨が埋まった墓は不明だが、先述のように供養塔は各地に造られ、弔われている。南極・昭和基地では13頭の犬の慰霊のための仏像がすぐに建立され、慰霊祭が実施されている。

また、東京タワーが完成した直後に15頭のカラフト犬像が設置された。こちらは慰霊碑というより、タロ・ジロの生還を記念して作成された顕彰碑の要素が強い。像は2013(平成25)年に、国立極地研究所へと移転している。

さらに、北海道稚内市には樺太犬供養塔と南極観測樺太犬記念碑がある。稚内は犬ぞりの訓練地であり、稚内周辺から多くの南極犬が選ばれたことから、モニュメントを建立することになった。記念碑にはブロンズの樺太犬が立っており、そのモデルはジロという。

一度、各地の南極犬に会いに行ってみてはいかがだろう。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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