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最高倍率3000倍超…「習近平にすべてを捧げれば一発逆転できる」中国の就活生が殺到する"超人気職業"とは

プレジデントオンライン / 2024年10月17日 11時15分

安徽省阜陽市で試験勉強に励む2024年度の「高考」受験生(=2024年5月29日、中国) - 写真=CFoto/時事通信フォト

中国は伝統的に出世と勉強が深く関係している。紀実作家の安田峰俊さんは「かつての中国では『科挙』と呼ばれる官僚の登用試験が行われていた。現代においても大学受験の競争が過熱しているが、本当に競争が熾烈になるのは大学受験後が終わったあとだ」という――。(第1回)

※本稿は、安田峰俊『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■「進士」になるのは博士号を取得するより難しい

科挙の受験者はまず、童試(どうし)と呼ばれる三回の地方予備試験に合格することで、生員という身分を与えられる。生員は形式上は学生だが、すでに庶民とは別格の知識人として認められる身分である。

次におこなわれるのが、各地の省都で通常3年に1回開かれる最初の本試験・郷試だ。こちらは、貢院(こういん)と呼ばれる受験専門施設に1万〜数万人の生員が集まり、40〜90人ほどが合格する。合格者は挙人(きょじん)と呼ばれ、この身分の時点で非常に尊敬される立場になる。

次の試験が首都の北京でおこなわれる会試(かいし)だ。地方から1万数千人の挙人が集まって3回の筆記試験をおこない、数百人が合格する。これを突破すると皇帝が試験官を務める殿試に進むが、殿試では不合格者を出さない不文律があり、実質的には状元以下の順位を決めるイベントである。

すべてに合格した人物は進士(しんし)の称号が与えられた。進士はかつて、英語で「ドクター」と訳されていたが、称号を取得する難易度はおそらく博士号よりも高い。近年は進士に「presented scholar」(恩賜(おんし)の学者)という訳語を充(あ)てることが多いようだ。

■「富も豪邸も美女も高い身分も、書物のなかにある」

科挙に合格して進士――。どころか、予備試験を突破して生員になるだけでも、四書五経をすべて暗唱し、さらに歴史や詩文の膨大な書物の内容を自分の血肉にするほどの、非人間的な猛勉強が必要になる。

16世紀、明代後期における科挙の合格者発表の現場
16世紀、明代後期における科挙の合格者発表の現場。明代の画家、仇英が描いたもの(画像= National Palace Museum/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

余談ながら、清末に太平天国の乱を起こした洪秀全(こうしゅうぜん)は、予備試験に落第して生員にすらなれなかった人物だ。また、科挙は制度のうえではあらゆる階層の男性に受験資格が認められていたが(売買春関係者など少数の例外はある)、一族の若者を生産活動に従事させることなく受験勉強に打ち込ませるには多大な財産が必要となり、両親や親族の負担は大きかった。

ならば、どうして当時の中国人はこの試験地獄を甘受したのか。答えは簡単で、猛勉強の末には苦労が割に合うだけの見返りがあると考えられていたためである。

「富も豪邸も美女も高い身分も、書物のなかにある。男子が志を得たいならばひたすら勉学せよ」とは、中国の民間で流行した『勧学文』という詩の大意だ(作者は宋の真宗(しんそう)に仮託されている)。かつて日本には「グラウンドにはゼニが落ちている」というプロ野球監督の言葉があったが、伝統中国の場合は「書中にはゼニが落ちている」ということになるだろうか。

■中国の政治家には「教養人+経営者」の素質が求められる

そのため、たとえ個々の家庭は比較的貧しくても親戚同士(宗族(そうぞく))で学資を出し合い、一族の出来のいい子どもに科挙を受験させて官界に送り込む事例も多くみられた。

事実、科挙に合格すれば最上級の文化人として尊敬されるのみならず、官僚になればさまざまな役得ゆえに財産を築ける。仮に官途を諦めたり、挙人や生員で受験をやめたりしても、郷紳(きょうしん)(地域の有力者)として敬意を払われ、一族全体の地位も大きく向上する。このような、政治力と経済力を併せ持った知識階級は士大夫と呼ばれた。

ちなみに近年の日本の場合、社会のリーダー層における政治・経済・学問のトップは、それぞれ分離しているのが普通である。たとえば、学界の重鎮である研究者が庶民と変わらない生活をしていたり、政治家や上場企業の社長が教養分野に無関心だったりするのは、よくある話だろう。

だが、科挙と士大夫の伝統を持つ中国の場合は、これらの三要素をすべて併せ持つ人間こそが一流の人材だ。特に政治指導者については、学識が高いほど好ましい人物だとみなされる教養主義が根強い。もちろん、そうした文人政治家にはカネも勝手についてくる。

たとえば、往年の江沢民が中国各地で盛んに揮毫(きごう)をおこない、英語やロシア語など外国語能力のアピールを好んだことや、中華民国(台湾)の総統だった李登輝(りとうき)が日本文学の素養や岩波文庫の蔵書量を誇っていたことは、中華世界の士大夫的な権力者像を多分に意識した言動だったと考えていいだろう。

■「高考」は“最も公平な競争”なのか

この傾向がより顕著なのは習近平だ。

彼は(論文の代作疑惑が根強く囁ささやかれるものの)清華大学の法学博士号を持ち、自身が演説で引用した古典語句を編集した『習近平用典』を刊行して共産党員に学習させるなど、知識人としての権威付けにことさら熱心である。習近平の場合、前代までの指導者(江沢民・胡錦濤)と違って文化大革命の影響で青年期に高等教育を受けられなかった弱みがある。それゆえにいっそう、士大夫イメージを自己宣伝したがる傾向が感じられる。

ところで、現代中国の大学共通入試である高考(普通高等学校招生全国統一考試)は、そのポジティブな側面として「中国社会で最も公平な競争」という性質が指摘されることがある。たとえ党高官の子どもでも貧しい農民の子どもでも、高考の受験資格自体は公平だからだ。

情実や賄賂で試験の結果が逆転するケースは比較的少なく、点数が多い人物が問答無用で勝者になる。世間のあらゆるものがコネや権力・資金力で左右されがちな中国社会で、純粋な実力主義が貫徹される競争はむしろ珍しい。こうした高考の公平性は、往年の科挙の影響が大きいと考えられる。

もっとも、高考には各種の裏技もあり、特権層が子弟をあえて受験させず海外留学に送るケースも多い。幼少期からの詰め込み教育や、効率的な受験テクニックを教える塾や家庭教師を準備できる家庭は限られるため、結果的には富裕層や知識人の子どものほうが、試験で優位に立ちやすいのも確かである。

「高考」のテキスト
「高考」のテキスト。たとえば歴史の問題を見ると「ヘロドトスと司馬遷の歴史家としての共通点」を論述させるなど、なかなかハイレベルだ(画像=N509FZ/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■「廃塾令」によって失職した高学歴層

現代日本でも、受験は「課金ゲー」と呼ばれ(この傾向は私立小中学校入試でより顕著だ)、東大生の親の六割は年収950万円以上の豊かな家庭だといわれる。中国の場合、この傾向はいっそう甚だしい。

そのため、習近平政権は2021年7月、教育格差の元凶である学習塾の大規模規制に乗り出す大胆な政策に打って出た。現代中国の早期教育ブームに歯止めをかけて教育費の高騰を抑え、貧困層の子女にも高等教育の機会均等を保障する狙いがあったとされている。

この塾規制政策によって、もともと約12万4000業者もあった塾は9割以上も減った。だが、「上に政策あれば下に対策あり」が中国の社会である。当局が塾を規制したところ、子ども向けのピアノ教室や絵画教室を装ったヤミ塾が多数登場し、家庭教師産業も従来以上に活発になった。

これらを利用する中産階層の教育費負担はかえって増大し、政策は裏目に出ているという。ちなみに、現政権の「廃塾令」のあおりは、意外な人たちに及んでいる。それはすでに高考を終えた高学歴の若者層だ。近年の中国では、大学を卒業したあとに自分が納得できる就職先を見つけられない問題が常態化しており、学習塾はこうしたインテリ失業者たちの腰掛け先として機能していた。

その職場が習近平の廃塾令で失われてしまったのである。ただでさえ就職難で困っているなかで、最後の食(く)い扶持(ぶち)まで削られてしまい、中国の若者の不満は高まっているとされる。

■人気の公務員職種は倍率3572倍に

ならば、こうした無為徒食に過ごすインテリ青年が、他者から尊敬されてお金持ちにもなれる立場に返り咲くには、どうすればいいか。最も確実な方法は、偉大なる国家の権威をまとうことだ。

安田峰俊『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)
安田峰俊『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)

ゆえに2024四年、中国の国家公務員試験の出願者数は過去最高の303万人を記録し、倍率は77倍(最も人気の職種は倍率3572倍)にも達した。私の友人で20代後半の中国人男性は、近年の風潮をこう皮肉る。

「文字どおりの官僚登用ですから、実態としては高考よりも公務員試験のほうが『科挙』っぽい感じがあります。往年は儒教で現在は習近平思想という、体制側のイデオロギーを受け入れて国家にすべてを捧げることで、人生の一発逆転を狙えるわけですからね(笑)」

多くの受験生を悩ませる高考は、往年でいえば予備試験の「童試」にすぎない。本物の科挙は国家公務員試験のほうなのだ。熾烈(しれつ)すぎる競争と試験地獄は、王朝時代も現代も変わらない中国の伝統なのである。

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安田 峰俊(やすだ・みねとし)
紀実作家(ルポライター)、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員
1982年生まれ、滋賀県出身。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第5回城山三郎賞と第50回大宅壮一ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。他の著作に『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『八九六四 完全版』、『恐竜大陸 中国』(ともに角川新書)、『みんなのユニバーサル文章術』(星海社新書)、『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)など。

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(紀実作家(ルポライター)、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 安田 峰俊)

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