若者の「体制離れ」が止まらない…中国全土に広がる「毛沢東ブーム」に習近平政権が頭を抱える理由
プレジデントオンライン / 2024年10月18日 8時15分
※本稿は、安田峰俊『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
■中国庶民が望む“帝王像”に合致していた毛沢東
毛沢東(1893〜1976年)の人生について、多くを説明する必要はないだろう。彼は1921年に結成された中国共産党の初期メンバーの一人で、やがて1935年の遵義(じゅんぎ)会議で党の実権を掌握、長征と抗日戦争・国共内戦を戦い抜いて1949年10月に中華人民共和国を建国した。
ただ、建国後の毛沢東は絶大な権威こそ持ち続けたものの、急激な社会主義建設を目指して経済政策に失敗し、政治的な実権が低下。しかし1966年に発動した文化大革命によってナンバー2だった劉少奇ら党幹部を多数失脚させ、その後は死ぬまで最高権力者として君臨した。
中国の伝統的な農民反乱をモデルにした「農村から都市を包囲する」革命戦略や、弱者が強者に勝つための遊撃戦論は、現在でも世界各国の反政府ゲリラたちのお手本である。また、毛沢東の福々しい外見や、地方視察時に見せた(かに見える)気さくで泥臭いキャラクターは、いずれも中国の庶民が望む帝王像と合致していた。
■改革開放路線のなかで“毛思想”が復権
だが、やがて改革開放政策のなかで資本主義を認めた中国共産党は、やがて統治の正当性の揺らぎに直面する。共産主義への道をほぼ放棄し、党国一致の一党専制体制だけを残す「共産党」に、人民を統治する資格はあるのかという当然の疑問が生じたのだ。
そのためゼロ年代からは、現状を問題視した人たちの間で、中国の将来についてさまざまな思想が議論されるようになった。政治の民主化を求めるリベラル派や、儒教国家の建設を唱える新儒家などが、百家争鳴の論争を繰り広げていた時期である。そのなかには、毛沢東時代を懐かしむ復古主義的な主張も含まれていた。
これは当初はキワモノ的な扱いを受けたが、社会矛盾が拡大するにつれて徐々に力を持ちはじめる。
■反日デモにも「毛沢東の肖像画」が登場
2008年には現体制を「修正主義統治集団」と規定した中国毛沢東主義共産党という政治グループが出現している(すぐに弾圧されたが)。さらに「烏有之郷」(ユートピア)や「毛沢東旗幟網」など、毛沢東思想に共鳴する複数のネットコミュニティも誕生した。
中国ではもともと、地方を中心に高齢者の間で毛沢東の人気が高い。ゆえに毛沢東ノスタルジーを利用する政治家も現れた。その代表的な人物が、かつて重慶市のトップだった薄熙来だ。彼は2010年代前半、「打黒唱紅(ダアヘイチャンホン)」というマフィア摘発と毛沢東時代の革命歌謡を歌う大衆動員キャンペーンをセットでおこない、地域住民の支持を得た。
当時の薄熙来は習近平に代わって次代の党指導部入りを狙っており(その後に失脚)、野心のために毛沢東を利用したのだった。2012年秋に尖閣諸島問題をめぐって起きた反日デモでも、北京の日本大使館を取り巻くデモ隊のなかに大量の毛沢東の肖像画が登場した。毛派の姿は、中国の社会で可視化されはじめた。
ただ、地方出身の高齢者を中心とする彼らは、実は古いタイプの毛派であり、近年は新たなタイプが登場している。それは1990年代以降に生まれた、都市部のエリート層出身の「よい子」たちだ。
■中国共産党を批判する「ネオ・マオイスト」
彼らは、大学の講義で必ず触れる毛沢東やマルクス、レーニンなどの共産主義文献を真面目に学んだ結果、党の本来のイデオロギーと現実の中国社会との矛盾が許せなくなった人々である。
本稿ではひとまず、「ネオ・マオイスト」(ネオマオ)とでも呼んでおこう。そもそも、2012年に党総書記の座に就いた習近平は、毛派(古い毛派)の一部の支持も得た指導者だった。文革世代である彼自身も毛沢東を尊敬しており、独裁や個人崇拝を含めて、毛沢東を意識した政治スタイルを採用しがちだ。
だが、習近平の毛沢東回帰には限界がある。鄧小平が定めた集団指導体制や最高指導者の任期制までは崩せても、「修正主義」の最たるものであるはずの改革開放政策は撤回できないからだ。中華人民共和国も現代世界の国家である以上、いまさら資本主義を否定して人民公社の時代に戻すことはできない。ゆえに、資本主義の弊害である格差の発生も資本家による労働者の搾取も、それらを根本的になくすことは不可能だ。
習近平は2021年に、「共同富裕(ゴントンフーユイ)」という概念を対症療法的に打ち出したものの、中産階層以上の国民からは反発を受けており、あまり効果をあげられていない。
■工場労働者が資本家に反発し騒動に
ネオマオをはじめ、共産主義を原理主義的に考える人からすれば、これは不徹底甚だしい姿勢である。結果、2018年の夏に衝撃的な事件が起きた。
深圳市坪山区にある溶接機工場で、賃金の未払いや厳しすぎる管理に反発した工場ワーカーたちの労働争議が発生――。ここまでは中国でよくある話だったが、ワーカーたちは党の管理を受けない自主労働組合の設立を要求。この闘争を支援するため、左翼の学生や20〜30代の若い活動家たちがこぞって工場に駆けつけたのだ(佳士(ジャーシー)事件)。
共産党の国である中国における「左翼」とは、すなわち毛派やマルクス主義者のことである。数十人の若者たちは現場で国際共産主義運動を象徴する労働歌「インターナショナル」を合唱して気勢を上げた。「団結就是力量(トウアンジェジウシーリーリャン)」(団結は力なり)など、毛沢東時代のスローガンも飛び出した。
BBC中国語版の記事によれば、闘争に参加したネオマオ青年たちはほとんどが豊かな家庭の生まれだが(自分を「既得権益層」と発言した学生もいた)、中国社会の矛盾を座視できず左傾したのだという。
もっとも、支援運動の発生から数週間後、当局は工場前に陣取っていた若者らを強制的に排除し、学生と労働者ら約50を拘束した。運動のリーダーたちはその後、「罪を認める声明」を無理やり発表させられている。
■「朝9時から夜9時まで週6日勤務」に耐える若者たち
中国ではこの佳士事件を境に、ネオマオ系の学生が逮捕されたり、北京大学などのマルクス主義研究サークルの活動が妨害を受けたりするようになった。
2021年2月には、毛派系のネットユーザーやウェブサイトが支援を表明していたフードデリバリー配達員の権利向上運動が弾圧される「陳国江(チェングオジャン)事件」も起きた(中国の配達員たちの労働環境は非常に悪い)。悲劇と喜劇は紙一重だ。まがりなりにも「共産党」を名乗る政党が、搾取に苦しむ労働者に寄り添うマルクス主義の運動を弾圧する構図は、なんとも皮肉である。
中国の若者のネオマオ・ブームは、一連の事件を通じてむしろ強まり、広がりをみせるようになった。経済が減速するなか、若者の就職難は深刻であり、やっと職を見つけても「996(ジョウジョウリョウ)」(朝9時から夜9時まで週6日勤務)の薄給激務が待っている。
かつて好景気だった時代は、IT大手アリババ創業者の馬雲(マアユン)(ジャック・マー)のようなビジネスエリートの成功譚(たん)を伝える自己啓発書(「励志(リーヂー)」と呼ばれる)が好まれたが、いまの若者の心にはさっぱり響かない。努力が報われない社会に失望して、「だめライフ」を肯定する躺平(タンピン)(寝そべり)という生き方も流行中だ。
■有名大学の図書館では『毛沢東選集』が大人気
そんな現代中国の若者社会で、現状打破のシンボルとしての人気を集めているのが毛沢東である。
中国のトップ校である清華大学の図書館で、2020年に最も多く借りられた書籍は『毛沢東選集』だったという(前年も1位)。ちなみに2位も、『三体』や『1Q84』『百年の孤独』などの世界的ベストセラーを抑えて、共産主義文献の『エンゲルス全集』がランクインした。若者が地下鉄やカフェで『毛沢東選集』を読む画像を、こぞってSNSに投稿する現象も起きた。
さらに不満を持つ人たちの間では、「階級闘争を忘れるな」などの毛沢東の言葉も流行している。抑圧への抵抗と闘争を訴える中国国歌「義勇軍進行曲」や、労働歌「インターナショナル」の歌詞も、親体制派ではなくむしろ社会に批判的な若者の間でシェアされるようになった。
国民の言論統制に躍起の当局も、毛沢東の言葉や国歌・共産主義歌となると規制するわけにはいかない。やがて、地下に溜(た)まったマグマが爆発する事件も起きる。
■「資本主義が中国を駄目にした!」と叫ぶ若者
習近平政権のゼロコロナ政策への反発から、2022年11月末に中国各地で起きた白紙運動だ。この運動は、学生や知識人が「政治的に何も発言できない」ことを示す白い紙を掲げて集会を開いた行儀のいい社会運動と、過剰なロックダウン措置に反発して暴れた工場労働者や一般市民の騒動とが同時並行して起きた。ネオマオ系の若者が交じっていたのは、もちろん前者である。
ドイツの国際公共放送「ドイチェ・ヴェレ」の中国語版ウェブページによれば、同年11月27日夜に北京市内の亮馬橋(りょうばきょう)で起きた白紙運動の現場で、群衆のなかに数人の毛沢東支持者がおり、『毛沢東語録』を引用して演説をおこなっていたという。
私自身、当時の運動参加者に近い筋から聞いたところでは、四川省成都市の現場で「資本主義が中国を駄目にした!」と叫ぶネオマオらしき若者がみられたという。11月30日に東京都内の新宿駅南口で在日中国人の若者がおこなった白紙運動集会にも、佳士事件の元参加者が加わっていたと聞く。
ちなみに、白紙運動は中国のあらゆる反体制派が相乗りした運動で、ネオマオではない反資本主義者やアナーキスト、フェミニスト、LGBT当事者、「支黒(ヂーヘイ)」と呼ばれる悪趣味系ネットユーザーなどのほか、ゼロコロナの犠牲の大きさに憤(いきどお)ったノンポリの若者も多数加わっていた。とはいえ、ネオマオが存在感を示していたことも事実である。
■「救済の思想」として再発見された
習近平政権の成立以来、中国共産党は国内の自由な議論を片っ端から封殺してきた。前政権時代までは存在した、穏健な民主化議論や民間主導の社会改善の取り組みも、表向きはほとんど滅ぼされている。
ところが、その結果として想定外の事態が起きた。言論統制を徹底しすぎたことで、本来はカビの生えた体制教学だったはずの毛沢東思想やマルクス主義が、閉塞感に苦しむ若者たちから「救済の思想」として再発見されたのだ。これは体制側には、非常に危険で悩ましい事態だと言えるだろう。
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紀実作家(ルポライター)、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員
1982年生まれ、滋賀県出身。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第5回城山三郎賞と第50回大宅壮一ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。他の著作に『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『八九六四 完全版』、『恐竜大陸 中国』(ともに角川新書)、『みんなのユニバーサル文章術』(星海社新書)、『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)など。
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(紀実作家(ルポライター)、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 安田 峰俊)
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