「本当の敵」は旧安倍派でも、裏金議員でもない…石破首相が「脱アベノミクス」をゴリ押しする本当の理由
プレジデントオンライン / 2024年10月10日 17時15分
■総裁就任で市場は乱高下
市場の混乱は自民党総裁選が行われた9月27日から始まった。午前中は対抗馬である高市早苗氏が優勢と伝えられ円安・株高の展開となった。だが午後になって石破氏の総裁就任が決まると、為替市場ではドルが一気に急騰。週明けの東京株式市場では日経平均株価が一時、2000円を超す下落となった。
よく知られているように、石破氏は金融正常化や財政健全化に前向きであり、首相に選出されれば金利が上がるとの見方が市場関係者の中で広がっていた。一方、高市氏は安倍元首相の後継者を自認するなど、アベノミクスによる低金利政策の継続を訴えている。総裁選の最中、日銀に関して「このタイミングで金利を上げるのはアホ」とまで発言しており、利上げについて強くけん制する状況だった。
非常に残念なことだが、過去30年にわたる景気低迷の結果、日本の株式市場は海外投資家にとって主要な投資対象ではなくなっている。今の日本市場に投資する外国人投資家は、多くが短期的な利ザヤを稼ぐことを目的とした、いわゆる投機筋であり、彼らはかなり荒っぽい投資を行う。
■石破ショックが発生した理由
高市氏が首相になれば、アベノミクス継続=ゼロ金利継続が連想されるので、短期的には円安・株高の流れとなる。投機筋は高市氏優勢のニュースを聞き、株を買い上がると同時に円を売る取引を行った可能性が高い。その後、石破氏勝利が決まると、一部の投資家は利益確定を行うだけでなく、逆のポジション(株売り、円買い)を組み、円高と株安が一気に進んだ。
株価下落に慌てた石破政権は火消しに躍起となり、植田総裁との会談では「現在、追加利上げをするような環境にあるとは考えていない」と発言。「金融緩和基調は基本的に変えることはしない」というコメントも出し、市場に対して低金利を持続する方向性を示した。この結果、市場は全く逆の反応となり、株価が上昇。為替も一気に円安に戻している。
■実は岸田氏と石破氏の違いは大きい
前述のように、日本の株式市場は取引の厚みがなくなっており、もともと株価が乱高下しやすい状況にあった。こうしたところに金融正常化に前向きな首相が誕生したことで、大きな相場変動を引き起こしてしまった。
石破氏は日本市場がここまで弱体化していることについて十分に認識していなかった可能性が高く、その意味では迂闊だったと言えるかもしれない。だが、一連の取引はあくまで投機的なものであり、政権側も発言に慎重になると同時に、市場も石破氏の発言に慣れてくるので、こうした乱高下はいずれ収束すると考えられる。
本来、株価というのは中長期的なマクロ環境や個別企業の業績によって形成されるものであり、石破政権にとっての本当の試練は、むしろ総選挙後にやってくると考えた方がよいだろう。
石破氏は基本的に岸田政権の政策を引き継ぐ方針を明確にしており、総裁選の公約には子育て支援や賃上げなど、もともと岸田政権で提唱されていた項目が並ぶ。確かに目新しさには欠けるが、実は細部に目を転じると大きな違いがある。賃上げ政策ひとつとってもそれは明らかである。
■「2020年代に最低賃金1500円」の意図
岸田政権は経済界に対して賃上げを要請してきたが、直接、経営に影響を与える最低賃金の引き上げについては慎重だった。一方、石破氏は賃金についてかなり踏み込んだ提言を行っている。岸田政権は2030年代半ばまでに最低賃金を1500円に引き上げる目標を掲げていたが、石破氏はこれを大幅に前倒しし、2020年代に全国平均で1500円を達成するとしている。
同じ1500円でも、2030年代と2020年代では天と地ほどの違いが生じる。
2030年代であれば、時間的余裕があるので、物価上昇に合わせて最低賃金を改定していけば達成はそれほど難しくない。しかし2020年代に達成するとなると、物価上昇を超えて賃金を上げる必要があり、企業はその原資を捻出する必要に迫られる。最低賃金ギリギリでの募集が多い地方にとっては、1500円への引き上げは相当なインパクトといえるだろう。
■努力をしない企業に退場を迫る
これまでの日本企業は、労働者の賃金を犠牲にすることで利益を確保してきたと言っても過言ではない。過去20年の日本企業における増益分の大半はコストカットによるものである。加えて日銀の低金利政策によって企業は利払い負担も回避できており、政府が下駄を履かせてきたのが現実だ。
だが、賃下げやコストカットばかりしていては、国民の所得は増えず、消費も拡大するはずがない。こうした状況に大規模緩和策の弊害のひとつであるインフレが襲い掛かり、国民生活は一気に苦しくなった。地方も含めて最低賃金1500円まで引き上げるということは、十分な付加価値を生み出していない企業に対して、市場からの退出を迫ることと同義であり、これは事実上の構造改革的な政策といえる。
石破氏は最低賃金引き上げと同時に地方創生も打ち出しており、地方創生交付金を倍増する方針を示している。加えて下請法の改正など、大企業による中小企業いじめについても規制を強化するとしている。一連の政策を組み合わせて考えると、地方に対して手厚く支援を行うと同時に、企業努力を怠り、十分な賃金を払わない企業には改革を迫るというアメとムチを使い分ける図式が見えてくる。
■多くの労働者にとっては朗報だが…
現実問題として、十分な賃金を払えない企業は、複数社での統合などを行い、規模のメリットを追求した方が生産性が向上するので、賃金も上がる。一般的には企業規模が大きくなった方が職場環境は改善するケースが多いので、労働者にとってはむしろ朗報といってよいだろう。
経済学的に見ればこうした政策はまさに正論といえるものだが、経済界の反応は真っ二つである。
競争環境を重視する経済同友会は石破氏のスタンスを評価しており、賃上げのペースをさらに前倒しし、3年以内に最低賃金を1500円にするよう求めた。一方で日本商工会議所は最低賃金引上げについて、慎重な検討が必要としている。最低賃金の大胆な引き上げについては、経営がおもわくしない企業を中心に相当な反発が予想されるため、一連の政策を実行できるのかは現時点では未知数である。
■中間層以下の底上げを図ることが石破政権の真の狙い
もうひとつ、岸田政権との違いとして注目すべきなのは、石破政権が富裕層への課税や大企業を中心とした法人増税を目論んでいることである。
日本の財政は火の車であり、無尽蔵に国債を発行できる状況にはない。
一部の論者はいまだに国債の大量発行が可能と主張しているが、仮にそれを実施すればインフレを悪化させるのはほぼ確実である(インフレ下で財政出動を行えばインフレが悪化するというメカニズムは、どの経済学の教科書にも書いてある基本事項である)。ただでさえ国民が値上げに苦しむ中、インフレを加速させれば庶民の生活をさらに圧迫することになる。
子育て支援策や防衛費倍増については、岸田政権が一部について財源の手当を行ったものの、残りについては手つかずの状態である。石破政権では地方創生交付金の倍増も加わっており、インフレを悪化させずに各種政策を実施するには、財源の確保は必須と言えるだろう。
日本の法人税は安倍政権下で3回も減税されており、消費税に代表されるような個人の負担増(消費税は納税するのは事業者だが負担は個人が行う)と比較すると、企業に対して著しい優遇措置が実施されているのは明らかである。
■「アベノミクスの継続」よりも険しい茨の道
賃金が下がり、所得格差が拡大する日本において、負担能力を持つ富裕層や、大企業に対して増税することは合理的な選択であり、これを中間層の所得拡大策に充当すれば、中長期的な消費拡大が見込める。仮に両者を実現できれば、消費税を増税することなく財政再建と経済拡大の両方を実現できるだろう。
だが、一連の増税策に対して、富裕層や大企業から猛烈な反発が出るのは確実だ。こうした状況をよく分かっているせいか、石破氏は所信表明において増税について一切、口にしなかった。だが石破氏が自らの政策遂行にあたって増税が必須と考えているのは明らかであり、これらについては政権基盤が確立してから議論されることになるだろう。
このように石破政権は、単なる岸田政権の踏襲に見えて、実は厳しい政策を念頭に置いていることがわかる。一方で実現のハードルは高く、失敗すれば政権の行く末も危うくなる。
これこそが石破政権が抱える最大のリスクであると同時に、石破政権が持つポテンシャルでもある。
一連の政策が実施されれば、短期的には経済や市場に逆風が吹くが、中長期的には中間層の底上げによって円高と株高の両方を実現するシナリオもあり得る。石破政権の誕生は、日本経済がまさに分水嶺に差し掛かっていることを端的に示している。
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経済評論家
1969年宮城県生まれ。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村証券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。その後独立。中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行うほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターを務める。
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(経済評論家 加谷 珪一)
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