「側室=将軍のお気に入り」ではなかった…江戸城の大奥にいた数百人の女性から「夜のお相手」が選ばれるまで【2024編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2024年10月30日 17時15分
■実は大奥についてはわからないことが多い
NHKのドラマ10「大奥」に続き、現在、フジテレビ系の木曜劇場「大奥」が放送中で、江戸城内の「秘密の女の園」として知られる大奥への関心が、かつてなく高まっている。ところが、大奥についてはわからないことが非常に多い。
というのも、女性が大奥で働く「奥女中」に採用されるに当たっては、血判を押した誓紙を差し出す必要があり、そこには「奥向きの事は親兄弟たりとも一切他言致すまじき事」などと書かれ、女中法度でも同様に定められていたからだ。
このため信頼に足る史料が少なく、これまで大奥について語られてきた情報は、明治以降にかつての大奥関係者が語った内容が中心だった。
しかし、近年、建築の側からの研究が進むとともに、将軍家に「御台所」(正室)を嫁がせた公家や大名家、あるいは将軍の娘が嫁いだ大名家に残っていた史料などからも、大奥の実態は少しずつ解明されつつある。
江戸城の中枢である本丸は約3万5000坪と、東京ドームの2.5倍ほどの広さがあった。本丸御殿の建坪は時期によっても異なるが、1万2000坪から1万6000坪程度で、130棟もの建物が連なって構成され、本丸を埋め尽くすかのようだった。
本丸御殿は南から北に向かって、中央政庁にあたる「表」、将軍が起居して日常の政務に当たる「中奥」、将軍の御台所や子女、奥女中らが暮らす「大奥」に分かれ、じつに本丸御殿の建坪の半分は大奥が占めていた。
■400人超の女性が大奥にひしめいていた
中奥と大奥のあいだは、上下二つの御鈴廊下だけで結ばれていた(ただし下御鈴廊下は江戸中期以前の記録にはない)。この廊下の入口は御錠(ごじょう)口といわれて杉戸が立てられ、中奥と大奥それぞれの側に鈴があって、将軍が入退出する際に鳴らされた。
大奥は大きく分けて、将軍やその御台所、将軍の生母らが暮らす「御殿向(ごてんむき)」、大奥に仕える大勢の奥女中が暮らす「長局向(ながつぼねむき)」、大奥の事務をつかさどる「広敷向(ひろしきむき)」と、三つの領域に分かれていた。
じつは、広敷向には男性の役人が何人か詰めていたのだが、しかし彼らは、広敷御錠口から先には一歩も入ることができず、朝起きてから夜寝るまでの諸々はもちろん、夜間の警備までをすべて女性が行っていた。
とはいえ、男性であっても将軍や御台所の主治医である奥医師らは、大奥に入ることができ、彼らのための便所ももうけられていた。
さて、奥女中だが、その数は時期によって異なるものの、14代将軍家茂のとき、400人ほどいたという記録がある。ただし、一口に「奥女中」といっても職務は細かく分かれ、身分や階層の違いも厳格に定められていた。
■厳格に分けられていた身分と役職
奥女中はまず、将軍に直接お目通りができる「御目見得(おめみえ)以上」と「御目見得以下」に分かれた。
御目見得以上でもっとも格式が高いのが、将軍の側近くに仕える「上臈(じょうろう)」(3人)で、次が大奥の一切を仕切る実力者の「御年寄(おとしより)」(7人)。以下、座ったままの御年寄に指図され実働する「中年寄(ちゅうどしより)」(2人)、大奥に入った将軍を接待する「御客会釈(おきゃくあしらい)」(5人)、将軍や御台所の側などに仕える「御中臈(おちゅうろう)」(8人)、煙草や手水などを給仕する「御小姓(おこしょう)」(2人)と続いた。
さらに、御錠口詰、御錠口助、御錠口衆、御右筆頭、御右筆、表使、呉服之間頭、呉服之間、御次頭など、多くの役に分かれていた。
一方、御目見得以下の役は、次の二の間に拝礼する席がある席以上と、その席がない席以下に分かれた。席以上は、御次、御三之間頭、御広座敷、御坊主、御切手などで、席以下には、御三之間、御末頭、御使番、火ノ番、御仲居、御末、御犬子供などの役があった。
こうした奥女中たちは、家から通うのではなく大奥に住んだ。彼女たちが起居していたのが「長局(ながつぼね)」だった。
そこには4棟の長い建物が南から北へと順に並んで建ち、いちばん南の「一の側の棟」が最大で、二の側、三の側、四の側と少しずつ小さくなった。その東に横側とよばれる小さな建物が3棟並んでいた。いずれも2階建てで、もちろん、役職や身分によって住む棟が決まっており、一の側の部屋には、御年寄や中年寄ら上層の奥女中が一人ずつ住んだ。
■将軍のお世話係が側妾になるまで
これらの役のなかで特筆すべきは御中臈だろう。御台所付の中臈なら問題がないが、将軍付の中臈の場合、将軍の側妾になる可能性があったからである。ただし、将軍が気に入った中臈を側妾にしたのではない。そこには現代の感覚からは想像がつかないシステムが機能していた。
将軍付の中臈は、御年寄の合議によって決められ、世話親がつけられた。こうして将軍付となった中臈は、以後は長局内の世話親の部屋に起居して、すべてにわたって世話親の指示を受けた。
将軍がみずから好みの中臈を選ぶこともあったが例外で、基本的にはこうして推薦によって将軍付になった。このため、大奥の女中のあいだでは有力な御年寄や御客会釈との関係を築くためにも、激しい勢力争いが起きやすかったのである。
将軍の手がつかない中臈は「お清」と呼ばれ、一方、お手つきは「汚れた方」と呼ばれた。また、将軍の手がついた中臈でも、その子を身ごもるまでは独立した部屋をもらえず、大奥における地位も中臈を超えられなかった。
このようにして選ばれた側妾の数は、将軍によって異なるが、おおむね7~8人ほどだったようだ。ただし、17人の腹から55人の子供を産ませた11代将軍家斉には、40人もの側妾がいたという。
■すぐ脇で監視されながらの夜の営み
ところで、歴代将軍のなかでも御台所から生まれた子は、3代家光と15代慶喜の二人にすぎない。しかも慶喜は、水戸徳川家の斉昭と正室のあいだの子で事情が異なる。将軍家を存続させるために大奥と、側妾の制度が機能していたことは疑いない。
だから、こうして多くの側妾に囲まれていた将軍を、一概に「色男」とは評せないが、さらに、その夜の営みに関しては、側妾にも将軍にも同情を禁じえない面があった。
大奥で警戒されたのは、側妾が将軍に政治関係の要望を伝えることだった。将軍が情にほだされて判断を誤ってはいけない、というわけだ。
このため、将軍の寝床に中臈が呼ばれたときは、「御添寝」といって、将軍と中臈が営んでいるすぐそばに別の中臈が寝て、さらに次の間には御年寄が寝て、翌朝、御添寝した中臈が年寄に、将軍と交わった中臈の言動を報告していたのである。
それも制度として習慣化していれば、将軍も中臈も嫌ではなかったのかもしれないが、なんとも奇妙なことが行われていたのだ。
■ぜいたくすることしか楽しみがない
そんな大奥は、よく知られているように、奢侈(しゃし)であることがたびたび問題になった。3代将軍家光が鷹司信房の娘を京都から迎えて以来、歴代将軍の御台所は基本的に、天皇家や皇族、公家の娘だった。その御台所が京都から上層の奥女中を連れてきたから、大奥の習慣や雰囲気は自然と京都風になった。それが奢侈にもつながり、江戸初期からたびたび倹約するように言い渡されながら、実現しなかった。
奢侈が改まらなかったのは、大奥での生活に、ぜいたくするくらいしか楽しみがなかったから、ともいえる。
奥女中が奉公に上がるときに差し出す誓紙には、「生涯相勤め申すべく候こと」と記され、いったん奉公すると、手紙を出せる範囲さえ親族に限定された。
中級以下の女中たちは、途中で暇を申し受けることも不可能ではなかったが、上臈や御年寄、中年寄、御客会釈、御中臈らは、基本的に病気になっても暇をもらえなかった。このため、彼女たちからぜいたくを奪えなかったのだろう。
■江戸城本丸御殿が5回も全焼した理由
前述したように、ただでさえ激しい勢力争いが日常の大奥である。ぜいたくまで奪って奥女中たちの不満を鬱積(うっせき)させるのは、得策ではない。なにしろ、そうした不満はとんだ災害も引き起こしていた可能性があるのである。
江戸城本丸御殿は江戸時代をとおして5回、全焼している。この回数はほかの城と比較したときに、異常なまでに多い。ほかに西の丸御殿、二の丸御殿も4~5回ずつ全焼している。
その一例だが、文久3年(1863)に本丸御殿と二の丸御殿が全焼したときは、大奥御客御供溜から出火している。また、慶応3年(1867)に再建されたばかりの二の丸御殿が焼失したときも、大奥の長局の辺りで出火している。むろん、昔から放火が疑われている。
確認のしようはないが、狭い空間に閉じこめられた奥女中たちの鬱積した不満が、放火につながった可能性は否定しきれない。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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