「家族全員がそろって生きていることだけでも感謝」…被災した能登の栗農家が「静岡への移住」を決断できた理由
プレジデントオンライン / 2024年10月29日 16時15分
コメ農家同様に「儲からない農業」
1haの収穫量が全国平均で100kgに届かないうえ、買取価格が1kgで1000円を超えることはほとんどない栗栽培。いわば、コメ農家同様に「儲からない農業」として認識されている栗農家で成功したのが、2006年に石川・能登(輪島市)に移住した松尾和広氏がはじめた「松尾栗園」だ。同氏は、独自の冷蔵熟成技術と焼き作業で、糖度30度を超える焼き栗ならびに栗ペーストを商品化することで高収益を実現させた。
しかし能登半島地震で被災。一時は栗農家としての再建は諦めかけたが、現在は再移住した静岡を拠点に「日本の栗産業を盛りあげる」べく、奮闘している。そんな松尾氏に、農家兼著述家の有坪民雄氏が取材した。
■親類のいる東京に身を寄せたのち、静岡への移住を決意
「こうして家族全員がそろって生きていることだけでも感謝」
2024年1月1日に起きた能登半島地震。その言葉にも表れているように、当時、自宅兼仕事場のある輪島市にいた松尾氏は家族とともに被災した。
道路が寸断され、集落は孤立状態に。5日間の車中泊を余儀なくされたのち、2人の小学生とともに妻の実家のある東京に身を寄せた。
能登に戻りたい。けれど、いまは家族の生活や子どもの学校のことを優先すべきではないか。悩み抜いた末に松尾氏は静岡への移住を決断した。なぜ静岡なのか。松尾氏はこう話す。
「能登での再建も検討しましたが、元の状態まで戻すのに推計1億円以上かかるということでした。どうしたらいいのかと頭を抱えていたときに、静岡の春華堂というお菓子メーカーの方から声をかけてもらったんです」
それは、「うなぎパイ」で知られる静岡の春華堂が牽引する「遠州・和栗プロジェクト」に参画してくれないかという話だった。同プロジェクトは、後継者不足によって全盛期の5分の1まで減少した、静岡県西部の遠州地域(8市1町)の栗栽培を復活させ、和栗の持続可能な生産をつくりあげることを目的としたものだ。
実は、春華堂の担当者が震災の半年前に能登を訪れ、栗農家としての松尾氏に、様々なアドバイスを求めていた。2024年2月には、栗にまつわるシンポジウムで、基調講演をすることも決まっていた。
そうした縁もあって、「松尾さんは栗をやめちゃだめだ。日本全国を探しても、栗専門の農家として生計が成り立っている人はほとんどいない。そのスキルと技術は、ぜったいに活かさないともったいない。こんなプロジェクトがあるから、ぜひ静岡に来てください」と言われ、松尾氏は静岡の浜松市へ移住することを決意した。
■能登へIターンで移住、栗農家として生計を立ててきた
被災した松尾氏への支援という側面がないわけではないが、同プロジェクトが松尾氏にサポートを求めた背景には、松尾栗園がもつ実績がある。
2005年に能登へIターンで移住し、20年近くにわたって栗農家として生計を立ててきた松尾氏。栽培から収穫、冷蔵貯蔵による熟成、焼き作業、そして販売にいたるまでを自分自身で試行錯誤しながら行ってきた。その様子は、「年商20万円の栗農家が『食えるようになる』まで」でも描いた。
結果、残念ながら今回の震災で全壊となってしまったが、2016年には立派な合掌造りの自宅兼作業場も手に入れている。さらに2020年には焼き栗の実演販売から通信販売へ大きく経営の舵を切ることで、収益性を高めることにも成功した。
「もともと朝市や物産展の利用者数が毎年5%くらいずつ落ち込んでいったのと比例して、実演販売の売上も右肩下がりでしたが、コロナ禍がそこに追い打ちをかけました。そこで2020年は全体の売上の4割だった通信販売に注力しました。
実際、売上の100%が通販からとなりました。さらにそれによって利益率を高めることもできました。というのも、実演販売は移動時間や設営の手間、営業時間の短さゆえに、効率が悪かったからです」
■通信販売への切り替えで収益力を大きく高めた
どういうことか。たとえば朝市であれば、朝の4時半〜6時半の2時間だけ自宅で通販用の焼き栗をつくり、慌てて7時に家を出て、30分かけて現地へ到着。テントなどの設営をしたら実演販売に入るが、商売の時間としては2〜3時間に留まる。売上は平均7、8万円。朝に焼いた通販用を足すと、1日の売上は15万円程度だという。
一方で通販用の作業に注力すると、朝5時〜10時まで自宅作業場で焼き栗をつくり続けられるため、5時間で40万円以上の売上につながる。つまり、売上には3倍の差が出てくるというわけだ。
しかし、”言うは易く行うは難し”ではないのだろうか。「これからは6次産業化だ!」などと言葉だけが先行して、実際には実現できていない農家は少なくないからだ。
「コロナ禍がむしろ追い風になったという意味では、僕はラッキーだったのかもしれませんが……」と前置きをしたうえで、こう松尾氏はつづける。
「それまでもやっていましたが、ホームページでの情報発信にさらに力を入れました。加えて通販サイトや雑誌、カタログなどにも掲載してもらいました。コロナ禍以降は、ホームページのアクセス数は3〜5倍に上がって、『焼き栗 通販』と検索したら僕のサイトがトップにあがるようにもなりました。通販の注文数もどんどん伸び、その結果2020年は通販だけで売り切った形です」
■販売チャネルを「直販サイト」と「ふるさと納税」に絞り利益率を改善
翌2021年は手数料が利益率に影響してくることを考慮し、販売チャネルは直販サイトとふるさと納税だけに絞った。これによって利益率を2割ほど改善させることにも成功したという。基本的に10月から12月の3カ月間が販売集中期間で、2020年から2023年はこの期間で売り切ったという。
「うちは『カラーミーショップ』というシステムを使っていて、秋が近づいてくる8月になると事前予約を開始して、メール会員になってくれているみなさんにダイレクトメールを送るんです。そうすると、事前予約の開始から2週間で収穫量の半分は売れる見込みが立ち、残りはテレビなどを見た新規のお客さんが買ってくれるという形です」
9月の収穫と焼き栗を始めるタイミングで、「年に1、2回はテレビの取材があったことがありがたかった」と松尾氏は謙遜するが、同氏が開発した冷蔵熟成と焼き栗の技術による商品力や積み重ねてきたホームページでの情熱のこもった情報発信がテレビマンの琴線に触れたことは間違いないだろう。
■50年後も反収200キロを超えるような栽培環境をつくるために
「その技術とスキル、経験でわれわれを助けてほしい。ぜひ静岡に来てください!」
こうした実績がテレビのみならず、「遠州・和栗プロジェクト」の担当者の心をも動かしたのである。松尾氏に与えられた役割は、かつて盛んだった同エリアの栗栽培が、生業として成り立つよう、あらゆる側面から支援することだ。
松尾氏は、10年や20年という視点ではなく、50年後までを視野に入れた生業にしなければいけないという使命感をもって取り組んでいる。
「収穫量でいえば、反収(約10アール当たりの収穫量)が50年後も200キロを超えるような環境をいかにつくるか。そのためには、しっかりと営農計画を立てる必要がある。仮に50ヘクタールで栗栽培をやろうと思ったら、5年おきに10ヘクタールずつ植樹していくというやり方もありますけど、それより毎年3ヘクタールずつ植樹をするほうがいい。
土壌でいえば、僕は『化学性、物理性、生物性の3要素』と言っているのですが、栗の栽培に適した状態になっているのかを分析して、改善していくことから始めなければなりません」
■「元・お茶畑」の耕作放棄地が強酸性地だった理由
特に静岡のこのエリアは、茶の栽培が非常に盛んだったことから、栗栽培に転用しようと耕作放棄地を探すと、その多くが元・お茶畑ということになる。そうした土地の土壌を調べてみると、pH3〜3.5という強酸性であることがわかった。もちろんそんな土地では、まともに栗は育たない。
「仮にその土地のpHを3から5に変えて栗栽培を始めようと思うのならば、土壌改良だけで1ヘクタールあたり100万〜150万円かかります。じゃあ、その初期投資は誰がどう負担するのかなど、課題は山積です」
それ以外にも剪定方法や草刈り、農薬のタイミングといった18年の経験で培った松尾氏の知見を、余すことなく使って支援を行っていくという。強酸性の土地になっている原因も突きとめた。
「調べてみたら、30〜40年前にうまみ成分を追求するあまりに、窒素成分のための化学肥料を大量に入れていたみたいで、その結果、土に残った硫酸や硝酸がカルシウムやマグネシウムなどのアルカリ性の物質を剥がしていき、酸性化が進んだようなのです。これは静岡県全体の問題だということもわかってきました」
■日本中で栗栽培や栗農家の後継者問題が出てきている
さらに気づいたこともある。静岡だけでなく、日本中で栗栽培や栗農家の後継者問題が出てきていることだ。その背景や要因は様々だが、ひとつには1キロあたりの生栗の買取価格の問題があるのだと松尾氏は指摘する。
「僕の見立てでは、生栗の買取価格が1キロ1000円を超えているようなところはありません。これがなぜ問題なのかというと、高品質な栗をつくろうと思うと、栽培経費として1キロあたり1000〜1500円がかかるからです。
栗農家の平均反収が100キロを切っているというデータもあります。つまり、仮に1キロ1500円で買い取ったとしても、1ヘクタールで150万円。そこから先ほど言った栽培経費がかかってくる。これでは、どう考えても商売としてつづかないでしょう」
松尾氏が営んできた能登の栗農園は、土地条件が良くなかったため反収200キロだった。しかし、好条件が揃えば300〜400キロも見込めるという。
商売として成り立たせるのならば、まずはそこを目指しつつ、50年後も平均反収を200キロ以上にすることを見据えて、環境を整えることが必要だと松尾氏は考えている。
■収量を増やし、高価格・高付加価値になるビジネスモデルをつくる
そのうえで、買取価格をきちんと上げられるようなビジネスモデルをつくることも必要だ。
「松尾栗園の場合は、緻密な計算のうえで冷蔵貯蔵し、栗の糖度を最大限まで引き出したうえで、自分で丁寧に栗を焼き上げることで高付加価値な加工品をつくり、なるべくダイレクトに消費者のみなさんに届けるやり方でした。
いずれにしても、収量を増やすことと、高価格・高付加価値になるようなビジネスモデルをつくること。その両輪が回って、初めて商売として成り立つと考えています。アドバイザーとしてそこまで持っていき、この産地化プロジェクトを成功に導きたいと日々、努力しています」
■能登に残してきた栗農園は、農業仲間が引き継いでくれることに
能登にある松尾栗園の栗農園はどうするのだろうか。
「能登にある僕の栗農園は3つあって、そのうちの1つは地割れなどでアクセスできない状況で、活用は難しいと思います。残りの2つは、能登でできた2人の農業仲間が引き継いでくれることが決まりました」
2024年の分は能登の友人宅に泊めさせてもらいながら、松尾氏自身で収穫作業をし、焼き栗の作業ができる静岡県へ宅急便で送っている。2025年からは農業仲間に生産と収穫を任せ、そこでできた栗は彼らが儲かる金額で買い取り、静岡県で焼き作業を行い、加工品として販売していくことを計画している。
「いずれにしても、僕はみなさんのサポートのおかげで、これからも栗に関わり続けていくことができます。恩返しの意味も込めて、これまで以上に栗の存続と発展に貢献していきたいと考えています」
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専業農家
1964年兵庫県生まれ。香川大学経済学部経営学科卒業後、船井総合研究所に勤務。94年に退職後、専業農家に転じ、現在に至る。1.5ヘクタールの農地で米、麦、野菜を栽培するほか、肉牛60頭を飼育。著書に『農業に転職する』(プレジデント社)、『誰も農業を知らない』(原書房)、『農業で儲けたいならこうしなさい!』(SBクリエイティブ)、『イラスト図解 農業のしくみ』(日本実業出版社)などがある。
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(専業農家 有坪 民雄)
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