上野千鶴子「専業主婦は社会的に消えゆく存在」一方で夫が低年収でも働かない"貧困専業主婦"がいる深刻な理由【2024編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2024年10月15日 17時15分
※本稿は、上野千鶴子『こんな世の中に誰がした?』(光文社)の一部を再編集したものです。
■専業主婦は社会的に消えていく存在
結婚している夫婦のあり方にも変化が起きています。
1980年代は、片働き世帯が圧倒的に多かったのですが、1997年には共働き世帯が片働き世帯を上回るようになりました。以後、夫婦のダブルインカム率はどんどん高くなっています。
今、専業主婦のいる世帯は圧倒的少数で、2021年で片働き世帯は23.1%にすぎません。20代に専業主婦願望を持つ女性が増えていると言いますが、その望みはほぼかなえられないでしょう。夫の収入が思ったほど増えず、妻の収入がないと家計を維持できなくなってきたからです。夫ひとりが大黒柱だった時代は終わりました。
ダグラス=有沢の法則と呼ばれる経験則があります。それは日本社会では女性が高学歴であるほど結婚したら専業主婦になる確率が高い、というもの。高学歴女性は同じく高学歴男性と結婚しますから、夫の収入と妻の有業率が逆相関するという経験則でした。ですが、この法則が当てはまるのは80年代まで。80年代以降、すべての経済階層で妻の有業率が上がり、夫の収入と妻の有業率が相関しなくなりました。かつて専業主婦は裕福さのシンボルでしたから、多くの女性が憧れましたが、今や妻の有業率は所得のトップとボトムで低く、「貧困専業主婦」と呼ばれる層が登場しました。
■格差が問題になる中、カップルになるとそれが倍に
ただし本書の第一章でお話ししたとおり、妻の就労にはフルタイムの就労と家計補助型の非正規就労の二種類があり、夫と同等の収入がある妻は少数派です。この少数派のなかに「バリキャリ」と言われる年収1000万円以上の妻もいます。彼女たちの夫は同等以上に稼ぎますから、世帯年収が2000万円を軽く超えるパワーカップルも登場しました。
男性が結婚相手に求める条件にも、「容姿」や「家事力」ばかりでなく、稼得力が含まれるようになりました。欧米では、ここ10年以上前から、男性が配偶者に求める条件の上位に稼得力が入ってくるようになりました。ひとりでも格差が大きいのに、カップルになると格差は倍になります。
■貧困なのになぜ働かないのか?
夫の所得階層別で見ると、年収100万円未満の世帯で妻の有業率がもっとも低いことがわかります。「なぜ?」です。
働かない彼女たちを見ていくと、多くは学歴が低く社会的なスキルも低い、健康やメンタルヘルスに問題を抱えている、という問題が浮かび上がってきます。生活基盤における脆弱(ぜいじゃく)性があるから、男に対する依存度が高いのです。
彼女たちの母親もそうだったということもあります。男に依存する母親が、夫に殴られても蹴られても離れようとしなかったのを見ていると、それが世代間連鎖する場合もあるでしょう。
夫がDVでオレサマ化すると、家庭が閉鎖的になって妻は孤立します。誰にどうやって助けを求めればいいかという支援のルートにも彼女たちはアクセスがありません。スキルや意欲がある人なら「自分で稼ごう」となるけれど、スキルを身につける余裕がないばかりか、意欲を無力化されてしまいます。
■貧困層ほど「男は仕事、女は家事育児」を受け継いでいる
周燕飛さんの『貧困専業主婦』(新潮選書、2019年)は、この問題を取り上げています。周さんが貧困専業主婦と呼ぶのは、世帯年収が300万円未満の世帯の主婦です。その人たちの多くが働かない理由として挙げているのは「子育てに専念したい」です。彼女たちは健康やメンタルヘルスの問題があるのではなく、子どもを保育園に預けることに抵抗を示しています。「男は仕事、女は家事育児」という伝統的な性別役割分担意識を、貧困層ほど男女ともにそのまま受け継いでいるように思えます。
■女を低収入に縛りつける第3号被保険者制度
既婚女性の就労は増えました。けれど、家計を支えられるほどの収入を得ているわけではありません。彼女たちが不利な非正規の低賃金の仕事に就き、ずっと貧乏なままでいることはこれまでにお話ししたとおりです。
「令和四年版男女共同参画白書」は、既婚女性がなぜ低賃金の仕事を続けているのかの謎を解いています。それは、昭和型の税制・社会保障制度があるからです。著者は林伴子さん、優秀な女性官僚です。
日本のありとあらゆる社会制度は、夫が大黒柱として働き妻が家庭を守るという昭和型標準世帯モデルでできあがっています。そしてその制度を40年近く維持してきました。この「白書」を発表した当時の男女共同参画担当大臣、野田聖子さんが、記者会見で「もはや昭和ではない」と発言したのは、この昭和型の税制・社会保障制度が時代に合わなくなっていることを意味しました。
■本当に「専業主婦優遇」なのか
昭和型というのは、サラリーマンの無業の妻に対して、昭和36(1961)年に配偶者控除、昭和60(1985)年に第3号被保険者制度、昭和62(1987)年には配偶者特別控除などの、いわゆる「専業主婦優遇」と呼ばれる制度が次々に整備されていったからです。配偶者控除はいわゆる「内助の功」に対するごほうび、第3号被保険者制度は、来るべき高齢化社会の介護要員としての嫁の貢献に対する報い、配偶者特別控除とは家計補助型のパート就労があたりまえになった既婚女性たちに対する配慮でした。いずれも男性稼ぎ主を前提としたサラリーマン・専業主婦体制という昭和モデルをもとに制度設計されたものでした。
これらの制度は、専業主婦優遇制度とも言われていますが、本当にそうでしょうか。
健康保険も雇用保険も年金保険もすべて保険、すなわち保険料を支払わないと受益者になれません。国民年金の1号被保険者は自営業者とその家族従業者、2号被保険者は雇用者、そこに3号被保険者という雇用者の無業の妻を新たにつけ加えました。国民年金の被保険者になるためには、たとえ無職・無収入であっても保険料を払わなくてはいけません。学生だろうと失業中であろうと、状況に応じて猶予はしてもらえますが、払わなくては将来の受給資格が生まれません。
ところがこの制度は、2号被保険者の被扶養配偶者、年収130万円までは「見なし専業主婦」とされる女性に、年金保険料を払わなくても基礎年金権を与えるという特権を認めました。その保険料の原資はすべての働く男女から拠出されています。ですから働く女性たちはこの制度ができるとき「わたしたちだって主婦をやっているのに、なぜわたしたちが専業主婦の保険料を背負わなければいけないのか」とブーイングしました。
■106万、130万、150万…立ちはだかる年収の壁
この130万円の壁以外にも、配偶者控除の対象となる103万円の壁(2018年に150万円に変更)や社会保険に関する106万円の壁などがあります。企業によっては一定の収入以下の配偶者に家族手当を支給するところもあります。
こうした壁を回避するためには月収を10万円前後に抑えなくてはなりません。つまり非正規労働をしろということです。
こうした「壁」を超せば、既婚女性は被扶養者からはずれて、年金保険料も健康保険料もすべての社会保険を自分の収入から負担しなければなりません。となると、各種保険料負担が収入の増加分を上回る「逆ざや」現象が起きます。もし損をしたくなければ、170万円以上稼がなければなりません。だけどそうなると拘束時間が増えます。仕事をしても家事や育児を担当しなくてはいけない女性たちは、わざわざその壁を乗り越えようとはしません。妻が稼ぎを増やすことに賛成しない夫もいます。彼女たちは自発的に非正規を選ぶようになり、また「130万円の壁」「103万円の壁」を超さないように「就労調整」をするようになります。
■「女性は低年収でいい」というメッセージ
この制度は、女性は低収入でいいというメッセージです。こうした制度をつくって、女が働きすぎないように、これまでどおり家事や育児を担当して、多く収入を得ようとはしないように誘導してきました。
パート先で「正社員にならないか?」と誘われるような優秀な女性がいても、あっさりと断ってしまいます。彼女たちは、「壁」を超えないほうが有利だと誘導されているからです。その結果、不利なパート就労は、「本人の選択」と自己責任に帰せられてしまいます。悪循環です。
■専業主婦優遇策でトクするのは主婦じゃない
間違って「専業主婦優遇策」と呼ばれてきたこの制度から、本当にトクをするのは誰でしょうか。
まずトクをするのは、それまで妻の年金保険料を自分のフトコロから払ってきた夫です。彼らは、その支払いを逃れました。
そしてパート主婦を雇っている使用者も、彼女たちは被扶養者として夫の健康保険でカバーされますから、本来労使折半で負担しなければならない保険料を負担しなくてすみます。
さらに彼女たちは、就労調整をするため低賃金でも文句を言わずに働いてくれますから、その点でも使用者はトクをします。
トクをするのは専業主婦の夫とパート主婦を雇っている経営者ばかり。ほとんどが男性でしょう。
こうして制度が女性の就労を抑制してきました。だから共働きといっても妻は家計補助型の非正規、低収入に甘んじています。これまでの性別役割分担が「夫は仕事・妻は家事育児」だとしたら、今は「夫は仕事オンリー・妻はあいかわらずワンオペの家事育児に加えて家計補助型就労」です。これを「新・性別役割分担」と呼びます。結果、外で働く有償労働と家で働く無償労働を合計した妻の労働時間は長くなり、妻の負担はあきらかに増えました。
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社会学者
1948年富山県生まれ。京都大学大学院修了、社会学博士。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で40年間、教育と研究に従事。女性学・ジェンダー研究のパイオニア。
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(社会学者 上野 千鶴子)
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