人々は雨の中、誰に言われるでもなく静かに傘を閉じた…皇室研究家が目撃した「天皇誕生日の一般参賀の風景」【2024編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2024年10月15日 18時15分
■珍しい「雨の天皇誕生日」
2月23日は国民の祝日の1つ、「天皇誕生日」だった。天皇陛下はこの日、64歳になられた。
東京では天皇誕生日としては珍しく、朝から雨が降り続いた。
天皇誕生日には、国民が皇居に参入して天皇陛下に祝意を表す「一般参賀」が行われる。その際に雨が降った過去の例は、「宮内庁の古参職員に聞いても、記憶にないという」との報道があった(橋本寿史氏「FNNプライムオンライン」2月23日18:00配信)。
令和になって初めて一般参賀が行われたのは令和2年(2020年)の新年一般参賀だった。この時の参賀者の数は6万8710人。それ以降、コロナ禍による実施の見送りや、感染対策のために抽選による人数制限が続いた。今回はあいにくの雨だったが、久しぶりに本来の形で行われた。
今年の1月2日の新年一般参賀は、前日に発生した能登半島地震の深刻な被害に配慮された天皇陛下のお気持ちにより、急な中止が決まった。
天皇誕生日の一般参賀についても、陛下ご自身はやはり被災者の苦しみをお考えになって、新年と同様に中止という選択肢も想定されていたようだ。
■中断や制限が続いた一般参賀
しかし、一般参賀は幅広い国民が皇居で直接、新年やお誕生日をお祝いする気持ちを伝えることができる、数少ない機会だ。宮内庁は国民の希望を踏まえて、天皇・皇后両陛下や皇族方に人々の祝意にお応えいただくため、わざわざお出ましをお願いしている。
それが令和になってしばらく中断したり、制限されたりしてきた。今年の新年もやむなく中止となった。
そうした事情を考えると、今回、天皇誕生日の一般参賀が本来の姿で実施されたことは、相次ぐ災害や経済の停滞などで何かと沈みがちな人々の気持ちを奮い立たせる、すぐれたご決断だった。
これは実際に参賀のために皇居まで足を運んだ人たちだけでなく、テレビ報道などの映像を通して、天皇・皇后両陛下や敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下をはじめ皇室の方々のお姿を拝見し、祝意に満ちた参賀の雰囲気に触れた多くの国民にとっても、おそらく同様ではないだろうか。
■皇后さまの進言で実現
今回、一般参賀が実施された背景には、皇后陛下が天皇陛下にご熱心に進言されたという経緯があったようだ(「女性自身」2月22日6:00配信)。
天皇陛下ご自身としては、むしろ中止を望まれたらしい。
「震災で多数の犠牲者が出てしまい、被災地で多くの人々が困難な生活を余儀なくされている状況で、自分の誕生日を祝ってもらうのは忍びない」というお気持ちからだった。
天皇陛下と皇后陛下の真剣なお話し合いは6日間にも及んだとされる。幸いに実施が決まった。
そのご決定の背後にあるお考えについては、宮内庁関係者の談話として次のように伝えられている。
「(西村泰彦)宮内庁長官は(2月)8日の会見で……『(能登半島地震から)復旧、復興に向けて前向きに生きていこうとする姿に接し、現地にエールを送るために、われわれが今やるべきことに全力を注ぐという考えにいたった』とも話していますが、これがまさしく両陛下のご結論なのです」と。
■被災地に「エールを送る」
一般参賀の実施が発表された2月6日には、天皇・皇后両陛下、敬宮殿下がおそろいで、気象庁長官や防災担当の内閣府政策統括官から被災地の実情についての説明を聴いておられる。
その前日にも、政策研究大学院大学の広木謙三教授がご進講に当たっていた。その時の天皇陛下のご様子について、同氏は以下のように語っている(「TBS NEWS DIG」2月22日18:51配信)。
「水道が断水するとかですね、あるいはトイレが使えなくなるという厳しい状況がある、と(お話しすると)、常に熱心にお話を聴かれ、それを(ご自身で)整理されていく、と。恵まれない人、困っている人、たとえば災害で困っている人に寄り添っていこうというお気持ちが強く感じられます」(記事中の文字起こしはやや不正確なので、映像の音声からなるべく忠実に文字化した)
そうした被災者へのお気持ちを深く抱かれながら、「現地にエールを送る」という願いを込めて、最終的には一般参賀の実施が決まった。
なお、3月下旬に天皇・皇后両陛下が被災地を訪れられる方向で、宮内庁が調整を進めているという(「TBS NEWS DIG」2月21日10:34配信)。
■約1万6000人の参賀者
じつは当日、私も皇居におもむいた。海外で暮らしている長女がたまたま日本に滞在中なので、一緒に皇居に向かった。
3回予定されている皇室の方々のお出ましのうち、2回目が午前11時頃という発表だったので、それを目安にして出かけた。
この日は天候が悪かったせいか、参賀者が少しまばらな印象だった。
しかし、1回目のお出ましの時には多くの人々が詰めかけ、「長蛇の列」だったようだ。ちなみに、この日の参賀者の数は1万5883人。
私らは2回目だったため、人の流れがスムーズで、お出ましを待つ宮殿東庭には、時間的な余裕をもって着くことができた。
そこに集まった人々は雨なので当然、私たち親子も含めて皆、傘を差している。
しかし傘を差したままだと、少し後ろの人たちは誰も長和殿のベランダにお出ましになる天皇陛下をはじめ皇室の方々のお姿を拝見できない。
それを残念がる声も聞こえてきた。首都圏だけでなく、地方からはるばる上京してきた人もいることを思うと、気の毒だ。
■人々は次々に傘を閉じた
ところが、やがてお出ましの時刻が近づいたことを知らせる宮内庁職員の放送があると、誰かに言われたわけでもないのに、前の方から次々と静かに傘が閉じられていく。それまで目の前を覆い尽くしていた傘の海が、サーッと潮が引くようにたちまち消え去った。
雨は変わらずに降り続いている。しかし、人々は雨に濡れながら、自発的に傘を閉じていった。これは思いもよらぬ不思議な光景だった。
少なくとも私の視野が及ぶ範囲では、小さな子供が玩具のような傘をそのまま差し続けていたのを除き、傘はまったく見えなくなった。その結果、皇室の方々がお出ましになるベランダを見上げる視野は、一挙に広がった。
やがて皇室の方々がベランダにお出ましになった。天皇・皇后両陛下、敬宮殿下、秋篠宮・同妃両殿下、佳子内親王殿下だ。
皇室の方々がお出ましになると、人々は一斉に日の丸の小旗を振って、お祝いの気持ちを表した。
みんなが傘を閉じたために、人々の祝意にお応えになるためにお出まし下さった皇室の皆さまのお姿が、参賀者一人ひとりの目にしっかりと焼き付けられたはずだ。「春風のような初々しいお手振り」(永井貴子氏「AERA dot.」2月24日7:00配信)と報じられた敬宮殿下を間近に拝見して、そのにこやかな笑顔がひときわ輝いて見えた人も少なくなかっただろう。
娘の話では、最後まで傘を差していた外国人のカップルが周りの様子に気づいて、あわてて傘を閉じた場面を見たとか。彼らの目に、日本人のマナーはどのように映っただろうか。
■「穏やかな春となるように」
やがて天皇陛下からマイクを通して参賀者におことばを賜った。
能登半島地震へのご懇篤なお見舞いの後、「この冬も、大雪や厳しい寒さで苦労された方も多いことと思います。皆さん一人一人にとって、穏やかな春となるよう祈っております」とお述べになった。
陛下のお優しいお声に接し、心から安らぎを覚えたという人もいた。
私が実際に体験したのは2回目のお出ましの時のことだったが、1回目も3回目も同じように傘を閉じる光景が見られたようだ。
■昭和天皇の葬列の光景
雨の中なのに一斉に傘を閉じる不思議な光景については、まったく別の場面ながら、私がかつて見たある場面を思い出す。それは、はるか以前、昭和天皇が崩御された時のこと。
平成元年(1989年)2月24日、新宿御苑で「大喪(たいそう)の礼」が行われ、その後、お柩(ひつぎ)が武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)に移された。その車両によるご葬列をお見送りするために、雨が降る中を沿道に約36万6000人(『昭和天皇実録』第18巻)の国民が並んだ。当然、人々は傘を差していた。
私も青山通り近くで、悲しい気持ちを抱えて佇(たたず)んでいた。すると、お柩を乗せたお車が左手方向から近づくにつれて、誰にも言われていないのに、皆がそれまで差していた傘を次々と閉じ始めた。お車が通り過ぎる時には、誰もが雨に濡れながら、頭を垂れてお見送りしたのだった。
もちろん、それは悲しみの場面であり、今回はお祝いの場面だから、状況は正反対であり、まったく違う。しかし、人々が雨の中でも自発的に傘を閉じた事実は、一致している。
昭和天皇のご葬列を見送った国民が傘を閉じたのは、お柩に納まる亡き昭和天皇への深い追悼と敬意からだったろう。その心情の深さゆえに、傘を差したままお見送りすることは申し訳ない、という感覚が共有されていた。
■人々はなぜ傘を閉じたのか
時代が移った令和の今、一般参賀で人々が傘を閉じた理由は何だったのか。
日の丸の小旗を振ってお祝いする自分たちの姿が、傘によって皇室の方々の目からさえぎられてしまうのを避けるためか。それとも、自分より後ろの人たちが傘にさえぎられて、ベランダからお手を振ってお応え下さる皇室の方々を見えなくなることへの思いやりだろうか。
いずれにしても、皇室と国民の間を傘が視覚的に遮断してしまうことへの、漠然とした拒絶感があったと見ることができる。そこには、皇室と国民とのゆるやかな一体感が、間違いなく存在したはずだ。
■「愛子さま」「皇太子さま」という声も
お出ましの前には、宮内庁の職員による放送で、被災者への配慮から万歳などの大きな声を出さないように、との呼びかけがあった。それでも一部から、「天皇陛下万歳」「お誕生日おめでとうございます」といった声が聞こえたのは、やむにやまれない祝意の発露だろう。
その他に「愛子さま」という声も繰り返しあがったようだ。まだご成年を迎えられてからさほど歳月が経っておらず、ご公務へのご参加もこれから本格化する今の時点で、すでに敬宮殿下への敬愛の気持ちを強く持つ人たちが多くいる事実をうかがわせる。
別に「皇太子さま」という声も聞こえたそうだ。
厳格な意味では“皇太子”とは皇位継承順位が第1位の天皇陛下のお子様をさす(皇室典範第8条)。なので現在は不在だ。
秋篠宮殿下は今の時点では皇位継承順位が第1位だが、もちろん天皇陛下の弟宮にあたりお子様ではない。一方、敬宮殿下は天皇陛下のお子様ながら、今のルールでは皇位継承資格をお持ちでない。
しかし先の「皇太子さま」というのは、おそらく敬宮殿下のつもりだろう。ひょっとすると、天皇陛下にお健やかでご聡明なお子様がいらっしゃるにもかかわらず、ただ「女性だから」というだけの理由で皇位継承資格を認めない、皇室典範のいかにも“旧式な”ルールへの違和感があって、あえてこうした言い方をしたのかもしれない。
■陛下の記者会見での警鐘
天皇陛下はお誕生日に際しての記者会見で、皇室の将来への危機感を次のように表明しておられる。
「現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は以前に比べ、減少してきております。そのことは皇室の将来とも関係する問題です」と。
憲法上、国政権能を否定されている天皇陛下のお立場としては、ギリギリのご警鐘だろう。
このような皇室の危機を招いているのは、女性皇族に皇位継承資格を認めず、ご結婚とともに皇籍を離脱しなければならない、皇室典範の旧式なルールそのものだ。
このルールを変更して、未婚の女性皇族方にも皇位継承資格を認めなければ、次の世代の皇位継承資格者は秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下“たったお一人だけ”、という危機は去らない。
雨の天皇誕生日に図らずも目に見える形で浮かび上がった皇室と国民との一体感。それを将来へとつなぐためには、時代錯誤な古いルールは先送りせずに見直す必要があるのではないだろうか。
私の娘は皇居からの帰り道にこんな感想を述べた。「今日は雨が降って寒かった。だけど素敵な光景を見ることができたので、かえってよかったかもしれない」と。
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神道学者、皇室研究者
1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録」
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(神道学者、皇室研究者 高森 明勅)
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