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「まずい、臭い、硬い」と酷評されていたが…牛肉、中トロより美味いのに日本人が食べなくなった「生肉」の名前

プレジデントオンライン / 2024年10月17日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JoyfulThailand

かつて「硬くて臭くてまずい」と言われた食材がある。18年にわたり捕鯨現場を取材したフリーライターの山川徹さんは「捕鯨の現場では、品質をより高める努力が続けられている。いまの鯨肉の味は昔のものとは比べ物にならない」という――。

※本稿は、山川徹『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)の一部を再編集したものです。

■捕鯨船員の一喜一憂

商業捕鯨移行後に変化した船員の意識を、そして商業捕鯨の本質を目の当たりにしたのは、2022年の航海がはじまった直後のことだった。

日新丸が仙台港を出港した翌日の2022年9月22日午前8時過ぎ。

この日、1頭目のニタリクジラが、スリップウェーから引き揚げられた。ウインチで引っ張られた尾びれに続き、白い腹部がモニターに映し出された。難しい表情で腕を組んで、その様子を見つめる船団長の阿部敦男は誰に言うともなくつぶやいた。

「14トンあるか、ないか……」

口ぶりに落胆がにじんでいる。期待したほど大きなクジラではなかったのだろう。

ニタリクジラは、平均すると13メートル、17トンほどになる。しかしデッキで正式に計測したサイズは平均を下回る12.6メートル、14.1トン。阿部の見立てはピタリと当たっていた。

4時間後、2頭目のニタリクジラが日新丸のデッキに揚がってきた。1頭目のクジラと打って変わって阿部の口調は軽やかだった。

「この盛り上がりがいいでしょう」

阿部は、モニターに映るクジラの丸く膨らんだ腹部のラインを指でなぞりながら、問わず語りに続ける。

「18トンくらいはありそうだな……。こいつは魚食いだな、ほら糞が黒いでしょう。オキアミばっかり食っていたら、ここまでは黒くはならない。魚食ってるから、丸くなったんだな。鯨体がパツンとしている」

しばらくしてブリッジに正確な計測が届いた。

20.27トン─―。

「よし!」

平均体重を大きく上回るクジラの捕獲に阿部はうなずいた。

捕鯨歴42年を迎えた大ベテランの一喜一憂が、商業捕鯨のひとつの象徴のように見えた。

■1頭揚げるだけで1000万円もの値が付く

20トン超のニタリクジラが映るモニターから目を離さずに、阿部は説明した。

「調査捕鯨から商業捕鯨に変わりましたが、捕獲できるクジラの数が決まっていることは変わりません。商業だからって、何でもかんでも捕っていいわけじゃない。捕れる数も種類も厳密に定められています。だから経費を抑えて、できるだけ大きくて、脂が乗ったクジラを狙わないと利益が出ないんです。移動の燃料費も人件費もバカになりませんからね。製品にした鯨肉の歩留(ぶど)まりが悪いと、乗組員みんなの暮らしに影響が出てしまいますから」

歩留まり。調査捕鯨の現場では耳にしなかった言葉である。

クジラは体重の約50%を食肉にできる。単純計算で、鯨肉がキロ1000円で売りに出されたとする。

2頭目のクジラは約20トンだから、50%が食肉となれば1000万円を超える。1頭目の700万円との差額は、300万円に上る。

発見したクジラは、第三勇新丸のボースン(甲板長)・片瀬尚志が大きさを推定して日新丸ブリッジに報告する。そのクジラを捕獲するか。捕獲を見送り、次のクジラを探すのか。

最終的に決めるのは、船団長の阿部である。

阿部の判断ひとつひとつの積み重ねが売り上げを左右する。

いつか誰かが口にした一言を阿部も口にした。

「胃が痛くなりますよ」

のちに私はそれが言葉の綾ではないことを知る。

■過去の捕鯨と何が変わったのか

歩留まりについて話してくれたのが、鯨肉製造の責任者である藤本聡である。2022年の航海時点で37歳の船員だ。

「仮に船員の日当が1日2万円だとします。船団を動かそうとしたら人件費だけで毎日200万円から300万円の固定費が必要になる。一頭も捕れなかった日は、300万円のマイナス。捕れた日は捕獲したクジラの大きさを見て、これなら経費が賄えるなとか、ちょっと厳しいな、とか……そんなふうに考えるクセがついてしまいました」

乗船し、解剖の現場を見学した私は、すぐに三つの変化に気づいていた。

ひとつ目が、クジラを解剖するデッキの床に敷く素材が変わっていたことだ。

調査時代は木材だったが、商業捕鯨の乗船時にはプラスチックのような素材になっていた。解剖デッキはいわば、クジラをさばくまな板だ。デッキを歩いてみて、まな板が木からプラスチックに変わったと気がついたのだ。

二つ目の変化が、クジラの排泄物である。

かつては、解剖デッキに引き揚げられたクジラの肛門から排泄物が垂れ流されていた。現在はクジラがデッキに揚がると、いち早く肛門にウェスを詰める。

そして三つ目が水まきである。デッキ上を海水で常に洗い流しながら解剖を行うのだが、調査時代の航海では、そこまで徹底されていなかった覚えがある。

■「雑な扱い」で船員の月給分が飛ぶ

当初、三つの変化について、さほど深く考えていたわけではなかった。だが、それは、藤本が苦労して現場に浸透させた、鯨肉の品質向上に不可欠な取り組みだったのである。

「山川さんが乗った2007年、2008年は、解剖デッキはまだブナ材だったはずです。でも、いまはポリエステル材に変えました。ブナ材だと肉に木くずも付着するし、血や脂が染み込んで衛生的な環境とはいえなかったので」

藤本は衛生面のリスクを具体的な数字を並べて解説する。

「もしも肉に大腸菌が付着したとしたら刺身として提供できなくなってしまいます。加熱用の肉になると20%か30%値段を下げざるをえない。製品にできるのはクジラの体重の50%前後。平均するとニタリクジラなら一頭からだいたい7トンの食肉が生産できます。仮に1キロ1000円としたら単純計算で一頭700万円。その肉が菌におかされたとしたら……」

700万円の肉が2割から3割引きとなると、140万円から210万円の損失となる。一頭だけならまだしも、汚染が数頭、数十頭に広がってしまったら。

「従業員何人分の月給に相当するのか……。いい加減な処理をしていると損失ばかりが増えてしまう」

藤本が淡々と並べる数字は、具体的に想像できる金額なだけにリアルだった。

■「清潔な環境」に聞く耳を持たれなかった

「もしこの船に乗らなかったとしても、食品の道には進んでいたと思います」

確かにメガネをかけた色白の藤本は、クジラを追う船乗りというよりも、白衣をまとい食品開発にたずさわる姿が似合いそうなたたずまいである。

大阪市の実家の近所には魚市場がある。新鮮な魚介類が身近だったせいか、幼い頃から海と食品が好きだった。下関の水産大学校で食品加工を学んだ藤本が、日新丸で鯨肉と向き合うようになったのは2009年のことである。

船尾のスロープから鯨を引き上げる日新丸(3代)
船尾に設置されたスリップウェーと呼ばれる傾斜から鯨を引き上げる日新丸(写真=Customs and Border Protection Service, Commonwealth of Australia/CC-BY-SA-3.0-AU/Wikimedia Commons)

乗船直後から藤本が取り組んだ衛生面の改善は、製造部員たちの意識改革でもあった。

彼は往事を思い返したのか、「相当苦労しました」と苦笑した。

「清潔な環境を保とう」といくら繰り返しても誰も聞く耳を持たない。

たとえば「一頭目の解剖が終わったら水を流してください」と伝えても誰も動こうとしない。総スカンを食らった。

製造部員には水産高校を卒業してからずっと働く叩き上げや、ほかの漁船で揉まれたベテランが多い。そこに責任者として日新丸に乗り込んだ大卒の若手社員が、改革策を打ち出したのだ。

船員たちが抵抗を覚えるのは想像に難くない。長年続けた自分たちのやり方を、大卒の新人が否定したと受け取ったベテランもいただろう。あるいは余計な雑役が増えたと面倒くさがる船員もいたに違いない。

■若者のたゆまぬ努力が現場の意識を変えた

「事前に製造長やリーダーに相談していれば、協力してくれたんでしょうけど……」

そう藤本が語るように改革を円滑に行うために、根回しは必要なのかもしれない。だが、根回しに長けた世慣れた青年よりも、慣習を無視して、強引にでも正しいと信じる道を邁進する若者の方が、新しい風を起こす改革者にふさわしい。藤本は後者だった。それに藤本はあきらめが悪かった。

暑い日も寒い日も、みんなが休憩している間も、ひとり水をまき続けた。

デッキでは包丁を使えないと一人前として扱われない。それが製造の文化である。

藤本も、ベテランの乗組員にコツを教えてもらったり、自ら試行錯誤したりして包丁の使い方を身につけた。入社して3年、5年が過ぎた。藤本の話に耳を傾ける船員が徐々に増えた。彼の改革は、ゆるやかに、しかし製造の現場を確実に変えた。

■変えられるもの、変えられないもの

ふだん藤本はデッキの真下の製造事務室でパソコンと向き合って、生産量に頭を悩ませたり、陸とのやり取りに忙殺されたりしている。けれども、いまも藤本は、クジラが揚がってくるたびに截割(さいかつ)デッキに上がって、包丁を振るう。截割とは、解剖で切り分けた鯨肉を30キロから100キロの部位ごとのブロックにカットする工程である。

中華包丁のような分厚い刃物を鉈のように使って赤肉を切り分け、青と黄色に色分けされたカゴに手際よく放り込んでいく。カゴの色ごとに肉の等級が決まっているのだ。

「叩き包丁といって、硬い筋は叩くようにしてさばくんですよ。以前、鯨肉をカットする方法をマニュアルで示そうという話もあったんです。上手なベテランの動きや切り方を撮影して、マニュアルにできないのか、と。でも、現実的に難しかった。人によって包丁の好みの厚さも違いますし、ノンコをかける位置も違う」

「ノンコ」とは鯨肉を引っ張ったり、押さえたりする際に用いる手鉤である。

“鯨肉を叩く”手を止めずに彼は続けた。

「そもそも鯨肉の硬さや筋の入り方が毎回違うので、説明したり、マニュアル化したりしてもみんなが同じようにできるものではないんです」

手に馴染んだ包丁が、試行錯誤の歳月の結実だった。

クジラを撃つ砲手や、巨大なクジラを解剖する大包丁ほどの派手さはないかもしれない。けれども、よりよい鯨肉の生産を目的とする商業捕鯨に、不可欠な改革でもあった。

■「中トロと牛肉を足して2で割った味と食感」

日新丸のサロンでは、毎日のようにクジラの生肉が出た。

第三勇新丸の砲手・平井智也は、生肉について妻と子どもに決まってこんな話をする。

「船で食う鯨肉はすごくうまいんだ。食べさせられないのが、残念だ」

平井の言葉に全面的に共感する。鯨肉をまずい、臭い、硬い、と語る人がいたなら、ぜひ一度、生肉を食べてみてほしい。誇張ではなく、肉の概念が変わるほどのうまさなのだ。

生肉の生産と上場は、共同船舶が企業としての生き残りをかけた試みである。

社長の所英樹は生肉を「脂の粒子が細かくて上品。強いていえばマグロの中トロと牛肉を足して2で割った味と食感」と評していたが、私も日新丸のサロンで生肉を食べるたびに、ふさわしい表現を考えてみた。

弾力がありつつも、とろけるほど軟らかい。臭みがないのに、口に入れると肉独特のしっかりとした味が広がる……。が、どれもしっくりこない。

あえていえば、高級馬刺しに似ているとも思うが、表現しきれない。隔靴搔痒(かっかそうよう)でもどかしかった。どう言語化すればいいのか。

「すべての肉の刺身の頂点です」

何気なく尋ねてみると、藤本は胸を張るようにして即答した。

「馬刺しも、牛刺しも、鳥刺しもクジラの刺身にはかないません。でも、うち(共同船舶)の出荷量を日本の人口で割ると、一人に焼き鳥の串1本分が行きわたるかどうか。食べられているのはひとりあたり数グラム程度なんです」

クジラ肉の刺身
写真=iStock.com/istock-tonko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/istock-tonko

■サバくらいメジャーな食品になってほしい

鯨肉の需要は減っている。

2020年度の供給量は牛肉が約82万トン、豚肉が約160万トン、鶏肉が約170万トン。対して鯨肉は輸入も合わせて約2500トンに過ぎない。牛肉のわずか3%、豚肉・鶏肉の0.3%程度の供給量にとどまっている。クジラの供給が、牛、豚、鶏を上回り、ひとりあたり年間2キロ以上も食べていた昭和の商業捕鯨時代とは比べるべくもない。

鯨肉には需要がない。だから捕鯨はやめるべきだ。捕鯨に反対する立場の人が主張する意見である。だが、藤本は鯨肉のポテンシャルをこう語った。

「鯨肉は、肉と魚両方のバックアップになりうる食肉だと思うんです。いまコオロギなどの昆虫食が話題になっていますよね。仮に食料難になったら、コオロギとクジラ、どっちを食べたいですか、と聞いたらほとんどの人はクジラを選ぶはずです。それに鯨肉はクリーンな食材なんです。牛や豚、鳥にしたって、家畜はみんな、抗生物質を注射したりエサに混ぜて食べさせたりするじゃないですか。でもクジラは環境汚染が少ない遠洋に暮らす野生動物だから、もっともクリーンなタンパク源なんですよ」

山川徹『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)
山川徹『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)

藤本は「でもね」と悔しさを隠さなかった。

「年間の販売量でいえば、鯨肉はウニに負けているんですよ。この数字を知ったときは本当にショックでした。知りたくもなかった。これからクジラが日本人にとって、サバくらいの位置づけになってほしい」

藤本は目下、クジラの血液や血管、睾丸などを食材とした料理を開発中だ。

「睾丸はボイルするとハマグリみたいな味がして面白い。血管もただ焼くだけでも歯ごたえがあっていいですね」

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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521

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(ノンフィクションライター 山川 徹)

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