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「家の中に毒が充満していた」嫁虐めの姑、部下を自殺させた疑惑の父、娘のSOSを無視する母…"闇家族"の生態

プレジデントオンライン / 2024年10月12日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cunaplus_M.Faba

現在30代女性が育った家庭はいつも険悪な雰囲気だった。母親は姑からいじめられ、そのストレスを幼い娘に向けた。「あなたの鼻の形はおばあちゃん譲り」。娘は今も顔面コンプレックスを引きずっている。父親はパワハラ体質があり、帰宅すると家族は一目散に部屋に引っ込んだ。自己肯定感が下がった娘は高校時代、三者面談後に「死にたい」とSOSを発信したが母親はろくに受け止めようとしなかった――。(前編/全2回)
ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

■笑わない母親

中部地方在住の白柳幸美さん(仮名・30代)は、公務員の父親と教育関係の仕事をする母親が25歳の時に、長女として生まれた。白柳さんが生まれた2年後には、弟が生まれた。

「両親の出会いは24歳のとき、友人の紹介だったようです。私が4歳になるくらいまでは両親にも笑顔が見られたような気がしますが、4歳の時に父の両親と同居を始めてからは、いつでも母が辛い顔かイライラしている顔をしていたように思います」

父方の祖父母の家を建て替えることになったとき、父親が「それならお金は出すから一緒に住もう」と提案したため、同居することになったのだ。

いざ同居が始まると、祖母は子どもの頃の白柳さんから見ても、母親に意地悪をしていた。不憫に思った白柳さんが、

「お母さんは悪くない! お祖母ちゃんはなんでそんなことを言うの?」

と母親を庇ったことがあるが、

「やめて! 余計なことしないで!」

と母親に言われてしまったのがショックだった。幼い白柳さんは、どうしたらいいかわからなくなった。

母親は、祖母に虐められたストレスを、明らかに子どもたちにぶつけた。

「次第に、『私が余計な手出しをせず我慢していれば、母にとっては一番いいんだ』という考えが染み付いていきました。祖母に虐められていても父も祖父も母を庇うことも祖母を注意することもありません。母は母で、公務員という職業が大好きなので、子どもの私から見ても、『父が公務員だから職業で結婚を決めたのでは?』と思うほど、両親の間に温かい繋がりが見えませんでした」

■「鼻の形が悪いのもお祖母ちゃんの遺伝!」

白柳さんが5歳になった頃、母親は再び働き始めるが、教育関係の仕事に恵まれず、仕方なく団体職員になった。

ところが母親は、職場でパワハラにあっていたようだ。

「小学生の頃、母に仕事の愚痴をこぼされたことがあるのですが、私がなんとかして解決してあげたいという気持ちから、『そんなに嫌な課長なら、もっと上の人に言いつけたらいい!』『仕事休んじゃおうよ!』などとアドバイスしたところ、案の定『無理に決まってるじゃない!』とヒステリックにキレられました。それでも母が心配だった私は涙目で、『じゃあ、私がその課長を呪い殺すから名前教えて』と言ったところ、珍しく母がふわっと笑い、『ありがとう』と言って頭を撫でてくれたんです。この笑顔が、私が覚えている唯一の純粋な母の笑顔でした」

母親は基本、イライラした顔、疲れた顔をしていて、いつもため息をついていた。見かねた白柳さんが、

「家事は私がやるから、お母さんは休んでて!」

と気遣っても、必ず、

「そんなこと言っても私がやらなきゃ」

と言いながら休もうとせず、結局疲れたりストレスが溜まったりして、子どもたちにぶつける。

「母から父や祖母の愚痴を聞かされる一方で、『あなたの太い脚はお父さんそっくり! 生まれつき視力が悪いのも鼻の形が悪いのもお祖母ちゃんの遺伝! 本当に可哀想な子』と忌々しく言われ続けたせいで、『お母さんが嫌いなお父さんとお祖母ちゃんにそっくりな私も、お母さんは嫌いなんだろうか?』と思えて、すごく悲しかったです」

鼻筋の通ったきれいな鼻
写真=iStock.com/bymuratdeniz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bymuratdeniz

母親から愚痴を聞かされるのも、ストレスをぶつけられるのも、弟より小柳さんの方が多かった。習い事や塾にも、弟より多く通わされた。

その理由を母親にたずねると、

「あなたは顔が良くないから、せめて勉強や運動ができないとお嫁に行けない」

と告げられた。

「とてもショックでした。顔面コンプレックスは今も続いています。『私はがんばらないと存在意義がない』いう潜在意識ができ上がり、今も悪影響を及ぼし続けていると思います」

母親は、白柳さんが好きな習い事を突然他のものに変えたり、「あの子と遊んじゃいけない」と友だちに関しても過度に干渉したりした。

■噛み合わない両親

母親は、物事の優先順位をつけることが下手だったようだ。

「母が優先順位が付けられず、何か他のことを挟みながら夕食を作っていて遅れたりすると、父は苛立ち、ドスドスと台所に入ってきて、ガチャガチャ大きな音を出しながら皿をめちゃくちゃに並べ、バターン! と大きな音をたてて台所を出て行きました。そんな時、母はこれみよがしに大きな溜息をつき、『何なんだよ……余計な仕事増やして……(母が使いたい皿と違った)」と怒りを滲ませたりしていました」

白柳さんが小学校高学年の頃、両親と弟とで車で出かけていたときのこと。両親が会話していたところ、母親が父親の言わんとしていることを理解せず、要領を得ない受け答えを続けていると、父親が我慢の限界に達したのか、「俺は歩いて帰る!」と言って車を停め、運転席から降りると、本当に歩いて行ってしまったことがあった。

「そのあとは母の運転で帰ったのですが、ものすごく恐怖でした。父がどんな気持ちでその行動に出たのかわかりませんが、お互いに気持ちが行き違っているのは間違いなく、父の行動は良くないですが、母に対して父が怒るのもわかるなぁと、子ども心に感じていました」

だからと言って、全面的に母親が悪いわけではないようだ。

白柳さん曰く、父親は、「強情で人の意見を全く聞かず、人情味がなく自己中なタイプ。いつも不機嫌で、一度怒らせれば無茶苦茶怖い」という。

「父は、友人や職場の同僚を我が家に呼びつけてマージャンを楽しみながら飲み食いすることがありましたが、友人や同僚に対しても私たちに対する時と同じ態度を取り、ねちねち嫌味を言ったり、急に不機嫌になって『帰れ』と言ったりするので、遊びに来る人はどんどん少なくなり、数年のうちに誰も訪れなくなりました。私が中学生のころ、父の部下が自殺したのですが、私は父が原因なのではないかと思っています」

マージャンをする手元
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

母親や子どもたちは当然の如く、同居していた父方の祖父母までも、父親の顔色を窺って過ごしていた。父親が帰宅すると、子どもたちも祖父母も、一目散に自分たちの部屋に退散するほど、父親を避けていた。

そんな両親のもと、白柳さんは真面目でしっかりした子どもに成長した。

「学業も運動も人並み以上にできていましたが、95点を取る程度では『そんなところを間違っているようじゃダメ』。町内の運動会で1位を取っても、『その程度で喜んでいたらダメ』と言って、母から褒められたことはありません。私よりも下の成績の子が親に褒められていることを知り、とても羨ましく感じました」

家に帰れば、「この険悪な雰囲気のある家族をどうにかしなきゃ」という責任感のような思いから、常に家族の空気を読み、極力誰も傷つかないように立ち回った。

何度か父親や祖母から母親を庇ったが、その度に当の母親から責められることを繰り返しているうちに、「私は報われないし誰も救われない。私は誰も救えない」と考えるように。年齢を重ねる毎に自己肯定感が低くなっていった。

■母親を見限った瞬間

高校生になった白柳さんは、家にいると酷い頭痛がするようになった。

「当時は家庭が全く安全な場所であるとは思えず、家族=世界に感じていて、『こんな苦しい世界にもういたくない、死んでしまいたい』と思うようになりました」

3者面談で担任の教師に「何か悩みはない?」と聞かれたとき、「死んでしまいたい」と言いたかったが、言い出せずに涙だけ流したことがあった。

するとその帰り道に母親に

「さっきはどうしたの? なんでも相談して?」

と珍しく優しく言われたため、思い切って

「死にたい……」

とこぼした。

途端、母親の顔が一変。

「は⁈ そんなこと言われたって困るよ! お母さんの子がそんなこと言うなんて……!」

白柳さんは、悩みを聞いてもらえるどころか、邪険に扱われるだけだったことに絶望。この時以降、白柳さんは心を固く閉ざした。

床に座り込んで打ちひしがれている2人の女性のシルエット
写真=iStock.com/Hibrida13
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hibrida13

嫁をいじめる姑、部下を自殺させた疑惑の父、そして鼻の形が悪いと自分がお腹を痛めて産んだ娘をこき下ろして、SOSにも一切耳を貸さない母……家族はみな闇を抱え、自分のこちとばかり考えていた。

やがて大学の志望校を選ぶ頃、

「あなたが本気でやりたいことなら、医学部だろうが私立だろうがお金は出すから安心して。好きなところを選んでいいよ」

と母親から言われた。

白柳さんはその言葉を信じ、大好きな動物系の私立大学(獣医学部)を受験し、合格して喜んでいた。

ところが、一応受けさせられた国立大学も合格していたことを知るやいなや、

「将来のことを考えたら国立大学の方が絶対にいいから」
「国立の方が響きが良いから。結局就職は大学名で決まる」

などと言い出して、結局国立大学へ進学させられた。

「お金のも問題もあるからしょうがないと思いましたが、子どもに理解があるようなことを言っても、結局は子どもの夢より世間体なんだなと愕然としました。このことは今も恨んでいます」

白柳さんは、大学進学とともに家を出た。

「母は、『家から通える大学に入ったら親孝行』『結婚相手は地元で一番偏差値の高い男子校出身の人にして、地元に家を建てなさい』『就職は地元、どうしてもなければ県内に』などと言って、やたらと私を手元に置きたがりました。でも、これ以上実家にいると精神をやられると思ったので、大学進学と同時に家を出ることだけは譲りませんでした」

これ以降、白柳さんは就職先も嫁ぎ先も県外にし、出産時に里帰り出産もせず、極力実家と距離を置いた(以下、後編へ続く)。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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