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政治家はあまりいい仕事ではない…「知事の息子」として育った石破茂を政界へ導いた田中角栄の”鶴の一言”

プレジデントオンライン / 2024年10月23日 18時15分

第102代内閣総理大臣 石破茂(画像=内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

第102代内閣総理大臣となった石破茂氏はどんな人なのか。小・中・高校生向け教室「happier kids program」を主宰する長谷部京子さんは2018年、教室に通う子どもたちと石破氏をインタビューした。その内容をまとめた『僕たちはまだ、総理大臣のことを何も知らない。』(Gakken)より、一部を紹介する――。

■まわりの人が頭を下げる不思議な仕事

私は幼稚園、小学校、中学校と鳥取県で育ちました。自分の父親が鳥取県知事であるという、非常に特異な環境で育ったので、そのプレッシャーは大きかったです。間取りでいうと20LDKみたいな、どでかい知事公邸に住んでしました。庭には川が流れ、山があり、テニスコートもゴルフの練習場もある、そういうところでしたね。

子どものころ、学校でお父さんについての作文を書けと言われると、何をやっているかわからないので、すごく困りました。農家でもないし、商店でもないし、会社員でもない。ほとんど家にいることもありません。

子どもには、知事がどんなことをしているのか、よくわかりませんでした。「なんだか知らないけど、まわりの人がみんな頭を下げる不思議な仕事だ」と思っていました。

■「知事の子どもだから、勉強ができて当然」

私の通った学校は、鳥取大学附属小学校・附属中学校という、比較的勉強ができる子どもたちが集まる学校だったんです。私は知事の子どもですから、勉強ができなくてはいけないと思っていました。母親が非常に教育熱心な人で、すごくプレッシャーがありました。

小学校5、6年生の時は、毎月、国語、算数、理科、社会のテストがありました。1クラス36人全員、1番は誰、2番は誰と、成績が発表されるんです。これが重圧でしたね。常に1番でいられるはずもなく、4番や5番に落ちると母親からひどく叱られました。

■「地元進学はまずい」と慶應義塾高へ

中学校に入るころは、大学紛争といって、大学生たちが活発に政治活動をしている時代だったんです。日米安全保障条約反対を掲げる、非常に過激な学生運動があった時代です。中学生でも、政治への関心が高い子どもたちは、権力に対して反対する雰囲気がありました。

知事は権力の象徴みたいなものですから、知事の子どもとしては、非常に居心地が悪かったですね。知事の息子というプレッシャーを感じつつ、このままの環境にいていいのかなという思いがありました。

鳥取県の町並み
写真=iStock.com/Sean Pavone
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sean Pavone

比較的素直な子でしたから、勉強はきちんとしていましたが、中学3年生の時に、「このまま地元の高校に進学するのはまずいかもしれない」と私自身も思いました。母親も、このまま地元の県立高校で厳しい環境にいたら、私が不良になるんじゃないかと思ったんでしょうね。だから、高校は、東京の慶應義塾高等学校に行ったんです。

■立派な政治家である父を超えるのは難しい

子どものころは、学校の先生になりたかったんです。

人に教えることが楽しいと思ったし、学校の先生が主人公のテレビドラマや漫画の影響もありました。私の母親は、東京女子大を出て、結婚するまで国語の先生をしていました。父親が戦争に行っていたころは、再び学校の先生をして生計を立てていました。年の離れた2人の姉もそれぞれ英語と歴史の先生で、教員の多い環境で育ったんです。

そうしたまわりの環境もあって学校の先生になりたいと思っていましたが、そのころの多くの男の子たちと同じように、電車の運転手やパイロットになりたいとも思っていました。

中学生のころは、父親を見ていて、「政治家というのは、あまりいい仕事ではない」と思っていました。プライベートの時間はほとんどないし、もちろん土曜日も日曜日もない。そんなにお金が儲かるわけでもないし、あまり割のいい仕事ではないと感じたんです。

それに、子どもの私がこんなことを言うのは変ですが、私の父親は非常に立派な政治家でしたから、とても父親を超えることはできないと思ったんです。政治家は立派な仕事だ、価値のある仕事だとは思いましたが、自分がふさわしいとは思わなかったですね。あまりに立派な父親をもつと、超えるのが難しいと思ってしまうものなんですね。

■田中角栄の「鶴の一声」で政界入り

高校の時も大学の時も政治家になろうとは思いませんでした。大学卒業後は三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職したんです。私が銀行に入って3年目の時に、父親が病気で亡なくなりました。父親はその時73歳で、自民党所属の参議院議員でした。

当時私は24歳でした。参議院議員は30歳にならないと立候補できないので、跡継ぎにはなれません。これは、「政治家になってはいけない」という神様のお告げだと思いました。

その時、父親の葬儀委員長を元総理大臣の田中角栄さんがやってくれたんです。お礼を言いに行ったら、「君、銀行を辞やめて政治家になりなさい」と言われました。

第64代内閣総理大臣 田中角榮
第64代内閣総理大臣 田中角榮(画像=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

「いや私は24歳なので、父親の跡継ぎにはなれません」そう答えました。

「何を言うんだ、君は衆議院に立候補するんだ!」それから5年後に、衆議院議員になりました。

■なぜ「非戦」の日本が自衛隊をもつのか

「憲法改正」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。

憲法9条に書かれていることは、「日本は軍隊をもたない」ということです。日本は世界の人を信頼して平和に生きていく、それが日本の生き方です、と書いてあるのが憲法です。

でも、日本が他国を侵略することはないけれども、どこかの国が日本を侵略した時に、それを追い払う能力だけはもっておく必要があるのではないか、追い払う能力をもっていることが相手にわかったら、攻せめてこないのではないかということで、現実には自衛隊をもっています。

だから、他国の侵略を排除するために戦力をもちます、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊をもっていますよ、その行動は国際的なルールに従います、と憲法にきちんと書かないといけません。だから、私は憲法改正が必要だと思っています。

しかし、「憲法9条を守りましょう」と言ったほうが国民の受けがよくて、「憲法を改正しましょう」と言うと、国民はあまり喜ばないわけです。でもきちんと話をして、理解を得なければいけないと思っています。

■日本の人口は2100年には半分以下になる

政治家として取り組みたいテーマの1つ目は、今述べた憲法改正です。

2つ目は、地方に雇用と所得を取とり戻すこと。

今後、日本の人口はものすごく減るでしょう。今、日本の人口は1億2500万人ですが、2040年には1400万人減ると予測されています。2100年になると日本の人口は5200万人という予測もあります。そうなると、今の半分以下になるんですね。200年経つと15分の1になるんです。日本の人口はこんなに減っていくんですよ。

これにはいろんな理由がありますが、まず結婚する人がすごく減ったことにあります。私が若いころは、結婚しない人はだいたい50人に1人くらいでした。今、男性のうち4人に1人は結婚しません。女性が結婚する年齢や子どもを出産する年齢も、だんだんと遅くなっています。そして、生まれる赤ちゃんも少なくなっています。

■東京から地方へ人がどんどん移る国にしたい

都道府県で出生数が一番多いのは沖縄県。それから鹿児島県、宮崎県と続きます。一番少ないのは東京です。

長谷部京子『僕たちはまだ、総理大臣のことを何も知らない。』(Gakken)
長谷部京子『僕たちはまだ、総理大臣のことを何も知らない。』(Gakken)

地方で働くと、都会ほど高いお給料がもらえないという問題があるので、地方にもっと高いお給料をもらえるような仕事を作っていかないと、東京にどんどん人が集まってしまいます。だから、地方でも仕事と、その仕事にふさわしい所得が得られるようにしていかないと、日本の人口はどんどん減っていくのです。

それから、東京は非常に災害に弱い街なので、東京から人を移していかないといけません。東京一極集中になっていると、大地震のような災害が起きた時、被害が大きくなるという問題もあります。だから、東京から地方にもっと人が移っていくような国にしたいと考えています。

3つ目は、あなた方のような子どもたちの世代に大きな負担がかからないように、国の財政をもっとよくすること。

やりたいことはこの3つです。

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長谷部 京子(はせべ・きょうこ)
happier kids program主宰
東京都出身。青山学院大学卒。happier kids program主宰。リクルート社等を経て、経営者を育成する「大坂塾」に勤務しつつ、2012年、小・中・高校生の教室happier kids programをスタートする。自身の子育ての経験、我が子の中高時代の友人たちが、「ただいま!」と訪れてくれたことが教室の原点。学校、家庭以外の「心の居場所」になりたいと願い、教室を運営している(教室のモットーは、「工作、クッキング、コンテスト応募、工場・会社見学など、子どもたちの得意なこと、一人一人が夢中になれることを見つけて、みんなで楽しむこと」)。中学生以上は、「会いたい人に会う企画」として、インタビューを実施。小学1年生で入室した子が、高校生になっても通い続けている。また、「子どもたちの夢と志を応援するドリームシッププログラム」を共同開発し、日本やドイツの各地で開催。これまでに、約1500人の親子が、リアル参加している。

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(happier kids program主宰 長谷部 京子)

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