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なぜトヨタは大卒至上主義の時代に「職業学校」を運営するのか…トヨタ元副社長が語った「一生忘れない出来事」

プレジデントオンライン / 2024年11月14日 6時15分

トヨタ工業学園の卒業生で、副社長を務めた河合満さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

トヨタ自動車には、15歳以上の企業内教育を行う「トヨタ工業学園」がある。3年間の高等部、1年間の専門部に分かれており、卒業生の多くがトヨタに就職する。大卒者が多くを占める現代で、なぜ民間企業が職業学校を運営するのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる連載「トヨタの人づくり」。第2回は「職業学校を続ける意義」――。

■なぜこれほど「人づくり」にお金をかけるのか

トヨタの人づくり、人材教育が効果を上げているところが学園であり、最先端現場だ。このふたつの場所ではつねに先進的な教育内容、教育ノーハウを採り入れている。学園は変容し、進化する学校だ。そういう場所では生徒よりもむしろ指導員の負担が大きい。

スマホアプリ開発、AI技術といった最新技術分野にはこれといった教科書があるわけではない。指導員だからといってスマホやAIに詳しいわけではないから、人に教えることができるようになるまで自らが学ばなくてはならない。そして、最新知識を入手して、教えながら学びを続ける。

毎年、同じ教科書で生徒に教える人たちでは務まらないのが学園の指導員であり、トヨタの教育セクションの人間だ。

学園でも、トヨタでも、指導員、教育担当を教育するシステムがきちんと整備されている。それがあるから学園の指導員、教育担当は生徒、社員に教えたり、研修を受けさせることができる。

トヨタの強みは教育、人づくりにお金と時間をかけていることに尽きる。

では、トヨタと学園の教育の特長を挙げていこう。

■高校の無償化が進み、企業内学校は数えるほどに

まず、トヨタ工業学園は数少ない企業内学校であること。一般の高校とは違うところがいくつかある。

企業内学校の数は数えるほどになった。トヨタ工業学園をはじめとして、日野工業高等学園(東京都日野市)、日立工業専修学校(茨城県日立市)、デンソー工業学園(愛知県安城市・刈谷市)といったところだけになっている。

高等教育が全国で無償になりつつある今、企業内高校、職業高校は独自のカラーがなければ存在しづらくなっている。元々、企業内高校、職業高校に進学するのは高校を終えると働く人たちだった。大学に進学する余裕がなく、専門教育を経て社会に出る人たちが通っていた。

ただ、そういう人たちは高校の授業料が無償になれば普通高校へ進み、そして大学を目指すようになった。そのため、企業内学校、職業高校に進む人たちががくんと減ってきたのである。

一方で、企業内学校に進みたい人もいる。その人たちのために企業内学校をなくすわけにはいかない。それにはまず大元である親会社が堅実な業績を維持し、成長していなくてはならない。親会社が青息吐息では学校経営ができないし、志望者も出てこない。

トヨタは創業以来、教育に力を入れてきた。会社もまた業績を上げてきた。それもあって学園を志望する人間は減っていない。そして、学園は会社に頼りきりではない。学園には普通高校や他の職業高校が持っていない特徴がある。その特徴はトヨタの人材教育と通底している。学園とトヨタは同じ考え方、姿勢で生徒、社員を教育している。

■教えるのは教師ではなく、第一線で働くトヨタ社員

前述したが、トヨタとトヨタ工業学園の人づくりには共通点がある。それをここにまとめておく。共通点はいずれも他の企業や教育機関では見ることのできないものだ。

さて、ひとつ目は学園だけのそれである。

同校には3年制の高等部だけでなく、1年制の専門部という教育課程がある。専門部は高等部を終えた人間が進学するところではない。一般の工業高校を卒業した人間が入ってきて、1年間の専門科目を学んだ後にトヨタに入るところだ。

学ぶ内容を聞くと、大半は実習だ。同校のなかにある工場の実習だけでなく、トヨタの工場や開発現場にも出かけていく。実践的というか企業内研修と直結している教育だ。なおかつ、生産現場の戦力にもなっている。

専門部で行っている教育は最先端のそれだ。スマホのアプリ開発のような新たに出てきたIT技術なのである。EV、自動運転にかかわる技術、AIの技術などもそうだ。いずれも最先端の技術であり、大学にも専門教員がいるわけではない。企業内で実際に開発している人間がその分野の第一人者だ。専門部の生徒が教わる教師とはトヨタが誇る第一人者だ。一流大学の工学部、情報学部の教師よりもモノづくりの現場の最先端に触れている人間なのである。

トヨタ工業学園の授業の様子
撮影=プレジデントオンライン編集部
トヨタ工業学園の授業の様子 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「1年制」が学歴偏重社会を変える理由

言い換えれば、EV、自動運転などにかかわる技能はどの教育機関よりも進んでいて、生徒はその知識を教わることができる。モビリティにおける最先端技術を学びたいと思ったら、工業高校から学園の専門部へ行くというルートがある。

専門部の生徒にとってはもうひとつ大きなことがある。それは1年制の教育機関だけが持つ意味だ。1年制の教育機関はまさしく学ぶための機関であり、学歴を得るための機関ではないことだ。日本には2年制の教育機関(専門学校、短大、大学院の修士課程など)はいくつもあるが、1年制となると一部の大学院、専門学校くらいのものだ。だが、1年制の教育機関はもっと普及してもいい。

それは日本の教育界を変える役割を果たすことができるのではないかと思えるからだ。特に学歴偏重を変えることができる。

わたしは日本は保守的な学歴社会だと感じる。日本の一部メディアと受験産業は早慶上理、GMARCH、日東駒専、大東亜帝国といった言葉を作りだして大学のランキング付けをしている。できあがった大学のランキングを見て、企業の採用担当者は「東大をふたりに慶応を10人、早稲田を3人ほど採っておけば今年の採用は成功だ」と考える。

そうしているうちに大学のランキングができあがる。加えて、一部企業では三田会、稲門会といった大学出身者の交流団体が堂々と存在している。企業もまた大学のランキング、学歴偏重を助長している。

■タテの交流がなければ学閥も存在しにくい

一方、トヨタは学閥も地域閥もない会社だ。世界中に工場やオフィスがあるグローバル企業だから、採用された学生が「早慶上理を出ました」と言っても、ケンタッキー工場や広州トヨタでは通用しない。

結局、学閥偏重はグローバル企業よりドメスティック企業に通用する価値でしかない。トヨタという会社はそのことをよくわかっている。彼らはとりたてて「学閥はない、地方閥もない」と主張しない。社員は学歴が価値とはならないとわかっているから外に対しても自らの卒業大学を言い出すことはない。

では社内に学閥がないこと、学園に専門部が存在することは、どこでつながってくるのか。

それは1年制の学校では学閥が存在しにくくなるからだ。

1年間の学校では同期生はいるけれど、在学中に先輩や後輩はいない。当たり前のことだけれど同期生同士の付き合いはあるものの、先輩、後輩との在学中の思い出はない。学閥ができていく素地とは同期生同士が固まるだけでなく、先輩、後輩の存在が影響してくる。

事実、専門部を出た人間はトヨタ社内で同期とは付き合うが、在学中に会ったこともない先輩、後輩と深く交流していることは少ない。1年だけの学校にはヨコの付き合いはあってもタテの交流はない。学閥を形成する土壌がない。1年制の教育機関にはそういう性質がある。

■ITやAIに特化した専門教育機関を作るべきだ

わたしは学園専門部の取材を通して、卒業生たちは学歴偏重の社会の外にあることを知った。彼らは学歴、学閥から離れて自由に生活を楽しんでいる。彼らは工業高校卒業者として扱われるのではなく、トヨタ工業学園専門部を出た人として認識される。

一流大学として認められない大学を出た人たちは学園専門部と同じような1年制の専門教育機関へ進めばいいのではないか。もし、そういった教育機関があれば学園高等部と同じような役割を果たすに違いない。普通の大学出身者ではなく、1年制教育機関の出身者として遇されるからだ。

その教育機関で教える科目はIT、AIといった先端知識と先端技術。理科系、文科系を問わず、これからの社会人にとってもっとも必要な知識、技術だからだ。

■少子化時代の大学の“生存戦略”にもなりえる

こうした専門教育機関は大学よりもむしろ企業が作ればいい。IT、AIの先端技術を教える人材は大学ではなく、むしろ、先進企業にいるからだ。そして、一度、社会に出た人が戻って学ぶことのできるシステムの組織であればなおさらいい。または東大のような一流大学が企業の助けを借りて設立してもいいだろう。座学だけではなく、公的機関、民間企業での実習をカリキュラムの柱とする。

さまざまな大学を出た人間が東大が作る専門部に入るわけだ。すると彼らの最終学歴は企業もしくは東大の専門部になる。当初は「あいつは東大でも専門部だから」と言われるかもしれない。しかし、いずれ、東大や企業の専門部卒業者の数が増えていけば大学のランク付けは意味をなさなくなる。ひいては学歴偏重、学閥はなくなる。

少子化の現在、各大学は生き残るための方法を模索している。一方で、民間企業は先端知識、技術を理解する若者を欲している。一流大学と呼ばれていない大学に入ったとしても、東大専門部で学ぶことができれば大手企業、IT企業に入社することができるのではないか。

■大学も企業も、学生にとってもメリットがある

わたしはトヨタ工業学園を取材して、さまざまな知見を得たけれど、もっとも考えさせられたのは専門部というシステムだ。少子化時代の日本で学生に入ってもらいたい企業、新しい学生が必要な大学にとって先進技術の専門部を持つことは解決策のひとつだ。夢みたいな話かもしれない。しかし、どこかの大学が先進企業の助けを借りてこうした試みをスタートすると信じることにする。

学園には、技能五輪出場へ向け課題に取り組む学生もいた
撮影=プレジデントオンライン編集部
学園には、技能五輪出場へ向け課題に取り組む学生もいた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

なぜなら効用があるからだ。

専門部を設立した大学は学生を増やすことができる。企業はIT、AIに優れた人材を採ることができる。一流大学を出ていない学生は「専門部卒業」という資格と先端技術を取得したために一流企業に就職することができる。

世の中の人々は大学卒の肩書よりも、IT、AI技術のほうが価値があると認識し、その結果として学歴偏重の風土が薄まる。三方よしとはこのことではないか。

学園の専門部は未来型だ。少子化時代の教育機関にとって、未来へ向かうための示唆を与えてくれるところだ。教えることだけが先進的なのではなく存在自体が未来型の教育施設となっている。大学関係者、教育関係者は専門部を視察して、この施設から学ぶべきだ。同時にトヨタは学園専門部の定員をさらに増やしていくべきだ。加えて豊田工業大学でも他の大学から進学できる1年制の教育機関を作ることを考えるといい。

■副社長を務めた学園OBが語る「失敗の許容」

2番目の特長だ。学園およびトヨタの現場では、指導員(上司)は生徒(部下)が意欲を持ってチャレンジしたいと言ってきた時、「失敗するだろうな」とわかっていても、挑戦させる。

おやじの河合(満、トヨタ元副社長)はかつてこう言っていた。

河合満さん
撮影=プレジデントオンライン編集部

「会社に入って鍛造現場に配属され、働き始めた時、自分で考えたカイゼンをやった。上司に頼んで予算を出してもらい、部品を置く棚を外注して作ったんだ。ところが、いざ、届いたら、高さが合わなかった。少し高かったんだ。まったく使えなかった。すると、その様子を見ていた上司が言った。

『河合、俺は図面を見た時、ちょっと高いんじゃないかと思った。だが、やらせてみた。やってみないとわからないだろう。これからは外注する時はもう一度、確認しろ。俺を使っていいから、俺の身長に合わせて部品棚を設計しろ』

トヨタにはそういうところがある。予算を使って失敗すると、身に染みる。上司はそのためにやらせたんだ。あの失敗を自分は忘れない。一生、忘れない」

トヨタではこうやって仕事を教える。失敗を隠したり、忘れさせるのではなく、顕在化する。顕在化させてから失敗や問題を解決していく。これはトヨタ生産方式の考え方のひとつでもある。

■すぐに「失敗だ」と言う人間は傲慢である

「失敗を見つめる」ことは大切だ。失敗を見つめて人は成長していく。洋画家の中川一政は「失敗を見つめる」ことについて、こんなことを言っている。

ある日のこと、中川は彼を慕う俳優の渡辺文雄と陶芸をやっていた。渡辺は中川のすぐ横でろくろを回し、粘土で陶器を作ろうとしていたのである。渡辺は土をこねて陶器を作ろうとしていたのだが、思ったような形にならなかったため、ぐしゃっと粘土をつぶしてしまった。

すると、中川は言った。

「どうしてつぶしたの?」
「失敗です。失敗しました」

そうか、と呟いた後、中川は渡辺に言った。

「失敗だなんて……傲慢だね……。あれは失敗なんかじゃない。あれが今の君自身、……君、そのものなんだ。(略)

作品というものは、そういうものなんだ。誰が作ったのでもない。君が君の心で創ったのが、あれだ。それをつぶしたところで、土はつぶれて元の土くれに戻すことはできても、……そのときの君の心までは……消し去ることはできない。目の前から土の形を消し去って……失敗だ、の一言で安心してしまうなんて……安っぽ過ぎる。……卑怯すぎる」(略)

■失敗したときこそ、本気で見つめなければならない

「失敗したときは、……本当にはっきりと失敗したんだなと思ったときは……。それを破き去ったり、つぶしたりしてはいけない。それをじっと見る。じっと見据える。本気になって、勇気と力をこめて見る」(『旅でもらったその一言』渡辺文雄、岩波現代文庫)

中川は陶芸や絵画にたとえて失敗を見つめろと言っている。しかし、これはトヨタの現場で河合が上司から諭されたことと同じだ。うまくいかなかった仕事について、トヨタ、学園では真正面から見つめろと教える。

いわゆる教育施設とはいかに失敗しないで生きていくかを教えるところだ。しかし、どう教育しても、万全の準備をしても、人は必ず失敗する。

どれほど立派な教えを学び、テストで100点を取っても、学校で首席になっても、人は失敗する。社会に出ていって、仕事をして、「失敗したことはありません」とうそぶいたとしても、必ず失敗する。そして、大半の人は失敗の経験をなくそうとする。自分の失敗を思い出したくないし、見つめたくないからだ。だが、トヨタと学園では失敗だと自覚した時は本気になって、勇気と力をもって見つめることを教えている。こういった会社、教育施設は他にない。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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