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床に落ちた「たった1本のネジ」も見逃してはならない…トヨタの生産現場で上司が教えている「仕事の本質」

プレジデントオンライン / 2024年11月21日 6時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Valerii Apetroaiei

トヨタ自動車の企業内学校「トヨタ工業学園」では、3年間の高等部、1年間の専門部に分かれて自動車開発に必要な技能を習得する。そこではどんな指導が行われているのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる連載「トヨタの人づくり」。第3回は「部下の『わからない』にどう対応するか」――。

■人目を気にする日本人は自意識過剰?

わたしは10年以上、定期的にトヨタの生産現場へ出かけて行って、現場の変化を見ている。1時間近くも生産ラインのそばで見学していたこともある。作業者はやりづらいかなと思ったのは最初のうちだけだ。彼らは自分の仕事を考えながら自由に仕事をしている。

「目の前の作業や設備のどこをカイゼンしようか」と考えながらやっているから、他人が見ていることなど気に留めていない。

これは海外のトヨタ工場ほど顕著だ。ケンタッキー工場でラインを見ていた時、目が合うと、サムアップしてくれた作業者がいた。わたしが見つめていたことなどまったく気にしていなかった。日本人のほうが自意識過剰なのかもしれない。ケンタッキー工場の作業者はわたしがいたからといって精勤する真似をすることもなかった。時間が来たら、すぐに休憩に行った。他人の視線など気にせず、自分の仕事に集中していた。

■トヨタ流「褒める、叱る」よりも大切なこと

ケンタッキー工場の上司はラインにいる部下に向かって叱責することもなかった。かといって、「すばらしい」「やあ、いい仕事だ」なんて声をかけることもなかった。上司は様子を見守っていた。褒めることもなく、叱責することもなく、教えることもなく、じっと見守る。それがトヨタの現場教育だ。上司は働く部下をリスペクトし、評価する。だからといって現場で褒めたり持ち上げたりすることはない。

わたしはそれと同じことを学園の指導員に訊(たず)ねてみた。

「学園では生徒に対して、褒めたり、叱責したりという指導をしているのですか?」

すると、次のような答えだった。

「褒めることはもちろんあります。褒めることは、その本人がしっかりと仕事をこなせていることの実感に繋がりますし、重要です。しかし、褒めるだけですと、その後どうカイゼンしていけばいいのか分からず、カイゼンが止まってしまう恐れがあります。

そこでカイゼンを続けるためには『見守る』ことが重要になってきます。そのため、弊社および学園では『褒める』、『見守る』。どちらも重視しております」

褒めるだけでは人間の成長は止まってしまう。褒めたら見守る。見守りながら褒めるのがトヨタ、学園の人づくりだ。

■あえて「不安定な状況」をつくる理由

トヨタは変化する会社だ。なかでも生産現場はトヨタ生産方式が定着しているからつねにカイゼンして、変化させている。

学園も同じだ。時代に合わせて授業内容を変えている。やすり掛けのような基本実技はそのままやっているが、今では組み立てのようなメカニカルな授業よりもむしろパソコンを使ったソフト開発、コードリーディングなどの授業を増やしている。車がモビリティに変わるのだから授業内容もまた従来と同じというわけにはいかない。

トヨタ工業学園の朝礼の様子
撮影=プレジデントオンライン編集部
トヨタ工業学園の朝礼の様子 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

トヨタの現場では仕事のやり方を変える際に決まりごとがある。

それは状況を不安定にすること。

状況を不安定にするとムダがあぶりだされてくる。たとえば、10人で担当していた生産ラインからひとり抜いてみる。すると、半日ほどは残りの9人は大忙しの様相を呈すけれど、いつの間にか平然と仕事をするようになる。一度、不安定な状況を作ると、人間は考え始める。自然のうちにムダを省いて9人でできるようになる。

人間は自分からはなかなか変わろうとしない。変わるには外的な条件を与えて、その対処をうながす。対処した行動がすなわち変化後の作業となる。

変化するには外から刺激を与えるしかない。教育、指導とは外からの刺激であり、教師が「自分から変われ」と言い放つのは無責任だ。変わる、新しい行動を促すには指導するしかない。学園やトヨタの現場では教員や上司が刺激という指導を与えている。

■カイゼンは「1本のねじ」を考えることから始まる

トヨタの現場で見ていると、カイゼンとは小さな発見から始まっていることがわかる。建屋の通路にねじが1本落ちていたとする。それを見つけて「どうして落ちたのか、どこから落ちたのか」と考えることがカイゼンの第一歩だ。そして、原因を特定し、再発防止策を決めて実行することが問題の解決だ。

ちなみに、わたしは他の自動車会社の工場も3社、見学したことがあるが、どこでも、ねじの1本くらいは落ちている。建屋の隅にはさまざまな用具や部品が立てかけてあったり、置かれていたりする。それが普通の工場だ。

だが、トヨタの工場では通常、ねじは落ちていない。たったの1本も落ちていない。だからこそ作業者は足を止めて、考え始める。他の工場では、ねじの1本くらいは落ちていることがあるから問題の発見にならない。話はそれるけれど、トヨタの工場、オフィスへ行って天井の蛍光灯(LED)が切れているのを見たことがない。これまた他の工場やオフィスではひとつくらいは切れていたり、切れかかっていたりする。

■仕事の本質は「困りごと」をなくす

ねじが落ちていることなど、目の前の問題発見ができたら、次は自分から問題を探して解決を考える。学園で指導員が教えようとしているのは問題の発見と解決だ。つまり、困りごとをなくすことにある。

そう考えていくと、トヨタという会社の使命は困りごとをなくすことにある。

自動織機の優秀なエンジニアだった豊田喜一郎が「日本人の手で自動車を作ろう」と思ったのは金もうけでもなければ、自動車マニアだったからでもない。関東大震災で被災した人が病院へ行こうにも、車が足りなかったからだ。車が足りないという困りごとを解決するために純国産乗用車の開発に着手したのである。

そう聞くと、人は「美談だ」と感じて、一片の疑いの心を持つ。しかし、どんな人でも仕事をしていて最大の喜びとは他人からの感謝なのである。他人の困りごとを解決して感謝してもらうことができたら、それは金銭には代えられない最大の報酬だ。

「困っていたところを助けてくれてありがとう」と言われたことのある人は理解できるだろう。仕事を通じてお金を得ることはありがたい。しかし、人間は欲が深いから仕事の対価としてお金だけでは満足できない。他人の笑顔、感謝は生きていること、仕事をすることで得られる収穫なのである。

■2時間、人間について学ぶ授業「講話」

同校では人間について教える授業があり、講話と呼んでいる。専門部では毎週、金曜日に行う。時間は少なくとも2時間。午前、午後に続けて講話を行うことだってある。講師は外部の専門講師ではない。トヨタの現役社員だ。

話す内容は多岐にわたっている。社会人としてのマナー、実際の仕事における問題解決の方法、トヨタ生産方式とは何か、トヨタ生産方式を通じたカイゼンのやり方……。

講話と聴くと精神論と思いがちだが、学園の講話は精神論ではない。そして、現役社員の自慢話でもない。どちらかといえば失敗談、開発における苦労話がおおい。

卒業生たちに「学園で覚えている授業は?」と訊ねると、大半の人間は「講話です」と答える。そして、「自分がトヨタに入社して講話で聞いたことがもっとも役に立った」とも教えてくれた。

身近なこと、小さな問題の解決について社員の目線で話すことが講話なのだろう。

■「わからない」は上司がわるい

学園の授業や実習で生徒が「わかりません」「ちょっとわかりづらいです」と答えたとする。一般の学校ならば教師は「どうして、わからないんだ。あれほど説明したじゃないか」と言う。それから、もう一度、教えようとなる。ただし、教え方は前と同じだから、生徒は何べん、聴いてもわからない。

トヨタ、学園では「わからないと答えた部下(生徒)が悪いわけではない」というのが共通の理解だ。部下に物事を理解させることができなかった上司が悪いとされる。

トヨタ学園の様子
撮影=プレジデントオンライン編集部

部下が「わかりません」と答えたとする。トヨタの上司であれば、「どこがどのようにわからなかったのか?」を部下に訊ねる。そうして、わからなかった箇所を特定して、あらためて説明する。

■たとえ話もアップデートしなければならない

もしくは説明の仕方が悪いと言われたとする。その場合は、違う説明の仕方をする。あるいは、説明を受ける部下が理解できる用語だけで説明する。たとえ話が「古い」と言われたら、昭和の出来事や人物を引き合いに出すのではなく、令和の出来事、人物をたとえ話に使う。

人は自分が知っていることしか教えられない。昭和に生まれた上司は令和の人物についてよく知らないから、たとえ話に持ち出すことができない。しかし、そういう場合は上司は勉強しなくてはならない。ユーミンや中島みゆきの曲を引き合いに出すのではなく、YOASOBIやKing Gnuを知っていなくてはいけない。……だからといって懇親会でみんなの前で披露することまではしなくていいけれど。

学園の指導員のなかには実際にKing Gnuの曲を聴いて生徒に授業をする人間もいる。わざとらしい行動かもしれない。ハズすことだってあるだろう。けれど、生徒たちは指導員の情熱だけは感じる。

人に教えるとは聴く人の立場になることだ。

「わからない」と答えた部下や生徒を叱責するよりも、教え方、伝え方を変えることだ。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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