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「ピンピンコロリ」で簡単に往生できると思ってはいけない…身寄りのない高齢者を待ち受ける悲惨な現実

プレジデントオンライン / 2024年10月30日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hanafujikan

「おひとりさま」で老後を迎えたとき、直面する問題は何か。日本総合研究所のシニアスペシャリスト、沢村香苗さんは「配偶者や子どもなどの“身元保証人”がいない高齢者(=老後ひとり難民)が増えている。ひとりで平気と思っても、頼れる人がいないと想像以上に厳しい現実が待っている」という――。(第1回)

※本稿は、沢村香苗『老後ひとり難民』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

■高齢者の「身元保証人」は、手続きや支払いに関与するだけではない

「老後ひとり難民」が、いずれ直面せざるをえないのが「身元保証」の問題です。

高齢期は、心身機能の低下にともなって、入院や転居、施設入所など「居場所の移動」が避けられない場面が多くあります。そして、このような場面では、一般に「身元保証人」が求められます。高齢者の身元保証人が、大きな問題として浮上しやすいのはこのためです。

実は、ここからご説明していく身元保証には、法的な裏づけや明確な定義がありません。「保証人」と聞くと、一般には「支払いが滞(とどこお)ったときに代わりに払う義務を負う人」といったイメージがあるかもしれませんが、高齢者が身元保証を求められる場面では、保証人に対する期待は必ずしも金銭の支払いに限られておらず、その中身は多様です。この曖昧さが、問題をより複雑にしているといえます。

高齢期に身元保証人が求められる主な場面は、入院するときと、介護施設や新しい賃貸住宅などに移るときです。

身元保証人がいないと、金銭面での未払いリスクに直面しますし、入院先では意思疎通ができなくなった場合に治療計画が決められなかったり、死後の手続きができなくなったりします。身体が不自由になったときに、身のまわりの世話や退院時の手続きができないリスクもあります。

■「老後ひとり」の本当の問題は、寄り添ってくれる人がいないこと

従来「家族がやってきたこと」を一体的に引き受けるという意味で、「身元保証人=キーパーソン」と考えたほうがいいでしょう。

キーパーソンとは、医療や介護等の現場で「家族のなかで、必ず連絡が取れて対応できる人」の意味で使われてきた言葉です。

医療機関への入院や介護施設への入所の際、慣習として、本人以外の身元保証人や身元引受人などの署名を求められることがよくあります。このような場面では、主に配偶者や子どもなどの親族が身元保証人となることが想定されていますが、場合によっては「配偶者は不可」とする条件がつけられていることもあります。このため、身元保証人を頼める親族がほかにいない場合、入院や入所を断られるリスクがあります。

核家族化や未婚化、少子化などの影響を考えれば、今後、身元保証人を頼める人がいない高齢者はさらに増加すると予測されます。

このような危機的状況を受け、「身元保証人を求める慣習はなくすべきだ」という人もいます。しかし、話はそう簡単ではありません。

私は、身元保証人が求められなくなったとしても、問題は一朝一夕には解決しないだろうと思っています。なぜならば、「老後ひとり難民」が直面する困難は「入院や入所のときに身元保証人がいないこと」だけではないからです。

本当の問題は、老後のさまざまな場面で、寄り添い、支えてくれる人がいないことでしょう。

■寄り添ってくれる人がいないと「生活の質」や「死の質」が下がる

医療や介護が必要になったとき、重大な意思決定が求められるとき、亡くなるとき、そして亡くなったあとに生じるさまざまな問題を解決するには、高齢者を支援したり、ときには代わりに問題を解決したりする人の存在が不可欠です。

そのような存在がいないと、高齢者の“生活の質”や“死の質”を保つことは非常に難しくなります。

しかし、そのような伴走的な支援を当然のように提供してくれる人を見つけることは、今や誰にとっても簡単ではありません。

平均寿命の延伸により「老後」が長くなるなか、配偶者や子が先立つケースもめずらしくなく、「必ず支えてくれる誰か」を確保するのは容易ではないのです。

また、離婚や未婚が増え、既婚であっても子どもをもたないケースもあるなど、家族構成の多様化もこの問題を複雑にする要因の一つといえます。

ライフスタイルの多様化により、家族や地域のしがらみにとらわれることなく、人生の選択肢を自由に選べるようになったことが、個人の幸福追求につながっていることは確かでしょう。

自分らしい生き方を選択できることは、とても価値のあることです。しかし、それは同時に、助けが必要なときに頼る人がいない状態に陥るリスクとも、表裏一体なのです。

■現代は「ピンピンコロリ」でもう死ねない

「最後までひとりで問題なく暮らしたい」というのは多くの人の願いでしょう。しかし、実際にはどこかで必ず何らかの問題が生じるものです。

手すりを掴んで支える高齢女性
写真=iStock.com/Toa55
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toa55

高齢者の間では、「ピンピンコロリ」という言葉がよく使われます。もともとは寝たきりにならないよう運動を推進するために使われるようになった言葉なのですが、私は「ピンピンコロリは思考停止ワード」だと思っています。

「自分はピンピンコロリで逝きたい、死んだらそのあたりに骨をまいてくれたらいい」と潔(いさぎよ)さを強調する人もいます。ですが、「ピンピンコロリ」は選ぶことができないのです。まして医療の発達した今の時代では、そう簡単に死ぬことはできません。

だからこそ、「ピンピンコロリ」の話には意味がありません。大切なのは「ピンピン」の部分、つまり「健康に過ごすこと」であり、「コロリ」の部分はまったく期待できないということを直視しなくてはなりません。

では「コロリとは逝けない」とすると、具体的にどのようなことが起きうるでしょうか。

身寄りのない高齢者が自分の状況の危うさに気づくのは、多くの場合、転倒して骨折したり、病気で倒れて病院に搬送されたりしたときです。

普段は特に問題なく暮らしていても、こうした緊急事態に直面したとき、初めて「誰もサポートしてくれる人がいない」「もう、ひとりではやっていけない」という現実を突きつけられるのです。

■身寄りのない高齢者の暮らしには困難が潜んでいる

たとえば以前、NHKの番組で、腰が痛くて動けなくなった高齢者が119番に連絡して、助けを求める様子が紹介されていました。

このような場合、運よく電話が近くにあれば通報ができますし、近所にかけつけてくれる人がいれば助けを求められるのですが、そうでなければ、誰かが気づいてくれるか、なんとか立ち上がれるようになるのを待つしかありません。

救急搬送されるケースでは、財布や保険証を持たないまま、病院に運ばれることもありえます。パジャマ姿で運ばれたものの入院するほどではないと判断され、誰も病院にかけつけてくれなければ、靴もないまま帰宅しなければならないこともありえます。

沢村香苗『老後ひとり難民』(幻冬舎)
沢村香苗『老後ひとり難民』(幻冬舎)

また、高齢者のなかには口座振替やクレジットカードを利用しておらず、光熱費などをコンビニで支払うという人も少なくありません。入院して支払いに行くことが難しくなったら、携帯電話も止まってしまいますし、電気が止まれば、退院したときには冷蔵庫の中身は腐ってしまっているでしょう。

若い世代ならスマホを使って簡単に済む用事かもしれませんが、多くの高齢者にとっては、このような問題への対処は簡単ではありません。

いざ退院するとなったとき、筋力が落ちるなどして、自宅の入口の階段をのぼれなくなっていたらどうなるのでしょうか? 身体の自由がきかなくなった状態で、ひとりで生活環境を整えるのは至難の業(わざ)です。

このように、身寄りのない高齢者の暮らしには、緊急時や日常の些細なことにも、さまざまな困難が潜んでいます。周囲の助けを得られない環境では、事態は容易に深刻化してしまうのです。

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沢村 香苗(さわむら・かなえ)
日本総合研究所 創発戦略センター シニアスペシャリスト
精神保健福祉士、博士(保健学)。 東京大学文学部行動文化学科心理学専攻卒業。東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻博士課程単位取得済み退学。国立精神・神経センター武蔵病院リサーチレジデントや 医療経済研究機構研究部研究員を経て、2014年に株式会社日本総合研究所に入社。2017年よりおひとりさまの高齢者や身元保証サービスについて調査を行っている。

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(日本総合研究所 創発戦略センター シニアスペシャリスト 沢村 香苗)

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