「5年連続三つ星店」も絶賛…元銀行員の50代建設会社社長が人生初の農業参入で大規模生産した"食材の正体"
プレジデントオンライン / 2024年10月23日 10時15分
■「クセがないのに、クセになる」料理人絶賛の「へべす」の正体
軽く握るだけで「ブシュウッ」と果汁があふれ出てきて、口に含むと柔らかな酸味が感じられ、清涼な香りが鼻に抜ける――。
「ね? おいしいでしょう。5年間、手塩にかけた“へべす”です」。そうほほ笑むのは、宮崎県日向(ひゅうが)市の内山雅仁さん(56)だ。
へべす。
地元・日向発祥の柑橘で、今、宮崎や九州だけでなく、全国でにわかに脚光を浴びている。見た目は「かぼす」や「すだち」によく似ているが、違う種だ。有名シェフやパティシエ、飲食業界の仕入れ担当者といった目利きが我先にと“新食材”を入手しようと躍起になっている。すでにミシュラン三つ星の京料理店や大手居酒屋チェーンも納入し客に提供しており、直近では、パリで最も権威のある料理学校からも受注前提とした問い合わせを受けたという。
なぜ、急に無名の「へべす」旋風が巻き起こり、全国区に名乗りをあげようとしているのか。そしてなぜ、前出・内山さんは「内山建設」社長にもかかわらず、栽培をしているのか。
取材してみると、意外な事実とここにこぎつけるまでの苦労がわかった。
■なぜ建設社長がおいしい柑橘類を栽培しているのか
高校卒業まで宮崎で育った内山さんは関西の都市銀行勤務を経て、28歳で家業の建設会社を継ぐために帰郷。会社代表の傍らに農業法人を立ち上げて、5年前からへべすの大規模生産に参入した。
そのへべすだが、江戸時代に日向に住んでいた長曽我部平兵衛(ちょうそかべ・へいべえ)さんが山中で香りのよい「酢みかん」を見つけたのが始まりとされる。自宅の庭で苗木を育て、近所の人に分けたことから、「平兵衛さんの酢みかん→平兵衛酢(へべす)」と呼ばれるようになった。
かぼすやすだちより皮が薄く、種が少ないために果汁がたっぷりなのが特徴だ。称賛の声はあちこちから届く。
「上品で柔らかな酸味が、料理やドリンクの味を引き立てる」
「果汁はクセがないのに、クセになる。存在感がしっかりある」
「種がほとんどないために果汁が搾りやすい」
とりわけシェフやパティシエなど、厨房の現場に立つ人々に大好評なのだ。
成分分析結果によると、「コク」「うまみ」「香り高さ」などの項目も他の柑橘を大きく上回る。さらに栄養成分も見逃せない。
必須アミノ酸9種類のうち8種類を含むだけでなく、発がん抑制効果とがん細胞の増殖抑制効果があるとされる「ナツダイダイン」が豊富に含まれるのだ。
■なぜこれまでブレイクしなかったのか
これほどまでに魅力のあるへべすだが、同じ柑橘系の中でも知名度は極めて低い。東京の吉祥寺など、一部エリアでの浸透は見られるものの、各地に全然広がらなかったのはなぜか。
理由は簡単だ。生産量が少ないためにほとんど地元で消費され、外に出回らなかったのだ。農林水産省によると、2021年の収穫量は下記のようになっている。
すだち:4104トン(うち4057トンが徳島県)
へべす:139トン
ブランド保護のため、もともと生産が日向市など特定の地域に限られてた上に、農家も小規模で、高齢化のため生産者数が減少していた。それでも2016年に県は「へべすを宮崎マンゴーに続くような特産品」にする方針を決め、県・日向市・JA日向の三者間で力を合わせることに。
ところが、へべすは収穫までに5年かかるためか、生産に参入する農家が増えなかった。
■ひむか農園、始動!
へべすの大規模生産を担ってくれる、地元企業はないか――。
その時、白羽の矢が立ったのが内山建設の内山さんだった。日向で生まれ育ち地元愛がたっぷり。当時、多額の借入金が経営を圧迫していた家業を、立て直した手腕も評判だった。
さらに2009年には、地元で処理に困っていた、木材に加工される杉の樹皮や、畜産で出る畜ふんをアップサイクルした培養土と肥料の製造販売を手がける会社を設立していた。2018年に県幹部から「へべす生産をしてみないか」と声をかけられた当時をこう振り返る。
「へべすは身近な存在でしたが、即答できませんでした。なぜなら、土と肥料の事業を手がけてはいたものの、農業の経験はなかったから。素人が、天候や病気の影響を受けやすく、マーケットにも大きく左右される農業に参入してよいものかと考えました」
県幹部は「生産をしっかり後押しする」とエールを送ってくれた。さらに内山さん自身も「ビールに絞ると最高に合う」と実感。2018年に農業法人「ひむか農園」を設立して大規模生産に参入し、勝負すると決心したのだった。
■耕作放棄地をへべす農園に
近隣のへべす農家、各地域のまとめ役、日向市役所の農業畜産課や農業委員会などの協力も得て、大規模農作地の確保にも成功した。「耕作放棄地を少しでも減らしたい」「地元のいいもの(へべす)を広めたい」という地元の思いが追い風になった。
こうしてひむか農園は、2019年に栽培をスタート。2024年9月時点の農園は8ヘクタール、植えた苗木は8000本にまで増えた。
■草刈りが大変!
あとは収穫すれば、収益が上がる……。外野からはそう見えるが、そう簡単ではない。へべす収穫は、苗木を植えて約5年後。その間が大変なのだ。
成長段階に合わせた肥料、病気を予防する最低限の薬剤の散布などのほかに、関係者全員が口をそろえて「大変です……」と話すのが、草刈りだ。ひむか農園に新卒で入社した鹿瀬拓真さんは、日焼けした顔でこう説明する。
「幼木のうちは周りに日影がないので雑草が生えやすくなり、草刈りがエンドレスに続きます。除草剤を使えば簡単なのですが、うちは限りなく有機栽培に近い方法で育てているため、除草剤は使いません。正直、大変だと思うこともありますが、一から農園を作りあげる経験は何ものにも代えがたいですね」
県の農林振興局の果樹普及指導員・藤元暁彦さんも「効率的な草刈りのために、2024年から産官連携のコンソーシアムを立ち上げて、機械化とスマート化に向けた実証試験を始めました。それでも、草の刈り残しが出てしまいました。今後も試行錯誤が続くと思います」という。
待ちに待った2024年。本格的に収穫・出荷が始まった。収穫は計4トンだったが、2032年には県全体の生産量を上回り、その後300トン規模にするのが目標だ。8年間で約75倍増。ひむか農園はもちろん、日向市や宮崎県全体にとっても未知の量になる。藤元さんは力強くこう話す。
「栽培や収穫も、これまでと同じやり方では追い付きません。農園スタッフの増員にも限りがあるので、発想をがらっと変えて栽培や収穫などの作業効率を高めないと、この規模を管理するのは難しい。同じ柑橘のかぼす(5900トンを大分県が生産)や、すだち(4057トンを徳島県が生産)の大規模生産の事例を勉強させてもらいながら、私たちもチャレンジしていきたいです」
■かぼすとすだちの胸を借りる
柑橘の大先輩である、かぼすとすだち。日向市役所のふるさと物産振興課の職員は、2024年8月には、都内の商業施設で開かれた、「すだち・かぼす・へべす和柑橘PRイベント」に参加。同じ柑橘系の生産関係者に受け入れてもらって実現したのだ。
■日向の「いいもの」を世界へ
ただし、県などから一部補助金が交付されるとはいえ、へべすの栽培を始めてから収穫までの5年は、資金の持ち出しが続く、ひむか農園。内山さんは、販路拡大にも飛び回る日々だ。料理人などの反応はすこぶるよく、わずか1年ほどで居酒屋の「塚田農場」や「大庄グループ」、ミシュラン5年連続三つ星の京料理店「祇園さゝ木」などへの納入を次々と決めることができた。
「『動きが早い』と驚かれますが、大規模出荷が本格化するまでに、少しでも多くの取引先を開拓しなければと必死です。生産では品質の安定と量の拡大を優先しつつ、有機栽培を続けて付加価値を高め、海外にも販路を広げていくつもりです。へべすの認知度が高まることで、地元の生産者も増えてほしい。へべす発祥の地としての、日向のくらしがよりよいものになるよう、力を尽くしていきたいです」
有機JASの取得も目指すひむか農園。内山さんは、塚田農場との商談が印象的だったと話す。
「味や使いやすさだけでなく、『どんな土地で』『どんな人が』『どういう作り方をしているか』を深く質問されました。耕作放棄地を地元の人が、林業と畜産の廃棄物をアップサイクルした土や肥料で有機栽培している、というストーリーが相手に届いたと感じました。これは日本だけでなく、海外にも刺さる力を持つはずです」
地元の人たちと力を合わせながら、我がまちの「よいもの」を世界に届けたいと話す内山さん。その視界の先には、世界の食卓にへべすが並ぶ未来が見えている。
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ライター
日系製造業での海外営業・商品企画職および大学での研究補佐(商学分野)を経て、2018年からライター活動開始。ビジネス、異文化、食文化、ブックレビューを中心に執筆活動中。
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(ライター 水野 さちえ)
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