なぜイマドキの新入社員は「おはようございます」が言えないのか…SNSに広がる「あいさつ不要論」への違和感
プレジデントオンライン / 2024年11月2日 17時15分
※本稿は、岸圭介『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
■若い世代に広まる「あいさつ不要論」
「なんでわざわざ知らない人に、あいさつをしなければいけないのですか」
昨今では、新入社員から真顔でこんな質問をされると耳にします。若い世代を中心に広まっているとされる、いわゆる「あいさつ不要論」です。
親しい間柄でもないのに、なぜ頭を下げたり、わざわざ自分からコミュニケーションを図ったりしなければいけないのか納得がいかないのでしょう。
上司や先輩からあいさつを強要されるのに反発をする向きもあるようです。こうした風潮は、コロナ禍がより促進させたこともあるでしょう。人と人とが直接的に関わらない状況下で学んだ結果かもしれません。
さらに言えば、幼少期から積み上げてきた「話すこと」に対する学びの成果だとも思うのです。幼少期に「おはようございます」と自分から話しかける習慣を築いている人もいます。
その人にとっては、あいさつをするのは、もはや疑う余地のないことかもしれません。
中・高生世代であれば、この新入社員に共感できるでしょうか。面倒なことはできることなら避けたいという思いはありますよね。ましてやSNSで誰とでも気軽にやりとりができる時代です。あいさつに対する必要感を感じることも少ないでしょう。
でも、ひと昔前は「あいさつをすること」は世間の常識でした。
■根本にあるのは「意味と価値のずれ」
「最近の若者は礼儀がなっていない」と指摘されるときの代表格は「あいさつもできない!」だったのです。あいさつは数ある礼儀作法のなかでも、特に優先するべきふるまいだったといえます。
今でも上司や先輩から「声が小さいよ!」、「自分から頭を下げなさい!」という指導が入ることがあります。
ネガティブな経験をしている人々にとって、「あいさつ」とは、「話したくもない人に向けた形ばかりの苦痛なもの」という意味が染みついていることでしょう。
しかも、勇気を出してあいさつをしたものの、まったく返ってこない人もいないわけではありません。そうなると、なんだか自分だけが損したように感じられるものです。
「あいさつなんて無駄」と主張する新入社員と、上司や先輩とがぎくしゃくする構図。その根本にあるのは、お互いが感じている「あいさつ」ということばの意味と価値のずれです。
あいさつは「必ずするもの↔自分の意志でするもの」、「誰にでもするもの↔特定の人にするもの」という根本的な考え方の違いがあります。
さて、皆さんはあいさつが必要だと考えますか。もし子どもに「あいさつはなぜしなければならないの?」と澄んだ瞳で質問をされたとしたら、どのように答えるでしょうか。
■「型」は子供時代に学んでいる
あいさつの仕方をはじめて学ぶのは、たいてい子どもの頃です。「自分からきちんとごあいさつをしなさい」と、親が子どもに伝えている場面に出くわすこともあります。
子ども時代は、大人が必要以上に怖くも感じられます。だから、かすかに聞こえるような小声で「……こんにちは」と伝えるような子もいます。
それでも昔は、大人が子どもの頭を手で押さえつけながら、「もっと大きな声で言いなさい!」とお辞儀をさせたものです。多少強引にでも、あいさつの大切さをわからせたこともあったかと思います。
このように、家庭の教育方針としてあいさつが必須だった人がいることでしょう。誰かに出会ったときや別れる際の礼儀として教えられたのではないでしょうか。人として必ずしなければいけないことだ、と。
でも、なぜあいさつをしなければいけないのかと聞かれたら、悩むこともあるでしょう。いい歳をした大人でさえ説明できないこともあります。「人として……」とまで言われたにもかかわらず、わかっていないこともあるのです。
それだけ子ども時代には、意味や価値を度外視して物事を学んでいるものです。そして、大人になっても意識をせずにしている行動がたくさんあります。
小学生のときに、学校で「あいさつ運動」があった人もいるかと思います。習慣化するねらいから、特定の期間に先生や子どもたちが正門の前に立って、一斉にあいさつをする取り組みです。
子どもだからこそ、疑問を感じずに素直にやっていたこともあったでしょう。子どもは純粋です。だから、理由がわからなくても、あいさつを「型」として学習することもできるのです。
しかし、大人になる過程でもあいさつをするべき理由に気がつかなかったり、そのことに納得ができなかったりした場合は「あいさつ不要論」へとつながっていくのでしょう。
■相手の反応を見て「意味」を学習する
「あいさつ」の意味や価値を親から教えられていなくても、「型」として習慣が築かれている子は、おそらく大人から多くの肯定的な声かけをされてきているでしょう。
「まだ小さいのに、本当にしっかりしているわ」
「礼儀正しくて、すてきなお子さんね」
こんな声かけをされながら、相手の反応を見てあいさつの意味を学習しています。
「あいさつをする自分」は大人から好ましく思われることを知るのです。目上の人からかわいがられるという事実を理解していきます。
親が子どもに対して「Aさんにはお世話になっているの。会ったときには、必ず自分から笑顔であいさつをするのよ、いいわね? 約束よ」なんて、強く言い聞かせることもあるかもしれません。
こうした声かけには「年上の方に対する礼儀」という意味もあれば、「その人は特別」という意味も含まれています。
Aさんを強調すればするほど、子どもはあいさつという所作に差異があることも学ぶのです。
■「幼少期の経験」が同世代へのあいさつを希薄にする
幼少期のこうした経験により「あいさつ」とは、「特定の大人に好印象を与えるための所作」という意味づけを自然とする子どももいます。
このこと自体はあながち間違っているとも言いきれません。
しかし、この感覚が土台となった場合、同世代の人に対するあいさつの意識は希薄になります。なぜなら、そこに対する意味はあまりないのですから。
そのため、あいさつという行為が、同じ年代のやりとりとは切り離されて学習される可能性があります。子ども同士であいさつをする習慣がない子もいるのです。
「あいさつ」は「挨拶」と書きます。ことばの成り立ちは諸説あるようですが、もともとは仏教の禅宗において、師と弟子が行う問答のことを「一挨一拶(いちあいいっさつ)」と呼んでいたようです。
本来あいさつは決して形式的なものではなく、お互いが関わりを築くための手段としての意味があるのです。
実際にあいさつは礼節としての意味合いだけではなく、現実的には他者との関係づくりにも影響します。子どもにとってみれば、友達づくりのきっかけにもなります。子どもの世界でも「おはよう! ねえ、……」の声かけからはじまる関係があるのです。
■親はわが子の友人関係に「安心」したい
ここからは「あいさつを通じた友達づくり」について考えてみることで、「あいさつ」の可能性をさらに広げていきましょう。
親であれば、わが子の友人関係が気にかかるものです。保育園や幼稚園、小学校時代にかぎらず、中・高生になっても心配は尽きません。交友関係が子どもの気持ちの安定につながることを経験からも知っています。
だから、今どんな友達と仲良くしているかをつい確認したくなるのです。一般的に小学校では進級するとクラス替えがあります。小学生にとっては、新しい友達ができるタイミングです。
次の親子のやりとりを想像してみてください。子どもは仮にEちゃんとしましょう。
「休み時間は誰といたの? 一人ではなかった?」
「友達とはうまくいっているの? ケンカなんてしていないよね?」
こうした質問を投げかけて、友人関係を知ろうとするものです。わが子から友達の名前がでてくると、「よかった、うまくいっているみたい」とほっと胸をなで下ろします。
それでも、連日のように親の質問は続きます。そのうちに同じ友達のNちゃんの名前がずっと出てくることに気がつきます。
「うん、だってね、わたしたち『親友』なんだよ。いつも一緒だもん」
親は「親友」ということばをすでに知っていることにおどろきます。同時に、自分の子どもには心をゆるせる友達がいる……親として、感慨深い気持ちを抱くのでした。
■「親友」という言葉の危うさ
子どもが築いた関係を通じて、親が成長を喜ぶ心情が伝わるかと思います。学校での様子を親が気にかけるのは当然のことでしょう。
でも、今の親子の会話には、子どもの話す力を伸ばすうえで危うい点があります。それは、子どもに対する「親友」ということばの価値づけです。
一見、「話す」という行為とまったく関係がないように思えますが、子どもに「話す」という行為の価値を伝えるのに密接なつながりがあるのです。
まずは「親友」ということばの意味と価値から考えてみましょう。「親友」というのは、基本的にどんなときも気持ちが離れない関係を言いますよね。自分が思っていることは素直に伝え、その気持ちを相手は正面から受け止めることになります。
「今、あなたに親友と呼べる人はどれだけいますか?」
突然このように尋ねられたとしたら、なんだか身構えてしまいますよね。おそらく、何人かの友人を思い浮かべたことでしょう。迷いなくすぐに「この人だ」と断言できた人もいるかもしれません。
でも、「本当にそう言えるのかな……」と、あらためて考え直した人の方が実際には多いのではないでしょうか。
中・高生であれば「親友」ということばを日常的に使っている人もいるかもしれませんね。しかし、平然とこのことばを使う感覚に不安を覚えないでしょうか。
これは人を疑えという意味ではありません。そうではなく、あらためて「親友」ということばに真剣に向き合うことの大切さを伝えたいのです。
「親友」とは簡単につくることができるものではありません。長い期間を経て、お互いの考えを受け止め、ときには反発し合いながらも前に進む仲のことを指すのではないでしょうか。
■すぐに親友になれる関係は「親友」と呼べない
もちろん、出会ったときから意気投合して、一度も気持ちが離れたことのない仲の人たちもいるかもしれませんね。しかし、そうであっても、はじめから「親友」とはならないはずです。
つまり、「親友」は「友達」という表現とは明らかに別の段階のものです。だから、すぐに親友になれるような関係は、「親友」とは呼べないと思うのです。
警鐘を鳴らしているのは、簡単に「親友」ということばを使い過ぎることです。
EちゃんとNちゃんが考え方の違いから大きなけんかをしてしまったり、気持ちが離れてしまったりすることもあるかもしれません。早く仲直りができればよいですが、場合によってはむずかしいこともあります。
Eちゃんが「『親友』なんてまたすぐにできるからいいや」なんて考えたとしたら、それこそ「親友」は軽いことばになってしまいます。反対に、親が「ずっとNちゃんといっしょにいたほうがいい」と強く伝え過ぎることも問題です。
こうすることで、Eちゃん自身に「Nちゃん以外に行き場所はもうない」と学習をさせているのです。それは、子どもの交友関係の可能性を閉じてしまうことになります。
決して「親友」の存在を否定しているわけではありません。特別仲のいい関係が築けたことはすてきなことです。事実として、生涯にわたっての付き合いになることもあるのですから。
でも、「親友」ということばの本当の意味と価値を知るのは、もう少し先でも十分だと思うのです。子どもの成長に関わることだからこそ、大人がことばの重みを正しく捉えさせることが必要なのです。
■子供の発達には「変化」も重要
「親友」ということばを簡単に使ってしまう怖さは、人とのつながりを極端に狭めることに直結する点にあります。わかりやすく言えば、特定の人間以外と話す場面が減ることを意味します。
交友関係が安定するのは心地いいものです。心がおだやかになり、波風が立たない状況なのですから。親が子どもに「親友」ができることを望みがちなのも、安定を求める気持ちの表れなのです。
しかし、おだやかで波風が立たない環境というのは、子どもの精神的な成長にとって決して望ましいことだけではありません。
子どもの発達には「変化」も重要です。「安定」とは真逆の環境が求められるのです。安定は、それ以上の大きな進展を望めないということなのですから。
これは組織も同じでしょう。どのような人の集まりであっても、安定をめざすためには、人々のつながりを強めようとします。チームとして機能するようにするためです。
でも、同時に安定とは「停滞」をも意味します。次に大きく成長をするためには、あえて安定した環境を壊すことも必要でしょう。
だから、子どもを伸ばすためには、異なる人の考えや価値観を受け入れるという視点が欠かせません。
■「多種多様な関わり」で価値観を広げる
この「受け入れる」というのは、自分自身の考えを180度すべて変えるという意味ではありません。「こういう考えの人もいるのだ」と客観的に自分の考えを見つめ、視野を広げることです。
人は考え方や価値観が似ている人に惹(ひ)かれます。
同じ趣味や嗜好(しこう)が集まると、居心地がいいものです。話が合うのですから、自分自身が常に受け入れられているという感覚を覚えるでしょう。
でも、成長という観点から見ると、それだけでは足りないのです。
まして子どもは、発展途上の段階です。いっそうの成長を願うのであれば、積極的にさまざまな人との関わりをもたせることが大事になります。
そこに「話す」ということばの本質的な意味と価値が潜んでいるのです。
性別も年齢も国籍も関係なく、人との接点を増やすことが求められます。意識していなかった自分自身の新たな一面に気がつくこともあるでしょう。
固定化された親友の存在だけでは、価値観は決して広がりません。交友関係から、親は子どもが変化のきっかけを失う危険性を感じとらなければいけないのです。
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早稲田大学系属早稲田実業学校 初等部 教諭
1979年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。早稲田大学大学院教育学研究科教科教育学専攻博士後期課程修了。専門は国語科教育学、博士(教育学)。藤子・F・不二雄による『ドラえもん』(小学館)を小学校の教科教育の観点から編集した『学年別ドラえもん名作選(全6巻)』シリーズの監修及び解説の執筆、『ドラえもん 大ぼうけんドリル』シリーズの監修を務める。
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(早稲田大学系属早稲田実業学校 初等部 教諭 岸 圭介)
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