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「あいさつができない子」は損をする…小学校教員が指摘「大人が気づいていない"ヤバイ"を連発する弊害」

プレジデントオンライン / 2024年11月3日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

あいさつができない子供はどうなるのか。早稲田大学系属早稲田実業学校初等部教諭の岸圭介さんは「相手がどう感じるかより、自己中心的に物事をとらえることを優先してしまう。言葉遣いも乱暴になり、友人関係にも悪影響を及ぼすだろう」という――。(第2回)

※本稿は、岸圭介『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

■すべての人間関係は「あいさつ」からはじまる

子どもの成長を一つの軸として、「あいさつ」ということばの意味と価値を考えてみてください。もはや欠かすことのできないものという感覚も理解できるかと思います。なぜなら、あいさつは「すべての関わりのはじまり」だからです。

子どもは多様な関係の中で学んでいきます。だから、あいさつは「特定の誰か」だけではなく、むしろ「まだ知らない誰か」にしてこそ可能性が広がるのです。

もちろん、安全面の理由から、通りがかりの知らない人にまで声をかけるのはむずかしい時代です。大人が子どもを守りながら環境をつくる必要はあります。

誰とでもやりとりができる子は、人から学ぶことの価値を知らず知らずのうちに学んでいます。

こういう子は顔をつきあわせてうなずいたり、うれしそうに相槌(あいづち)をうったりと共感的に相手に近寄ろうとする姿勢が感じられるのです。相手が薦めてきたことに、おもしろがって挑戦してみることで世界を広げていきます。

もちろん内向的な性格だったり、話し下手だったりして、人と接することを不得意としている子もいます。いつもお母さんの後ろに隠れているような子も想像してみてください。子どもらしいといえば、子どもらしい光景です。

人とのやりとりを躊躇(ちゅうちょ)してしまう子に対して、「うちの子は恥ずかしがりやだから」という昔からの決まり文句があります。

たしかに、人との関わりが苦手なことは事実としてあることでしょう。しかし、それを理由に他者との接触を親がさまたげるようなことがあれば、それは子どもの成長を放棄しているのと同じです。

■あいさつをしないことによる損失

中・高生世代であれば、自分から率先してあいさつをするのに恥ずかしさを感じることもあると思います。

胸の内では相手の存在を気にしながらも、思わず素通りをしてしまうこともあるかもしれません。友達の手前、余計に行動しづらいこともありますよね。

でも、まだ見ぬ一人ひとりが自分の将来に関わっているかもしれないかと思うと、人と関わらないことは損失にも思えてくるはずです。上手にあいさつができる子は、チャンスをつかめる子でもあることを忘れてはいけません。

小さな子どもには「あいさつ」を「成長へのきっかけ」という観点から教えるべきです。人と関わることが、かけがえのない出来事にも感じられてくるのではないでしょうか。

あいさつの価値の大きさは、大人であっても変わりません。

たった一回の「こんにちは」で生まれた接点が新しい仕事につながったり、運命を左右する出会いであったりすることもあります。場合によっては、人生をともにする伴侶を見つけるきっかけにもなるはずです。

つまり、「こんにちは」というあいさつの価値は、その人自身がつくるとも言えるのです。出会いという観点から見ると、あいさつにはまだ可能性があります。

世間は狭いとよく言われますが、すべての人や物とのつながりは、平均で六人の人を介してなされるという説があります。「六次の隔たり(Six Degrees of Separation)」と呼ばれるものです。

皆さんの中にも聞いたことがある方がいるかもしれません。

■新たな交流が人生を大きく好転させる

今は身近に感じられなくても、出会いたい人は案外近くにいるということになります。SNSが発達した昨今では、平均六人より少ない人数でも出会えることが指摘されているようです。

信頼する友人を通じて、誰かを紹介してもらうような経験がある人もいるでしょう。たった一人との出会いが、次の出会いにつながっている。

新たな交流によって、自分の人生が大きく好転していくことが事実としてあります。

仮に「あいさつ」をきっかけに人生が変わった経験をした大人がいれば、その人にとっての「あいさつ」は「運命を変えるかけがえのないもの」となります。

決して、ただの儀礼的なやりとりとは考えないはずです。

本稿の第1回で「あいさつ不要論」の例を紹介しました。あいさつを「話したくもない人に向けた形ばかりの苦痛なもの」と考えている人とは、まったく違う捉えになるかと思います。同じことばであっても、学んできた背景によって、見える景色は異なります。

価値観は人それぞれです。どちらがいいという判断を簡単に下すことはできません。

ただ一つ言えるのは、ことばの意味や価値を増やしていくことは、ことばを通して物事を多面的に見ることにつながると思うのです。こうした見方ができる人のことを「大人」と呼ぶのだと考えています。

友達の輪
写真=iStock.com/JGalione
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JGalione

■あいさつ習慣のない子供はどうなるのか

あいさつをする習慣が築かれている子は、相手意識が育まれている子ともいえます。

相手意識は本書の第2章で確認した「聞くこと」の土台でもありましたね。人とつながって世界を広げたいという想(おも)いは、声や表情などの仕草にはっきりと表れます。

あなたにとってあいさつが印象に残る子がいたとしたら、その子はもう自分の力で未来を切り拓いている証拠です。進んで頭を下げたり、声をかけたりするのは、人への関心がなければむずかしいこともあります。

だからこそ、人と通じ合うことに喜びを感じた経験があるかどうかは、子どもの成長に大切だといえるでしょう。

窓から顔を出す小学生
写真=iStock.com/Milatas
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milatas

反対に、あいさつの習慣がない子は、相手意識が希薄な場合が多いものです。相手がどう感じるかを考えるよりも、自己中心的に物事をとらえることを優先してしまいます。

こうした子は、ことばを上手に使うことにも慣れていません。だから当然、ことばづかいにも課題が見られます。

「やばい」、「きもい」、「うざい」、「えぐい」、「だるい」――どんな会話であっても、たいていこれらのことばで済ませてしまうことが日常の習慣になっている子もいます。

中・高生であれば一度は使ったことがあるでしょうか。もはや違和感なく使っていることもあるかもしれません。一方で、子どもの成長という側面から考えたときに、乱暴なことばづかいはマイナスに働きます。

■言葉遣いが友人関係に大きく影響する

もちろん、「品がない」、「イメージが悪い」といった印象の問題もあるかもしれません。しかし、他者からの心証がよくないということ以外に、別の懸念事項が生じてきます。

それは「友人関係」の問題です。人と人との関係は、ことばの意味と価値を同質のものとして扱う者同士の方がうまくいくものです。

先ほど例に挙げた「あいさつは話したくもない人に向けた形ばかりの苦痛なもの」という価値観であれば、これに共感できる者同士の方がコミュニティを形成しやすいでしょう。

土台となるものごとの見方や考え方が合うのですから。だから、ことばづかいが汚い人との時間が長くなれば、思考や行動パターンも自然と似てきます。

仏教の教えの中に「悪友を避けて善友を求めよ」というものがあります。近しい間柄になれば、人は必ず影響を受けるものです。だから、付き合う人を考えなさいということですね。

逆も然りで、自分自身が人に与えている影響も当然あります。あなたに近寄ってくる人は、あなたのことばづかいやふるまいを見ながら判断をしていることになります。

ことばづかいは人間関係づくりに大きく関係をしてくることがわかるかと思います。つまり、ことばを発することは「自分のことばづかいを好ましいと感じる人との接点をつくること」を意味しているのです。

■思考を貧しくする

ことばづかいの問題は、それだけにとどまりません。話すことばに意識が及ばなくなると、ことばを発するときの思考プロセスにも問題が生じます。

本来、コミュニケーションは、ことばのつかい方に細かい配慮が求められます。

同じ内容のやりとりであっても、異なるAさんとBさんとでは発することばは、一律にはならないはずです。それは性格や人柄の違いかもしれないですし、体調や精神状況の差かもしれません。

絶好調の人と落ち込んでいる人、社交的な人と内気な人とでは、かけることばも内容も変わりますよね。相手の様子と場の雰囲気を感じとりながら、適切に使うべきことばを吟味することでしょう。

相手の立場や身分、置かれた状況をふまえるというのは、「よりふさわしいことば」を自分なりに判断して使うということです。

その場に応じて「今の状況はこのことばを使うべき」、「この人だったら、こう言おう」と常に考えながら話すことになります。

■「やばい」が子供の成長を奪っている

人とのやりとりでは、頭の中でことばを選ぶ瞬間が必ずあるものです。その選択肢の幅は、語彙力の問題だけではなく、適切に状況を読みとる力にも左右されます。

岸圭介『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』(筑摩書房)
岸圭介『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』(筑摩書房)

質のよいコミュニケーションは、繊細なことば選びとセットなのです。ことばを使うときに一切の状況をふまえないのは、残念ながら「何も考えていない」ということになります。

「やばい」ということばは便利なものです。肯定的な意味でも、否定的な意味でも使うことができるからです。

しかし、あらゆる場面で使うことができるということは、結局は状況を考えずに使ってしまいがちです。つまり、話し手が思考する場面が少ないのです。これが一律にことばを使うことの弊害です。

子どものことばづかいを正す意図は「コミュニケーションを通じて思考する場面を増やす」という点にもあります。

人とやりとりをするたびに、場にふさわしいことばを選んでいる子とそうでない子。両者の間には、「考える」という経験の積み方に、はっきりとした差が生まれるのです。

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岸 圭介(きし・けいすけ)
早稲田大学系属早稲田実業学校 初等部 教諭
1979年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。早稲田大学大学院教育学研究科教科教育学専攻博士後期課程修了。専門は国語科教育学、博士(教育学)。藤子・F・不二雄による『ドラえもん』(小学館)を小学校の教科教育の観点から編集した『学年別ドラえもん名作選(全6巻)』シリーズの監修及び解説の執筆、『ドラえもん 大ぼうけんドリル』シリーズの監修を務める。

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(早稲田大学系属早稲田実業学校 初等部 教諭 岸 圭介)

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