なぜシマウマはライオンに襲われても胃潰瘍にならないのに、人間は夫婦げんかでトラウマを抱えてしまうのか
プレジデントオンライン / 2024年10月30日 16時15分
■トラウマから生じるうつや不安、生きづらさ
メーカーで働く埼玉県の40代男性のCさんは、特に連休明けからうつっぽさが抜けなくなっていることに苦しんでいました。これまでも休み明けはうつっぽくなることはありましたが、なんとか気持ちをコントロールして乗り越えていました。
しばらくすると、ベッドから起きられない日があり、それで心療内科にかかると、「1カ月休職しましょう」ということでした。
実は、Cさんが心療内科にかかるのははじめてではありませんでした。大学時代と、20代の頃にもかかっていた時期があり、そのときは軽めの薬が出て、すぐに通わなくなっていたそうです。
Cさんは病院から紹介されて、私のところにカウンセリングに来ました。生育歴などを聞いてみると、父親が単身赴任で不在の時期が長く、母は不安が強いタイプで、家庭内では父親代わりとして不安な母を慰めたりなどが多かったことがわかり、それがいわゆるトラウマとなり、現在のうつにもつながっている可能性が高いことがわかりました。
しかし、Cさんは「トラウマ?」と半信半疑でした。カウンセリングが進んでも、「どうしても、過去のことがそれほどのことなのかがわからない」とおっしゃられます。
■「夫婦げんか」が子どもに与える深刻なダメージとは?
Cさんのように、自身の体験がトラウマの原因となっているとは思えない、と考える方は珍しくありません。
この記事を書いている私も、実は専門家である一方でトラウマの当事者でもありますが、「トラウマなんて存在しないのでは?」と20年ほど前までは考えていました。私のように臨床心理を専門とする者にとっても、少し前までは実はその程度の認識だったのです。
私の場合は、夫婦げんかが多い家で、それがトラウマの原因の一つとなっていたのですが、「夫婦げんかなんかどこにでもあるし」「それが当たり前ではないにしても、トラウマになるというのはさすがに大げさでは?」という認識だったのです。
読者の皆さんもそのようにお考えの方はいらっしゃるのではないでしょうか?
現在では、夫婦げんかは「面前DV」といい、子どもにとって深刻なダメージとなることがわかっています。
公式に虐待の一種(トラウマの原因)として認定されています。自治体でも啓発活動が行われています。
■ヤングケアラーの当事者も深刻なトラウマを抱えがち
冒頭のCさんなどは、近年問題となっている「ヤングケアラー」(本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども)というとらえ方もできます。
家族が機能せず、他人の責任や問題を背負わされたり、ハラスメントにさらされることの影響は想像以上に甚大です。
ヤングケアラーの当事者たちも「自分が失われる」「世界が壊れる」と表現するように、深刻なダメージをもたらします。
このように捉えると、何がトラウマの原因となるのか? についての基準も急速に変化していることがわかります。
■そもそもストレスとはいったい何なのか?
ストレスとは「生体の変化」を意味します。外部からの刺激に対して、生物の身体は反応し、抵抗し、恒常性を維持しようとします。もし、ストレスが強すぎたり、長く継続されると恒常性を維持する機能が破綻をきたし、病気になったり、最悪の場合に死に至ることになります。
この記事のタイトルが示すように、動物にはいわゆる人間で言われるようなトラウマはない、と考えられています。例えば、シマウマなどはライオンに襲われると、その瞬間は血圧を上げ、ストレスホルモンを出し、一目散に逃げます。フラッシュバックに襲われることはありません。シマウマなどの動物だけが特別というわけではありません。哺乳類として私たちと同じようなストレス処理のプロセスを働かせています。ただ異なる点は、その場でサッとストレスを処理して、平常な状態に戻ること、あれこれと想像を働かせたりしない、ということです。
対して、私たち人間は知能が発達した代償として、「また、同じことが起こるのでは?」といった想像を働かせたり、後悔にとらわれてしまいます。将来の不安を想像しただけでもストレスが起こります。人間は高度な精神の営みの代償として、ストレスを慢性化、長期化させてしまうのです。
死に瀕するようなストレスにも驚くほど強い動物も、意図せずストレスが長引くような状況では、調子を崩してしまいます。例えば、ライオンのいる環境で生息するキリンですが、音に敏感で神経質なため飼育が難しく、動物園でもちょっとしたノイズなどストレスが続くと健康を害したりすることがあります。
馬も敏感な生き物で、競走馬などがストレスで思うようなパフォーマンスを発揮できない、ということを耳にします。
実は人間も、災害などの大きなストレスに遭遇しても大半の人はPTSDにならずに自然と回復していくことも知られています。むしろその後の長い避難生活でストレスが持続したり、適切なサポートがない場合にうつ状態などに陥っていくようです。
■誤解されている「トラウマ」の実態
このように、生物というのはトラウマの“強度”に対しては意外な強さを見せます。しかし、反対に、その生物にとって不利な環境など、適応の前提を奪ってしまうようなタイプのストレスにはとても弱いことがわかります。また、ストレスに対処するしくみも比較的短期での対応を前提に作られており、長期にわたりストレスに対処し続けることは苦手であることがわかります。
トラウマ研究は、こうしたストレス研究の知見とは切り離されて研究が進んできたため、「トラウマ」について「危うく死ぬまたは重傷を負うような」強度の高い経験をその基準としてきました。
従来のトラウマの基準は、ご紹介したような動物や人間の実態からは乖離があり、誤解を招いてきたことがわかります。例えば、家庭内での機能不全の影響や慢性的なストレスの影響が軽視される結果となってきたのです。
■日常のストレス社会の中にある「トラウマ」との接点
何がトラウマになるか? については、ストレス研究の知見などから参考になるものがあります。
それが「予測可能性」「コントロール可能性」「感情の表出」「ソーシャルサポート」といった不調をきたしやすい条件です。
人間にとって、将来が予測できない、自分で状況をコントロールできない、感情表出や発散が制限される、周囲からの支援やサポートがない、といった状況はトラウマを生む要件と考えられます。
実際に、読者の皆さんも職場で休職に追い込まれた方の状況や、パワハラ、モラハラを思い出されるとそれらが上記の条件を満たしていることがわかるのではないでしょうか?
例えば、精神的に追い詰めるハラスメントは、ストレスを受けても感情表出や発散が制限されます。気まぐれに襲う嫌がらせなどから予測可能性、コントロール可能性を奪われます。ハラスメントが激しくなり、逃げ場やソーシャルサポートも失われると対処が不能になり、うつに陥るなどしてその状況から退避するしかなくなってしまうのです。
このように見ると私たちは家庭や職場、学校など日常生活において人間関係の変化などちょっとしたことで、こうした条件を満たす状況が生じることがわかります。
「トラウマ」とは戦争や災害といった特殊な出来事ではなく、日常に存在しています。
■トラウマは私たちの心身にさまざまな問題を引き起こす
トラウマを負うと私たちの心身に様々な影響が及びます。
まずストレス障害として脳や自律神経、免疫系などに失調が生じることがわかっています。
また、対人関係やソーシャルサポートの欠如によってもたらされる偽の責任意識、罪悪感や自己否定、心理的支配など(ハラスメント)が問題を複雑にします。
メンタル面、社会生活においては、うつっぽい、緊張が強い、不安が強い、自信がない、体調がすぐれない、仕事ができない、コミュニケーションが上手くいかない、なぜか生きづらい、といったさまざまな問題を引き起こします。
さらに、トラウマは、発達障害と似た症状を生みます。近年、トラウマによって引き起こされたそうした症状のことを専門家は「第四の発達障害(発達性トラウマ障害)」と呼んでいます。「自分は発達障害かも?」と思うような症状が、実は、トラウマが原因だった、ということがあります。
■自分がトラウマを負っているかどうか、気づく方法とは?
ここまでご説明してきましたようにトラウマは本人も知らないうちにさまざまな症状、生きづらさをもたらします。では、自分自身がトラウマを負っているのかについて気がつく方法はあるのでしょうか?
自分でチェックしてみることは可能です。臨床では「生育歴」といいますが、生まれてから自分の人生の出来事について振り返ってみることで可能性を洗い出すことができます。
まず、家庭の中でストレスになるようなことがなかったか? を確認します。家庭内での不和はチェックポイントの一つです。お伝えしましたように、夫婦げんかは虐待扱いとなるくらいですから、それだけでトラウマを負っていると捉えて間違いない体験です。親が浮気をしていた、別居・離婚をしたという場合も機能不全が生じやすく要注意です。
学校などでいじめを受けていた(成人してからのパワハラ、モラハラも)。女性に特に多いですが、性被害も決して珍しいことではありません。
冒頭でCさんのケースをご紹介した際にヤングケアラーについても触れましたが、子どもの自分が大人の役割を代替するような経験があったかどうか? 家族や兄弟に重い病気や障害があったり、死別などについて親などの大人が適切に対応できていなかった、というような場合も要注意です。
アダルトチルドレンの語源ともなりましたが、親がアルコールやギャンブルなどで依存症であった場合も要チェックです。「宗教二世」の苦しみが最近問題となっていますが、新興宗教に傾倒していたなど親が何らかの偏った価値観を家庭内に持ち込んでいた場合もトラウマを疑う必要があります。
過去の記憶が薄い、あまり思い出せないという場合もトラウマの影響で記憶が思い出せなくなっているというケースがあります。もし、なにか気になる不調、お悩みをお持ちでしたらお時間のあるときに一度ご自分の生育歴を確認してみることをおすすめいたします。
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大阪生まれ、大阪大学文学部卒、大阪大学大学院文学研究科修士課程修了。在学時よりカウンセリングに携わる。大学院修了後、大手電機メーカー、応用社会心理学研究所、大阪心理教育センターを経て、ブリーフセラピーカウンセリング・センター(B.C.C.)を設立。トラウマ、愛着障害、吃音などのケアを専門にカウンセリングを提供している。雑誌、テレビなどメディア掲載・出演も多く、テレビドラマの制作協力(医療監修)も行なっている。著書に『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)、『プロカウンセラーが教える 他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版)がある。
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(公認心理師 みきいちたろう)
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