もはやNHK大河で主役級の存在に…中宮彰子が父・藤原道長を超えて天皇家と藤原家の頂点として君臨したワケ
プレジデントオンライン / 2024年10月27日 16時15分
■NHK大河で描かれた中宮彰子の挫折感
NHK大河ドラマ「光る君へ」の第40回「君を置きて」では、中宮彰子(見上愛)の挫折感が描かれた。
父の藤原道長(柄本佑)は、彰子が一条天皇(塩野瑛久)の第二皇子、敦成親王(濱田碧生)を出産してから、この親王を一刻も早く東宮(皇太子)の座に就けることに腐心してきた。本来であれば、皇后定子(高畑充希)が産んだ第一皇子、敦康(片岡千之助)が先に東宮になるのが順当で、一条天皇も彰子もそれを望んでいた。
彰子はなぜ自分の子である敦成親王より敦康親王を優先しようとしたのか、と疑問に思うかもしれない。これは一条天皇の思いに寄り添おうという意思だけでなく、早くに母を亡くした敦康を、彰子が長年養育してきたという事情による。
それに、寛弘8年(1011)のこの時点では、敦康親王は数え13歳で敦成親王はまだ4歳。彰子にすれば、実子の立太子を急ぐ必要はなかったが、当時は老齢と認識された46歳で、飲水病(現代の糖尿病)の持病をかかえる道長にとっては、事情が違った。自分が健康でいるうちに外孫を即位させ、外祖父として君臨するためには、時間の猶予がなかった。
そこで、一条天皇に譲位を迫り、敦成を東宮にすべく事を進めたのである
■「女は政治に関われぬ」
一条天皇が譲位を決意したのち、それを伝えるべく東宮の居貞親王(小菅聡太)のもとに向かった道長が、彰子の居室の前を素通りした、という話が藤原行成(渡辺大知)の日記である『権記』に記されている。道長は彰子が敦成の立太子に反対なのを知っており、だからあえて素通りした――。そう解釈した彰子は、怒るとともに父を恨んだというのである。
第40回「君を置きて」でも、この逸話をもとにしたと思われる場面が描かれた。
彰子は「なにゆえ私に一言もなく、次の東宮を敦成とお決めになりましたのか」と道長に迫った。しかし、道長の結論は「政を行うは私であり、中宮様ではございませぬ」だった。
彰子は、「中宮なぞなにもできぬ。愛しき帝も敦康様もお守りできぬとは」と落胆し、まひろ(吉高由里子、紫式部のこと)に「藤式部、なぜ女は政に関われぬのか」と問いかけてみた。
この発言にかぎれば、現代のジェンダーフリーや男女共同参画を意識しすぎた台詞で、平安中期の中宮の発言としてはどんなものか、という気もする。ただ、まちがいなくいえるのは、彰子はこの後、政治に積極的に関わっていったということである。
■人事にも彼女の考えが反映するように
最愛の一条天皇を亡くし、願っていた敦康の立太子が叶わなかった24歳の彰子だったが、その後、道長と反目したわけではなく、我が子である敦成をしっかりと支えた。まだ幼い敦成への母親としての思いは、『後拾遺和歌集』に収められた以下の歌に表されている。
見るままに 露ぞこぼるる おくれにし 心も知らぬ 撫子の花
(見るにつけ涙の露がこぼれます。一条天皇が亡くなって後に残されたことも、わからないまま撫子の花を手にする我が子よ)
長和2年(1013)正月2日、道長が公卿らに、おのおのが食べ物を持参し合って、彰子邸で宴会をしようと誘ったときのことである。そのころ、彰子の妹で三条天皇の中宮になっていた妍子(倉沢杏菜)が連日、宴会を開いていた。藤原実資(秋山竜次)の日記『小右記』によれば、いまは権力を握る父にみなへつらっているが、死後には非難されるから、無駄な宴会はやめたほうがいい、と彰子は道長を諭し、中止させたという。
宴会に関する話は直接的な「政」ではないかもしれないが、以後、彰子が人事をはじめとする「政」に関与したという記録は、多々見られるようになる。
居貞親王が即位した三条天皇が譲位し、いよいよ敦成親王が後一条天皇として即位したのは、長和5年(1016)正月のこと。道長は念願の摂政になるが、同時に故伊周(三浦翔平)の長男、道雅が天皇の秘書官長である蔵人頭になった。『小右記』によれば、すでに前年12月から、彰子は一条天皇の意志であることを理由に、道政の蔵人頭就任を決めていたという。
■彰子にあって道長になかったもの
また、2月7日の即位式では、彰子は幼い後一条天皇と一緒に、高御座(伝統的に即位の礼で用いられる調度品)に着座した。母后が天皇と一緒に高御座に座ったのは、史料で確認されるかぎりこれが最初の例である。
内裏では後一条天皇の居所は西対、彰子は寝殿北廂で、池の南の小南第に道長の直廬(じきろ)(摂関や大臣らが宿直や休憩のためにもうけた部屋)があった。しかし、道長はわざわざ彰子の居所に出向いて政務を行うことが多くなった。天皇が幼いときは、叙位や除目は摂政の直廬で行うことが多かったのにもかかわらず、である。もちろん、これは彰子が政務に関与していることの証左である。
なぜ彰子が突然、このように政務に関わるようになったのか。それは後一条天皇の母、すなわち国母となり、天皇に対する親権があったからだ。これは摂政の道長にもないものだった。
では、彰子は女性が政に関わる先例を築いたのか、というと、そうともいえない。彰子のスタイルを踏襲したのは、のちの国母よりも、むしろ院政期の上皇や法王だったからだ。白河上皇は、彰子が親権を根拠にして政務に関与したことを前例として、政治を牛耳ったのである。
それはともかく、道長が1年で摂政を辞し、嫡男の頼通に譲ったのちも、頼通の直廬は彰子の在所に置かれ、彰子は宣旨(天皇の言葉を伝える文書)に関与し続けた。
■天皇家と藤原氏のトップに
寛仁元年(1017)8月、三条天皇の第一皇子、敦明親王が東宮を辞退した際は、彰子はここでこそ敦康親王を東宮に、と望むが、それはかなわず、彰子が産んだ一条天皇の第三皇子の敦良親王が東宮になった。しかし、いったん敦良親王が東宮になると、積極的に補佐している。
寛仁2年(1018)正月、11歳の後一条天皇が元服する際、道長が加冠役を務めた。天皇に加冠するのは伝統的に太政大臣なので、頼通が父を太政大臣にする宣旨を出したが、『小右記』によれば、頼通はこれを決めたのは天皇の母后、つまり彰子だと実資に伝えている。
このように国母となった彰子は、かつて「うつけ」と見られたのがウソのように、また、女性が「政」に関われないと嘆いたとは思えないほど、自分こそが天皇家と藤原氏の実質的なトップだという自覚のもと、天皇や摂関を貢献していった。
ところで、父の道長は頻繁に体調不良に陥り、長男の後一条天皇も病気に悩まされたが、彰子自身はかなり丈夫だったようだ。母である倫子の母、すなわち母方の祖母の藤原穆子は86歳まで、母の源倫子は90歳まで生きた。おそらく彰子はそちらの血を引いたのだろう。病気になったという記録がほとんどないまま、承保元年(1074)、87歳で没している。三代にわたって、当時としては異例な長寿なのである。
それだけに、悲報に接する機会も多かった。すでに後一条天皇の治世においても、万寿2年(1025)には末妹の嬉子、異母妹の寛子をはじめ、ゆかりの人々が次々と世を去り、『栄華物語』には、それを受けて「早く出家したい」と思うようになった旨が記されている。
こうして万寿3年(1026)正月、40歳になった彰子は出家して上東門院の院号を得た。
■出家後も維持し続けた権威と権力
しかし、その後も、彰子は内裏に参入し、また、多くの殿上人を参入させ、自身の権威を保ち続けた。
万寿4年(1027)12月に道長が没したのちも、その点は変わっていない。たとえば、実資が養子の資平が昇進できるように頼通に頼んだときも、頼通からは、了解したうえで「女院に申すように」と伝えられた旨が『小右記』に記されている。
後一条天皇が病弱で、なおかつ頼通が、なかなか一人で物事を決められない優柔不断な摂関だったこともあり、彰子が実質的に国政を支え続けることになった。
前述したように、のちの院政のモデルになったことからも、彰子の活躍をもって女権の伸張とはいいがたい。しかし、彰子がのちの北条政子などと並んで、異例なほど権力を行使し、「政」に関与した女性であったことはまちがいない。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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