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やっぱり矢沢永吉はビッグだった…「なんで下北沢じゃダメなんですか?」無礼な質問をした司会への「切り返し」

プレジデントオンライン / 2024年11月8日 7時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Berezko

深い人間関係を築くにはどうすればいいのか。フリーアナウンサーの古舘伊知郎さんは、「多くのビッグスターとの対談経験から学んだことは、通常の準備を超え、相手の懐に深く踏み込む勇気が重要である。リスクを恐れず、本気で聞きたい質問を投じることで、打ち解けられる可能性が高まる」という――。

※本稿は、古舘伊知郎『伝えるための準備学』(ひろのぶと)の一部を再編集したものです。

■MCとして、時代を代表する歌手、俳優、作家に接した

1987年から2005年までの18年間、僕は「おしゃれ30・30」、その後続番組「おしゃれカンケイ」というテレビのトーク番組でMCを務めた。どちらも、毎回、異なるゲストを迎えて仕事やプライベートについてトークしていただくという番組だ。時代を代表する歌手、俳優、作家……本当に多くの方々に接した。

また、この2番組と重なる1985〜1990年は、「夜のヒットスタジオDELUXE」(のちに「夜のヒットスタジオSUPER」に改変)、通称「夜ヒット」の司会進行も務めた。こちらは歌番組だから、出演者はアイドルから大御所まで人気歌手&バンドばかりだ。

目の前にいる相手と話すトーク番組や歌番組は、当然ながら、顔の見えない視聴者に向かって状況を刻一刻伝えるスポーツ実況とはまったく違う。

■ケガのリスクをおかしてでも一歩深く踏み込む

近年、僕は自身のYouTubeチャンネルなどでさまざまな方と対談している。そこで、グッと一歩踏み込んで興味深い話を引き出すことが時折できているとしたら、その技術は間違いなく、ありとあらゆるゲストと渡り合った「おしゃれ30・30」「おしゃれカンケイ」「夜ヒット」で培われたものだ。

まさにテレビ最盛期の頃のこと。いずれも出演者の顔ぶれは毎回すごかった。僕からすれば肉眼で見上げるスフィンクスみたいなビッグスターばかりだが、いざ相対するとなれば、とにかく徹底した準備から入る。

しかし基礎的な準備に沿って、いかにも優等生なトークをしてもおもしろくない。せっかくの機会だ。ひょっとしたら相手の機嫌を損ねるかもしれないギリギリのところを、あえて攻めてみたい。せめて「おまえ、おもしろいな」くらいのことは言わせたい。そんな心構えだった。いやらしく欲深い僕は、ケガのリスクをおかしてでも相手に一歩深く踏み込むつもりで臨んでいたのだ。

■矢沢永吉さんにぶっ込んだ質問を投げる

ある晩の「夜ヒット」で、矢沢永吉さんが出演した。その回は、ニューアルバムのレコーディングをしているロサンゼルスのスタジオから生中継。

司会の僕としては、矢沢さんに、いい気分で生歌を披露してもらうことが第一の仕事だ。

しかし、順当に司会進行するだけではつまらない。あの矢沢永吉に、何か斜めからツッコミを入れて反応してもらいたい。それくらいのことをしなくては、自分の価値がない。当時の僕は、そんなふうに思い込み過ぎているアホだった。

そこで、こんな質問をぶつけてみたのだ。

「ところで矢沢さん、なんでビッグなアーティストって、ニューヨーク、ロンドン、ロスなんかでレコーディングするんですか? 下北沢じゃダメなんですか? 北千住じゃダメなんですか? レコーディングスタジオ、探せばあると思いますけど?」

一言一句、覚えているわけではないが、とにかく、こんな質問をぶっ込んでみた。事前に準備していた質問だ。僕にとっては勝負どころ。いけしゃあしゃあと言ってのけたように見せかけて、胸のうちはドキドキだった。

「おまえ、なんだ?」なんて矢沢さんに凄まれると覚悟していたし、テレビ局には矢沢ファンからの苦情が殺到して電話局がパンクすることも予想していた。いっそ「パンクさせてやれ」くらいの考えもあった。今でいう「炎上商法」である。

■懐に飛び込んでくる人に心を開く人もいる

ところが、さすが矢沢さんは懐が深かった。

僕の質問に、まずカーッと笑って、「おたく、なかなか言うねえ。なんでそんなことわざわざ聞くわけ?」と言った。それに答えて「そりゃ、矢沢さんがビッグだからですよ」と僕。さらに「俺、そんなビッグかなあ。ま、そんなに気負わないで」といった具合に、矢沢さんが返してくださったのだ。

たぶん矢沢さんは、僕の失礼な物言いに、心のどこかではカチンと来ていたと思う。それを大人の寛容性をもって微塵も見せず、「何か目新しいことをしたい」という欲にまみれたガキンチョの僕を転がしてくれたのだろう。

そう思うと感服しきり、ますます好きになってしまった。

だからといって、その後、個人的なお付き合いに発展したとかではない。だが僕にとっては、矢沢さんや、矢沢さんのスタッフのみなさんには失礼なことをしたという申し訳ない気持ちはありつつも、決して忘れ得ない宝物のような体験だった。

ありきたりな準備では、ありきたりな話しかできない。そこから始まるのも、しょせんは、ありきたりな人間関係だろう。リスクをおかすのは怖いものだが、「この人は」と思った相手には、ケガをも覚悟で、思い切って踏み込んだ話をぶつけてみるのも手だ。

もちろん一瞬にして嫌われる可能性はある。しかし、おもしろがられたり、興味深く思ってもらえたりして一気に打ち解ける可能性もまた、同じくらいある。リスクをおかしてまで懐に飛び込んでくる人に、心を開く人も多いはずだ。

■「本気で聞きたいこと」でぶつかってみる

リスクをおかしてでも相手に一歩踏み込む。そう言われても、怖いものは怖い。「この人は」と思えばこそ、なかなかその一歩を踏み込む勇気を持てなくても無理はない。

ここで僕からひとつ、付け加えておかなくてはいけないのは、一歩踏み込むといっても故意に相手を怒らせようとするのではなく、「本気で聞きたいこと」をぶつけてみてはどうか、という提案だ。

その点では、『週刊新潮』で元NHK政治部の岩田明子さんとの対談コラムに呼んでいただいたときのことが参考になる。

■「どうして自民党政権寄りだったのか」聞いてみた

岩田さんは、NHK時代、本人はそれだけじゃないと怒るかも? だが、ずっと安倍晋三元総理の番記者をしており、フリーになってからは政治評論家、コメンテーターとして活躍している。一方の僕はというと、もともと安倍元総理には批判的だったので、岩田さんとは立場を異にしていた。

とはいえ、何事にもプラス面とマイナス面がある。安倍元総理については、僕もちょっと批判的になりすぎていたという反省があった。それに、岩田さんという人物のスタンスに興味を引かれていた。

そこでまず、岩田さんはどうして自民党政権寄りだったのかを聞いてみたいと考えた。番記者の中でもっとも安倍元総理に食い込み、ベッタリだったという世評の真偽を尋ねること。

国会議事堂
写真=iStock.com/w-stock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/w-stock

■「自民党の裏金問題」を岩田さんにぶっ込む

そしてもう1つ。自民党の派閥のパーティー券収入不記載問題については、外せない。

この問題が明るみになった頃に岩田さんが明かしたところによると、2022年の時点で、安倍元総理は不記載をやめようと指示を出して一旦そうなった。なのに、安倍元総理が亡くなったあとにまた不記載・裏金スキームが復活したという。なぜ、誰が元に戻した? これは政治まわりでは岩田さんが語ったすごいスクープなのだ。

しかしだ。安倍元総理が不記載をやめようと言っていたことを知っていたのなら、今になってからではなく、2022年当時に明らかにして追及すべきではなかったのか。ジャーナリストならば。やはり、この点を岩田さんに突っ込まずにはいられない。率直にぶつけてみることにした。

そんなことをいきなり聞くなんて、嫌な感じがするだろう。「ツッコミに来たのか」と不快に思われるかもしれない。それでも、一所懸命に調べ、準備し、あえてそれをやったのだ。

そんな僕の投げかけに、岩田さんは「それは、違うんですよ」と、至極真摯に答えてくれた。

■一歩踏み込んだら、アクセントになって波が起きる

さすがだ。具体的なやり取りが気になったら、ぜひ『週刊新潮』2024年3月21日号をご覧いただきたい。

ともかく僕は、彼女の話には論が通っており、それ以上ネチネチやりたくない。ここで「そんなことはないでしょ」と僕が言ってはいけない。相手を怒らせるための質問ではない。一歩踏み込んで、本当に聞きたいことを聞くための質問なのだ。だから、「そうなんですね。じゃあ、もう突っ込むのはやめます」と、いとも簡単に引いた。時に消化不良を覚悟で、犬だって鳴くのをやめることがあるのだ。

何より、政治家と違って、僕が本気で聞きたかったことに逃げずに、かわさずに、真っ直ぐに答えてくれた岩田さんの度量勝ちだ。「負けて勝つ」ための準備をしただけなのだ。

古舘伊知郎『伝えるための準備学』(ひろのぶと)
古舘伊知郎『伝えるための準備学』(ひろのぶと)

その後は、いろんな脇道にそれつつ、話は仏教などにも発展した。そこはコラム欄の紙幅の都合で入っていない。岩田さんとは政治的立場や考え方は多少異なるものの、互いに本音で語ることで、理解し合える点や共通点も見出せた充実の対談になったと思っている。

ちなみに、僕はこの対談に向けて、先に挙げた2点以外にも準備していた。でも、かなりの準備を捨てることになったのも事実。だが、それでいい。それがいいのである。

一歩深く踏み込み、本気で聞きたいことをちょっと聞けたら、それがアクセントになって波が起き、あとは楽しく話すという波乗りに入れる。しつこい追求のための準備を全部捨ててしまうのだ。

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古舘 伊知郎(ふるたち・いちろう)
フリーアナウンサー
立教大学を卒業後、1977年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。

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(フリーアナウンサー 古舘 伊知郎)

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