なぜ「ヒラ社員でも年収2500万円」が可能なのか…三菱、三井とは根本的に違う伊藤忠商事の「儲けのカラクリ」
プレジデントオンライン / 2024年10月31日 10時15分
■伊藤忠の「大胆な賃上げ案」にSNSは騒然
大手総合商社(以下大手商社)の伊藤忠商事が、来期に向けて給与体系の見直しを行います。給与水準を大幅に上昇させるという内部資料がX(旧ツイッター)に流出し、ネット上で話題になりました。この資料は、岡藤正広同社代表取締役会長CEO名で出されたもの。日本経済新聞の報道によると、伊藤忠の広報担当者は「内容は事実」と認めた上で、「現在労働組合と交渉中だが、交渉終了時期は不透明」としています。資料には、部長クラスの年収で最高4110万円、担当者クラスでも最高2500万円という、高給取りの大手商社においても突出した水準となる大胆な内容が記載され、ネット上では「どうしてそんな給与が支払えるのか」「うらやましい限り」などといった書き込みが相次ぎました。
大手商社の24年3月期での有価証券報告書による社員の平均年収を見てみると、トップの三菱商事が2090万円(平均年齢42.7歳)、三井物産が1899万円(同42.3歳)、伊藤忠商事は1753万円(同42.3歳)で、伊藤忠はトップ2社にはやや水をあけられています。しかし国税庁の調査によれば、資本金10億円以上の企業の平均年収は652万円(令和5年分)であり、大手商社は軒並みその約3倍前後を支払っている計算になるわけで、一般的に見れば高給取りとしても抜けた存在であることは間違いありません。
■「雪だるま式」に利益が膨らむビジネス構造
まず誰もが疑問に思う「大手商社がなぜここまで高い給与を支払えるのか」という点から考えてみましょう。商社と聞くと、資源から部品や製品まで世界中からモノを仕入れてそれを活かしたい企業に売るという、つなぎ役的なビジネススタイルが思い浮かびます。ここで重要なことは、大手商社のビジネスは基本的にBtoBでかつロットの大きい商売なので、自社で在庫を持つことがほとんどない点です。在庫を持てば輸送や保管のコストがかかるわけで、在庫を持たないことは買い手にとっても価格メリットが大きいのです。
さらに最近では、モノの売買ではない事業への投資が大きな収益源になっており、いつの時代も大手商社のビジネスモデルはローコスト運営を基本としていることがわかります。つなぎでモノを売る、事業へ投資するというビジネスでは、工場を建てたり機械を設置したりという設備投資が不要です。しかも基本はBtoBビジネスですから、消費者向けのプロモーション活動をする必要もありません。
先にも触れたように、近年の大手商社は稼いだ利益をM&Aなどの再投資に回すことが多く、投資先からの配当や投資先の売却による利益などが積み増され、雪だるま式に利益が膨らむというビジネス構造にあります。大手商社が世間的に頭抜けて給与が高い背景には、このような事情があるのです。
では大手商社の中で伊藤忠商事は、どのような立ち位置にあるのでしょうか。
■旧財閥グループを猛追する「野武士集団」
伊藤忠商事は三菱商事、三井物産とともに年間売り上げで10兆円を超える、「3大商社」の一角を占める存在です。三菱、三井がともに旧財閥系であるのに対して、伊藤忠は独立系です。その成り立ちの違いから、得意分野も異なっています。財閥系2社は古くから資源・素材分野に強く、財閥グループの結束を背景として業績を伸ばしてきたという歴史があります。
一方で伊藤忠商事は、江戸末期1858年の創業来、祖業の繊維を手始めに発展したBtoCビジネス中心での独立独歩路線を歩み、現在では生活関連消費材やDX分野を強みとしています。同社が最新の中期経営計画でも、「消費者からのニーズをくみ取ったマーケットインの発想による事業変革に取り組む」と宣言し、古くからの大手商社を象徴する「プロダクトアウト」文化を否定している点も、大きな特徴であるといえるでしょう。
このように旧財閥グループという大きなよりどころを持つ三菱商事、三井物産とは一線を画し、“野武士集団”ともいわれる伊藤忠商事からは、彼らに対する強い対抗心が伺えます。古くから2社に売上規模で後塵を拝しその背中を追いかけてきた経緯からも、並々ならぬライバル心があるのでしょう。そのような中で同社は、2021年3月期に純利益、株価、時価総額で2社を上回り、念願の三冠達成となりました。しかしながらコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻の影響で資源価格が急騰。この分野に強い財閥系への追い風となって、翌年には再度逆転され引き離されるという憂き目にあっているのです。
■資料から感じられる「強いライバル心」
具体的には、22年および23年3月期は純利益で三菱商事、三井物産に抜かれ業界3位に転落。24年3月期は三井物産、三菱商事が入れ替わったものの、伊藤忠商事は3位が指定席になりつつあるのです。冒頭の岡藤会長名で出された内部資料には、この流れを良しとしない経営陣が、対財閥系2社再逆転を意識したとみられる強い言葉が並んでいます。
「ここ数年の資源価格高騰による財閥系商社の好業績の結果、給与水準は大きく伸長したことで当社との給与差が目立つようになってきた。そこで、来期以降の処遇を大きく改善し財閥系商社に負けない水準の制度に改訂する」とし、具体的には、今年度の計画値(連結純利益8800億円)を達成した場合に総平均10%給与水準を上げるとしています。
さらに「三菱商事及び三井物産の計画値と同じ業績を達成した場合には、両社と同水準となる。(中略)この2年間の財閥系商社との格差を埋めることを優先した」と、2社名を出した上で、同じ業績を上げれば同じ水準の給与を保証するとまでしているのです。
ここまで財閥系2社に対してライバル心をむき出しにしているのは、彼らに対する積年の対抗意識があると思われますが、それとは別の動機として、人材採用、人材確保といった視点も透けて見えます。
■激化する「優秀人材」の獲得競争
伊藤忠商事は、就職情報「学情」の人気企業ランキングで6年連続1位を獲得するなど、近年この手の就職人気ランキングでは常にトップクラスにあり、財閥系2社を上回る状況を堅持しています。しかし、このまま待遇面で水をあけられてしまえば形勢逆転もあり得ます。高度なコンサルティング営業を手掛ける優秀人材の確保で負ければ、今後の成長も危うくなるでしょう。
優秀人材の採用、確保のライバルは、大手商社だけではありません。先にも触れたように、今の大手商社はモノを売るだけのビジネスではなく、高度な知識と戦略的思考が要求される仕事です。その意味では、外資系コンサルティングファームも同様の人材を求める強力なライバルです。また現実に、若手の大手商社マンが一層の活躍の場とさらなる高待遇を求めて、コンサルティングファームに転職するのも、近年のトレンドになっており、それを食い止める施策として業界トップの給与水準は必要なのです。
業界3位にありながら上位2社と遜色のない給与体系を打ち出せる伊藤忠商事の強みは、大手商社にあって際立って従業員数が少なく、本業における1人当たり利益(営業利益)が大きいということが挙げられます。24年3月期でみると、三菱商事の営業利益(売上総利益-販管費)は6674億円、従業員数が5421人で、1人当たり営業利益は1億2300万円。三井物産は同5254億円、5419人で、同9600万円、対する伊藤忠商事は同7029億円、4098人で、1億7100万円と、この点で上位2社を大きく上回っているのです。
■「商人として大事なのは、実践で鍛えられた勝負勘」
また働き方改革に早くから取り組み、約10年かけて長時間労働を良しとしない企業文化を育ててきたことも特筆されます。具体的には、午後8時以降の残業を原則禁止して朝型早出を推奨する「朝型勤務」を2013年に取り入れ、フレックスタイム制とあわせ総体での残業コストを削減したことはライバル2社にはない強みと言えるでしょう。この施策はコスト面だけでなく、就職人気にも大きなインパクトを与えていると考えられます。
資源価格の急騰で財閥系2社に業績面でやや水を空けられた伊藤忠商事でしたが、ここにきて資源価格も落ち着きを取り戻しました。傘下のコンビニ大手ファミリーマートやアパレルブランドでの収益力強化、あるいは同社の強みであるBtoCビジネス領域でのM&Aの積極化、さらにはDX事業分野の伸展などにより、一気に財閥系2社に追いつき追い越せと社員を鼓舞する意思のあらわれが、新給与体系の導入であると思うのです。
「商人として大事なのは、実践で鍛えられた勝負勘」であると公言する岡藤会長ですが(※)、2010年から15年にわたり経営トップの立場で指揮をとってきた会長が、自らの名前で社内に告知した新給与体系は、まさにここが勝負所であるとの宣言とも受け止められます。岡藤会長率いる“野武士集団”伊藤忠商事の対財閥系2社との今後のせめぎあいは、単に給与面だけではなく事業戦略を含め興味が尽きないところです。
参考文献
※『週刊ダイヤモンド』「伊藤忠 三菱・三井超えの試練」2024年8月24日
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企業アナリスト
スタジオ02代表取締役。1959年東京生まれ。東北大学経済学部卒。1984年横浜銀行に入り企画部門、営業部門のほか、出向による新聞記者経験も含めプレス、マーケティング畑を歴任。支店長を務めた後、2006年に独立。金融機関、上場企業、ベンチャー企業などのアドバイザリーをする傍ら、企業アナリストとして、メディア執筆やコメンテーターを務めている。
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(企業アナリスト 大関 暁夫)
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