「讃岐うどんはもろちん、骨付き鶏もうまい」の間違いがわかるか…月刊誌で実際にあった"恥ずかしすぎる誤植"
プレジデントオンライン / 2024年11月13日 18時15分
■筆者が味わった「校正の境地」とは
校正の境地を味わうべく、私は日本エディタースクールの「セミナー校正1日教室【通信版】」に申し込んでみた。早速送られてきた教材を熟読する。原稿が本になるまでの工程や、使用する赤ペン(0.4ミリ、0.5ミリくらいの水性ボールペンか、0.3ミリ、0.4ミリのサインペンが適当)の説明などを読み、実習教材に挑戦する。簡単な文字の訂正や衍字(えんじ)(余計な文字)の「トル」「トルツメ」などは私も日常的に行なっているのでスラスラとできたのだが、「原稿引き合わせ」の実習でつまずいた。
手書きの原稿とゲラを並べて置く。利き手の側にゲラを置き、次のように作業を進めるという。
■「ゲシュタルト崩壊」を招く作業?
一字一字確認せよ、というのである。手書き原稿に「う」と書いてあり、ゲラのほうを見ると「う」とある。決して同じ字体ではないが、同じ「う」なので、OKということだ。そして原稿に置いた指を下にズラすと、今度は「り」とあり、再び目をゲラに移して、そちらの指をズラすと「り」が出てきたのでOK。続いて「こ」は「こ」、「ひ」は「ひ」、「め」は「め」、「は」は「は」、「、」は「、」と進むうちに、目を移す動きと指を下げるタイミングがズレ始め、しまいにはゲラの字とゲラの字を照合してしまい、前後不覚に陥って、どこまで照合したのかわからなくなった。それに手書き原稿の「う」をじっと見つめていると、うっすらと線がつながっているように見えてきて、「ろ」ではないかと思えてくる。あるいは上のほうに汚れがついた「つ」ではないかと。そもそもひらがなは漢字の略字。原稿引き合わせは原稿に書かれた略字と活字という標準的略字との照合であり、略し具合の同質性を判断しなければいけないのである。
などと考えながら、「う」「り」「こ」「ひ」「め」を一字一字区切りながら確認したのだが、こうすると全体の「うりこひめ(瓜子姫)」という単語が現われてこないことに気がついた。なぜなら単語はゲシュタルト(全体の形態)である。「う」と「り」と「こ」と「ひ」と「め」から、「うりこひめ」が生まれたわけではなく、「うりこひめ」という全体像が先にあり、それを音節に分解すると「う」「り」「こ」「ひ」「め」になるというだけで、部分に分けると「うりこひめ」は消失してしまうのだ。文字を注視すると線が動き出し、単語も消える。校正はゲシュタルト崩壊を招く作業なのではないだろうか。
■「エデイタースクール」「専問的訓練」は明らかに間違いだが…
次の教材で私はさらに困惑した。校正刷りに赤字を入れよ、という問題なのだが、その文章とは以下の通り。
日本エデイタースクールは、出版に携わっている人びとの研修の場であると同時に、これから出版の世界で仕事をしたいと考える人びとが、技能を翌得するための「公共」の場です。
日本エディタースクールは「編集者の職能の確立」をめざし、出版現場の体験と理論の統合を一貫した指導理念として、編集・校正技術等の専問的訓練を行なっています。(以下略)
まず誤字が目についた。冒頭の「エデイタースクール」の「イ」は小さい「ィ」。「翌得」は「習得」の間違い。「専問的訓練」の「専問」は正しくは「専門」だろう。早速赤字を入れて直したのだが、あらためて読み直してみると、文章としてどこかヘンである。まず最初の文章に出てくる「同時に」がおかしい。「研修の場」と「技能を習得する場」なら同時に成立するかもしれないが、「研修の場」と「技能を習得するための『公共』の場」は後者が前者を内包しており、同時というより同義ではないだろうか。それに「公共」という言葉は公的機関であるかのような誤解を招く。さらには日本エディタースクールが「めざす」ものと「指導理念」が錯綜(さくそう)しているような印象を受けるし、「日本エディタースクールは」という書き出しを繰り返すのは標語でもあるまいし、美しくない。日本エディタースクールを知らなくても論理的に文章は直せるわけで、私は全面的に赤字を入れることにした。
日本エディタースクールは、出版に携わる人びとの研修の場であるとともに、これから出版の世界で仕事をしたいと考える人びとが、技能を習得する場でもあります。
設立の趣旨は「編集者の職能の確立」。そして「出版現場の体験と理論の統合」を一貫した指導理念として、編集・校正技術等の専門的訓練を行なっています。
我ながらスッキリ校正できたような気がしたのだが、校正者の境田稔信さんに見せると苦笑いされた。
■「校正って間違いを探すことじゃないんです」
「校正してください、と言いたくなりますね」
実は境田さんは日本校正者クラブの運営スタッフ。日本エディタースクールで講師もつとめている。
――校正になっていない、ということでしょうか。
私がたずねると、彼が即答した。
「これでは文章のリライトです」
――しかし、誤りを正したつもりなんですが……。
「校正って間違いを探すことじゃないんです」
さらりと否定する境田さん。確かに私は文章の中に間違い、あるいは間違いを生みそうな部分を探していた。
――では、何をするんですか?
「確認するんです。文章の内容ではなく、文字遣いが合っているかどうかを一字一字確認する。合ってるOK、合ってるOK、という具合に一字一字確実に進んでいくんです」
彼は素読みでも指やペンで一字一字押さえながら進むらしい。
「そうしないと、すっと読んじゃうでしょ。ミスがあっても読んじゃう。内容を読んじゃうとミスを見落としてしまうんです」
■校正者は思わず「歯噛みをした」
そういえば『いんてる』(第142号 2016年7月8日 以下同)に「ある誤植─―もろちん事件」という記事が掲載されていた。
ある月刊誌の旅行記事のリードに次のような文章が掲載されたという。
実に恥ずべき誤植で、校正者は思わず「歯噛(はが)みをした」という。しかし記事の担当者、進行担当、副編集長、編集長、社内校正者、社外校正者、出張校正者のいずれも誤植に気がつかなかったらしい。読者のひとりがパズル応募ハガキの片隅に「違ってますよ」とさりげなく書いたことがきっかけで誤植が発覚したそうで、それがなければ誰も誤植に気がつかなかったというのである。正直に言えば、私もこの記事を読んだ時、どこが誤植なのかわからず、ゆっくり一字一字読み直してようやくわかった。「もろちん」は間違いで、正しくは「もちろん」。私たちは「もろちん」を「きちんと脳内変換して『もちろん』と読み換えていた」のである。境田さんの言う一字一字確認するとはこのことなのだろう。「もろちん」はゲシュタルトとして読むと「もちろん」になってしまう。ゲシュタルトこそ誤りの元になるわけで、校正者はそれを分解して検証するのだ。
■校正は「消される仕事」
「先輩から教えられたことですが、校正は一字ずつ、自分の名前のハンコを押していく作業なんです。OKのハンコ。全部の字にハンコを押すつもりで確認する。そこで『あれ?』『おかしいぞ?』という字があったら、調べて修正を提案するんです」
実際にハンコを押すわけではないので、校正済みのゲラに印はない。「ない」ということがOKの印なのだ。
――しかし一字だけ見ていると、全体が見えなくなりませんか?
「字には物体としての魅力があるんです」
――物体?
「字の並べ方、字詰めなど、物体としての姿があるんです」
言葉として意味を読み取るのではなく、物体として容姿を確認するのだろうか。
――おかしい、と思った部分を直したつもりなんですけど……。
私の校正は文章の見た目がおかしいという指摘でもある。
「それを赤字で入れてはいけません」
――そうなんですか?
「必ず鉛筆で書いてください。そして直すというより、『このようにされたら、いかがでしょうか』と提案するんです」
――なぜ鉛筆なんでしょうか?
「消せるからです。編集者が不要と判断したら消せますから」
校正の仕事は消される。たとえ直しても校正の痕跡は消されるし、OKのハンコも見えないわけで、消されることが校正の宿命なのだ。私のような「俺が直した」「直した俺」という自意識こそ真っ先に消すべきなのだろう。
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ノンフィクション作家
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『からくり民主主義』『趣味は何ですか?』『不明解日本語辞典』『悩む人』『道徳教室』『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』など多数。
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(ノンフィクション作家 髙橋 秀実)
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