なぜソニーだけが画期的な商品を次々と創造できたのか…盛田昭夫が市場調査よりも大事にしたこと
プレジデントオンライン / 2024年11月7日 6時15分
■今からは想像がつかないソニー創業期の困難
ソニーがまだ前身の東京通信工業(TTK)だったころは、国務長官ダレスの辛辣な言葉どおりの会社だったかもしれない。実際、創業当初の状況からは、ソニーの偉大な軌跡は想像もつかない。
TTKが当初、製造販売していた電気座布団は熱くなりすぎて毛布や布団を焦がすことがあった。戦争でダメージを受けた建物の一部を借りて運営していたため、工場の床のあちこちに穴があり、外壁はひび割れていた。雨が降るたびに工場の床に水溜まりができるという、当時ならではの趣のある作業環境だった。
しかし、19世紀のアメリカに見られたイノベーションの先駆者たちと同様に、創業当初の貧しい時代のソニーにも、厳しい状況を生き残るためのぎりぎりの戦略、間に合わせの代替策、金はなくとも知恵で乗り切る創意工夫が満ちあふれていた。
資源が不足していたため、機械や道具を購入することができず、エンジニアが自らの手で、はんだごてや電気コイル、ねじ回しなどをつくっていた。明け方まで作業が続くことも多く、夜中や早朝に建物に出入りするため、地元の警察から泥棒とまちがわれることもあったほどだ。
社員の給料が支払えなくなる危機にも何度か陥り、1回分の給料を2回に分けて支払ったこともある。だが、創業者の盛田昭夫と井深大はそうした困難をものともしなかった。
■画期的だから売れるわけではない
ソニーの最も輝かしいイノベーションというと、ウォークマンを思い浮かべる人も多いだろう。実際、ウォークマンは4億台以上を販売し、世界的な携帯音楽プレーヤーの文化を確立した。しかし今日の巨大企業への道程はもっと地味なG型テープレコーダーから始まった。
磁気材料を用いた巻取り式のポータブル録音装置で、盛田は当時、これを「テープコーダー」と呼んだ。「テープコーダーが発明される以前は、“録音”とはわれわれの日常生活からは縁遠いものだった」と盛田は1950年に書いている。
「従来は、録音をするには特別で複雑な技術が必要で、費用も高くついた。しかしいまではソニーのテープコーダーを使って、誰でも、いつでも、どこでも、簡単に、安い値段で、正確に録音することができる」
盛田は、顧客が人生のあらゆる瞬間を録音し、思い出を保存するために役立つこの製品に、大きな可能性を見いだしていた。「日本初の画期的な製品だ。そのうえ、手軽で扱いやすい。誰もが買わずにはいられないだろう」。
だが、そうはならなかった。少なくとも最初のころは。人々はもち運びのできる録音装置に魅力を感じはしたものの、簡単には買ってくれなかった。ソニーの幹部は別の方策を迫られる。
■市場は探して見つかるものではない
販売台数が伸びない期間がしばらく続いたあと井深と盛田が採った方策は、エンジニアのほぼ全員を動員し、彼らに営業活動をさせることだった。ソニーがこうした過程を経て学んだのは、ノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コースの言葉どおり、「市場は探して見つかるものではない、創造しなければならない」という教訓だった。
新しい市場を創造するために、ソニーは、独自の流通、販売経路を構築する必要があった。そこで1951年、子会社「東京録音会社」を設立し、これがローカルの職(販売、流通、教育、サービス、サポート等)を創出するきっかけとなった。
あるとき井深は、東京録音会社の幹部に全国を行脚して学校で実演をするように命じた。実演の効果は絶大で、あまりにも多くの学校から注文が入ったために、生産が追いつかないほどになった。さらに、顧客が製品を快適に使いこなせるように、エンジニアの一部に販売後の顧客サポートを担当させたところ、売上はさらに伸びた。
ソニーは、新しい市場の創造には努力が必要であること、それには大きな見返りのあることを学んだのだった。
その後もソニーはイノベーションを追求しつづけた。新市場の創造──まず日本でつくり、その後、輸出する──に焦点を当てつづけ、決してぶれなかった。
■成功の方程式
1955年、ソニーは世界初の電池式小型トランジスタラジオを完成させた。この電池式トランジスタラジオは、それまでの真空管ラジオと比べて、音質では劣っていたが、小さく、安く、「質もまあまあ」だった。
ターゲットとしたおもな顧客は、値段の高い真空管ラジオを買うことのできない十代の若者だったが、彼らは親の耳に届かない場所で、友人と一緒に音楽が聴けることを非常に喜んだ。
私自身、かつて、トランジスタラジオを買い、音楽を聴いてわくわくしたことを憶えている。私にとってトランジスタラジオは文明の進化の象徴だった。50年代の終わりごろには、多くの競合会社が参入し、電池式トランジスタラジオの市場は数億ドル規模となった。
ソニーも雇用を増やし、莫大な利益を上げると同時に、ソニー自身と日本国民に「イノベーションによって、自らの力で繁栄への道を切り拓くことができる」という希望を与えた。
ソニーはそれ以降も、まず本拠地である日本で市場創造型イノベーションを発進させ、そのあと世界に進出するという成功の方程式を何度も繰り返すことになる。
■部下からの警告を無視した創業者
1950年から82年のあいだに、ソニーは12種類の新たな市場を創造した。
そのなかには先に挙げた電池式小型トランジスタラジオのほか、初のソリッドステート式小型白黒テレビ(1959年にはすでに多くの日本の家庭にテレビが普及しており、同年の皇太子の結婚式をメディアが大々的に取り上げた際には、記録的な人数である1500万人の日本国民がテレビ中継を見た)、ビデオカセットプレーヤー、ポータブルビデオレコーダー、3.5インチフロッピーディスクドライブ、そして、あの有名なウォークマンがある。
ソニーの共同創業者、盛田は、不便や苦痛のなかにある好機を直観的に見つけ出す才能によって一大帝国を築き上げた。
ウォークマンには、市場調査チームからの報告を受けて販売が一時保留になったという経緯がある。録音機能のないテーププレーヤーなど欲しくない、イヤホンでしか聴けないのは煩わしくていやだという調査結果が出たためだ。
しかし盛田はそうした警告を無視し、自らの感覚を信じた。市場調査に依存せず、「人々の生活を注意深く観察し、彼らが何を欲しがるはずなのかを自分の直観を働かせて見きわめ、そこへ向かって突き進め」と社員を駆り立てた。盛田は正しかった。人々はそれまでは気づいていなかったが、「どこでも聴ける音楽」を求めていたのだ。
■こうやって市場は生まれ、成長する
ウォークマンは日本の市場に受け入れられ、当初、ソニーの幹部が月間売上台数を約5千台と予測していたところ、発売から2カ月で5万台以上が売れた。ウォークマンが市場に現れたその日から、私たちは音楽を聴きながら、歩いたり走ったり本を読んだり物を書いたりすることができるようになったのだ。
その後40年のあいだに、ソニーは4億台以上のウォークマンを売り上げた。いまやウォークマンは、これまでに発売されたすべてのポータブル製品のなかで、最大の成功を収めたもののひとつとなっている。新たな市場が誕生すると、そこには即座に他社の参入が始まる。ソニーが新しい市場を創造するたびに、東芝、パナソニックをはじめとする数多くの企業も続き、新しいビジネスチャンスに投資した。
ウォークマンの登場によって、ほかのメーカーも「音楽のもち歩き」は可能だと知ることになった。ここでたいせつなのは、市場はある企業一社を中心に成長するのではないという点だ。市場は、新たな消費者を創出し、イノベーションを継続し、消費者の「片づけるべきジョブ」をより深く理解するという作業を中心に成長するのだ。
ソニーはその後、MP3とiPodのブームには乗り損ねたものの、業界が成長し繁栄するための種蒔きにはかかわっていた。のちに他社が勇んで参入するような魅力ある潜在市場をソニーが見きわめて創造した回数の多さには驚嘆させられる。
■ターゲットにしたのは「無消費」
電気座布団からウォークマンに至るまで、自社が開発したあらゆる商品、そして自社が創造した市場を通して、ソニーは一般の日本人消費者の不便や苦痛をターゲットとした、大きな利益の見込めるビジネスモデルをつくり上げた。
さらに、成功するための必要に迫られて、関連する多くの職も生み出した。新たな職が生まれるたびに日本の発展に必要な資源がそこに集結し、ソニーは無自覚のうちに国の繁栄に貢献した。
私が最近、ソニー製品を目にするたびに感じるのはイノベーションのクールさだけではない。そこには何か強力で永続的なもの──日本を世界上位の富裕国に押し上げたプロセスそのものが存在する。
日本には優れた家電メーカーがほかにもあるが、日本のイノベーションの代名詞と言えばやはりソニーの名が真っ先に挙がる。戦争で荒廃した日本から、乏しい資金で、政府からの援助を受けることなく、友人同士だった2人の男が無消費(※)をターゲットとして新たな市場を創造し、世界一流の企業を築き上げた。
(※編註 「無消費(ノン・コンサンプション)」はクリステンセン氏が『ジョブ理論』の中で提唱した考え方。無消費とは「何らかの『制約』によって製品やサービスが使われていない」ことを指す。)
ただし、ソニーの例は日本の経済成長の原動力となったイノベーションの成功物語のほんの一例にすぎない。家電メーカー以外の業界にも数々の輝かしい例がある。
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経営学者
1952年、ユタ州生まれ。ブリガムヤング大学経済学部、オックスフォード大学経済学部卒業後、ハーバード・ビジネススクールで経営学修士取得。ボストン コンサルティング グループでコンサルタントを務めながらホワイトハウスのフェローとしてエリザベス・ドールの秘書も務める。その後、MITの教授らとセラミックス・プロセス・システムズ・コーポレーションを起業。92年同社を退社し、ハーバード・ビジネススクールで経営学博士号取得。
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(経営学者 クレイトン・M・クリステンセン)
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