無痛分娩も帝王切開もできず、産後も苦行が続く…「多くの妊婦が死に至る」江戸時代の過酷な出産風景
プレジデントオンライン / 2024年11月13日 18時15分
※本稿は、河合敦『禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿』(扶桑社文庫)の一部を再編集したものです。
■今よりずっと多産だった江戸時代
令和6年(2024)8月1日現在、日本の人口は1億2385万人(総務省統計局概算値)。1年前よりなんと59万人も減ってしまっているのだ。原因はいうまでもなく少子高齢化。高齢者が死ぬのは人間の定めなので仕方ないけれど、問題は子どもが増えないことである。
政府は子育て支援に取り組み、いろいろと旗を振っているのに、令和元年に生まれた子どもはたったの86万4千人。わずか50年前には200万人を超えていたのだから、その減り方のすさまじさには驚かざるを得ない。
将来への不安、子育てより楽しい娯楽の増加など、さまざまな要因が重なって、いまの日本は女性が子どもを産みたいという気持ちの持てない社会になってきているのだろう。
では、江戸時代の女性は、一生のあいだに何人ぐらいの子どもを産んだのだろうか。
残念ながら、正確な統計は存在しない。ただ、当時の諸記録から類推すると、独身で一生を送る女性は少なく、結婚すると生涯に5人程度は子を産んでいたと思われる。
■避妊技術が不完全で、堕胎も多かった
しかし疱瘡や腸炎、結核といった病気により、生まれた子の多くは幼くして死んでしまい、成人できるのは半分程度だったと考えられる。衛生状態も悪い当時のことだから、出産時の死産も多く、妊婦が亡くなってしまうケースも多々あった。
また、堕胎や間引き(生まれてすぐ殺害)も多かった。避妊の技術が極めて不完全だったこともあり、夫婦生活を続けていれば、女性は何度も妊娠を繰り返すことになる。とはいえ、多くの子どもを育てる経済力がない夫婦もいるだろうから、彼らは堕胎薬や産婆の力を借りて生まれてくる子を葬ってしまったのだ。
ちなみに、堕胎薬の中の「朔日丸」は、避妊薬としての効果も信じられていた。女性が生理の1日目に飲むと妊娠しないとされた。ただ、かなりの劇薬が使われていたようで、これを飲み続けると一生妊娠しない体になってしまうともいわれていた。
幕末になると「茎袋」と呼ばれる動物の皮でつくったコンドームも西洋から伝わってきたが、使用例はほとんどなかったと思われる。遊女などは紙を丸めて膣に入れ妊娠を防いでいたというが、効果ははなはだ疑問であろう。
■「妊娠5カ月目に腹帯」は伝統ある風習
さて、いまでも出産は大変な一大事だが、当時は麻酔による無痛分娩や帝王切開などないので、難産になると、その痛みや苦しみは想像を絶するものがあったろう。
そこで今回は、現代とは大きく異なる、江戸時代の出産について紹介しよう思う。
いまでも妊婦の多くは妊娠5カ月目に入ると、最初の戌の日に腹帯(岩田帯とも呼ばれる晒し木綿)を巻く。じつはこれ、江戸時代どころか、奈良時代に成立した『古事記』にも登場する伝統的な儀式なのだ。しかも、ほかのアジア諸国にもない日本独自の風習なのだそうだ。
では、なぜ妊娠5カ月目に腹帯を巻くようになったのかということだが、「体が冷えないように保温のためとか、妊婦を外の衝撃から守るためとか、戌の日に巻くのは犬が安産だから、それにあやかるため。さらには、帯を巻くことで妊婦としての自覚を持たせる。人びとが妊婦だとわかるように」など、諸説があるものの、残念ながら確実な由来や理由はわかっていない。
■安産祈願の水天宮はもともと久留米にあった
ちなみに東京近郊では、安産を祈願するため、戌の日に日本橋蛎殻町にある水天宮にお参りし、神社で祈願してもらったり腹帯を購入する人が多い。地下鉄半蔵門線の駅名にもなっているので、水天宮の名を知っている方も多いだろう。
もともと水天宮は、安徳天皇ら平家一門をお祀りする神社として久留米(現・福岡県久留米市)にあった。江戸時代になって、この地を支配するようになったのは有馬氏だが、第九代久留米藩主・頼徳のとき(文政元年・1818)、水難除災の神として藩の上屋敷(現・港区赤羽橋)内に水天宮を勧請した。
これを知った江戸っ子が参詣を願い、塀越しに賽銭を投げ込む庶民も続出したため、久留米藩では毎月5日に人びとの参拝を認めるようになったのだ。
その後、ある妊婦が社殿に使われた鈴の緒をもらって腹帯としたところ、非常に安産だったことから、戌の日に水天宮から腹帯を授かり、妊娠5カ月目の戌の日に帯として巻けば必ず安産となるという信仰が広まったといわれる。
なお水天宮は明治5年、新政府が大名の藩邸を没収したので現在の地に移された。
じつは、同じように大名屋敷に勧請された神社を一般開放する藩は少なくなかった。たとえば丸亀藩の金刀羅宮、西大平(現・愛知県岡崎市大平町)藩の豊川稲荷、仙台藩の鹽竈神社、柳川藩の太郎稲荷などがそうだ。開放することで賽銭の収入がかなり入ったからだろう。
■妊婦が失神するのは胎児が喉へ手を入れるから?
さて、妊娠しているあいだ、体調を崩したり問題が発生したときは現在と同様、薬を服用した(といっても漢方薬だが……)。とくに多くの人びとが信じていた薬の処方箋は『中条流産科全書』に記されたものだった。
仙台藩士の中条帯刀が創始した産科術をその子孫や門弟が広めたのが中条流産科術である。そんな中条流のお産術を大坂の医者・戸田旭山が体系的にまとめたのが『中条流産科全書』(宝暦元年・1751)だ。
ただ、その内容の多くは理にかなっておらず、かえって症状を悪化させる可能性があるものだった。
たとえば、「母、外の事なく、度々気をとり失う時は、子、母の喉へ手をつき入るゝと知るへし。此の時、煎湯の中へ藍の実、末して入るべし」とある。「妊婦がたびたび気を失うのは、胎児が母親の喉へ手を突き入れているからで、藍の実を粉にして煮詰めたお湯を飲みなさい」という意味だ。
確かに藍の実は漢方薬にもなり、それを煎じて飲むと、解毒や止血、喉頭炎などに効果があるとされているが、とても失神に効果があるとは思えないし、そもそも胎児が母の喉に手を入れることはあり得ない。
■非科学的なお産術がまかり通っていた
また、『中条流産科全書』には「難産で苦しいときは、八升(1.8リットル×8倍)の水を熱く沸かし、鍬を焼いてその湯に入れ、ぐつぐつと煮え立ったとき、鍬を引き上げ、その湯で『足の曲がり』(足首や膝裏のことか?)の下を洗うとよい」と記されている。
もちろん何の科学的根拠もない。この程度の処方箋なら笑って済ませられるが、「お産のときに下痢をしたら烏の卵を黒焼きにして酒に入れて飲め」とか「お産のとき、藍の実を子宮に塗ると難産にならない」ということが書かれており、そんなことを本当に実践したら、死なないまでも逆に症状が悪化してしまうだろう。
さて、いよいよ出産である。
それなりの資産を持つ家柄の妊婦は、陣痛がはじまると、産室と呼ばれる狭い部屋や小屋へ移され、産婆の助けを借りて出産するのが一般的であった。出産は穢れという考え方が強く、日常の生活空間から遠ざけたのである。
■座位出産は日本古来のスタイルだが…
驚くべきは、当時の出産体位であろう。座位なのだ。妊婦が用いる椅子を「椅褥」というが、そうした椅子や布団を重ねたものを敷いて壁に寄りかかるなどして、座ったままで子どもを産み落としたのである。
ただ、座位というのはすでに縄文時代の土偶や平安時代の絵巻物にも登場し、日本古来のスタイルだったことがわかっている。いきむときには天井から吊るした縄(泰産縄)にしがみついた。これも理にかなっている。
ただ、むごいのは、いくら辛くても横臥できないことであった。たとえば先の『中条流産科全書』には、「産に向ひ身持様の、側へよりかかる事なかれ。胸腹痛むとて仰くなかれ、子返りせんとて痛むものなり」と書かれているのだ。
こうして、ようやく大変な出産を終えた。妊婦もようやく横になってゆっくり眠ることができる。そう思うのは、大きな間違いだ。
■出産後も座り続け、大便入りの薬を飲まされた
『中条流産科全書』には、「物によりかからせ、足を少し屈め、少しつゝ睡らせ、多くねむらせず。酢をはなにぬり、振薬(泡立てた薬)に童便(赤子の大便)少しつゝ加へて用ゆる也」
とある。なんと子どもを産んだそのあとも、妊婦は寄りかかりながらも座り続けなくてはならない。足を伸ばして寝てしまうと、頭に血がのぼって病気になると固く信じられていたからだ。しかも、あまり眠らないように、鼻に酢を塗りつけられ、赤ん坊の大便入りの薬を飲まされる。これでは、たまったものではない。
しかも残酷なことに、その苦行は数日間続いた。うっかり熟睡してしまうと、鬼に生まれたばかりの子の魂を奪われてしまうと信じる地域もあり、新生児を守るために母親が寝ずの番をしていなくてはならなかった。
そんなわけで親族の女性たちが代わるがわる出産した母親のもとに付き添い、大きな声でおしゃべりするなどして彼女を寝かせないように見張っていたという。まさに拷問以外の何ものでもない。
その後、睡眠がゆるされるようになっても、産後数週間は座る生活を強(し)いられたのである。江戸時代、妊婦の死亡率が高かった理由がよくわかるだろう。
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歴史作家
1965年生まれ。東京都出身。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。著書に、『逆転した日本史』『禁断の江戸史』『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』(扶桑社新書)、『渋沢栄一と岩崎弥太郎』(幻冬舎新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)、『最強の教訓! 日本史』(PHP文庫)、『最新の日本史』(青春新書)、『窮鼠の一矢』(新泉社)など多数
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(歴史作家 河合 敦)
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