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「最近、字を書いていない人」は大事なものを失っている…東大教授が授業中に愕然とした"東大生の返答"

プレジデントオンライン / 2024年11月9日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FreshSplash

スマホやパソコンが普及する一方、手で字を書く機会が減っている。東京大学大学院総合文化研究科の酒井邦嘉教授は「手書きのノートは、書くときにも読み返すときにも、いや応なく脳をたくさん働かせることになるが、キーボードなどの道具や電子機器は、脳が働く余地を奪ってしまう恐れがある」という――。

※本稿は、酒井邦嘉『デジタル脳クライシス――AI 時代をどう生きるか』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

■研究結果は「ペンはキーボードより強し」

話を聞きながらノートを取るとき、手書きかキーボードかの違いによって、理解度や記憶への定着度にはどの程度の差があるでしょうか。アメリカの大学生を対象としてノートの取り方と理解度の関係を調査したパム・ミュラーとダニエル・オッペンハイマーの研究(*1)を紹介しましょう。

この論文のタイトルは「The Pen Is Mightier Than the Keyboard(ペンはキーボードより強し)」で、「ペンは剣より強し」というイギリスのことわざ(言論の力は武力に勝るという意味)をもじった印象的なタイトルをつけています。

ただし、この論文には主要な結果を含め多くの誤りや不備があり、出版から4年も経ってから訂正箇所が公表された(*2)という変則的な経緯があります。広く引用されている実験なので、その杜撰さは大変残念ですが、訂正によって定性的な結果は変わらなかったので以下に説明したいと思います。

*1 Mueller PA, Oppenheimer DM: The pen is mightier than the keyboard:Advantages of longhand over laptop note taking. Psychol Sci 25: 1159-1168, 2014
*2 Mueller PA, Oppenheimer DM: Corrigendum: The pen is mightier than the keyboard: Advantages of longhand over laptop note taking. Psychol Sci 29: 1565-1568, 2018

■手書き群のほうが良成績だった問題

実験では、プリンストン大学の参加者に、TED Talksというビデオの講演録を15分程度視聴させて、講義と同じような方法でノートを取ってもらいました。キーボードを使った学生を「キーボード群」、手書きでノートを取った学生を「手書き群」とします。

その後、講演の内容を問うテストが行われました。学生にとっては、大学で講義を受けてノートを取り、直後に小テストを受けるような設定です。

たとえば「インダス文明は何年前でしたか?」といった事実に関する問題では、キーボード群と手書き群のスコアに統計的な差はありませんでした。ところが、たとえば「社会の平等性に対する取り組みは、スウェーデンと日本でどのように違いますか?」という問いのように、「平等性」といった概念を適用する問題については、手書き群のほうがキーボード群よりも有意に良い成績を出しました。

「有意に」とは、「統計的にみて偶然に起こったとは考えにくいほどの」という意味で、実験科学で用いられる大切な用語です。

■「すべて書き取れない」ゆえの利点

両群のこの違いは、おそらく手書きとタイピングという単なる動作の差によるものではありません。手書きでは聞いたことをすべて書き取るのは困難ですが、キーボード入力が速い人はそれが可能です。その一方で、手書き群のほうは書くことに専念しなかった分、情報を要約したりしながら理解や記憶を深めることができたのかもしれません。

そこで先ほどの実験に追加して、キーボード群には「文字通り書き取ることはしないように」と指示を与えてみましたが、それでも先ほどの結果は変わらなかったそうです。そうした一時的な介入では、ノートの取り方や記憶に影響を与えなかったことになります。

「ペンはキーボードより強し」というわけで、ペンによる手書きのほうがキーボードよりも理解で勝っていたのです。

■キーボードを使うと受け身になりやすい

この実験が示す手書き群とキーボード群の違いは、たしかにノートの取り方に原因がありそうです。実際、キーボード群のほうが手書き群よりも倍くらいの語数をタイプしていました。つまり、手書き群はそのままノートに書き取るのではなく、重要なことに絞って書き表す傾向がありましたが、キーボード群は聞いた言葉をそのまま逐語的に書く傾向があったのです。

キーボードを入力する手
写真=iStock.com/Toru Kimura
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toru Kimura

言い換えれば、キーボードを使うと速くタイピングができる分、余分なことまで書き取ろうとして、かえって情報に対して受け身になりやすいのでしょう。ところが手書きでは、すべてを書き取れない分、要点をまとめてノートを取ることになります。

そうすると後者では、情報の内容を咀嚼したり自分で補って考えたりする脳内の作業が生じるわけです。そのため、「概念を適用する問題」に対して有利に働いたと考えられます。

つまり、「手書きでノートを取る」ことで内容の理解がより深まるわけで、キーボードは文明の利器とはならないのです。それなのに、自分のパソコンを持つことで手書きなど必要なくなったと思い込んでいる学生は多いのです。こうした事実を踏まえ、私は自分の講義の冒頭で、できるだけ手書きでノートを取るよう学生たちに呼びかけるようにしています。

■「メモを取る」は高度なマルチタスク

キーボードを使っても、手書きと同じように要点のみを抽出すれば同じではないか、と思われた人もいるでしょう。しかし、前に紹介した実験のように、「文字通り書き取ることはしないように」という一時的な介入が役立たなかったことを思い出す必要があります。

タイピングのように高度に自動化された動作は、逆にそうしないように抑えることが難しくなるものです。また、ふだんから要点を取り出してメモを取る習慣のない人に、いきなりそのように指示しても、どうやって要点を絞り込んだらいいのか分からないことでしょう。

「メモを取る」という行為は何げない簡単なことのように見えて、実は高度なマルチタスクであることを忘れてはなりません。マルチタスクとは複数の作業を同時に行うことです。ビデオを視聴しながらノートを取ることは手書きもタイピングも同じですが、メモを取るときには全体の流れの中で何が肝心の要点なのかを思考する過程が同時に加わります。それがとても大切なマルチタスクなのです。

ミーティング内容を記録するビジネスウーマン
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

■書きながら考えられない学生に愕然とした

大学で物理学の授業を担当していて、私がたくさんの数式を板書していたときのことです。今書いた内容について質問したら、「書いているときには考えられなかったので、分かりません」と返答した学生がいました。「書きながら考える」ことが当たり前だと思っていた私は愕然としてしまいました。

そのすぐ後に、学生が「書きながら考えられない」原因を突き止められたのですが、実は小学校の教育が関係していました。そのことは本書の第7章で改めて取り上げます。

習慣というのはなかなか変えられないものです。何も考えずに「とりあえず板書を書き写しておく」とか「とりあえずキーボードで丸ごと記録しておく」といった習慣では、思考の過程を先送りしているだけです。講義中に、あるいは取材中にメモを取らない限り、その場で生じた貴重な体験は記録できずに記憶から薄れていってしまいます。

楽器の弾き方や、運動のフォームを上達させることを考えてみると、適切なトレーニングによって自分の癖をまず直す必要があります。人がもともと持っている動作を矯正することには限度があるものの、必要最小限の筋肉を使う動作こそが最も理にかなった方法であることが分かります。

キーボードを使って手書きのようにノートを取ることを訓練するくらいなら、最初から手書きでノートを取るほうがはるかに合理的で自然でしょう。

■会議でただの「記録係」になっていないか

手書きでノートを取るときには、単にキーワードを書き取るだけでなく、重要なところを丸で囲んだり下線を引いたりしてすぐに強調できますし、矢印を使って因果関係や流れを表すことも簡単です。そして、すでに書いたところに戻っていつでも書き足すことができます。

そうした自由自在な作業はキーボードだけではできません。ワープロソフトの機能や電子ペンを使えば可能ですが、複雑な設定に注意を向けると、大事な部分を聞き落としたりしてしまうかもしれません。

以上に述べてきたことを総合的に考えると、ノートやメモを取りながら内容を整理して咀嚼し、さらに的確に要約する必要があるときには、手書きのほうがキーボードよりも優れていると言えます。会議の場で忙しく機械的にキーボードを打っているだけでは、議論に積極的に参加したり、新たなアイディアを出したりするうえで不利になるばかりです。

本気で問題解決に貢献するためには、受け身でタイピングに徹するような「記録係」では不十分なのです。

■メモの「欠落」を埋める作業が重要

一方で、いくら手書きでも逐語的に書き取るようでは、あまり効果が期待できません。手書きの本来の長所は、手作業が忙しくなりすぎないことであり、その分考える時間的余裕が得られることです。

真面目な人ほどできるだけ多くを書き取ろうと一生懸命になりがちですが、むしろ「少なく書く」ほうが重要だというわけです。要点を見極めて自分の言葉でまとめて書くときに理解が深まり、脳に定着することを知っておきたいものです。

人間の脳ホログラムとノートに記入する手
写真=iStock.com/Igor Kutyaev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Igor Kutyaev

もちろん、手書きではすべてを記録できない以上、手書きのノートには情報があちこち抜け落ちていることでしょう。大事なことがどこか抜けているだけではありません。時には矛盾した内容が書かれていて、後で理解に苦しむこともあるでしょう。

それは自分の書き損じなのか、それとも元の説明のほうが間違っていたのか。そうした不安もあって、多くの人はキーボードで正確に書き取るほうが優れていると思いがちなのかもしれません。

しかし、実はそうした欠落を埋めようとすることが、学習にとても役立つのです。自分で書いたノートを読み返すときには、抜け落ちた情報を思い出そうとしたり、想像力を働かせて補おうとしたりするでしょう。

「このメモはたしかこういう話の一部だったはず……」などと、ノートに書かれた手がかりを頼りに脳の中で再構成してみるわけです。その確認作業は学習の効果が高いものですし、時には講義や記者会見の内容が鮮やかに蘇ることにもなります。

■脳をたくさん働かせるから記憶が定着する

記録が正確すぎると、目が字面を追うだけでかえって読み返すことが雑になりがちですし、補ったり疑ったりして読まないので、その内容をうのみにしやすくなります。タイパを気にする世代なら、なおさらでしょう。そうすると、講演録をじっくり読み返しながら、その勘所を自分の頭の中に蘇らせるという大切な作業がおろそかになるわけです。

手書きのノートを取るときに、「ここが大事」というポイントを選んで残し、それほどではない情報は捨てるという作業をしています。脳内でそうした取捨選択が行われているときにこそ、リアルタイムで思考が進行していくのです。手書きによるそうした過程が記憶の定着を促すと言えるでしょう。

読み返すときも、手書きノートは結果として書かれた情報が少ない分、想像力を働かせる必要が出てきます。それが記憶の取り出しを活発化させ、記憶の定着に寄与することになります。

つまり手書きのノートは、書くときにも読み返すときにも、いや応なく脳をたくさん働かせる方法だと言えます。

■電子機器は脳が働く余地を奪っている

対照的にキーボードによるノートは、手作業がやたらに忙しい一方で脳をあまり働かせない方法です。理解や記憶の定着に対して脳を働かせることが、特に学習では重要なのですから。

このようにキーボードなどの道具や電子機器は、利便性を追求する一方で、脳が働く余地を奪ってしまう恐れがあるわけです。パソコンを使えばたしかにスピーディにタイプでき、間違えたときに直すのも楽。プリントすれば読みやすい文字で印字されます。

講義によっては、レポートを書くのにワープロの使用を義務づけることもあるでしょう。それは評価する教員側が読みやすいからそうするのであって、手書きのほうが学生側の教育効果が高いということを見落としてしまっています。

■手書きで「コピペ」はハードルが高い

私の講義でレポート課題を出すときは、必ず手書きであることを条件としてきました。それは、インターネット上の情報を手軽にコピペ(コピー・アンド・ペースト)できないようにするためです。学生たちには「手書きで書き写そうとすれば、その間に良心の呵責に耐え続けねばなりません」とも、説明するようにしています。

そして合成AIが現れてからは、レポート課題を廃して筆記試験に限るようになりました。本来ならば、じっくり時間をかけて調べて考えさせるような課題のほうが、限られた時間の試験よりも教育効果が高いのですが、ワープロよりもさらに手軽な道具が現れた以上、背に腹は代えられません。

■思考する時間が失われていることにも気づかない

酒井邦嘉『デジタル脳クライシス――AI 時代をどう生きるか』(朝日新聞出版)
酒井邦嘉『デジタル脳クライシス――AI 時代をどう生きるか』(朝日新聞出版)

振り返ってみれば、他人の手書きのノートを借りて自ら書き写すことなく、コピー機で手軽に、しかも大量に複写ができるようになったことが堕落の始まりでした。人が手軽さを求めるのはしかたなく、私の学生時代は、試験が近づくと、大学生協のコピー機の前に行列ができていたほどです。

今や電子ファイルをメールに添付してグループ送信できる時代です。そうやって思考する時間が失われていくのに、「失われた」ということ自体を意識することすら難しくなってしまいました。

道具に頼るあまり、人間の根幹である理解や記憶を犠牲にするとしたら、本末転倒ではないでしょうか。「デジタル機器とうまくつきあっていく」と言えるほど、これはなま易しい問題ではないと私は思うのです。

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酒井 邦嘉(さかい・くによし)
東京大学大学院総合文化研究科教授、言語脳科学者
1964年、東京都生まれ。東京大学医学部助手、ハーバード大学リサーチフェロー、マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学大学院総合文化研究科助教授・准教授を経て、2012年に同教授。02年、『言語の脳科学』(中公新書)で第56回毎日出版文化賞、05年、「脳機能マッピングによる言語処理機構の解明」で第19回塚原仲晃記念賞受賞。著書に、『脳を創る読書─なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』(実業之日本社)、『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書)、『脳とAI』(編著、中公選書)などがある。

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(東京大学大学院総合文化研究科教授、言語脳科学者 酒井 邦嘉)

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