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大人になっても役に立たないのに勉強する意味はあるのか…「勉強嫌いの子」のやる気を引き出す"親の声かけ"

プレジデントオンライン / 2024年11月15日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

子供に「なんで勉強しなきゃならないの?」と聞かれたら、どう答えればいいのか。東大生作家の西岡壱誠さんは「親が誤魔化したりきちんと答えられなかったりすると、勉強しない子になる。例えば『古文』なら、“会話が理解できない人になるよ”などと意義を伝えることが大切だ」という――。

※本稿は、西岡壱誠『読んだら勉強したくなる東大生の学び方』(笠間書院)の一部を再編集したものです。

■「受験」「学歴」を理由にしてはならない

「なんで勉強しなきゃならないの?」

お子さんからこんな風に聞かれた経験のある親御さんは多いのではないでしょうか? 子供がある程度大人になってきて、宿題がつらくなってきたり、勉強の内容が難しくなってきたりする過程で、必ず湧き出てくる想いが、「なんで勉強なんてしなきゃなんないんだ?」というものです。

「数学の計算がなんの役に立つんだ?」「なんで古文なんて昔の言葉を勉強しなきゃならないんだ!」と考えるようになって、「勉強なんてやらなくていいんじゃないか?」と感じるようになってしまうのです。

この質問に対する親の回答は、重要であり重大です。ここできちんと答えられなかったり、「つべこべ言わずに勉強しなさい」と誤魔化したりしてしまうと、子供は一気に勉強から心が離れてしまいます。

さて、最近この質問に対して、多くの親御さんが「受験のために勉強しなさい」「学歴のために勉強しなさい」と答えています。「社会に出たら学歴が大事だから、勉強しなさい」「中学受験で頑張れば好きな中学に入れる。だから勉強を頑張れ」というような回答なわけですが、これは少し危険な回答です。

まだ社会に出たことがない子供たちは、学歴がどれくらい社会に出てから重要になってくるか、想像することしかできません。

それに、確かに短期的には勉強のやる気が出るかもしれませんが、裏を返せば「中学に合格した後は勉強しなくてもいい」と解釈されてしまうこともあります。

■古文と現代語は密接に関わっている

「将来のため・学歴のため」ということではなく、しっかり各科目を勉強する意義を具体的に説明してあげる必要があるわけです。

本稿では、よく「勉強する意味がわからない」と言われてしまいがちな科目・古文の「勉強する意義」を、子どもにも伝わりやすい形でみなさんに共有させていただければと思います。

まず前提として、古文の勉強は昔に存在した言葉を理解するためだけにやるものではありません。昔の日本人が使っていた、れっきとした「日本語」なわけですから、実は知らず知らずのうちに、古文は現代語と密接に関わっているのです。

例えば、「けりをつける」という言葉は、「決着をつける」「物事を終わりにする」というような意味ですよね。小学生の子供でも知っている子がほとんどだと思います。

でも、この言葉の、「けり」とはどういう意味だと思いますか? これを「蹴る」だと勘違いしている生徒は多いのですが、これ実は古典文法です。「けり」は、過去[~だ]または詠嘆[〜だなあ]の助動詞であり、文章の後ろに「けり」がついていると、その文章は終わりになることが多いです。

「文章の終わりに『けり』をつけると文章が終わるように、物事にも『けり』をつければ決着がつく」ということで、「けりをつける」という言葉が今でも残っていると言われています。

■「現代語」の理解に役立つ

このように、古文の勉強が現代の言葉にも役に立つことはたくさんあるのです。古文の勉強をしていれば、現代語の意味もよく理解できるようになるのです。

例えば、次の文を読んでみてください。これはどういう意味でしょうか?

「どうか、この問題を解いてくれ」
「えっ⁉ 頭のいい彼女でさえ解けなかった問題なのに!」

一見すると普通の文ですが、ちゃんと意味を理解しようとすると、実は少し複雑なことがわかります。まず最低限、「この問題は、彼女は解くことができなかった」ということはわかります。「彼女=頭がいい」ということもわかります。でも、この文はそれ以上の意味が含まれています。

「さえ」という表現に注目です。これは、古文の世界では「だに」という副助詞が現代にまで残っている表現です。今でも、「予想だにしなかった出来事だ」なんて言いますよね。この「予想だに」の「だに」です。

教室で勉強している高校生
写真=iStock.com/Xavier Arnau
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Xavier Arnau

■古文の表現は現代まで残っている

さて、この「だに」は、古文のテストだと結構難しい文法項目として出題されます。例えば、次のような問題が出題されたとします。

「蛍ばかりの光だになし」を詳しく現代語訳せよ。

このとき、「蛍ほどの光さえなかった」と訳すだけだと、点数が取れない場合があるのです。正しくは「蛍ほどの光さえなかった。まして、それより大きい光はなかった」という意味になります。

古文において「AだにB」は、「AでさえBだ。まして、CならなおさらBだ」という表現になります。

「だに」とつけるだけで、短く「まして、CならなおさらBだ」という裏側の意味を追加することができる便利な表現であり、古典文学を読んでいるとよく使われる表現です。そして、この「だに」が現代まで残った形である「さえ」も、同じような意味があります。

「頭のいい彼女でさえ解けなかった問題」と言うのは、先ほどの「まして、CならなおさらBだ」と言う意味が隠されており、「まして、彼女より頭が良くない私ならなおさら解けないに決まっている」という意味だとわかります。

古文の勉強をしている人なら、現代語の意味が深く理解できるわけです。

「なんでこんな『だに』なんて勉強しなきゃならないんだよ」と思っていたかもしれませんが、これは、現代まで残る表現をきちんと知るために必要なのです。

■“隠れている意味”を書かないと「不正解」

「けり」や「だに」以外にも、形を変えて現代まで残っている表現は他にもたくさんあります。例えば、以下の言葉を、どのように解釈しますか? 

「晴れたらいいのになぁ」

翌日や来週など、現在よりも先の天気が「晴れてほしい」、という意味だと解釈する人が多いと思いますが、これも実は古文の世界の表現が隠れています。「のに」というのは、昔は「まし」という助動詞として使われていました。

例えば、古文の世界では「まし」を使って、こんな現代語訳の問題が出題されます。

次の文を現代語に訳しなさい。
「わが背子と二人見ませば、いくばくかこの降る雪のうれしからまし」
注:背子=夫

これは、「我が夫とこの雪を2人で見たら、どれだけこの降る雪が嬉しいだろうか」と訳すことができるわけですが、これだけではまだ半分です。「まし」は、「A(本来・予想)とB(現実)との対比」を示す助動詞であり、「理想はこうだけど、現実はこうそうなっていない」という意味の言葉です。

「現実と違う」からこそ、「反実の仮想=現実と反する、仮の想像」という意味で、古文の授業では「反実仮想」と習います。

この文は、「我が夫とこの雪を2人で見たら嬉しい」という理想しか書いていませんから、現実はそれと逆、「夫がいないから、この降る雪が嬉しくない」という意味が隠れていることがわかります。

中学生が教室で勉強している
写真=iStock.com/mapo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

■「現代語だけ勉強すればいい」の落とし穴

現代語の「のに」はこれと同じく、「反実仮想」です。つまり、「晴れたらいいのになぁ」とは、「晴れたらいいけど、晴れないなぁ・晴れないだろうなぁ」という意味になるのです。明日はお花見なのに、降水確率が高くて無理っぽいな、というような状況だと解釈できます。

なぜ、「けり」とか「だに」とか「まし」みたいな、昔の人が使っていた古典文法を覚えなければならないのかと言えば、それが現代まで繋がっているからなのです。古典文法を勉強することは、今現在使っている言葉をよりよく理解することに繋がっているのです。

「でもそれだったら、現代語の勉強をすればいいじゃないか。わざわざ古文を経由して覚える必要なんてないだろう」と思う人もいるかもしれません。しかし、そこには大きな落とし穴があります。

例えば、この「のに」と同じような使い方をする表現って、現代においては無数に存在します。「晴れたらいいんだけど」でも「晴れてほしいんだが」でも「晴れないかな」でも、なんでも「晴れたらいいけど、晴れないだろうな」という意味になってしまいます。

一方で、古文では「まし」を使わないで反実仮想の意味になることは、ほとんどありません。古文の時間に覚えた通り、しっかりとルールがあって、「この助動詞があるときはこの意味」というのが明確に存在していたのです。

つまり、現代の言葉の方が、昔よりも難しくなってしまっているのです。ルールに則って覚えれば解釈することができる古文の方が、実は理解しやすいのです。

■「会話が理解できない人」になる危険性

川に上流と下流があるように、言葉も上流と下流があります。上流は一つの川だったのに、下流になっていくにつれて分化してたくさんの川になっていくということはよくあることです。

今我々が使っている言葉は「下流」であり、これらを理解するためには「上流」である古文を勉強をしておいた方が、現代語を理解しやすくなるというわけですね。

西岡壱誠『読んだら勉強したくなる東大生の学び方』(笠間書院)
西岡壱誠『読んだら勉強したくなる東大生の学び方』(笠間書院)

ちなみに、「まし」をはじめとする反実仮想の表現は、英語でも存在します。英語では「if」を使って表現する仮定法がこれに該当し、仮定法が理解できない人の多くは古文の勉強をサボっているのです。

古文の勉強が、現代の日本語、そして外国語を学ぶ時にも密接に関わってくるわけですね。

いかがでしょうか? 古文の勉強を頑張ることは、「日本語をより深く理解するため」に必要です。逆に、古文の勉強をやっておかないと、日常会話のレベルで、認識の齟齬が発生してしまうかもしれません。

相手の説明や冗談が理解できず、「理解力のない人」「空気が読めない人」だと思われてしまうかもしれないのです。古文の勉強は、大人になってからのコミュニケーション能力に密接に関わっているというわけですね。

古文だけでなく、全ての科目に、その科目の勉強をして、それができるようになることで、広がる世界があり、さまざまな意義が存在します。「学歴のため」と言わず、ぜひ、勉強の深い意義を伝えられる親御さんになっていただければと思います。

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西岡 壱誠(にしおか・いっせい)
現役東大生 カルペ・ディエム代表
1996年生まれ。偏差値35から東大を目指すものの、2年連続で不合格に。二浪中に開発した独自の勉強術を駆使して東大合格を果たす。2020年に株式会社カルペ・ディエムを設立。全国の高校で高校生に思考法・勉強法を教え、教師に指導法のコンサルティングを行っている。日曜劇場「ドラゴン桜」の監修や漫画「ドラゴン桜2」の編集も担当。著書はシリーズ45万部となる『東大読書』『東大作文』『東大思考』『東大算数』(いずれも東洋経済新報社)ほか多数。

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(現役東大生 カルペ・ディエム代表 西岡 壱誠)

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