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石破茂政権は「30年前の永田町の悲劇」と同じ道を辿っている…「政治とカネ」に翻弄される日本の政治家の愚かさ

プレジデントオンライン / 2024年11月11日 9時15分

自民党総裁の石破首相(右)と国民民主党の玉木代表=2024年10月31日 - 写真=共同通信社

石破茂総裁下での衆院選で、自民党は大幅に議席を減らした。週刊文春、月刊文藝春秋の編集長を歴任した鈴木洋嗣さんは「1993年、非自民8党派の連立政権である細川内閣が誕生したが、政権基盤が脆弱だったために短命で終わっている。政治とカネの問題に追われ、バブル崩壊時に手を打てなかった30年前と同じことを繰り返してはならない」と警鐘を鳴らす――。

※本稿は、鈴木洋嗣『文藝春秋と政権構想』(講談社)の一部を再編集したものです。

■短命で終わった30年前の「細川政権」

残念ながら細川政権は263日間の短命で終わった。政権基盤といえば、端から脆弱といわざるを得ない。そもそもこの政権は、自民党のエッセンスのような男(小沢一郎)が率いる新生党と、とっくに耐用年数の過ぎた社会党(山花貞夫委員長、その後村山富市委員長)とが土台の大部分であった。政権運営がうまくいかないに決まっている。

それでも細川護熙首相は粘りに粘った。その後の日本の産業の行方を決定づける、ウルグアイ・ラウンドでコメ市場開放をなし遂げ、政治改革関連法案も紆余曲折を経て自民党と妥協し可決させる。

細川が政権時代の秘話を明かしてくれた。

「ひとつは政治改革関連法案が参議院で否決されたとき(94年1月21日)に、小沢さんと二人きりで話したことがありました。抜き打ち解散をしようと。国民の70%から80%は政治改革に賛成でしたから、その世論の支持で総選挙を闘う。選挙を打てば自民党はもたなかったでしょうから、そこで自民党の一部と組むという考えでした。しかし、まず政治改革法案を通すことをがんばってしまい、解散ができなかった」

■炎上した消費増税をめぐる“うかつな発言”

自民党の河野洋平総裁とのあいだにホットラインをつくり、最後の最後に自民党と手を結んで法案を通した。

「もうひとつは、国民福祉税構想がもちあがり、すぐに撤回という段階で、宮沢さんに相談したら、藤井裕久大蔵大臣に辞めてもらうべきだといわれました。7%の税率に関しては、もともと大蔵省は5~6%と言ってきていたので、記者会見で『腰だめ』(筆者注・鉄砲を腰にのせる姿勢を言う、転じて大体の見当を言う=消費増税率を表現するには不適当で世論の批判を浴びた)と私としては誠にうかつな発言をしてしまった。

藤井さんは立派な方でしたし、親しくしていました。宮沢さんと三人で話す時間があればよかったのですが……。でも、あのとき、大蔵大臣辞任となれば、新生党は政権から出てしまったかもしれませんが、そこで決断しなかったことには悔いが残ります」

■改革から30年たっても「裏金」はなくならない

海部・宮沢と二つの政権が潰れ、自民党は半壊し、6年の歳月をかけて政治改革関連法案が国会を通った。未公開株を政治献金がわりに政界にばら撒いたリクルート事件に端を発し、泉井事件(石油商の泉井(いずい)純一が高級官僚への度はずれた接待、政治家への多額の政治献金が発覚)などが続いたことに対して、国民の怒りが爆発した。

とにかく「政治とカネ」の問題に終止符を打たねば、政治は有権者から見放されてしまう。ようやく6年後に政治家たちが自らの既得権をすこしだけ手放して出した答えが、この細川政権時代の政治改革だった。

その改革から30年が経った。ここで課題とすべきは、このとき選択された政治改革の進路がはたして適切だったのか、ということだ。

今日、安倍派議員のパーティ券収入の裏金問題が発覚したことを見れば、決して充分だったとは言えないだろう。再び、「政治とカネ」の問題で、政治に対して国民は大きな怒りに震えている。岸田政権をはじめ、政治家たちが国民のその声に答えることができるか。

しかし、これまでの流れを振り返ると、「政治改革」にはまだまだ正念場が長く続くことが予想される。

■穴だらけの政治改革にうんざりする

では、なぜ政治改革はうまくいかないのだろうか。識者や政治のプロの意見など聞かずともわかることがある。

その理由のひとつは、小選挙区比例代表制が採用されれば、二大政党に収斂し政権交代可能な政治体制となる――という前提というか、その予測が外れてしまったことだ。

たしかに一度は民主党が2009年に政権交代をなし遂げたが、その後は二大政党制になることもなく、自民党とその他の政党体制に逆戻りしてしまった。野党らしい野党がないという点では、55年体制よりさらに後退してしまったと言えるかもしれない。(原稿執筆時点、2024年7月1日現在=筆者註)

小選挙区制では現職議員がかなり有利であり、二大政党にまとまっていくことは困難である。同時に、大きな政党ができないのであるから、政権交代のハードルも当然高くなる。

第二に、選挙制度改革に隠れてあまり議論せずに国会を通過してしまった「政党助成金制度」がもたらした副作用である。

政治改革の目玉であった「政治とカネ」の問題を解決するため、選挙や政治に掛かるコスト、その費用を国が丸ごと負担するという趣旨であった。同時に、政党以外の政治団体に対する企業献金の廃止を提唱していたが、実際は政治改革関連法案の審議のどさくさに紛れてなし崩しになり、現在まで政党への企業献金は続いている。30年前の悪夢が蘇ってしまった。うんざり、である。

■政治家がこれほど潤っている国は日本だけ

この政党助成金がどの程度の規模か知っているひとは少ないだろう。実に赤ん坊も含めて全日本国民一人当たり250円を支出するかたちで、政党交付金の総額315億円(2023年3月現在)である。巨額の税金が議員数に応じて、政党に分配されている。自民党に159億円、立憲民主党68億円、日本維新の会33億円、公明党28億円、そして小政党のれいわ新選組にも6億円強が支出されている。

使途は政治目的に限られ、使途を報告する義務がある。しかし、使途の振り分け――すなわち企業や個人からの献金部分(政治資金)との項目分けは、政党・政治団体側が判断するので、実質はどんぶり勘定である。

世界を見回してみると、議会制民主主義の生みの親である英国も実施しているが、総額3億円弱程度、米国にはこんな制度はない。ドイツやフランスは制度を採用しているが、各々174億円、98億円を助成していても企業献金を認めていない。日本は突出して大盤振る舞いを続けている。

300億円とは大金である。まじめに働く国民や企業にしてみれば、この金額を稼ぎだすのにどれほどの労苦がかかっていることか。その大切な税金の一部を使って政治を行う。ある意味、私的団体(パーティ)のはずの政党が「官営政党」になっているのである。

国会議事堂
写真=iStock.com/Boomachine
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Boomachine

■昔のような「金権政治」はなくなったが…

基本は、国会議員が5人集まれば助成されることになっており、本来、「政治とカネ」の問題を切り離す大切な手段だったものが、国から支給されるボーナスのように成り下がっているのではないか。強い違和感を覚える。これほどの税金を使うのであれば、官営政党はもっと早く裏金問題など襟を正すべきであるし、その責任が重いのである。

たしかに現在、この政党助成金のおかげで、政治家の一大疑獄事件といったものは減った。無くなったと言っていい。かつてのごとく政治家が億単位で金を集め、その金で子分を養い派閥を大きくし、自民党で過半を制することで政権をとり、総理大臣になるという道は塞がったように見える。

だが、決して褒められたことではないが、かつての政治家は「数は力」「力はカネ」とばかり必要に迫られて自分で金をつくってきた。その意味では、リアルな経済活動(政策も含めて)に明るかった。

渡辺美智雄などは、某証券会社を通じて株をマーケットに張っており、彼が大蔵大臣として採用する政策は市場直結であった。自分の財布と日本経済が連動しているのであるから、その景気対策などに心棒が入っているのは当然である。魂が籠もっていると言い換えてもいい。政策実行そのものが必死であった。

■カネを作っていないから、有り難みがわかっていない

それに比べていまの政治家はどうだろう。岸田文雄政権の経済政策はどこか他人事でウツロな感じである。「この国の経済をなんとかする」といった気迫は感じられない。政策プログラムの迫力が圧倒的に足りない。この点は、細川政権以後の政権にも共通する。せっかく政治からカネを切り離そうとしたのに、「税金で政治をやること」のマイナス面も出てしまった。

たとえば、岸田政権では、防衛費のGDP比2%を達成するため思い切った年2兆円規模(令和9年度から)、異次元少子化対策へ毎年3兆6000億円の増額を各々決めたが、明確なかたちで財源を示していない。財源を考えずに支出だけを決定するなら、政治は誰にでもできる。

もうすこしリアルな経済観念があれば、こんなことはできないし、毎年20兆円以上の新規国債など発行できるものではない。自分がカネを作っていないから、お金の有り難みがわかっていないのである。

そして図らずも、昨年末から安倍派の政治資金問題が新たに発覚した。既にご承知のとおり、もともと安倍派という派閥に入ったパーティチケット代金を個々の議員に還流させていた。特に派閥幹部はその資金を自らの勢力拡張、派閥の跡目を競うために使ったとみられる。

■この状況はバブル崩壊時と同じではないか

このカネは、企業や個人はパーティ券の代金を銀行振込しているので資金の流れが明確な表ガネである。それを個々の議員に還流しても表ガネが裏ガネになるはずがない。長年、派閥単位で行っていた悪しき慣行であった。

これなど、まさしく福田派から安倍派へと続く「二軍政治」の証左であろう。田中派に変わって政治の本流にいたためか、自分たちには検察が手を出さないとでも考えたような稚拙な手口であった。

90年代初頭と同じく、政治改革、派閥解消がメインの政治課題となってしまった。歴史は繰り返す。国民の怒りは激しく「政治改革」がキーワードとなるのは致し方ないのであるが、バブル崩壊時と同様に、経済政策の停滞を招くことは必至である。日本経済の立て直しの大切な時期に、またもや「政治改革」で政治報道が埋めつくされることとなった。徒に経済政策の空白が長引かないことを祈るばかりである。

そして、「政治改革」で何よりも先に永田町が取りくむべきは、戦後の政治腐敗史を教訓として、「公」と「私」を分けること、だ。

政治家が政治資金を私的な領域に関わらせないことに尽きると思う。そのために政治改革法を改正することも重要であろうが、法で縛るより何より、「政治家自身にカネの問題が起こったら即刻議員辞職する」ことを慣例にすれば済むことではないか。なまじ法律を改正しても、その抜け道を考えるのが政治家の常である。

それより、カネの問題が起こったらすぐにクビになる永田町をつくることだ。それを選挙で国民に約束させる。そんな改革はできないものだろうか。

■「企業献金も廃止するはずだったものが…」

いま振り返って、細川政権時代に通した「政治改革関連法案」の評価を改めて細川に問うた。

「選挙制度改革自体、不十分なものでしたね。政府案は小選挙区250、比例区250だったものが、自民党案を丸呑みしたため、比例区が少なくなり、民意が反映しにくくなっている状況が続いている。

あのとき、二つの内閣が潰れて6年も掛かってなし遂げられていないことを、ここで食い止めなくてはならないと思ってしまった。まず(政治改革の)骨組みをつくって、あとで修正していけばいい。そこを優先した。だから抜き打ち解散といったことも控えたのです。この不十分な点を改めなくてはならないと考えています」

――政党助成金制度の導入で、政治家から経済的リアリズムが消えてしまった、あるいは経済政策が本気でなくなったのではないでしょうか。

「そういうことはあるかもしれませんね。ただ、あの時点では政治改革をなんとしてもなし遂げることだけでした。そのため、企業献金も廃止するはずだったものが、ちっともそうならなかった。日本新党は企業献金をやめましたが、他の党は企業献金をやめようとはしませんでしたね。ただ、億単位の金が飛び交うことはなくなりましたが……」

日本円紙幣
写真=iStock.com/Nuttawan Jayawan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nuttawan Jayawan

■「不良債権に関することなど届いてこなかった」

――まったくの後知恵になりますが、90年がバブル崩壊の年といわれていて、93年に発足した細川政権では、もっと不良債権問題への対応といった経済政策を打ち出すべきではなかったでしょうか。

「当時、大蔵省から不良債権に関することなど届いてこなかったですね。大蔵省は国民福祉税という形で、消費税率を上げたかった。細川内閣はこれで潰れたと思っています。大蔵省の斎藤(次郎)次官と通産省の熊野(英昭)次官が二人で度々やってきて、細川内閣は人気があるから消費税を上げようなんて言う。

彼らに『内閣を潰す気か』と叱責したことがあります。もともと税の問題は党の方でやってもらっていたわけです。内閣では政治改革とウルグアイ・ラウンドで忙殺されていましたから、税ぐらいはやってほしいと党に一任していた。それを最後に私のところに持ってきたんです」

消費税を国民福祉税と名称を改めるにしても、実態としては消費税の税率を上げること――こんな重大な税改正を実現するためには当然、与野党間で根回しが進んでいるものだと考えていたという。細川の言うように、宮沢喜一のアドバイスの通り、大蔵省を押さえるには、細川に残された選択肢は蔵相更迭しかなかったかもしれない。

■30年前の「経済無策」を繰り返してはならない

90年代初頭、これほど政治が混乱しているあいだにも、日本経済はバブル崩壊という滑り台を滑降していく。結党宣言の時期から、21行が聳(そび)え立っていた大手銀行が跡形もなくなる金融危機まではあと5年。あと講釈ではあるが、永田町も霞が関も経済政策には目もくれずに「政治改革」に明け暮れていたのは残念なことだ。この時代にも、日本の政治に「戦略的な経済政策」が不在であることが見えてくる。

鈴木洋嗣『文藝春秋と政権構想』(講談社)
鈴木洋嗣『文藝春秋と政権構想』(講談社)

結党宣言から30年が経過したいま、細川の旗揚げに対して、とかくの批判もあるだろう。政治的な血筋の良さ、恵まれた生活環境だからこそできたのだとする指摘もある。

ただ身近で接した者のひとりとして痛切に思うことは、あの「田中型政治」時代は、だれもが「こんちくしょう」にひれ伏していたなか、とにもかくにも手をあげたことは評価されるべきである。共同通信の幹部が口にしたように「角栄の子分」の書生論であったかもしれないが、何もしないで長いモノに巻かれていた永田町で暮らす人間に、細川を批判する資格はないだろう。

政治改革は確かに必要だ。しかし、そればかりを焦点にしていると経済政策が停滞する。言うまでもなく政治改革だけでは、国民の懐は潤わない。デフレ脱却が達成できるかの大切な時期に、90年代初頭のような経済無策を繰り返してはならない。

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鈴木 洋嗣(すずき・ようじ)
文藝春秋 元編集長
1960年、東京都生まれ。1984年、慶應義塾大学を卒業後、文藝春秋入社。『オール讀物』『週刊文春』『諸君!』『文藝春秋』各編集部を経て、2004年から『週刊文春』編集長、2009年から『文藝春秋』編集長を歴任。その後、執行役員、取締役を務め、2024年6月に同社を退職し、小さなシンクタンクを設立。『文藝春秋と政権構想』(講談社)はその活動の第一作となる。

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(文藝春秋 元編集長 鈴木 洋嗣)

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