月商たった9万円、豆腐と納豆だけの食事…3度の倒産の危機を乗り越えた「性格が正反対な夫婦」の起業物語
プレジデントオンライン / 2024年11月8日 7時15分
■本社は大阪なのに社長は長野県に
雄大な南アルプスの山々を見渡せるフルカイテンの伊那オフィスは、伊那市役所(長野県)の真裏にある。
ここは伊那市が新産業の創出と地域活性化のために開設したシェアオフィス(パノラマオフィス伊那)であり、月の家賃は破格の3万8000円。オフィス内部は地元伊那産の無垢材をふんだんに使ったぬくもりのある造りになっていて、打ち合わせのための共有スペースや駐車場も附属している。
このステキなオフィスをCEOの瀬川直寛と妻の宮本亜実(採用広報チーム)のたった2人で使っているのだから贅沢というものだが、なぜ、大阪に本社を置くスタートアップ企業のCEO夫妻が伊那市で仕事をしているのかについて、簡単に説明するのは難しい。
少々持って回った言い方をすれば、夫妻が「在庫分析クラウドサービスFULL KAITEN」を生み出すまでの地獄のような日々が引き寄せた“約束の地”こそ、ここ伊那である、ということなのかもしれない。
■破天荒な夫と粘り強い妻
フルカイテンの「在庫分析クラウドサービスFULL KAITEN」は、単に在庫の数量を管理するためのソフトウエアではない。在庫を「かなり売れ筋」「売れ筋」「死に筋」「中間」の4種類に分類してくれると同時に、最適な発注数と発注のタイミング、またどの商品をどの店舗に移動すれば売上と粗利が上がるかを教えてくれる、画期的なシステムである。
このありそうでなかったシステムは、現在、在庫分析に悩む多くの企業から爆発的な支持を得ており、フルカイテンは2年で売り上げが1.6倍になる急成長を遂げているのだが、その原動力は瀬川CEOの独創的な、いや相当に破天荒な性格と、それとは正反対の、宮本の温和で粘り強い性格の「組み合わせ」にあると言ってもいい。
瀬川の破天荒ぶりを最もよく示すエピソードは、なんといっても大学受験の仕方である。
ドラマ「振り返れば奴がいる」(フジテレビ)を見て医者に憧れ、医学部進学を目標に据えた瀬川は、高校時代、まさに破天荒な方法で受験勉強に励んでいる。
瀬川が言う。
「実家が自営業で浪人させてもらう余裕がなかったので、2年間で高校3年分の勉強を終わらせて、残りの1年間を受験勉強にあてると決めたんです。もう、早朝から深夜まで、むちゃくちゃ勉強しました。学校の授業を聞いている時間がもったいなかったんで、自分で勝手に時間割を作って受験勉強をしていたんですが、当然、先生は怒りますよね……」
教師から何度も注意を受けたが、それで態度を改めるような瀬川ではなかった。
「瀬川、教室から出て行け! と言われたら、もうガッツポーズですよ。廊下に座って、自分の時間割に従った勉強を続けました」
■このままでは高校を卒業できない…
高3の時点で、模試を受ければ物理は全国1位が当たり前。高校の中でも断トツに成績はよかったが、いかんせん、出席日数が足りないことが3年生の終わり頃になって判明した。学校をサボって独自に勉強する日が多かったからだ。
このままでは卒業できないと、学校側から宣告された。
「そこで学校と交渉したんです。僕が通っていた高校は、当時まだ歴史が浅かったから、学校としては進学実績を伸ばしたいはずだと読んだのです。そこで、学校側が僕に『受かってほしい』と考える大学すべてに合格したら、出席日数をなんとかしてくれないかと先生に頼みました」
私立だから可能なバーター取り引きだが、相手にとってのメリットを見透かした交渉の進め方は、およそ高校生とは思えない。
学校側は瀬川の提案をのんで、「受かってほしい大学8校」を指定してきた。結果はなんと、8校すべてに合格。本命の医学部だけは不合格だったが、受験勉強をやり切ったという思いがあったので悔いはなかった。
瀬川は約束通り卒業を果たし、慶應義塾大学理工学部に進学することになったのである。
■厳しい家庭で育った妻
この間、同世代の宮本は何をしていたのかといえば、やはり自営業者でコテコテの大阪人だった父親にひたすら怯えながら、委縮した学生生活を送っていたという。
「門限は6時と決められていて、髪型もショートカットしか許されませんでした。大学に入っても、アルバイトは家庭教師や学童保育の手伝いしか認めてもらえず、帰りが遅くなるとバイト先に父親が『娘を何時まで働かせるんや!』って怒鳴り込んでくるんです(笑)」
ガストでバイトをしたいという宮本に「ファミレスなんて水商売や!」と言い放ったというからなかなかのお父さんだが、大学で学園祭の実行委員をやった経験が宮本のコミュ力をアップさせ、友人がたくさんできるきっかけになったという。
「実行委員をやったお蔭で、自分の明るい部分が増えて、成長できたのかなと思います。そのせいでしょうか、就職氷河期だったにもかかわらず、10社近くから内定をもらうことができたんです」
■人が決めたルールに従うのが嫌
一方の瀬川は、大学の研究室でも破天荒ぶりを発揮しまくった。
自動車エンジンの研究をメインとする熱力学の研究室に入ったものの、実験グループに組み込まれたことが面白くなく、わずか3日で教授からクビを宣告されてしまう。先輩から指示された通りの実験をやることが嫌で、それが態度に出てしまったらしい。
「実験をやる代わりに、すでに卒業した先輩がたった1人で研究していた天然ガスの熱力学特性の研究論文を教授から渡されて、続きをお前がやれと言われました。この研究のためにAIと統計を勉強したことが、後にFULL KAITENの開発に生きてくるんですから、ほんま、人生にムダはないんですよ」
とにかく瀬川は、人に指示されるのが嫌、人が決めたルールに従うのが嫌な人間であるらしい。
「なにしろ奈良県の大和郡山という田舎に生まれて、両親はいつも仕事でいなかったので、遊びでも何でもすべて自分で考えて、すべて自分で工夫してやっていたんです」
大阪の福島区という都会の下町で、相当におせっかいな父親に育てられた宮本とは、見事に対照的である。
■1社目では「やる気のない社員」として上司を困らせた
瀬川は大学を卒業すると、外資系のコンパック・コンピュータ(後のヒューレット・パッカード)に就職している。
研究室の仲間たちを眺め回して、自分は研究者には不向きだと判断した瀬川は大学院に進学せず、ビジネスサイド(営業職)で就職するという、異色のキャリアをスタートさせている。
出席日数の件では、高校生らしからぬ交渉力を発揮した瀬川だが、コンパック入社当初は、ほとんどやる気のない働きぶりで上司を困らせていた。
「毎日、一所懸命にやっていたのは先輩社員の経費精算でした。経費精算はめんどくさいので、僕が代わりにやってあげて1回当たり5000円ぐらい貰っていました(笑)」
そんな瀬川のグータラ社員ぶりに業を煮やした営業マネジャーは、わずか1年で瀬川を別の部署に配置転換させることを部長に進言した。しかし、部長は何を考えたのか、入社間もない瀬川にノルマを与えて様子を見ることにしたのである。
■ノルマが与えられ突如としてスイッチが入る
当時のコンパックの営業部隊は、他社から高給で引き抜かれてきたトップ営業マンの集団だった。営業部長以上は全て中途採用で、マネジャー以下もそんな猛者たちに育成された野武士のような集団。一匹オオカミである彼らは、何も教えてくれないし、育てようとすらしてくれなかった。
ところが、ノルマを与えられた瀬川は、なぜか、突如として、スイッチが入ってしまったのだ。これは瀬川に特徴的な行動パターンであることが後に判明するのだが、彼は、明確な目標が設定されると、異様な集中力と創造性を発揮する特性を持っているらしいのである。
「部長からノルマをもらって以降、優秀な先輩たちの商談を徹底的に観察して、自分との違いを分析しました。そうしたら、会話の瞬発力が決定的に違うことがわかったのです」
瀬川によれば、優れた営業マンは、意表を突くような相手の質問にも間髪を入れずに答えることができるという。そうやって瞬時に切り返しをしながら、自分の思い描いているゴールに向けて商談を引っ張っていく。
それに気づいた瀬川は、いったい何をしたのか?
「商談のスタートで僕の言葉に対して相手がどう反応するか、考えうるあらゆるケースを洗い出して、この場合にはこう答える、こうきた場合にはこう答えると、いわゆる想定問答をA3のノートにびっしりと書き出したのです。そして、商談の前に、それを全部丸暗記していったんです」
この独自のメソッドによって瀬川の営業成績は急速にアップしていき、新規の客ばかりを相手にした商談で3カ月に6億4000万円を売り上げるという、驚異的な記録を樹立する。ノルマをクリアしたばかりでなく、これは全社トップの営業成績であった。
■夫婦が出会った職場
瀬川はコンパックを皮切りに、4社のIT系のスタートアップを渡り歩いて、いずれの会社でも抜群の営業成績を残している。
一方、子どもを教える仕事をしたいと考えていた宮本は、内定をもらった10数社の中から学習塾を選んだ。しかし、その塾が少々エキセントリックな経営方針だったこともあって、すぐに英語教室に転職している。やがて、その英語教室がパソコン教室を開設することになったため、その準備でITについて学ぶ機会を持った。
宮本が言う。
「私は旅行が趣味だったのですが、当時はちょうど派遣という新しい働き方が広まり始めた時代でした。パソコン教室をやめた後は、派遣でしばらく仕事をしてお金が貯まったら長期の旅行に出て、戻ってきてまた派遣で働くという気ままな暮らしをしていました。富士通やパナソニックといった大手企業に派遣されて、ソフトウエアのデモンストレーションをやる仕事が主でした。でも、30歳を過ぎた頃、そろそろ安定した仕事に就いたほうがいいかなと思って、シナジーマーケティングという会社に就職をしたのです」
■ITの仕事がしんどくなってきた
このシナジーマーケティングは、瀬川の5社目の転職先だった。
瀬川は相変わらずの営業力で、入社してすぐに過去最高の売り上げを叩き出し、33歳という若さである部署の部門長に抜擢されている。転職を重ねるごとに着実にステップアップを重ねていく順風満帆の人生のように見えるが、瀬川には自分の仕事についてある疑念があったという。
「20代の始めの頃は、給料をたくさんもらえることが単純に嬉しかったんです。特に最初に入った外資なんて1億円売り上げると100万円のインセンティブをもらえましたからね。ボーナスが出た日なんて、10時ぐらいになるとフロアに誰もいなくなってしまう。先輩社員たちはみんなロレックスなんかを買いに行っちゃうわけです。でも、そういう生活が楽しかったのは20代の半ばまでで、26、7歳からITの仕事が明確にしんどくなってきました。営業先の情報システム部門の人たちは、忙しすぎてみんなしんどそうな顔をしているのです。このしんどい顔をした人たちと商談して、営業成績を上げて、いったい誰が喜んでんのやろって、モヤモヤしたものをずっと感じながら何度も転職を繰り返していたのです」
■「風船事件」勃発
そんなある日、瀬川が言うところの「風船事件」が起こったのである。
“事件”の顛末は他愛もないものだ。部門長だった瀬川が、若手の部下の誕生日にサプライズで風船を贈ったのである。ただし、ただの風船ではない。巨大な段ボール箱に入ったバルーンギフトである。
最初、デスクに届いた段ボールを開けていいのかどうか迷っていた若手社員を瀬川が促すと、段ボール箱の中からヘリウムの入った風船がにゅーっと顔を出した。あわてた若手社員は必死で風船を押さえようとしていたが、やがて4つの風船が天上を目指して浮かび上がった。
この光景を、同じフロアにいた宮本が目撃していた。
「IT企業のフロアって、いつもシーンとしているんです。会話はチャットでやるので話声も笑声もほとんど聞こえません。でも、この風船事件の時は、フロアにいた100人ぐらいの社員みんなが大笑いしたんです」
仕掛け人の瀬川はフロアの反応を見て、「よっしゃー!」とガッツポーズを取った。そして、この出来事をきっかけに、IT業界に対する瀬川のモヤモヤした感情が明確な像を結ぶようになっていったのである。
「100人全員を笑顔にした風船の威力は、すごいと思いました。同時に、自分の仕事は誰も笑顔にしていないことに気づいたんです。つまり、僕のやってきた仕事は、人を笑顔にするという点では、たった4つの風船に負けていたということなのです」
筆者は「人を笑顔にする」という紋切型の表現があまり好きではないが、瀬川がIT業界に感じていた「しんどさ」が深刻なものだったからこそ、しんとしたオフィスにわき起こった100人の笑い声が、ひときわ胸に響いたのだろうと想像する。瀬川はそれほどまでに、人が辛そうに仕事をしている姿を見るのが耐えがたかったのだろう。
■「迷惑です」と言われないと嫌がっていることに気づかない前向きさ
この風船事件からしばらく経って瀬川と宮本は婚約し、揃ってシナジーマーケティングを退社することになった。
瀬川は宮本の母親に結婚の許しをもらいにいき、こんな口上を述べたという。
「お嬢さんをください。因みに、会社は辞めます」
件のコテコテの大阪人だった宮本の父親は残念なことにすでに亡くなっていたが、もしも存命中だったら、「会社は辞めます」という瀬川の言葉を聞いて、ちゃぶ台をひっくり返したかもしれない。
宮本はいったい、瀬川のどこに惹かれたのだろう。
「瀬川は、いつも自信がなくて委縮して生きてきた自分と正反対の人です。いつも根拠のない自信にあふれていて、全てにおいて前向き。私が本当に嫌だと思うことを嫌だと言っても、『そんなん言っても、ほんまは嫌じゃないやろー』って、自分が相手に勧めることは、絶対相手にとっていいことだって信じて疑わない。だから、本当に嫌な時は『迷惑です』まで言わないと、伝わらないんです(笑)。そういう自分にはないストレートな前向きさがうらやましいし、正反対の性格だから、かえってバランスがとれるのかなと思ったんです」
■起業することだけを決めて2人とも退社
自営業を営んでいた宮本の母親は、2人が会社をやめて独立することには反対を唱えなかった。そして、瀬川と宮本は無謀にも、起業することだけを決めて会社を辞めてしまった。
シナジーマーケティングのオフィスがある大阪の堂島近くに瀬川が借りていた家賃15万円の賃貸マンションで会社設立の準備を始めたが、2人とも「これをやろう」という具体的な事業プランをまったく持っていなかった。
あったのは、「人を笑顔にする仕事をしたい」という瀬川の初期衝動だけだった。
■「これはいけるんちゃうか」
瀬川と宮本がECサイト「ハモンズ」を立ち上げたのは、2012年5月のことである。
ハモンズという社名は「波紋」から取った。「笑顔が波紋のように広がるように」という瀬川の願いが込められていた。
ハモンズは結婚祝いの日常食器を販売するサイトである。なぜ、このジャンルを選んだかといえば、瀬川と宮本が結婚した際、お祝いにもらった食器にヒントがあったという。
瀬川が言う。
「友人や同僚から結婚祝いに食器類をもらったんですが、中身はすごくいいのに包装がいまいちなものが多かったんです。なかにはボロボロの箱に入っているものさえありました。それを見て、もらった瞬間に『わー嬉しい!』って気持ちになれる結婚祝いを作ったらいけるんちゃうかって考えたんです」
安易と言えば安易な思い付きである。宮本はどう思ったのだろう。
「ウェッジウッドみたいなブランド物の食器をいただいても、もったいなくてなかなか使えませんよね。だから、日常的に使える食器でいい感じの包装にすれば、新婚の人は喜ぶんじゃないかと……」
やっぱり、安易と言えば安易な思い付きのような気がする。
とにもかくにも、商材を仕入れないことには商売を始められない。瀬川は多治見などの食器の産地を駆けずり回って食器を仕入れた。仕入れの資金は、資本金という名の2人の預貯金である。
■月商たったの9万円で、納豆と豆腐を食べる日々
ハモンズの商品は、売れなかった。
サイト開設当初は、月次の売り上げが9万円ほどしかなく、到底、月15万円の家賃を払い続けることはできなかった。見るに見かねた宮本の母親が、自宅の2階を事務所として貸してくれることになった。
2万円ほど家賃を入れたものの、瀬川の立場はほとんど居候である。
「お母さんがテレビを見てはる前を、すんませーんお風呂いただきますなんて言いながら、腰をかがめて通ったりしてましたね(笑)」
食事は、納豆と豆腐ばかり。しかし、そこまで切り詰めても生活は厳しく、売り上げは一向に伸びず、設立から1年も経っていない2012年12月に会社の預金残高が200万円になってしまった。
「どんどんお金が減っていく恐怖を、生まれて初めて味わいました。注文が来ないから何もやることはないのに、デスクにしがみついていないと不安で不安で仕方がないんです」(瀬川)
宣伝を打たないからサイトに客を誘導することができない。それが、ジリ貧の原因だったが、資金が減り続ける状況下では、大金をかけて宣伝を打つ勇気を持てない。
「もう、苦しくて苦しくて、どこかからお金を借りようと決心しました」
■初対面の大人の男2人が涙を流す異様な光景
瀬川が一縷の望みを託したのは、信用保証協会だった。信用保証協会が保証人になってくれれば、実績のない零細企業でも、銀行など民間の金融機関からお金を借りられる可能性がある。ただし、当然のことながら厳しい審査がある。
瀬川が審査を申し込むと、数日後、宮本の実家の2階に信用保証協会の職員が現れた。年齢は40代の前半ぐらい。髪を七三に分けた、ぽっちゃりした人物だった。
長テーブルの向こう側から、業務内容などに関する一般的な質問をひと通りされたが、職員氏は保証をつけるか否かの決め手を探しあぐねているようだった。
彼の口から、キラー・ワードが飛び出した。
「会社を作って、どうでしたか?」
瀬川は虚を突かれた。
本音を言えば、後悔の念もあったのだ。日々お金がなくなっていく不安、倒産するのではないかという恐怖を考えると、どう答えるべきか迷った。しかし、瀬川の口から出てきたのは、自分でも意外な言葉だった。
「よかったです」
「何がよかったですか」
「うちは結婚祝いの商品を扱っているわけですが、贈った相手が本当に喜んでくれたというレビューがついたんです。僕はそのレビューを読んで、自分たちの事業が人に喜ばれているんだと思って、それで、なんとか気持ちを支えているんです」
言いながら、なぜか涙が止まらなくなった。
保証協会の職員も涙声になった。
「こんなに真摯に事業と向き合っている社長さんに、久しぶりにお会いしました。お申し込みの300万円、満額の保証ができるよう頑張ります」
■感極まる男2人の様子を見ながら妻はガッツポーズ
男ふたりがテーブルをはさんで泣いている様子を、宮本は3階で聞いていた。
「なんかドラマみたいやなーと思いながら、瀬川は本当に一所懸命やっていたので、よっしゃーこれで300万円やで! って思いました(笑)」
1週間後、信用保証協会から電話がかかってきた。
「がんばって、満額通しました」
瀬川は、「人を笑顔にする仕事をしたい」という自分の思いが本物だったからこそ、保証協会の職員の心を動かすことができたのだと、いささか自画自賛気味の分析をするのだが、瀬川の思いが本物だったのは、「IT業界は成果を出してもみんなしんどい」のが真実だったからだろう。
借り入れた300万円を元手に広告を打つとてきめんに効果が現れて、ハモンズの事業はあっけなく黒字化した。2人は安堵の胸をなでおろしたが、この資金難はまだまだ地獄の一丁目に過ぎなかった。
■事業黒字化で業容拡大へ
ハモンズの黒字化を受けて、瀬川と宮本は業容の拡大に乗り出すことにした。同じくECでベビー服を扱うことにしたのである。理由は、2人に長女が生まれたことにある。
「子どもを抱えてベビー服を買いに行くのって、大変ですよね。しかも、せっかくかわいい服が見つかっても、サイズがなかったらまた買いに行かなくてはなりません。でも、このサイトに来れば必ずかわいいベビー服が見つかって、サイズ切れもなく、自宅に配送してくれるとなれば、今度は新婚家庭じゃなくて、赤ちゃんが生まれた家庭を笑顔にできるじゃありませんか」(瀬川)
発想の根っこにあるのはやはり「笑顔」である。
店名を「べびちゅ」に決めると、ECサイトを一気に立ち上げた。仕入れを担当したのは、宮本である。
■乳児を背負って全国の展示会を回るも、2度目の資金ショートの恐怖
「長女をおんぶ紐で背負いながら、仕入れのために全国の展示会を回りました。ベビー服の展示会だけあって、子連れには優しい面もありましたけれど、トイレの中で授乳したこともありましたよ」(宮本)
瀬川は仕入れ先との条件交渉や業務改善を担当することになった。食器と違って、かわいいベビー服を仕入れるのは、瀬川には難しかったのだ。
スタートは、またしても地獄だった。
瀬川はデスクに座ってサイトとにらめっこをしながら、来店者数のあまりの少なさに愕然とする日々を送った。
「言ってみれば、砂漠に自動販売機を一台置いているような感じでした。そんな店、どこにあんの? みたいな感じです。あっ1人来店したと思ったら、自分だったりして」
売るためには、当然ながら、先に仕入れをしなければならない。宣伝を打つことの効果はわかっていても、やはり大きなお金を広告宣伝にかけるのは難しかった。またしても、お金がなくなっていく恐怖が2人に襲い掛かってきた。
「まったく売れずに、仕入れの代金だけが出ていく状態でした」(瀬川)
この危機を救ったのは、なんと宮本が始めたフェイスブックだった。展示会場を走り回る合間を縫って、FBにべびちゅの商品の写真を投稿し続けたのだ。
「朝、昼、晩の3回、ベビー服の写真を撮って投稿しました。トルソーに着せたり、時には長女に商品を着せた動画を投稿したりもしました。そうしたらファンがついてくれて、あれよあれよという間に1万人になり、1万人が2万人になり、最終的に12万人のファンがついてくれたんです」(宮本)
これは、お金をかけない広告そのものだった。
ファンの増加に比例して、べびちゅの売り上げはぐんぐん伸びていった。FBからECサイトへの導線が確立されたのだ。
「瀬川には分からんと思いますけど(笑)、扱っている商品が本当にかわいかったんです」
宮本の、バイヤーとしての才能が開花した。
■売れているのにお金がない!
宮本のFBのおかげで売り上げは順調に伸びていったが、やがて2人は奇妙な現象に突き当たることになった。売れているのに、会社にお金がないのだ。売り上げが大きくなるに連れて在庫も膨れ上がっていき、気がつけば2カ月先に取引先に支払う現金が足りない。雇っていた数名の社員に支払う給与も足りなかった。またしても倒産の危機が迫ってきた。
この時期、2人は猛烈な喧嘩をしたという。
宮本が言う。
「仕入れも新商品の開拓も私がやっていたのですが、展示会を回って帰ってきたら、今度は100ブランドぐらいある商品の発注作業をしなくてはならないわけです。カタログや商品画面と、前年の販売実績のデータを見比べながら発注数を決めるわけですが、中にはFAXで注文書を送らなくてはならないメーカーさんもあったりして、ものすごく手間がかかる。ほとんど、眠る時間がありませんでした。眠いと頭が回らなくて、本当に追い詰められた気分になってしまうんです」
■弱音を吐いた夫に、肝が据わった妻の言葉
瀬川が言う。
「倒産の危機が迫っていたんで、恐怖といら立ちで気持ちがささくれていて、宮本にすれば業務改善のためのアドバイスのつもりだったのでしょうが、何を言われても腹が立つんです。お互いにトゲが立ちまくっている状態でした」
しかし、不思議なことに2人の間から「会社をやめよう」という言葉は出てこなかったという。瀬川の初期衝動も揺らがなかったし、宮本には、ある意味で欲が出てきてもいた。
「展示会や仕入れの仕事を通して、取引先といい関係ができていたんです。だんだん認められていっている実感もあったし、当時の社員との関係もよかったので、私はべびちゅをやめたくないと思っていました」
言い争いがひどくなると、2人はクールダウンのために深夜の公園に出かけていった。コンビニで買ったアイスクリームを食べながら、さまざまなことを語り合った。
「起業なんか、せんかったらよかったな」
ある晩、瀬川が弱音を吐いた。
宮本は、瀬川からそういう言葉を聞きたくなかった。
「あのまま会社員やってたら、3年先、5年先の想像がつくやんか。でも、今は1週間先の想像もつかへん。そっちのほうが、人生面白いやんか。きっといつか、あん時の苦労のおかげでいまがあるんやって思える日がくるで」
■在庫分析システムで倒産の危機から脱出
さて、これは在庫を抱える企業のほとんどが経験することなのだろうが、先述の通り、べびちゅは売れているのに在庫が増えていくという事態に見舞われていた。
資金繰りが急激に悪化してきたため、瀬川はセールを行うことを決意するのだが、在庫の山の中の、いったいどの商品が「あぶない」商品なのかがわからなかったという。いったいどうすれば、危険在庫をあぶり出すことができるのか? 瀬川は在庫の数量ではなく、いわば在庫の「質」を分析するシステムを編み出すことに血道をあげることになった。
大学時代、実験グループをクビになり、たったひとりで天然ガスの熱力学特性を研究するためにAIと統計を学んだことが、ここへきて役立つことになった。
「当時僕が作ったシステムの機能は3つあって、まずは、在庫を『売れ筋』と『死に筋』と『中間』に分類します。中間というのは、売れ筋ではないけれど、販促を強化すれば売れる商品のことです。2つ目の機能は、発注数を教えてくれる機能。いつ、どれだけ発注すればいいのか、判断のベースになる数字をシステムが教えてくれます。3つ目の機能は、客単価を上げるためにはどの商品とどの商品を一緒に売ればいいかを教えてくれる機能です」
瀬川がこのシステムを開発したことによって、べびちゅは数百万円分の危険在庫をセールで処分することに成功して、倒産の危機を脱出する。しかし、システムの恩恵を最もたくさん受け取ったのは、おそらく宮本であった。
■「これはいけるで」妻の新たな野望
「在庫の分析システムができるまでは、すべて仕入れ担当の私の勘と経験で発注をしていました。でも、システムができてからはベースになる数字を出してくれるので、ちょっと多いと思えば減らせばいいし、少ないと思えば増やせばいい。何よりもありがたかったのは、私じゃなくても発注作業ができるようになったことです。バイトの社員にもやってもらえる。システムのおかげで、私の仕事の量は半分ぐらいに減りました」
このシステムこそ、現在の社名にもなっているFULL KAITENの原型なのだが、その素晴らしい導入効果を実感していた宮本の中に、新たな野望が芽生えることになった。
「これは行けるで、と思ったんです」
宮本はバイヤーとして仕事をする中で、多くのメーカーが在庫に悩んでいることをキャッチしていた。どのメーカーも、まさに「売れ筋」と「死に筋」と「中間」をどうやって分類すればいいかに悩み、仕入れの数とタイミングの決定にも苦労していた。
「大手さんになると、本社と倉庫が離れているので、在庫の状況を見に行くことすら難しい。多くのメーカーさんがエクセルで在庫の数量を把握していますが、エクセルはどの商品が売れ筋か、死に筋かなんて教えてくれません。販促をかければ売れる中間の商品が、倉庫の片隅で誰にも気づかれずに眠り続けているなんてこともよくあるわけです。言い換えれば、これまで在庫を管理するシステムはあっても、在庫を分析するシステムはなかった。私が仕入れ先でべびちゅで使っているシステムの話をすると、みなさん『そのソフトを売ってほしい』とおっしゃるので、これは行けると思ったんです」
■IT業界の仕事が嫌で起業したのに…
2016年の暮れ、宮本は瀬川にシステム自体の販売を提案した。
言うまでもなく、瀬川の返事はノーだった。
「僕はIT業界で誰も笑顔にしない仕事をやっているのが嫌で起業したんです。なのに、もう一度ITの世界に戻るなんて、それは僕のやりたいことではありませんでした」
宮本は食い下がった。
「これまで、こんだけ辛い思いをして笑顔を失くしていたうちらが、このシステムのおかげで笑顔を取り戻したんやないの。そのことは自分自身が一番よくわかってるでしょう? 在庫を抱えるビジネスをやっている会社の社長さんで、在庫に悩んでいない人なんてひとりもいない。だったら、このシステムでたくさんの社長さんを笑顔にできるやんか。それに、べびちゅ以外に、もう一本事業の柱を持っていたほうがいいんとちゃう?」
■人生に無駄は一つもない
宮本の説得に耳を傾けるうちに、瀬川の頭の中で、点と点がつながっていく感覚があったという。物理・数学少年→大学でのAI・統計との出会い→コンピュータ・ITのビジネス→食器・ベビー服のEC→在庫を抱える苦悩→在庫分析システムの開発……。
「この在庫分析システムは、過去の点と点がつながって偶然に生まれたものなんです。そう考えたら、僕はこのシステムを売るためにここまで導かれてきたんじゃないかと思えてきた。人生には、本当にムダはないんだと思えてきたんです」
宮本の執念の説得によって、瀬川は在庫分析システムを販売する事業を立ち上げることを決意する。名付けて「FULL KAITEN」。その名の通り、在庫をフル回転させるためのシステムである。
そして宮本にはもうひとつ、別の思いがあった。
「私はシナジーマーケティングでの瀬川の仕事ぶりを見ていたので、彼の強みである営業の才能がもったいないと常々思っていたのです。FULL KAITENを売り出したら、瀬川はもっと行ける。ECだけで終わる人間ではないと、確信していました」
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ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。
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(ノンフィクションライター 山田 清機)
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