12月27日の預金残高20万円、社員14名…絶体絶命の起業8年目の年の瀬、6歳娘の言葉に父は涙が止まらなかった
プレジデントオンライン / 2024年11月8日 7時16分
■上場という目標設定で、さらに本気モードに
(前編からつづく)
2017年2月、在庫分析システムの事業化を決意すると瀬川のスイッチがオンになった。
コンパックの時もそうだったように、瀬川は目標を手にするとがぜん力を発揮する。ソフトウエアを販売する以上、上場まで持っていくのが本気というものだと目標設定をすると、VCからの資金調達にチャレンジした。そして、事業化を決意してからわずか3カ月後の5月、VCから数千万円の資金を調達することに成功している。
この段階ですでに、瀬川の営業マンとしての才能が再起動し始めたと言っていい。
「VCとの接触は一般的に紹介ベースですが、当時の僕にはそういうコネが全くありませんでした。だから新規営業みたいにドアノックをするところからのスタートだったのです。でもさすがに『初めまして』とご挨拶しただけで、紹介のような与信のない僕に資金提供なんてしてくれるはずがありません。そこで、自分がVCだったら、与信のない相手に対して、いったいどんな条件のときに資金提供してもいいと判断するかを徹底的に考え抜いたのです。答えは、事業がどうこうではなく、瀬川という人間が投資に値する人間である場合、でした」
いくらビジネスのプランを詳細に説明したところで、それがまだ形になっていない以上、この先どうなるかなんて分からない。そのビジネスが成長するかどうかも、誰にも正確に判断することなどできない。唯一はっきりしているのは、そのプランを実行する人間が「誰か」ということだけである。であれば、VCが最も知りたいのは、その人間がどのような人間であるかだろう……。
こう考えた瀬川は、VCに対して「瀬川をどう売るか」ということだけを考えて、VCへのプレゼンテーションに臨んだのである。
■従業員4人からの再スタート
「このFULL KAITENというソフトウエアを生み出すまでの、僕の絶対にあきらめない生き様、胆力の強さについて説明し、僕のような経歴の持ち主だからこそ生み出せたということは、他には絶対にマネができないものであること、つまり競合優位性が極めて高いこと、そして、潜在的に大きなマーケットがあることを力説したのです」
瀬川の作戦はみごとに奏功して、早くもプレゼンの翌日、VCから「資金提供をしようと考えている」という電話がかかってきた。
2018年9月、思い入れのあった「べびちゅ」の事業を従業員ごとある大手企業に売却すると、屋号を「ハモンズ」から「フルカイテン」に変更して、本格的にFULL KAITENを売り出すことになった。
ちなみに、ハモンズ時代の従業員数は14名、年商は約3億円あったが、フルカイテンは瀬川と宮本を含めてわずか4人でのスタートとなったのである。
■大企業から引き合いがあったが営業を凍結した理由
2017年11月、FULL KAITEN ver.1を売り出すと、瀬川も宮本も想像していなかった反響があった。なんと、日本を代表する大手企業7社から、いきなり引き合いが来たのである。
「ある記者さんが『繊研新聞』にほんの数行ぐらい、FULL KAITENのことを記事にしてくれたんです。そうしたら、それこそ日本の大企業というか、世界企業と呼んでいいような大手さんから問い合わせがきたんです。そしてなんと、7社すべてと契約を結ぶことができました」(瀬川)
FULL KAITENの持つ潜在的なニーズの強さを物語るエピソードだが、ひとつ、大きな問題があった。
「FULL KAITENは中小企業向けに作ったソフトなんです。日本を代表するような大手企業の場合、扱うデータの量がものすごく大きいので、中小企業向けのソフトではデータが重すぎて動かないんです。いくらクリックしても15分ぐらい経たないと、データが返ってこない。これでは、人を笑顔にするどころではありません」
VCからはいろいろな意見がついたが、瀬川はver.1の営業を一時ストップしてしまう。
なぜか。
「僕は金儲けのためだけでなく、人に喜んでもらうために起業をしたんです。なのに、このままver.1の販売を続けてしまえば、20代の頃の自分と変わらないことになってしまいます」
■資金調達はできたものの社内トラブル発生
ver.1の営業を凍結した瀬川は、大量のデータを処理できるver.2の開発に取り組んだが、それは瀬川の技術ではもはや不可能な領域だった。あれよあれよという間に資金がなくなっていき、エンジニアを雇おうにも雇う費用がないところまで追い込まれてしまった。
瀬川は再び、VCからの資金調達にトライした。
「今回は、大企業7社と契約を結んだことでFULL KAITENのニーズの強さを証明することができました。そこを強くVCに訴えたのです」
エンジニアを採用する資金を手にして、数名の優秀なエンジニアを雇い入れるとver.2の開発がスタートした。ここまでは、順調と言えば順調だったのだが、ここでベンチャー企業にありがちな、社内トラブルが発生することになった。
■エンジニアvs.営業
エンジニアサイドは、ver.2をいつ頃完成できるかをコミットしていた。ビジネスサイドは、エンジニアサイドが提示した完成の期日に合わせて契約を取っていった。FULL KAITENに対するニーズは相変わらず強かったから、またしても日本を代表する企業との契約が次々と決まっていった。
しかし、完成予定日が来てもver.2は、ローンチされなかった。大量のデータを相手にすると、相変わらず重くて動かないままである。
エンジニアサイドは、このソフトの開発がいかに困難なものかを力説し、開発には遅れがつきものであると主張した。しかし、すでに多くの会社と契約を結んでしまっているビジネスサイドにすれば、それは開発の遅れに対する言い訳にしか聞こえなかった。
いついつまでに完成できると言った以上、完成させてくれなければ困る。それがビジネスの常識だろう。もしも完成が遅れるのであれば、せめて、その情報を早目に共有するべきではないか。完成の期日が迫った段階で出来ませんでしたは、あり得ない……。
エンジニアサイドとビジネスサイドの対立は、日に日に深まっていった。社内の空気はとげとげしくなっていく一方である。瀬川が言う。
「VCからは1億円の資金調達をしたのですが、当時、エンジニア5名を含めて14名の社員がいたので、1億なんてあっという間になくなってしまうんです。問題はコミュニケーションの方法にあったと思います。ものすごく難しい開発だからもう少し待ってくれと言われれば、ビジネスサイドも納得できたと思うんですが、こんなに難しいんだから遅れたって仕方ないだろうと言われると、喧嘩になってしまう。すべてはコミュニケーションの齟齬が生んだ問題でした」
■年末の預金残高20万円、社員14名…年を越せるのか
2012年に瀬川と宮本が起業して以来、最大級の危機がやってきたのは、2019年の12月27日のことであった。
年末の各種の支払いを済ませたとき、なんと預金残高が20万円しかなかったのだ。瀬川と宮本にはすでに次女が生まれていた。会社の存続どころか、家族で年を越せるのかどうかというギリギリの状態であった。
■日本中で謝り続ける日々で、メンタルダウン寸前
明けて、2020年の正月、さすがの瀬川もメンタルダウン寸前の状態にあった。
「たぶん、鬱状態だったと思うんですが、この時期は自分が自分でないような感覚に付きまとわれていました」
契約してくれた企業にver.2の開発が遅れていることを説明するため、瀬川は全国を行脚する旅を続けていた。ひたすらな謝罪の旅である。
「朝は静岡の会社で謝って、夜は佐賀の会社で謝っているみたいな。相手によっては、そりゃ、烈火のごとく怒る人もいますよ。どんだけ待たせんねんって。それでも僕にできるのは謝ることだけなんです。やがて、そういう自分の姿を俯瞰で見ているような感覚に襲われるようになったんです。あいつ、また謝ってんなって」
離人症のような症状だが、おそらくそうやって自身の姿を他人事のように捉えることでしか、精神を維持することができなかったのだろう。
■6歳娘の言葉に父は涙が止まらなかった
宮本が言う。
「あの時期の瀬川は朝から何回も、絶対に勝つ、絶対に勝つって言い続けていました」
それだけ追い詰められていたのだろうが、そんな瀬川を支えたのは意外にも、幼い長女の言葉だった。瀬川が言う。
「2020年のお正月は、本当にお金がなくて、子どもをどこにも連れていくことができなかったんです。でも、お金がないからとは言えないので、パパ、忙しくてお正月なのにどこにも連れていけなくてごめんなと娘に言ったんです。そうしたら6歳の娘が、パパめっちゃがんばってるから、ええやん、大丈夫やでって……。あの時は、涙が止まりませんでした」
瀬川が約2年間に及ぶお詫び行脚から解放されたのは、2020年4月のことである。大手の企業の大容量データでも高速で処理できるソフトウエアが完成したのである。正確に言えば、会社の規模によってはサクサクと動くver.2をローンチした直後に、即ver.3の開発を開始し、そのver.3が完成したのが2020年4月であった。
「この間、VCから1億円規模の資金調達を2回していますが、なにしろ一般の企業が使っているようなデータベースのミドルウエアでは動かないんで、データベースのソフトウエアをゼロから自分たちで作るぐらいの大変な作業でした。開発というよりも、ほとんど研究に近いレベルだったと思います。トラブルでやめてしまったエンジニアもいましたが、ver.3が完成した時は、あらゆる重荷が取れた気がして、残ってくれたエンジニアと祝杯をあげました。本当に、他社には絶対真似のできないものが出来たと」
■新たな目標で本気モード
その直後にコロナの緊急事態宣言が出てしばらく営業活動ができなかったが、2021年からは順調に売れていき、コロナ危機はフルリモート化のきっかけにもなった。
そして瀬川は、新たな目標を手にして、またしても本気モードになっているという。
「ある大手アパレルメーカーの社長さんから、FULL KAITENが広まったら大量廃棄の問題を解決できますねと言われたんです」
つまり、FULL KAITENが普及してこの世から不良在庫が一掃されれば、それはすなわち、この世から大量廃棄がなくなることを意味するというわけだ。大量に生産して、売れ残ったものを大量に廃棄するという、現在の資本主義社会では当然とされている生産システムが、適正な生産をして、適正な在庫を持ち、大量廃棄を抑制するシステムへと、FULL KAITENの力によって転換するかもしれない。
瀬川が熱弁する。
「この社長さんのお話を聞いて、視座がぐっと上がりました。シャツ1枚を作るのに、水をどれだけ使うか知っていますか? 3トンですよ。そして、シャツを1枚廃棄するのにも資源を使うことになるんです。つまり人類は大量生産するために大量の資源を使い、大量廃棄するためにも大量の資源を使っている。FULL KAITENにはこの大量生産、大量廃棄の問題を解決する力があるんです」
■VCの厳しい要求にもストレスを感じない
VCは厳しく数値目標のクリアを求めてくる。彼らはフルカイテンが高い企業価値を持った状態で上場してくれなければ、利益を上げられないからだ。しかし、いまの瀬川はVCからの成長の要求を、まったく厳しいと感じないという。
「ストレスは感じませんね。だって、もしも大量廃棄の問題を解決できたら、子や孫にいまよりいい地球を残せるじゃありませんか。このミッションを達成するためには、事業を成長させなくては話になりません。この会社を大きく育てて、FULL KAITENを世界に持っていくんです!」
宮本がつぶやく。
「起業してから、いまが一番いい状態かもしれません。しんどいのはしんどいけれど、成長しているという実感のあるしんどさなので、しんどいけどがんばるでーって感じです(笑)」
■20日連続長野にいても本社・大阪の社員にバレなかった
最後に、なぜフルカイテンが伊那にオフィスを構えているかについて説明しておかなくてはならないだろう。
現在フルカイテンには50名を超える社員がおり、完全なフルリモート勤務を実現している。社員の住所は、文字通り北は北海道から南は九州まで。中にはコスタリカで暮らしている社員までいるという。
フルリモート化のきっかけはコロナ禍だったが、リモートワークを率先したのはCEOの瀬川と宮本だった。20日間にわたって社員にナイショで伊那で仕事をして、社員の反応を見た。社長が長野でリモートワークをしていることに社員の誰も気がつかなかったから、フルリモート化は可能だと判断したという。
年に数回、伊那でワーケーションを行ったり、大阪本社に全社員が集まるオールハンズ・ミーティングを行ったりして、社員が顔を合わせる機会は作っているが、原則、フルカイテンに出社はない。だから、どこで暮らそうと自由であり、それぞれが気にいった場所で仕事をすることを社長自ら実践し、推奨しているのである。
■伊那で暮らしている理由
問題は、なぜ伊那なのかである。
意外なことに、瀬川と宮本が伊那で暮らしている理由は、雄大な山々や豊かな自然環境もさることながら、伊那市立の伊那小学校にあるという。伊那小学校はユニークな教育を行っている小学校を取材したドキュメンタリー映画『夢見る小学校』(オオタヴィン監督)に登場する学校である。
もともと夫妻の長女は大阪の小学校に通っていたが、瀬川は勉強だけを重視して宿題を山ほど出し、禁止事項も山ほどある大阪の小学校、そして大阪の教育環境に嫌気が差していたという。
「だって、長女が保育園の時の保護者なんて、うちの子『鬼滅の刃』って漢字で書けるんですよ、おほほほほなんて言っていて……。こんな勉強だけの画一的な価値観の中で子どもの心がのびのび育っていくのか、生きる力がついていくのか、本当に疑問だったんです」
瀬川はなんとしても、子どもの教育環境を変えてやりたいと思った。なぜなら、瀬川自身が両親や学校の干渉をほとんど受けることなくのびのびと育ち、遊びの中でさまざまなことを学び工夫した経験が、フルカイテン起業に至る独自の人生の基礎になっていると感じていたからだ。
■本物の総合学習
宮本とともに『夢見る小学校』を見た瀬川は、映画の中で一番気になった伊那小学校を見学するため伊那を訪れた。そして、対応してくれた教頭先生の言葉に胸を打たれたという。
「子どもにはそれぞれ可能性があります。その可能性を開くきっかけを与えるのが、学校の役割です」
わが意を得たりと思った。そして子どもも「大阪に帰りたくない」と言う。20日間、社員に黙って伊那で仕事をしても気づかれないことを確認すると、伊那への移住を決めた。いわゆる「教育移住」である。
実際に伊那小学校を見学させてもらうと、学校のいたるところでヤギ、ヒツジ、ポニー、ニワトリなどを飼育しているのに驚かされる。なんでも、近くの牧場からレンタルしているそうだが、さらに驚かされるのは、動物のレンタル代や餌代をクラス費から捻出しているということである。
クラス費は保護者が集めてきた空き缶を業者に売却したり、総合学習の時間に作ったオリジナルのピザなどを販売したりして積み立てるという。クラス費を子どもが自ら稼ぐことによって、命の尊さだけでなく、お金の計算の仕方や、商売の仕組みについて、文字通り総合的に学んでいくのである。
■伊那に来て知った「社長の本当の仕事」
瀬川は、伊那小学校と関わることが、自身の会社経営に直結していると言う。
「社員の主体性って、経営者が『これぐらいできるだろう』と言えば出てくるものじゃないんです。社員ひとりひとりが、自分の得意不得意に気づく機会を与えられることによって初めて出てくる。そして、ひとりひとり異なる得意不得意がパズルのように組み合わさった多様性の高い組織こそ強い組織であって、経営者がやるべきことは、社員が自分の可能性に気づくきっかけをクリエイトすること、まさに伊那小が実践していることなんです」
瀬川と宮本も、地獄のような苦渋の日々の中でそれぞれの得意不得意に気づき、無意識のうちに組み合わせの妙を磨き上げてきたように、筆者の目には映った。
伊那の地で、子育てと会社経営がクロスしたことによって、瀬川が社員にかける言葉も変化してきたという。
「社員全員がライフステージに合わせて、いろいろな場所で暮らしてほしい。人生を肯定しながら、自由に生きてほしいと願っているんです」
ちなみに、伊那小学校の見学はそもそも今回の取材とは無関係だったが、瀬川からぜひとも案内したいという提案があって実現したものである。
帰りがけには伊那市自慢の産直市場「グリーンファーム」も案内してくれたが、「晴れてたら駒ヶ岳の山頂が見えるんやけどなー」といつまでも残念がっていた瀬川は、けた外れに熱くて、そして濃い人物であった。
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ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。
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(ノンフィクションライター 山田 清機)
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